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福岡3日目 [旅'14]

 この日は官兵衛の眠る崇福寺(そうふくじ)へ。よく、「ミュージシャンのファンが、そのミュージシャンのお墓へ行くという話を聞いたり、情報番組などで見ます。そして官兵衛の墓へ行って、ミュージシャンのお墓へ行く人の気持ちが少し分かった気がします。

 彼のお墓は、普通の(私の祖母がお参りに行くような)お墓の敷地内にあります。もちろん、福岡を作った人と考えられているので、黒田家の墓だけ、別扱いになっています。門まであって、一定の時間しか開いていません。大きな門があって、地元の人から慕われているということがよく分かります。

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(写真右側に居るのが私、墓の大きさが分かると思います。父が撮影してくれました。)
 この大きな墓を見て私が思ったのは、福岡の人に黒田官兵衛がどう思われているのか、ということでした。というのも、鹿児島へ行って、私が驚いたのが、西郷隆盛と大久保利通の扱いでした。歴史の短い北海道出身ということもあり、歴史的重要人物の出身地が自分と同じ、という経験をあまりしたことがありません。強いて言えば、生まれた函館で有名な土方歳三かもしれませんが、彼は函館出身でもないので、少し違うかもしれません。鹿児島は西郷隆盛と大久保利通の故郷ということもあり、鹿児島市内には彼らのモニュメントはもちろん、至る所で肖像画を見かけました。特に、西郷隆盛は本当に色々な場所で見かけました。もちろん、幕末・明治で彼が重要な役割を果たしたことは知っていますが、最後は政府に刃向かった人、という認識が強い気がします。そんな彼が鹿児島では英雄のようになっているのを見ると、やはり鹿児島の人は、西郷隆盛の出身県ということで誇りに思っているんだなあと、驚きました。

 鹿児島の西郷隆盛、のように、福岡の黒田官兵衛、と最初は思っていました。しかし、博多駅前に大きな彼の像があるわけでもなく(あることにはあるみたいですが)、あまり名前は見かけませんでした。昨年、官兵衛の大河ドラマをやっていたということもあり、大河ドラマと関連づけ、彼の名前を見かけました。果たして、今年、昨年と同じような状況が続くとは言えません。それでも、墓を見ると、本当に大きくて、地元の人はやはり黒田官兵衛に慕っている(尊敬している)、ということを感じました。もしかしたら、出身ではないので、鹿児島の西郷隆盛と温度差があるのかもしれません。
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