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北海道近代美術館「尾張徳川家の至宝」展へ [芸術]

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 札幌に居る間、近代美術館でやっている「尾張徳川家の至宝」という展覧会へ行ってきました。フランス人の友人が来ている間「浮世絵美人」の展覧会をやっていたので見に行くことにしました。が、「次の展示会準備」ということで臨時休館。その準備というのが、この尾張徳川展示会だった、というわけです。

 私はまだ(一応)学生なので、学生料金で行ってきました。感想はというと正直に言うとがっかりでした。展示自体は興味深かったのですが、展示室が小さく「これだけ?」と思ってしまいました。平日に行ったのですが、たくさんの人が来ていて、流れ作業のように見ていく、という感じでした。

 美術館へ行くようになったのは、東京に来てから。大学の生協で前売り券を買えば結構安くなるし(1000円ぐらいで映画館へ行くより安い)、とにかく美術館の数が多いので、自分の興味ある展覧会があれば上野へ行きました。また、懸賞得意の妹が東京で行われる展覧会のチケットを当ててくれたりして、行く機会も多くありました。そのため、私の中には「東京の特別展示会規模」がスタンダードになってしまっている気がします。ヨーロッパは大抵、東京の美術館より規模が大きかったり、値段もかなり手頃なので、「ヨーロッパはさすが本場だなあ」と思ったりしていました。が、今回この近代美術館へ行って、「東京の展覧会もすごかったのだなあ」と思ってしまいました。

 ヨーロッパの美術館、施設は一流でも、個人的に訪れる人の興味・関心は、断然日本人の方が高い気がします。展示リストを手に持って、食い入るように展示品を見ている姿は日本でしか見たことがありません。東京でも札幌でもたくさんの人が展示会に来ていて、毎回「すごい人だなあ」と思います。が、ヨーロッパの美術館へ行くと、現地の人はほとんどおらず、観光客が大半を占めています。美術館、時期によっては、誰も居ない、ということもあります。学芸員らしき人もゲームをしたり、クロスワードをしていて、他人事ながら、「美術館の運営は大丈夫なのかな?」と思ってしまいます。北海道の近代美術館でも、美術に対する日本人の関心の高さを再認識しました。

 少しがっかりした展示会でしたが、自分のあまり知らない尾張徳川家の宝を見ることが出来ました。本家(徳川家康など)とどういう繋がりがあるのだろう、とずっと気になっていました。私のような人のために家系図が描かれていましたが、相当込み入っていて、よく分かりませんでした。ただ一つ言えるのは、ヨーロッパ王家同様、幼い時に政略結婚(3歳、5歳)、生活の全てが儀式化していたのだ、ということです。もちろん、装飾はヨーロッパと比べると全く異なりますが。

 この展示会で得た知識と言えば、北海道の木彫りについて。アイヌの人たちが始めた、と勝手に想像していたのですが、スイスからのお土産をヒントにしていたそうです。尾張徳川の人が、スイスへ行ってベルン(熊が州のシンボル)の木彫りをお土産に買ってきたそうです。尾張と北海道、どういう関係が?と思ったのですが、旧尾張藩士が八雲に住んでいたので、彼らへのお土産。冬の北海道、農家の収入源は少ないため、木彫りを副収入としたらどうか、ということで始まったそうです。今では全道に広まったお土産ですが、元はスイスだと全く知りませんでした。果たしてスイス人はそのことを知っているのでしょうか?

Flamby Le Magnifique (2013) [芸術]

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 パリには数日滞在したので、友達と劇を見に行ってきました。前回は私が選んで見に行ったのですが、今回は逆に友人が政治風刺劇を選んでくれました。Théâtre des 2 Ânes (2匹のロバ)という風刺劇専門の劇場で行われました。この劇場、chansonniersという劇を専門にしています。Chanson(歌)という言葉が入っていることからも分かるように、歌が頻繁に出てきます。Chansonniersの意味として、辞書には「漫談家」という訳が出ていました。歌も入れつつ、社会を風刺する劇作品のようでした。

 社会を風刺すると言っても、もちろんターゲットになるのは政治家。ポスターからも分かるように、現職の政治家を風刺する作品でした。劇のタイトルは「Gatsby Le Magnifique」(華麗なるギャッツビー)をもじった「Flamby Le Magnifique」(華麗なるFlamby)となっています。Flambyは現フランス大統領François Hollandeの(メディアがつけた)あだ名。決定力に欠けていて、ゼリーのようにふにゃふにゃしているという意味で、商品名であるFlamby、と呼ばれることがあります。そのあだ名をタイトルに持ってきたというわけです。

 理解出来るかどうか不安だったのですが、劇が始まると、笑っていない時の方が少なかったのではないか、というぐらいずっと笑いっぱなしでした。政治の時事問題をうまく言葉遊びにしていて、シナリオが良かったのはもちろん、役者の演技もすごかったです。6人ほどしか役者は居ませんが、代わる代わる様々な政治家に変身して演技していく様子がすごかったです。私のお気に入りはMichel Guidoni。大統領のHollandeから、総理大臣のManuel Valls、経済大臣のMontebourgの役を演じていました。この3人、タイプは全く違うのに、この役者さんはとても上手に真似していました。3役の中でも、Hollandeがはまり役で、声だけを聞くと、本当にHollande大統領が話しているみたいでした。また、Florence Brunoldという役者さんも、Hollandeの彼女たち(元彼女2人)を上手に真似していて、話し方が本人そっくり。風刺なので、誇張されている部分も多くあると思います。が、「あながち本人は似たようなことを考えているかも」とも思ってしまいました。

  さすがフランスのユーモア、と言える劇でまた別の作品を是非見てみたいと思いました。

劇の観賞 [芸術]

 残念ながら「ゴドーを待ちながら」はよく分からないまま読み終えてしまったので、いつか劇を見る機会があれば見に行きたいと思っています。日本でもほとんど劇を見た記憶はありませんが(小学校の学芸会や中学校の文化祭ぐらい)、ヨーロッパに来てからは劇を見に行く機会が増えた気がします。ホストマザーは劇を勉強したことがあるので、今一緒に生活しているホストファミリーはよく劇を見に行っています。劇、というと私は劇団四季のような(少し座敷の高い)ものをイメージしてしまうのですが、ヨーロッパでは結構大衆化されている気がします。もちろん、ビッグネームの劇場で上演される作品も多くありますが、アマチュアが演じる作品もジュネーブではたくさん上演されています。そして、私もそういった作品をホストファミリーと見に行ったりすることがたまにあります。劇に関しては素人なので、毎回見に行くたびに「劇ってこんなことが出来るのだ」と感心することばかりです。特にシンプルな舞台装置で、工夫しながら様々なことを表現する点が面白いと思います。時には表現していることが独特すぎて、作品を見終わっても「?今のは何だったのだろう?」と思う作品もあります。

 今まで見た中で印象に残っているのは「12人の恐れる男たち」でした。あの有名な陪審員達が評決を議論する作品です。もちろん、人員関係で12人も登場せず9人(女性も登場)、とオリジナルの作品と異なる部分も多かったですが、そんなことは全く気にならず、作品に引き込まれていきました。特に、せりふでは表現されない役者同士の視線、心理戦が舞台から強く伝わってきました。この緊張感、映画では味わうことが出来ないよなあと思ってしまいました(もちろん、映画には映画ならではの良さがたくさんありますが)。

 そして先日は変わった「舞台作品」を見てきました。作品が上演されたのは劇場ではなく、とあるアパートの一室。20分の作品が4つ、全て異なるアパートの1室で行われました。一作品が終わると、別のアパートに皆でゾロゾロ移動するという、かなり変わった舞台構成になっていました。ジュネーブ市内の古いアパート物件巡りみたいでした。もちろん、舞台となったアパートには人が住んでいるので、生活感であふれていました。自分が学生であるため、なかなかアパートに入ることはありません。友達は皆学生寮(アパート)に住んでいるので、共通のキッチン、洗面所、各自の部屋という作りになっています。そういった建物には何度も入っていますが、普通のアパートには滅多に入る機会がありません。作品以上に、人のアパート内を見て回るのも面白かったです。アパートの作りを全く無視した作品、作りを上手く使った作品などもあって面白かったです。一番印象に残っているは、真っ暗の廊下で聞いた音楽。音楽家がシャワー室で演奏して、それを真っ暗な廊下で聞くという試みは今までに見たことがなかったので、とても新鮮でした。次回はどんな作品を見ることが出来るのか楽しみです。

Bernへ 後半 [芸術]

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(これが、パウル・クレー・センター)
 この小旅行も最終日、目的地はZentrum Paul Klee、パウル・クレー・センターです。ベルン郊外で生まれた彼を記念して2005年に建てられた美術館です。波のような形をした変わった美術館でした。

 この美術館はクレーの幼少期の手紙や作品から、晩年の作品が展示されています。伝記を美術館にした、という感じです。若い頃の彼の作風と、晩年を比較することが出来たのは面白かったです。パウル・クレーと言うと、私が思い出すのは「忘れっぽい天使」(確か父が好きな絵)や「金魚」の絵(中学校で使っていた美術の教科書に載っていた)です。特に「忘れっぽい天使」は子供っぽい、シンプルでゆらりとした印象です。が、彼の小さい頃・若い頃の作品を見ると、この「ゆらりとした」感じは全くありませんでした。特に模写が多くて、(子供の頃から)上手な風景画を描いていました。あの子供っぽさは、大人になってから描かれ始めたのかと思うとちょっと驚きです。

 時代背景の説明も少しされていて、どんな時代を生きて、各時代でどんな絵を描いていたのか分かりやすい展示でした。そして、特に印象だったのが、「無題」の作品が多いこと。本、映画、など芸術作品には必ずタイトルがあるものだと思っていましたが、パウル・クレーの作品はそうでもないようです。タイトルの代わりに、「タイトル無し」と表示されたものが多かったです。見ている人が先入観無く、鑑賞できるためなのでしょうか。

Lyonへの旅 その7 [芸術]

 次に向かったのはMusée Miniature & Cinémaというミニチュア、映画小道具の美術館。なぜリヨンで映画の小道具、と思ったのですが、ここで生まれたミニチュアデザイナーが居る、という理由からでした。

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 1/12サイズでパリのレストランを再現したのが始まり。Maxim’s de Parisというレストランのミニチュアです。このミニチュアだけ見るとズームしてあるせいか、あまり小ささを感じません。が、制作者の顔が窓からのぞいているこの写真を見ると、いかに小さいかがよく分かります。このミニチュア作りも芸術。これで収入を得るのはやはり難しいらしく、制作者の名前と一緒に連絡先も展示されていました。ミニチュアというと、プラモデルのようなものを思い浮かべてしまいます。が、実際に見てみると一番近いのは人形の家、でしょうか。よく遊んだ人形の家(妹が持っていた)をもっと小さく、繊細に表現したのがミニチュアだと思います。自分は手が不器用なので、こういった作業が出来ません。そのため、完成品を見ると単純にすごいなあと思います。虫眼鏡を使って作業すると思いますが、気が遠くなる作業だと思います。

 このミニチュアだけでなく、この美術館では映画で使われた小道具(特殊メイクなど)というのも集めています。今でこそ技術が発達して、コンピュータでほとんど「現実では不可能」なシーンを再現することが出来ていると思います。が、同時に小道具とコンピュータ両方を使って撮影している映画もあるようです。ちぎられた手なども展示されていてちょっと不気味でしたが、本当に色々なものが小道具として展示されていました。特にSF映画は「現実にないもの」が多く登場するため、マスクなどがたくさんありました。残念ながら知らないSF映画が多いため、作品を見ていてもピンと来ないものも多いのですが。

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 この写真は映画「HUGO」で使われた汽車。手前が実物、後ろが実際どのように使われたか説明している写真です。ミニチュアの汽車ぐらいのサイズだと思っていたのですが、思ったより大きかったです。

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 これはIndependence Dayに使われたミニチュア。もちろん撮影で使用されるため、本物に近く再現されていると思います。少し彫刻っぽいので、庭に置いたらきれいだろうなあと思ってしまいました。

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 美術館の作品だけでなく、美術館の建物自体も少し人形の家らしくかわいかったです。

 ミニチュアの家は見ているだけでも、目が疲れてしまうため、本当に根気の要る作業だと痛感しました。実際の作業風景を見たわけではないので、どれくらい時間がかかっているのかは分かりません。そして、映画の小道具の方は体や動物の全体を表現するのではなく、被せもの(部分的な)が多かったことにびっくりしました。顔を覆うマスクだけでなく、手の部分、足の部分など特殊効果が必要な部分だけに被せるマスクが多かったです。この方が予算的にも都合が良いのだと思いますが、その境界線部分を化粧で隠したり、撮影方法を変えて見えないようにしたり、などの説明がされていて良かったです。この博物館を出た後は映画が見たくなってしまいました。

Lyonへの旅 その6 [芸術]

 どこか別の都市へ行く度、特に一人で回る場合はどんな美術館があるかチェックしてから目的地に向かいます。学生または26歳以下の場合割引料金を受けることが出来るので、今のうちにその特権を最大限に生かそうと思っているからです。今回もMusée des Beaux-Arts de Lyonという美術館へ行ってきました。26歳以下の学生は無料でした。

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 市役所がある広場にこの美術館があり、意外と簡単に行くことができました。土曜にも関わらず、美術館内にほとんど人がいませんでした。学芸員ような、監視員が各展示ブースに居るのですが、お客さんが少ないせいか皆とても退屈そうでした。夏休み中のせいか、学生が多かった気がします。本を読んだり、テレビゲームをしたり、本当に暇そうでした。

 この美術館は、2つのテーマに大きく分かれています。博物館と美術館という感じでしょうか。彫刻、そして各文明の彫刻や土器が展示されていました。エジプト文明から始まったのですが、もちろんミイラやその棺桶などが展示されていました。保存のためだと思うのですが、明かりも落としていてちょっと不気味でした。不運にも、この展示を見ていた時、ブースには自分一人だったのでちょっと怖かったです。ルーブルでエジプトのブースを見ていた時も一人、プラス夜だったので相当怖い思いをしました。

 彫刻も多く展示されていましたが、規模はナポリの国立考古学博物館の方が大きかったと思います。ナポリでは彫刻のサイズも幅広く、また本当に様々な種類のものが展示されていて、迫力がすごかったです。ナポリと比較するのは少し意地悪かもしれませんが、リヨンでは少し物足りなく感じてしまいました。

 この美術館、元々は修道院だったため、「美術館」では宗教画が大部分を占めていました。個人的に、宗教画はあまり興味がないのですが、一通り見て来ました。フランス、ローマ、Lyonと地域ごとに展示ブースが分かれていて、各地域の宗教画家の特徴が現れていた点においては面白かったです。

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 展示物以上に見ていて面白かったのは、この美術館の建物。修道院だった時の部分も残されていて、建物自体を見て回るのも新鮮でした。この写真は、グループツアーの集合場所に指定されている入り口付近。ドーム型の天井が、修道院だったことを物語っています。

L'enfance volée [芸術]

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 「奪われた子供時代」という展覧会に行って来ました。スイス国内で養子に出された子供の証言を集めた展覧会でした。展示会場の入り口には「もちろん、養子に出されて幸せな人生を送った人も多く居ます。がこの展覧会ではそういった人をテーマにしているのではなく、あくまでも苦労した人たちに焦点を当てています」という但し書きがされていました。一応覚悟して見に行ったのですが、それでも証言を読んでいくと、大きなショックを受けます。

 他国同様、スイスには色々な事情で養子に出される子が戦後に多く居たようです。その多くは田舎の家庭に引き取られたそうです。が、田舎は良くも悪くも閉じられた世界。養子は「労働者」と見なされていただけで、奴隷のような生活を送っていたという証言が多くありました。

 複数の言語が使われているスイス国内で、州をまたいでの養子手続きはさぞ難しかっただろうと思います。もちろん、そういったことは考慮されて、受け入れ先は選ばれていたようですが。言語について詳しい証言はありませんでした。が、宗教の違いは大きな問題となっていたようです。スイスはほとんどがプロテスタントですが、カトリックの州もあります。カトリックは特に他の宗教の人を受け入れない考えが強いので、プロテスタントの養子はカトリック教会の助けを受けることが出来なかったのだそうです。田舎では教会が、恵まれない子供(養子を含め)の面倒をよく見ていました。が、その子供がカトリック教徒であることが条件。プロテスタントの子供は「関係ない」という態度だったようです。もちろん、逆にプロテスタントの家庭(村)にカトリックの子供がやって来たとしても、同じような状況だったと思います。

 スイスでも「養子」というとアフリカやアジアの恵まれない地域から、子供受け入れる、というイメージがあるようです。そのため、私が「ホストファミリーと住んでいる」という話をすると、よくフランス人/スイス人から「孤児?本当の両親に会ったことはあるの?」と聞かれることがあります。フランス語でも英語でも、養子の受け入れ先、語学/留学の受け入れ家庭、を表現する時はどちらの場合も「ホストファミリー」という言葉を使います。ヨーロッパはアジアの子供を養子にとる家庭も存在し、「ホストファミリー」というと、「養子(孤児)の受け入れ先」をイメージする人も多いのだと思います。そういった強い固定観念が存在しているため、国内の養子事情について光を当てたこの展覧会、良いテーマだったと思います。

Cher Trésor 後半 [芸術]

 この作品を見ていたのは1時間30分。本当にあっという間でした。

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①役者が全て役に合っていた
 配役が完璧でした。私が期待していたGérard Jugnotも主役のちょっと抜けたFrançois Pignonにぴったり。しかし、それ以上に私が気に入ったのは、帳簿検査人。写真の中でどれか分かりますか?後方右から2人目が、帳簿検査人。この写真では笑っていますが、作品内ではロボットのように淡々としています。本物の検査人が演じているのではないか、と思ったくらいです。検査人定番のセリフ「C’est mon travail.」(これが私の仕事ですから)や「Je trouverai QUELQUE chose.」(何か見つけますから→何か不正を見つけますから)が決まっていました。税務署のお役人さんというのはフランス人から一番嫌われている職業でもあり(「役所」関係は特に。また彼らのお金を吸い取っていくというイメージもあるので)、そういった嫌なイメージがたっぷり表現されていました。実際にこういった帳簿検査人に会ったことはありませんが、私の中でも「淡々と、ロボットのように仕事をこなす」というイメージがあります。

②人間の心理描写が複雑に、細かく描かれていた
 人間は権利やお金というものに引きつけられる動物。これは言葉で表現してみると一言です。が、人間というのはもっと複雑な考え方をするもの。過去の恨みや人間関係が入り組んで、そういった複雑な状況が個人の行動を左右していきます。秘密の財産が存在しない(「お金があった」というのはでっち上げだった)ということが分かると、人は文字通り手のひらを返したように離れていきます。そういった人間の心理や行動が細かく展開されていました。どの登場人物の行動に各自の論理があり、不思議と理解出来てしまいます。

③コメディーであっても、深く考えさせられる
 1時間半笑いっぱなしであったとは言え、随所で人生に関する質問が投げかけられます(さすが哲学の国)。前半は主人公(François Pignon)と検査人の会話が多く展開されます。失業して、奥さんも家を出て行ってしまい、友人も彼から離れていきます。何もかも失ってしまった彼、「自分が存在するため」に帳簿検査をしてくれ、と税務署の人に頼みます。Raison d’être(存在理由)という言葉がフランス語にありますが、仕事や家族というのは自分が存在する理由、証明になっているのだと再認識させられます。仕事は生活の糧を得る手段であることに違いはありませんが、仕事をすることで、自分は他者の役に立ち、自分は存在していると認識する手段でもあるのだと思います。回り回って、結局は自分の存在を確立するためという自己中心的な理由で仕事しているという見方も出来ますが、仕事と自分の存在という関係を考えるのも面白いです。インターンシップをやった後にこの作品を見たせいか、特にこの関係を考えてしまったのでしょうか。

 Ce n’est pas le fait d’être riche qui compte, mais le fait que les autres vous croient riche.(金持ちであることが重要なのではなく、他者が自分を金持ちであると信じることが重要)これがこの作品のキーフレーズ。銀行口座にいくらを持っているかというより、どれだけ派手な生活をしているかが、「金持ち」の指標に今日ではなっている気がします。ジュネーブという金持ちが多い都市で生活をしていますが、どれだけの人が「金持ちである」と周りの人に信じさせているのか、と考えてしまいました。

  と人ごとのように帳簿検査に関する作品を楽しんでいたら自分にもその番が。厳密に言うと、帳簿検査ではなく、税金の話です。検査されるほど財産を持っていませんが、しっかりとジュネーブ州から「個人税」の請求書が送られてきました。「25フランで済むなら安い方だよ」とスイス人からは言われますが、私からすると携帯の料金2ヶ月半分。よく分からない税金は払いたくない、と思い色々調べてみることに。同様に感じた留学生も居るようで、税務署に手紙を書きこの税金が免除されたのだとか。支払期限まで少し時間があるので、私も手紙を書いて問い合わせてみようと思っています。

Cher Trésor 前半 [芸術]

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 パリの友人が「劇に連れて行ってあげる」と招待してくれたのが、この作品。日本語に訳すと「親愛なる財産」という意味になります。パリにあるThéâtre de Nouveautésというところで見てきました。「見に行きたい作品を事前に言ってくれたら、チケットを買っておく」と言われ、太陽の輝くAix-en-Provenceで悩むこと約1週間。読み慣れない劇の雑誌やネットのコラムを読んで、この作品を選びました。理由は2つ。

①自分の好きな役者さんが主役で、「失敗作」となる確率が低そうだから
 せっかく見に行くのだから良いものを見に行きたい。でも自分にとっては未知の世界。今回はリスクを取るのでは無く、安心を取りました。フランスでも有名な俳優、Gérard Jugnotという人が主役。Les choristes(邦題「コーラス」)という映画に出ていました。私の中で典型的なフランス人、とイメージするのが彼です。ベレー帽を被り、バゲット片手にカフェで新聞を読んでいるのを簡単に想像できます。自分の好きな役者さんが出ているから、最悪の場合「自分の好きな役者さんを生で見られたからよいか」と慰めることが出来るかなあとも思っていました。

②今話題の「帳簿検査」(Contrôle fiscal)で、フランスの今を知ることが出来ると思ったか
 日本のように年度というものがなく、帳簿の新年は1月から。つまり今の時期、フランス人は税金をどうやってごまかそうか必死に頭を悩ませているところです。有名俳優が高い税率を逃れるため、ロシアへ向かったことが最近ニュースになりましたが、手厚い社会保障を支えていくためには、税収入が欠かせません。そのため、色々な税がフランスでは高くなっています。もちろん、政府も税をごまかすフランス人が多いことを把握しているため、「(帳簿)検査人」(Contrôleur)を送り込んで色々調べています。そんな税の話題が最近多くなってきています。風刺の劇を見て、少しでも現状が分かれば、と思いこの劇を選びました。

 色々頭を悩ませて選んだ作品、Cher Trésorのあらすじは以下の通り。
 法学部卒業のFrançois Pignonは長期の失業者。パリの金持ちが住むアパートの管理人という寂しい仕事(これを仕事と呼べるのかは不明)を細々と続けています。その金持ちをかぎつけてやってきた、(帳簿)検査人。Françoisはその彼に自分の帳簿検査を頼みます。皆がいやがる検査をなぜ進んで志願するのか?それは「存在する」ため。検査を受けることで、自分が存在していることが正式に証明されるというわけです。失業後自分を見放した妻、同期であり今は銀行で働く友人への仕返しとして、自分に財産があるように見せかけ、帳簿検査を受けます。自分にお金があるように見せかけると、すぐに友人や妻が彼の元に戻ってきます。手に負えないほど話が発展し、Françoisは自分の嘘を告白。彼に財産がないと分かると、友人や元妻はまたすぐに去って行ってしまいます。が、直後彼には(嘘ではなく)莫大な遺産を受け継ぐことが判明し・・・・。

 ストーリーはハラハラ、ドキドキという感じではありませんでした。が、各登場人物の心理的描写が細密に表現されていました。そして詳しい感想は次回の記事に載せることにします。

Paul Cézanneのアトリエ [芸術]

 以前、Granet美術館の感想を書いた時に、「セザンヌのアトリエへ行く」と宣言しました。その宣言通り、Aix-en-Provenceを離れる前日に行ってきました。地図を片手に向かいましたが、とにかく坂道を登る、登る。ずいぶんと不便なところにアトリエがあるものだ、と思いました。が、彼の有名な作品は「サント・ヴィクトワール山」という山の絵。山がよく見えるよう、高い場所にアトリエを構えたのでしょうか。

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 アトリエという言葉から、掘っ立て小屋のようなものを想像していました。アトリエ→仕事場→仕事に必要なものだけを揃えたもの→家より小さい、という考えでした。が、住所と地図を便りに坂を登ること10分。周りの家と全く代わりのない建物が見えてきました。表札代わりに「セザンヌのアトリエ」と書かれているのを見なければ、分からないくらいです。2階建ての小さな家でした。

 1階部分は受付となっていて、見学出来るのは本当に2階のアトリエ、一部屋のみ。私は学生料金で2€でしたが、正規料金は5€。少し高いのでは、と思ってしまいました。

 そのアトリエには、彼が制作に使っていた筆やパレットはもちろん、計測道具なども置かれていました。床は木製、壁は灰色でとても暗い感じの部屋でした。この暗さにはもちろん理由があります。壁が灰色のおかげで、部屋に入ってくる光の反射を防ぐことが出来るのだとか。作品を作る時の邪魔になる光を遮るというのが、大きな理由。芸術家の彼、色々こだわりがあったようで、このアトリエを設計したのも彼自身。景色の良いAix-en-Provenceでも、アトリエにこもりっきりだったのかな、と思ってしまいました。雨もあまり降らないため、外の写生は気持ち良いのではないか、と思います。美術の時間が嫌いだった私でも、写生は好きでした。絵を描くことより、外に出られるというのが大きな理由だったと思いますが。

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(私が登った一番高い場所から)
 が、更に説明を読んでみると、やはりセザンヌは外でも写生をしていたみたいです。今では多くの木や建物で遠くの景色が見づらくなっています。当時は建設途中の建物もほとんどなく、風景画を描くにはぴったりの場所だったのではないのでしょうか。私はサント・ヴィクトワール山が見たくて、アトリエの庭から、またアトリエを後にしてからも坂を上り続け、高い場所を探し求めます。が、プライバシー保護のためか、なかなか山は見えず。高い塀や入り口から実際家のドアまで遠い家も多く、金持ちが多く住んでいる場所のようです。セザンヌのアトリエからも近い、または景色が良いということもあって、金持ちに人気の場所なのかと思います。実際、セザンヌのアトリエは金持ちが買って私有化することを防ぐため、現地の大学に寄付されたもの。皮肉にもAdmirateurs américains du peintre (アメリカの画家愛好家)という団体がAix-en-Provence大学に寄付したものです。この団体のホームページを見つける事は出来ませんでしたが、セザンヌはアメリカでも有名な画家のようです。彼の(有名な)作品のいくつかはメトロポリタン美術館、シカゴ美術館などに貯蔵されています。アトリエにもたくさんのアメリカ人が来ていました。Aix-en-Provence市内で「アメリカ人が多い」という印象は持ちませんでした。しかし、このアトリエにはかなり多くのアメリカ人が来ていたので、びっくりしました。