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福岡まとめ [旅'14]

 福岡での移動は、主に地下鉄。空港も市内にあるので、数駅で博多などの中心に到着します。移動には結構便利なのですが、初乗りは少し高めです(200円)。しかし、色々お得な乗車券があるので、知ればお得感が増します。例えば、土日祝日の一日乗車券。これは520円です(平日は620円)。そのため、1往復以上すれば520円はすぐに達します。私は日曜に福岡城跡、両親のホテル、屋台のある天神、と様々な場所へ行ったので、この一日乗車券が大活躍でした。

 また、お隣切符というのも、券売機で買うことが出来ます。初乗り200円ですが、1駅であれば、100円でお隣切符を買い、乗車出来ます。歩いては行けるけれど、100円だったら乗ってしまう、という人が多いのではないでしょうか(特に飲み歩きする場合)。

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(福岡の地下鉄内にある標識)
 と、好印象を持ったチケットのシステムでしたが、福岡での乗車マナーには少しびっくりしてしまいました。関東の電車だと、車内が混んでくると、隣に座っている人に近づき、席のスペースを作ろうとします。が、福岡では、空港の駅などで人がたくさん乗ってきても、座席から動く人は居ません。みんな30cmぐらいの間隔を隣とあけて座っています。そのため、7人がけでも6人しか座ることができません。関東とも北海道とも異なる文化圏だなあと思いました。

 2泊3日の短い旅行でしたが、久しぶりの九州、面白かったです。福岡はまだまだ広いので、見ることが出来ていない場所もたくさんあります。海に近い街なので、風もとても冷たかったです。松本清張の小説(犯行現場)に出てきそうな、冷たい風でした。彼の出身地である小倉なども、博多とは少し違った雰囲気のようなので、次回行ってみたいと思います。

福岡3日目 [旅'14]

 この日は官兵衛の眠る崇福寺(そうふくじ)へ。よく、「ミュージシャンのファンが、そのミュージシャンのお墓へ行くという話を聞いたり、情報番組などで見ます。そして官兵衛の墓へ行って、ミュージシャンのお墓へ行く人の気持ちが少し分かった気がします。

 彼のお墓は、普通の(私の祖母がお参りに行くような)お墓の敷地内にあります。もちろん、福岡を作った人と考えられているので、黒田家の墓だけ、別扱いになっています。門まであって、一定の時間しか開いていません。大きな門があって、地元の人から慕われているということがよく分かります。

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(写真右側に居るのが私、墓の大きさが分かると思います。父が撮影してくれました。)
 この大きな墓を見て私が思ったのは、福岡の人に黒田官兵衛がどう思われているのか、ということでした。というのも、鹿児島へ行って、私が驚いたのが、西郷隆盛と大久保利通の扱いでした。歴史の短い北海道出身ということもあり、歴史的重要人物の出身地が自分と同じ、という経験をあまりしたことがありません。強いて言えば、生まれた函館で有名な土方歳三かもしれませんが、彼は函館出身でもないので、少し違うかもしれません。鹿児島は西郷隆盛と大久保利通の故郷ということもあり、鹿児島市内には彼らのモニュメントはもちろん、至る所で肖像画を見かけました。特に、西郷隆盛は本当に色々な場所で見かけました。もちろん、幕末・明治で彼が重要な役割を果たしたことは知っていますが、最後は政府に刃向かった人、という認識が強い気がします。そんな彼が鹿児島では英雄のようになっているのを見ると、やはり鹿児島の人は、西郷隆盛の出身県ということで誇りに思っているんだなあと、驚きました。

 鹿児島の西郷隆盛、のように、福岡の黒田官兵衛、と最初は思っていました。しかし、博多駅前に大きな彼の像があるわけでもなく(あることにはあるみたいですが)、あまり名前は見かけませんでした。昨年、官兵衛の大河ドラマをやっていたということもあり、大河ドラマと関連づけ、彼の名前を見かけました。果たして、今年、昨年と同じような状況が続くとは言えません。それでも、墓を見ると、本当に大きくて、地元の人はやはり黒田官兵衛に慕っている(尊敬している)、ということを感じました。もしかしたら、出身ではないので、鹿児島の西郷隆盛と温度差があるのかもしれません。

福岡2日目 後半 [旅'14]

 年末ということもあり、最後の福岡旅行振り返りから日にちが開いてしまいましたが、本日から再開です。

 無事、鴻臚館訪問を終え、その受付で福岡城周辺の地図をもらうことにしました。受付でその詳しい地図が貼られていたので、持っていたら便利だと思ったからです。すると、ボランティアのおばさんに「あっ、最新版のやつは1枚しかないからあげられない!古いのならあげることができるけど?」と言われてしまいました。古い地図と言っても、どれほど異なるのか心配になります。昨年のものなので、それほど古くはないはずですが。

 すると受付のおじさんが「昨年と今年の唯一の違いは、聖福寺の色。前年は緑色に塗られているけれど、今年は地図の他の部分と同じ茶色。」と言っていました。詳しく聞いてみると、大河ドラマブームで観光客が増え、そういった人達が騒がしく団体で来られると困るため、あえて観光客用の地図で目立たせないようにした、とのことでした。「これはン寺だから」とおじさんは繰り返し言っていました。ン寺って何だろう、と思いながら、行ってみることにしました。

 住宅街の中にある、聖福寺。場所は見えているのに、なかなか入り口に着くことが出来ません。シーズンオフなのか、人はほとんど来ていました。メインの道路からも少し離れていて、シーンとしていました。心が落ち着きます。さすが観光客を避けている寺だと思いました。

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 のんびり歩きながら、メインの入り口に到着。私が入ってきたのは裏の入り口だったようです。メインの入り口/出口には、この寺の説明が書かれていました。日本初の禅寺だそうです。受付のおじさんが言っていた「『ン寺』というのは、禅寺のことだったのか」とこの時に気がつきました。静けさはさすが禅寺、と改めて感じました。

 聖福寺を出て、駅へ向かいます。その道中にはまたお寺が現れてきました。拝観料無料、最古の木造大仏、という言葉に誘われ、中に入ってみました。このお寺でも全く観光客がおらず、一人で大きな木造大仏を見ることが出来ました。足音でさえも、大きく響きます。そして、ふと大仏の台座辺りを見ると、「地獄への道」というような表示がありました。地獄だから怖いんだろうとは予想していましたが、好奇心に負けて入ってしまいました。飢餓地獄、など様々な地獄の絵が展示されていました。「何だ、地獄の絵が飾られているだけで、大げさな表示だった」と思っていると、この先は真っ暗なので、手すりをしっかりつかむよう、注意書きがされていました。転んでも嫌なので、このまま引き返そうとも思いましたが、それも少し気が引けます。暗いと言っても、夜ではないので、進むと本当に真っ暗でした。目をつぶっても、開けても、同じでした(それでも怖かったので目を閉じていました)。手すりを頼りに、少しずつ進み、やっと台座から出てくることが出来ました。展示されていた絵以上に、「地獄」のような暗闇でした。

 翌日、両親もつれてこのお寺を訪れました。私と同じように、台座下の「地獄への道」に気づき、入っていましたが、私は怖かったので入りませんでした。

福岡2日目 前半 [旅'14]

 福岡滞在2日目は、両親がプールへ妹達の応援へ行きました。私は、福岡城跡を目指します。福岡へ来た大きな理由の一つが、この福岡城跡でした。今年の夏休み中、司馬遼太郎にハマり、彼の作品を読みあさりました。その中で一番好きになったのが、軍師の黒田官兵衛でした(相棒とも言える竹中半兵衛も好きですが)。他の軍師の本を読んでも、やはり気になるのはこの黒田官兵衛でした。その彼が、豊臣秀吉から離れて向かったのが福岡。この県の始まりを作ったとも言える、福岡城を見てみたいと思いました。

 ガイドブックを読んでいく内に、この福岡城は今存在せず、跡だけが残っているということでした。何か面白いことが分かるかもしれない、と跡だけでも見に行くことにしました。寒い中歩いて行き、案内所みたいなところへ着きました。(暇そうな)ボランティアの人が近づいてきて、丁寧に城の模型を前に色々説明してくれました。

 歴史的な城を回るのが好きな人も居ますが、私が城へ行ったのは数えるほど。小さい頃、大阪城へ連れて行ったのを覚えていますが、豊臣秀吉をまだ知らないことだったので、「大きいな」と思ったことしか覚えていません。城に色々防衛の策が施されている、ということは何となく想像出来るのですが、具体的にどんな方法が用いられているのかということまでは分かりませんでした。この跡地には、堀が多い、ということぐらいしか感じませんでした。ボランティアの説明によると、当時は堀がもっと深く、長く続いていて、入り口はたったの3つしか無かったようです。大きな城、更に集落のようなものがあったのに、入り口が3つしかなかったのには驚きです。陸の孤島のようになってしまわないのか、と少し心配になってしまいました。

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 更に、ボランティアの説明で一番印象に残っているのは城全体の作り。敵が侵略してくる際、ブレーキをかけるため、まっすぐな道が少ない、ということでした。当時の模型を見せながら説明してくれたのですが、確かにまっすぐの道がほとんどありません。迷路のように、入り組んでいました。現存している石垣を見ても、必要以上に曲がり角が多い気がしました。これを考えたのも官兵衛(とその息子、長政)、さすが築城の天才と言われているだけあるなあ、と思ってしまいました。

 説明を一通り受け、その後、鴻臚館(こうろかん)へ行きました。結構立派な建物で、また福岡城跡にあったので、江戸時代に関連したものだと思っていました。が、表示を見てみると、これは単なる再現。遣唐使という職業が存在した 、奈良時代のもの。こんな古いものが福岡にあるとは思っておらず、驚きでした。また、京都、大阪にも似たようなものが存在していますが、はっきりと場所が特定できているのは福岡のもののみ。江戸時代の福岡城と、奈良時代の鴻臚館。「たった」400年前の江戸時代から、日本の中心となった東京。かつての中心が西日本だったということを痛感させる瞬間でした。また、前日博多駅に到着した際、私は「雰囲気が札幌に似ている」と思っていました。東京ほど最先端ではないけれど、ある程度新しい街だと思っていました。しかしこれも、鴻臚館を訪れるまで。一気に、福岡が歴史ある都市に思えてきてしまいました。確かに、札幌周辺にこんな城跡などないので、それだけでも福岡と大きな差があります。

福岡1日目 [旅'14]

 今回は、月の始めに行った、福岡旅行について書いていきたいと思います。

 そもそも、福岡へ行こうと思ったのは、9月頃。妹達の大会が福岡であるので、それに合わせて行ってみようと思っていました。結局、2泊3日の旅だったので、私は大会を見に行かず、福岡を探索していたのですが。

 また、福岡は私が知らない県。九州へは鹿児島に一度行ったきり。水泳の大会で、全国各地のプールを渡り泳いでいる妹達とは違い、行ったことがない県がまだたくさんあります。というわけで、色々と福岡旅行の計画を立て始めました。

 安い旅行なので、飛行機は格安航空券であることはもちろん、泊まる場所もバックパックホテルです。必要なものを揃えると、荷物が少し多くなってしまいましたが。

 出発日当日は、成田発7時5分の飛行機を予約していました。この航空券が安かったというのと、出来るだけ福岡に早く到着したい、という気持ちがありました。始発の電車に乗って、いざ成田空港へ!松本清張の小説を読んでいたので、電車内で寝ることはありませんでした。が、始発にもかかわらず、電車が2回に渡って停車。予定していたより10分ほど遅れて到着し、走って搭乗口へ向かいましたが、結局乗せてもらえず。追加料金を払って、次の飛行機へ搭乗となりました。この日は、福岡でコンサートがあるため、席に空きがあるのか心配でしたが、無事に空席がありました(実際乗ってみると、満席ではなかったです)。

 出発に色々ありましたが、なんとか福岡へ到着しました。福岡国際空港と聞いていましたが、意外と小さかったです。函館空港に少し雰囲気が似ている気がします。

 到着した時間が予定より遅かったので、博多駅に着いてからすぐにバックパッカーズホテルへ向かいました。聞いてはいましたが、空港から市内は本当に近かったです。さすが市内にある空港でした。また、恥ずかしい話ですが、私は福岡市と博多市、だと思っていました。後から博多も福岡市内だということが分かったのですが、それでも自分の思い込みというのは怖い物で、どうも福岡市と博多が遠い場所に思ってしまいました。あっという間に空港から博多に到着しました。

 駅から歩くこと15分、バックパックホテルの近くにやってきました。しかし、なかなかその場所が見つかりませんでした。何人かに道を聞いて、ようやくたどり着きました。想像はしていましたが、一軒家にあるバックパックホテルという感じで、とても家庭的でした。部屋は、6人部屋(2段ベッドが3つ)。ほとんどが週末のコンサートのために来ているようでした。

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 身軽になったところで、太宰府へ向かいます。この太宰府へ行くのも、少し大変でした。地下鉄ではなく、私鉄に乗るからです。それが、路線図に書かれておらず、少し分かりにくかったです。それでも無事、太宰府に到着することが出来ました。

 もちろん、太宰府に向かった理由は、太宰府天満宮へお参りするため。高校受験では担任の先生が、(同じく学業の神様)湯島天満宮の鉛筆をくれました。その時に初めて、「太宰府天満宮というのが、学問の神様で一番有名な神社」と説明してくれて、この神社のことを知りました。そして、大学受験の時には、学年主任の先生が太宰府天満宮へ絵馬を書きに行ってくれました。このように、何かと受験の時に色々この神社の話を聞いていたので、行ってみたいと思っていました。今回、その希望が叶ったわけです。

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(神社内にある麒麟です)
 念願の神社を見ることが嬉しかったのですが、正直に言うと、太宰府天満宮へ行くまでの道のりの方が面白かったです。修学旅行で福岡へ来る場合、必ずと言っていいほど、太宰府天満宮へ生徒がお参りに来ると思います。そのためか、神社までの道のりにはたくさんの小さな店が並んでいました。観光地の商業化、と言われるかもしれません。しかし(何も買わなくても)私はこのような道が好きです。スーパーなどはもちろんなく、専門店が軒を連ねていて、京都のような、日光のような感じがするからです。このような道をぶらぶら、話をしながら歩いた時間の方が印象に残っています。
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 こうして、一日目は太宰府天満宮を見て、一日を終えたのでした。

関帝廟 [旅'14]

 インカレ開始の前日に両親が横浜にやってきました。そのため、この日は観光。中華街でおいしい焼きそばを食べ、その後はぷらぷら散歩。テレビでも芸能人が色々な場所を散歩して歩く番組が多くなってきています。見ている方としては少し間延びしてしまうのですが、自分自身がその散歩をやるとなると異なります。他の地区とはちょっと違う、中華街を見て歩くのは面白かったです。中華街は商売熱が強かったように思います。押し売りはさすがにありませんでしたが、どこの店もたくさんの商品を並べていました。

 そんな商売熱が強い中華街には、三国志の関羽を奉ってある場所がありました。関帝廟と呼ばれるものです。関羽は帳簿を中国で発明した人、と言われているらしく、商売繁盛の神様らしいです。さすが商売熱が強い中華街にあるだけあるな、と思いました。

 横浜の関帝廟へ来るのは初めてですが、少し思い出があります。中学卒業時に父から「三国志」のマンガ全巻をもらって以来、三国志ファンです。私が生まれた函館へ行った時、函館に関帝廟があると知って行ってみたのですが、日中関係対立中ということで残念ながら閉まっていました。お土産屋さんはやっていたので、私が三国志の中で孔明の次に好きな姜維の絵ハガキを買ってきました。孔明はちょっと一般的過ぎるかなあとあえて、マイナーな人物のハガキを買いました。マンガで描かれている顔とかなり異なったので、ちょっとびっくりしました。

 函館で残念ながら見ることが出来なかった関帝廟、横浜では特別な規制はありませんでした。中華街内にあって中国人が多く来るからなのか、閉まっていませんでした。そして拝観料のようなものが必要でした。ただ関帝廟を見るためだけに、と思い、外から見ることにしました(大きな門があるわけでもないので、室内がよく見えます)。関羽の特長である、真っ黒な長い髭が、像に付いていました。

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 父によると、「冠」がついているのは皇帝だけ、とのことでした。しかし、この関帝廟の像にもついていて、これが関羽なのか皇帝なのかよく分かりませんでした。色々な人に父が聞いてみると、神聖化した関羽、ということが分かりました。かなり写真はぶれてしまっていますが。

知床へ行こう! 最終回(旅の総括) [旅'14]

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 レンタルカーを返し、無事に釧路駅到着。駅弁も買うことが出来ました。濃霧で、釧路駅に着く電車は少し遅れてしまいました。10分ほどの遅れだったので、私は全く気になりませんでした。釧路駅には5分ほど停車しているようでしたが、それを繰り上げての出発。清掃員の人たちは、テキパキ掃除をしていました。

 そして、結果的に3分ほどの遅れで出発。家族3人で駅弁を食べて、話をしたりしました。私は車内で本を読む予定でいたのですが、話が一段落した帯広駅当たりからの意識が全くありません。両親もそうだったようで、3人で札幌駅まで熟睡してしまいました。札幌-網走間の方が距離的には長く、ほとんど起きていたので「長旅」という感じがしました。しかし、釧路-札幌間は、寝ていたので、あっという間に札幌到着という感じでした(1時間ぐらいしか差が無くても)。

 最終回と称して、少しこの旅の総括を。急で、弾丸の旅でしたが、メインであった自然公園を見ることが出来たので良かったです。もう少し時間があれば、キャンプも良かったかなあと思います。ずっと行ってみたかった自然公園が、思っていた以上に大きかった、というのが収穫でしょうか。

 知床観覧線という船もあって、海から自然公園を見ることが出来るツアーもあるようです。4時間という長時間のツアーですが。良く晴れた日に、海から自然公園も見てみたいと思います。そして、次は自転車でもこの道東を回ってみたいと思います。

知床へ行こう! 9(ドライブ) [旅'14]

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 知床でやりたいことは全てやったので、その後は釧路へ向かいました。釧路出発の電車に乗るためです。3時間近いドライブでした。公園を出た後は、まず知床峠へ向かいます。晴れていて、とてもきれいでした。まだ雪が溶けていない部分も少しあって、白い川のようになっていました。その峠を越えてからは、まっすぐな道路を走っていきました。さすが、北海道の道路、という感じです。カーナビもまっすぐな線が出ているだけです。

 私はまだ免許を持っていないので、両親が交代でこのまっすぐな道路を運転してくれました。運転する人は多分退屈するのかもしれませんが、乗っている私は楽しかったです。

 そんなまっすぐな道路を走っていると、見えるのは畑、森林、です。札幌に居ると、自然が多いということはあまり実感しません。確かに、東京に比べると、山はすぐ近くだし、大きな公園もいくつかあり、自然は多いかもしれません。しかし、札幌も駅前などに行くと大きなビルがあって、「都会」という感じが私はします。札幌から出て、道東へ向かうと、何も無い風景がずっと続いて、「自然が多いなあ」ということを痛感します。

 釧路へ向かう道路、あるのは道路の高低のみ。そんな道路を走っていると、先で大きな動物が道路を横切っていました。それは、鹿!知床自然公園では、熊とキツネを見て、道路では鹿を見ることが出来ました。北海道と言えば思い浮かぶ動物3種を、この旅行中に見ることが出来た、ということでしょうか。

 そして、無事に釧路到着。この日は、釧路でお祭りがあるようで、道路規制がすごかったです。ぐるぐる回って、フィッシャーマンズワーフに到着。駅に向かう前、駅弁を買おうとこのフィッシャーマンズワーフへやってきました。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを想像していたので、釧路のものを見たときは、ちょっとがっかりしてしまいました。海産物で有名だから、もう少し盛り上がっていると思っていたのですが、閑散としていました。目的の駅弁も買うことが出来ないまま、釧路駅へ向かうことになりました。

知床へ行こう! 7(カムイワッカの滝) [旅'14]

 知床五湖を出発してバスで揺られること20分、どんどん山を登って、「行き止まり」のようなところに到着しました。それが、カムイワッカの滝でした。こんな場所に滝があると思っておらず、ずいぶんと狭いところに滝があるのだなあというのが私の第一印象でした。

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(登っている途中。まだ余裕、と思っているところ)
 そして、楽しみだった滝登り!何と、滝が流れる場所を登ることが出来るのです。滝を登る、というと、鮭の川上りのように激しいものを想像してしまいますが、これほど危なくはありません。ザーッと流れる滝の部分をザブザブ歩いて行く感じです。岩も大きいので、素足で歩くと、切ってしまいそうです。そのため、ホームセンターで母が買ってきてくれたつっかけサンダルを履いて、登りました。また、固定観念として「岩は滑る」と思ってしまうので、下りるのが怖かったです。が、実際滑っている、と思っているのは頭の中だけ。この滝、硫黄が含まれているので、岩にコケが付かないのです。したがって、コケのついていない岩が滑ることはありません。と、頭では分かっていても、体はずっとへっぴり腰でした。

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(ここは温泉、のような部分。さすがに、ここには入りませんでした)
 温泉が出ているせいか、水温も低く、ぬるかったです。それでも、サンダルを履いて、滝の中を歩くのは、面白かったです。雨の日に運動靴で水たまりの中を歩くような、「ちょっと悪いことをしても認められる」という状況のような感じで楽しかったのだと思います。

 カムイワッカの滝自体は大きく、更に上には温泉もあると聞いていました。が、落石の危険もある、ということで、登るのが認められているのは第一段階のみ。それでも結構登った感じがしました。下りるのは結構怖くて少し時間がかかってしまいました。

 知床五湖とカムイワッカの滝を満喫し、今回の旅の目的はとりあえず達成。しいて言えば、少し残念だったのは動物を全く見られなかったこと。これだけ観光客が来ているのだから当たり前か、と思っていました。しかし、バスの中から見ることが出来ました!まず狐が登場。バスに慣れているのか、興味を示しているのか、森林の中(と言ってもバスが通る道からかなり近いところ)に座り込んでいました。そして少しまたバスを走らせると、今度は熊が2匹、木に登っていました。「バスに乗っている人の反応が良かったから、公園職員が熊2匹を登場させたのではないか」と冗談で、父は言っていましたが、本当に立て続けにキツネ、熊、と登場しました。

知床へ行こう! 6(番外編:「箱」を上手く使って規制する) [旅'14]

 この知床へ行って、思い出した大学の授業があります。大学の授業と言っても、一度オーストラリアで聴講しただけの授業です。授業名はよく覚えていませんが、確か「街の発展」とかいう授業でした。私が聴講した時のテーマは「スペースが人の行動を作り出す」というものでした。要するに、街の作り方によって、その街での過ごし方が変わる、ということです。この授業で挙げていた例が、週末のみの遊歩道。普段は車が通っている場所を遊歩道にする試みがあり、この試みによって普段は道路というスペースに全く関係ない人、歩行者がスペースの主役になるわけです。「週末は遊歩道」というルールを作って、車を排除し、歩行者を入れ込む、大きな「箱」が出来上がる。通常はこの「箱」をシステム、という風に呼ぶのだと思います。が、私のイメージとしては、ある目的を達成するために、運営側が「箱」を作り出して、その箱の中には目的を達成するための行動が出来る人のみが入れる、という意味で「箱」という言葉が浮かびました。人によっては、「線」とかいう言葉の方が合うのかもしれません。

 この授業が私にとって印象に残るものとなった理由が、「ルールが人の行動を(無意識の内に)コントロールしている」と感じたからです。ルールが人の行動を制限するものだ、というのは頭で理解していました。が、ルールがコントロールする、とは普段あまり感じていませんでした。数年も前に受けた授業ですが、今でも結構印象に残っていて、理由不明なルールがあったりすると、「このルールで何の行動をコントロールしようとしている?」と考えるようにしています。

 なぜこの授業を知床にて思い出したのかというと、少し複雑なバスの利用方法。知床自然公園内(知床五湖、カムイワッカの滝etc)の移動はこの時期、ほとんどがバスです。車で行こうと思えば、知床五湖までは行けます。しかしこの場所から、カムイワッカの滝へ行くバスに乗ることは出来ません。バスのチケットを買う場所もこの知床五湖にはありません。そのため、知床五湖とカムイワッカの滝へ行きたい人は、始発である自然センター(公園入り口)に車を置き、バスに乗って知床五湖で下車、再びバスに乗って、カムイワッカの滝へ向かうことになります。始発から乗ってきた人はチケットを既に持っているので、知床五湖から途中乗車をしてカムイワッカの滝へ行くことが出来ます。一見すると、少しややこしいシステムです。が、この方法で入場者を規制しているのです。運営側としてはたくさんの人に来てもらいたいけれど、同時に車で空気汚染されても困る。本当に訪れる気がある人だけを入れるためには、どんなルールを用意したらよいのか。知床五湖までは入り口に近いし、また観光客が一番に訪れる場所だから車は許可。でもカムイワッカの滝には、本当に来たい人だけに来てもらえるよう、車は禁止。知床五湖に来るだけの人とカムイワッカの滝へ行く人、どう分けていくか、バスの乗り方を変える、となったのだと思います。バスの乗り方という「箱」を使って、その中に入れる人、入れない人を分け、運営側の目的を達成する、知床公園の運営方法が見えるルールでした。その効果は現れていて、カムイワッカの滝へ来る人は、知床五湖に比べると、ぐっと減っていました。

 公園のルールから、「ルールによる行動のコントロール」という少し難しいことを考えながらバスに乗ってしまいました。森林の中を歩いて、頭の中がリフレッシュしたせいでしょうか。
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