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2014年の終わりに [読書’14]

 今年も残りわずか。毎年毎年言っていますが、1年あっという間でした。前半をジュネーブで過ごし、夏に帰国し、居候する場所を変更したせいか、スイスに居た時間を遙か彼方に感じます。本当に今年ジュネーブに居たのか、とずいぶん昔に感じてしまうこともあります。色々なことがあって、周囲の人にお世話になった年だと痛感します。

 夏を基準に時間がぷっつり分断されている気がしてしまいますが、共通していることもあります。それは読書です。学部時代にも本は読んでいましたが、フランス語の本はたまにしか読んでいませんでした。しかし、ジュネーブで読書好きのホストファミリーに恵まれ、フランス語の本を読む回数が増えてきました。帰国しても読み続けてはいますが、やはり日本語の本を手にする機会が今では圧倒的に多いです。

 言葉は変わっても、読書は続けています。書籍関連の雑誌は読まないので、どんな本を読もうかというのは、毎回迷っています。とりあえず、周りの人が勧めてくれたものを読んだりしています(フランス語でも日本語でも)。そのため、今後の目標は、人に紹介出来るような(隠れた)名作を見つけ出すことです。

 そこで、今回は、年末ということで、 今年読んだ本をランキングにしてみました。順位付け、というよりは、私が読んだ中で気に入った本3冊、というところでしょうか。今年は、日本語の本も多く読んだので、カテゴリ分けをしてみました。

海外部門
 英語の本も読んだのですが、今回ランクインしたのはフランス語の本のみでした。
1.Au revoir là-haut
 長い本を読み切った、というだけでなく、「生き残り宣告」のような、戦争で生き残った人の苦しみがよく分かる作品でした。第一次世界大戦後のフランスがどんな様子だったか、また国をだます、というサスペンス的な要素も良かった作品でした。長さが気にならないほど、どんどん読み進めることが出来た作品。
 最近になって、同じ小説家が書いた推理小説が日本で有名になってきました。私はこの推理小説の裏表紙に書いてあるあらすじしか読んだことがありません。しかし個人的に「Au revoir là-haut」の方が勉強になりそうな気がして、翻訳されていないのが驚きでした。

2.HHhH
 この作品も、最初に紹介した作品同様、大戦中の話。こちらは第二次世界大戦です。ストーリー自体もハラハラして面白いのですが、「歴史」とは何か、「歴史小説家」とは何かを考えさせられます。ナチス幹部暗殺を、フランス人が淡々と描いていくという背景も、とても興味深いです。暗殺計画と著者の苦悩が並行して描かれているのですが、苦悩部分で登場する女性(多分著者の恋人)の名前が毎回変わる部分もフランス人らしい、と笑ってしまいました。

3.La Peste (by Albert Camus : 1947)
 この本は、ブログで感想を紹介出来ませんでした。読み終えてから相当時間が経ってしまったからです。彼の作品を3冊読みましたが、この「La Peste(ペスト)」が一番好きです。「異邦人」は、「不条理」という概念を理解出来ず、あまり面白いと思いませんでした。読んだ後、フランス人の友人やスイスのホストマザーが説明してもらい、ようやく作品の深さを理解したという感じです。説明を聞いた後で、少し作品のイメージは変わったのですが、それでもこの「ペスト」がずば抜けて好きです。
 各登場人物の心理を淡々と描いています。シンプルな文体で書かれていますが、その文章は人間の心理を考えさせられます。病気に対する人間の反応と無力さが主に描かれています。エボラ出血熱の一連の動きを見ていると、この小説と共通するものがあり、なぜカミュの作品が名作と言われるのか、分かる気がします。しかし、この小説は「ペスト」という単なる病気に留まらず、社会にある様々な異物に対する反応という風にも置き換えられ、読んでいて色々なシチュエーションを考えてしまいました。「Absurdité(不条理)」という概念を説明してもらった後に読んだ作品だったので、「まさに社会には不条理で溢れている」と思ってしまいました。

 2014年もこのブログを読んでくださり、ありがとうございました!2014年の読書総まとめは、明日も続きます。引き続き、新年もよろしくお願いします。

点と線(by 松本清張:1957) [読書’14]

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「砂の器」で松本清張にハマってから、短編集と並行して、長編も読み始めました。短編集にも面白い作品がいくつかあるのですが、 作品が描かれる時代背景が好きな私は、長編の方が面白いと思います。描かれる時代を掘り下げていくためには、短編では短すぎる気がします。

 たくさんの作品があって、どれから読んだら良いのか分からないので、とりあえず有名なものを読んでみることにしました。「砂の器」、「ゼロの焦点」、「点と線」、この3作が有名みたいなので、とりあえずこれらを図書館から借りてきました。「ゼロの焦点」ももちろん面白かったのですが、学校では教わらない戦後の現実が描かれていて、読むのが結構キツかったです。歴史を知るという意味で、読んでおいて良かったと思います。

 この3作品で一番面白かったのは、「点と線」です。彼の作品のタイトルは、最後まで読んでもよく分からないことが多いのですが、「点と線」は読み終えて、「なるほど!」とうなされるものでした。顕微鏡で線を見ると、点にしか見えないように、倍率(視点)を変えると、線という全く別の物が見えてくる、という考え方が面白かったです。視点を色々な尺度で見ていくことが、異なる事実が見えてくる、その縮図変更が読んでいて、たまりませんでした。

 そして、よくこの作品が話題にされると、言及される時刻表トリック。舞台が東京駅の横須賀線ホーム。私が普段使っている総武線は、東京駅に向かう線だと総武横須賀線となります。もちろん、この線に乗って東京駅へ行ったこともありますが、作品が舞台となっている時ほど、電車の行き来は激しくありません。私の知らない横須賀線の賑やかさがこの作品では描かれていて、とても不思議な気分でした。

 また、何気ない出来事に対して、常に「なぜその人はそうしなければならなかったのか?」という問いかけを刑事がしていくのも、勉強になります。それがたまたま偶然なのか、被疑者にとって必然なのか。「これまでに分かったこと」を刑事(または刑事の役割を担う登場人物)が箇条書きのような形で書いていくのも、読んでいて、とても分かりやすいです。これまでに分かったことをしっかりと整理し、偶然と必然を探っていくやり方、私は好きです。「どうやって」というトリックも気になりますが、なぜその行動に繋がったのか、という質問も大切な気がします。そのような何気ない質問から、次の一手へと繋がっていくのが読んでいても、すっきりします。

麒麟の翼(by 東野圭吾 : 2011) [読書’14]

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(日本橋・人形町の店に貼り出されていた映画のポスター)
 以前、日本橋(地区ではなく、橋そのもの)へ行って、ビデオ撮影をしました。その映像を見た両親から、「麒麟の翼が写っていた!」と言われた時は、「何それ?」と私は答えていました。橋の縁にある大きな像、という説明を受けたのですが、何となくしか覚えていませんでした。なぜ、この像に両親が反応したのか。というのも、東野圭吾にハマっている両親が、読んだ作品の一つに、この麒麟の像がメインとなったものがあったようです。ずっと気になってはいたのですが、他に読んでいた本があったため、図書館で借りてきても、読まずに返す、ということを何度かしていました。

 ようやく、読む時間が少し出来たので、両親の間で話題になっていたこの本を読んでみることにしました。他の東野圭吾作品同様、一気に読むことが出来ました。加賀恭一郎という刑事のシリーズものの一つのようで、毎回日本橋が舞台となるようです。

 推理小説ではあるのですが、理系のアッと驚くようなトリックもなければ、意外なアリバイ作りというのもありません。事件自体はありがちな感じでした。なぜこれほど面白かったのかというと、主人公の加賀刑事の足を使った捜査です。舞台である日本橋の老舗を知り尽くしていて、事件の現場近くをとにかく歩き回ります。そこの喫茶店や老舗の人に話を地道に聞いて、真相に近づくという過程が私のお気に入りです。私が日本橋へ行ったばかりということも手伝って、加賀刑事がどこら辺を歩いているのか、というのが頭にはっきり浮かんできます。他の作品では知らない場所が多いので、地名を見ても「ふーん」という感じなのですが、この作品では「あの辺りだなあ」と場所を想像しながら読んでしまいます。また、作品に登場する日本橋の人々にも結構現実味があります。作品に出てくるおしゃれな喫茶店が何となく現実にもあるような気がします。日本橋(人形町)という場所を上手く使った作品でした 。

 仮に、日本橋へ行く前にこの本を読んでいたら、自分にとってあまり印象に残らないものだったと思います。他の作品でも、同じように日本橋が舞台になっているのか、気になるところです。日本橋が舞台だからこそ、このような聞き込みが上手くいくような気がします。極端な例ですが、これが銀座だったら、これほど上手くいかないと思います。

砂の器 (by 松本清張:1961) [読書’14]

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 この本を読む前に、同著者の「軍師の境遇」を読みました。淡々と書かれていて、なかなか面白そうだなあと思い、彼の他作品を探してみました。すると、歴史小説だけでなく、推理小説を書いていることが分かりました(どおりで、彼の作品がテレビドラマになっているわけだ、と思いました)。また、一度だけ彼の短編集を読んだことがあります。父がいつかの誕生日に彼の短編集11巻をくれました。何となく読み始めたのですが、その時はあまり好きになれませんでした。いくつか読んでも、「なぜ面白いのかなあ?」という感じで、何冊かしか読んだことがありませんでした。

 そして時間は過ぎ、再び松本清張の作品を読むことになったわけです。少し調べてみると、彼が書いた推理小説の中でも、「砂と器」が有名なようでした。そこで、早速図書館で借りてきました。とてもはまり、あっという間に読んでしまいました。

 あれほど読み進められなかった作者の作品なのに、と最初は思ってしまいました。しかし、これほどはまった理由は、やはり新鮮さ、にあるかもしれません。この「砂と器」ではある刑事が殺人事件を探っていきます。作品の舞台は戦後です。コンピュータも携帯電話もありません。そのため、他県の人物の犯罪履歴を調べるのにも、手紙をその県警に送り、彼らが調べ、手紙で返事が来る、と、その作業だけで1週間以上もかかります。この返事を待つ間、別の場所へ行き、調べる。正に、「足を使う刑事」 です。実際、当時は、どこの警察や刑事もこのように事件を調べていたわけです。それでも、最先端の科学捜査が中心となったアメリカドラマばかり見ていると、このアナログな捜査はとても新鮮に見えます。

 また、「刑事の勘」というのも実際よく登場していました。物的証拠が無いのに、そこまで先回りしてよいのか、と読者としては少し心配してしまいます。しかしそこは推理小説、刑事の勘が上手く当たる場合が多いです。

 捜査もアナログであれば、トリックも結構アナログです。東野圭吾の推理小説を読んでいると、難しい理系のトリックが登場します。それを読んできた甲斐があり、この「砂と器」のトリックは結構早めに分かってしまいました。そこは少し拍子抜けしてしまいました。が、書かれた当時はとても斬新な技術だったため、珍しいトリックだったのかなあと思います。

How to Japan (by Colin Joyce: 2009) [読書’14]

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 この本は、日本に駐在した経験があるイギリス人記者が日本について、独自の視点で書くエッセーです。この日本語を父が読み、英語版を私に送ってくれました。

 日本語版、つまり翻訳されたものは、一度も目を通したことがないので、どんなものか分かりません。しかし、英語版を読んでいると、「どうやってこの表現を日本語に訳しているのかなあ?」と思ってしまいます。というのも、イギリス独特の表現が何度か登場するからです。一番印象に残っているものと言えば、「Mind the culture gap」という表現でしょうか。直訳すると、「文化のギャップに気をつけて」というような意味になります。日本語にすると、全く面白くありません。際だった表現でもありません。しかし、これはイギリス英語の典型的な例です。イギリス、特に交通機関でよく聞く表現です。エスカレーターの段差、電車に乗る際、ホームと電車の隙間に注意を促す時、アナウンスで「Mind the gap(隙間に注意して)」という言葉が流れます。イギリスどこへ行っても聞くので、アメリカ人など(イギリス英語を使わない人達)は、「イギリスっぽい表現」と思うわけです。個人的には、gap(隙間、差)を意識するように言うアナウンスは、さすが階級社会のイギリスだなあと思ってしまいますが、考えすぎでしょうか。この例のように、イギリス人だからする表現がちりばめられていて(記者だから面白く文章を書くプロなので当たり前かもしれませんが)、彼の考え方だけでなく、表現も面白いと思いました。

 また、イギリス人独特の、ブラックユーモアもちらほら見えました。ブラックユーモアの定義は難しいですが、個人的には「シニカル過ぎて私は笑えないジョーク」という定義だと思っています。多分ジョークだろう、ということは分かるのですが、私にはシニカル過ぎて、顔が引きつりそうなジョークです。イギリス人はこのブラックユーモアが得意と言われていて、例外なく、この本にも何度か登場していました。

 さて、内容に関してですが、私たち日本人の何気ない習慣を一人のイギリス人はこんな風に見ているのか、ということが分かる、笑える本でした。何点か反論したい部分もありましたが、「そうだよね」と納得してしまう部分もありました。例えば、公共のプール。ルールが多く、日本社会の縮図、とこの本では紹介されていました。確かに、日本のプールにはルールが多すぎる気がします。安全のため、と言われればそうなのですが、そこまで子供扱いしなくても、と正直思います。妹達がまだ小学校低学年(私が高学年)の頃、市民プールへ行くと、初回に必ずややこしそうな手続きをしていました(印鑑を押した証明写真付き書類を提出し、泳法チェックをし、バンドをもらいetc)。彼女たちが大会に出るぐらいのレベルを持っていたにもかかわらず 、です。

 この手続きを見ている時は何とも思わなかったのですが、ヨーロッパの市民プールへ行くと、どれだけ日本のプール利用者が厳重保護されているかよく分かります。ヨーロッパのプールは自由、というか自由過ぎます。飛び込み禁止ではないので、泳いでいると前に人が降ってきたことが何度もあります。飛び込んでくる相手は、プールに居る私を多分認識してくれていると思いますが、水中を見ながら泳いでいる私にとっては、毎回嫌なサプライズです。右側遊泳というルールが一応存在していますが、お構いなしに左側を泳いでくる人と激突したこともあります。規則の多い日本のプールと、自由過ぎてちょっと危ないヨーロッパのプール、私はこの2つの中間が理想なのですが、まだ出会えていません。

 また、このエッセーでは「食べ物のために、遠出する日本人達」のことが書かれていました。確かに、グルメ旅行がこれだけ人気なのは、日本だけかもしれません。そして、この本を読んだ後日、テレビ番組で「日本人が列を作る習慣」を分析していました。グルメ旅行の理由は、この「列を作る習慣」にもあるかもしれません。もちろん、他国にも行列は存在します。が、日本人ほどきれいに列を作るのは珍しい、とこの番組では言っていました。スイス人の友人も「ジュネーブに来る日本人観光客はエレガント」と言っていましたが、この列をきれいに作る、というのもそれに含まれているのかもしれません。順番を守る、というのは確かに大切なことではありますが、ちょっと軍隊らしく、従順すぎる感じもします。

ノーベル文学賞と翻訳 [読書’14]

 今回は、翻訳について書いていきたいと思います。インターンシップをやっているNGOからレポートの翻訳を任されました。全12ページで、結構長かったです。「食の権利」という、日本ではあまり馴染みの無いトピックでした。またレポートということもあってか、1文が長いので、訳していると、何を言いたいのか分からない日本語になってしまい、苦労しました。翻訳は本当に大変だ、と何度も思いながらやった作業でした。

 そんな中、ノーベル文学賞発表後に載っていた夕刊の記事で面白いものがありました。毎年、「ついにノーベル賞か?」と名前が挙がる村上春樹と、今回受賞したフランス人作家、パトリック・モディアノに関する記事が書かれていました。この作家、フランスではとても有名なようですが、私は全く知りませんでした。調べてみると、私が気に入っているフランスの文学賞、ゴンクール賞受賞作家でもあるようです。言うまでもなく、早速彼のゴンクール受賞作品を私は注文してしまいました。この彼がノーベル賞受賞にいたり、なぜ村上春樹がなかなか受賞できないか、という分析がこの記事には書かれていたのですが、大きな理由が「村上春樹の作品は翻訳だから」ということでした。このノーベル文学賞を選ぶ人たちは、フランス語が出来る人も多いので、このモディアノの作品も、原語で読んだ人たちが多かったそうです。しかし、村上春樹の作品は、原語が日本語なので、英語、フランス語など、何かしらの言葉に訳された作品になる、というわけです。もちろん、川端康成、最近では中国の作家も受賞しているので、翻訳作品が絶対受賞できないわけではないと思います。しかし、過去の受賞者を見ると、国は違えど南アメリカからの受賞者も多く、スペイン語が広く使われている地域だから、スペイン語という原語で読める審査員も多かったのではないか、と私は思います。そうすると、原語の方が有利という考えも捨てきれないわけではありません。

 同時期に、別の新聞で、「なぜ村上春樹が海外で有名か?」という記事も書かれていました。面白いことにこの記事でも注目していたのは、「翻訳」という点でした。村上春樹自身が、翻訳家ということもあってか、彼の作品は翻訳しやすい文体、だそうです。だから、翻訳されても、あまり違和感の無い、原語でも外国語でも楽しめる世界が展開される、とこの記事は説明していました。翻訳作品は、作者、そして翻訳者の力量が問われる、「共同作品」だと私は思っています。

 村上春樹の作品のフランス語版では、決まった2~3人の翻訳家が村上春樹の作品を訳しています。2~3人に限定はされているものの、決められた一人の翻訳家が訳しているわけではありません。それでも、彼の作品は毎回一定の部数を売り上げています。これは、原語が訳しやすい文章だからなのかなあとも思います。彼の作品を外国語で読むのは不思議な感じがするので、私は日本語で読む方が好きです。確かに読んでいても、シンプルな文体が続くので、翻訳者にとっては訳しやすいのかな、と思ったりもします。ただ、世界観がかなり独特なので、そこを上手にくみ上げるのは結構難しそうです。

孫子 (孫武:紀元前4~5) [読書’14]

 日本の軍師に関した本をいくつか読む内に、様々な作品に何度も出てくる「孫子」が気になってきました。中国の古典、ということは理解していたのですが、そのまま読むのは難しそうでした。そこで、「孫子の解説」というような本を図書館で借りてきて、それをまず読み、その後に「孫子」(現代語訳付き)を読んでみることにしました。「孫子」が書かれた背景なども知りたかったからです。私が読んだ解説書は、入門書、のような感じで、なぜ「孫子」が日本へ入ってきたのかということも書かれていて面白かったです。

 「孫子」が書かれたのは紀元前5世紀頃ですが、日本で広く兵法の書として使われるようになったのは戦国時代。なぜ戦国時代から高い評価を得るようになったのか、という解説としてこの本が挙げていたのは、「貴族のものだった戦争が、下克上という手柄を挙げればトップになれるシステムに変わったから」という理由でした。かつて、戦いと言えば、貴族同士、正々堂々と正面きって戦うものだったのが、戦国時代に突入すると、手段を問わず、勝ちを収めることが下克上に欠かせないものになってきたため、作戦が必要になってきた、と説明していました。確かに、兵法というと、いかに相手を謀るか、ということが重要になってきます。この説明には、「なるほど」と納得してしまいました。

 この解説書には、兵法も説明されていて、とても分かりやすかったです。特に、過去に使われた例を紹介していて、「あの戦い方は孫子で説明されるほどの作戦だったのか!」と驚いたこともありました。三国志でも印象に残っている作戦がいくつか出てきていました。

 戦いというと、どうしても前へ攻め込んでいくイメージがあります。が、「孫子」を読んでいて感じたのは、「必ずしも攻めることが最善ではない」ということでした。「理想の勝ち方は戦わずして(兵を出さずに)勝つこと」とはっきり書いてあって、びっくりしました。兵を出すリスクを考えろ、ということだと思いますが、戦いという言葉から一般的にイメージさせるものとかなり異なるので、意外でした。そのため、勝てない戦いはせず、無理そうだったら逃げる、ということを勧めているのも面白かったです。確かに、あの劉邦もとにかく逃げることを続け、最後に勝ったことを考えると、逃げるのも時には大事だということでしょうか。

 主に現代語訳に頼って読んでしまいましたが、対比が多くて不思議な感じでした。「敵の兵士が多く、味方の兵士が少ない場合」というように、とにかく対比がたくさん出てきました。そんな対比で印象に残っているのが、(型破りな)奇法と正攻法の説明です。2種類の戦法しか無い、と言ってしまえばそれまで。でも、戦いの難しさはそれが複雑に組み合わさっていること。この難しさを「孫子」では色を使って説明していました。原色は5色しかないけれど(「孫子」では、黒・白・赤・黄・青の5色を原色としているようでした)、それが無数に組み合わさって色が出来るので、色の数は無限大。戦法も同様で、奇法と正攻法を様々な方法で組み合わさっている、ということでした。一見すると簡単なことがなかなか進まないのは、各自の思惑が混ざっていて、色々な「色」を作り出していて、その色にあった、解決策を見つけるのが難しいということなのかなあと、自分の状況にも置き換えてしまいました。

 風林火山、 がこの本発祥ということを恥ずかしながら今回知ることが出来、とても勉強になった本でした。

軍師の生きざま(アンソロジー:2013) [読書’14]

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「軍師の生きざま」という短編集です。以前に読んだ「軍師に死にざま」と同じシリーズです。前回のシリーズに登場したお馴染みの軍師だけでなく、新たに登場した軍師も居て、面白かったです。「生きざま」というタイトルにはなっていますが、軍師の最期のような部分も描かれていて、驚きでした。あくまでも短編集なので、各作品の感想を載せることはできません。私の印象に残った作品の感想を書いていきたいと思います。

①「異説 晴信初陣記」(新田次郎)
 武団信玄がかつて晴信と呼ばれていた時の初陣がメインとなった話です。と言っても、私はこれが武田信玄だと気づくのはこの作品を読み終えた後だったのですが。
 最近読んできた歴史小説はどれも、戦国、安土桃山時代が中心。特に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3大将軍を中心に読んできていました。そのため、武田信玄というと、「敵」というイメージがどうしても強かったです。が、この作品では主役、また彼の若いころが描かれているのでとても新鮮でした。
 新鮮に読むことが出来たもう一つの理由が、作風だと思います。父から新田次郎は気象学者と聞いていましたが、作品内にも天気に関することが色々出てきます。雪の積もり・降り具合から、「忍び」の存在を推測したりする軍師が登場し、まるで探偵みたいでした。「三国志」の軍師、諸葛亮孔明も天候を読むことに長けていたようですが、この話にも天気の話が出てきて、面白かったです。

②「梟雄」(坂口安吾)
 これは斉藤道三に関する作品でした。斎藤道三を初めて知ったのは、司馬遼太郎の「国盗り物語」でした。彼が主人公である作品だったためか、結構彼に思い入れが強くなってしまいました。後ほど、斎藤道三はかなり冷酷な人という評価が世の中でされていると知りました。もちろん、結構冷酷なことをしているなあと思ってはいたのですが、それを含みつつ、別の視点から描いていた「国盗り物語」だったのかなあと最近は思うようになりました。
 そしてこの作品を読むと、やっぱりというか、斎藤道三の冷酷さが全面に押し出されていました。これが一般にある彼のイメージなのかなあと思いました。「国盗り物語」の斎藤道三が私は結構好きなので、この作品を読んでいると、少し複雑な気持ちになってしまいました。

③ 「城井谷崩れ」(海音寺潮五郎)
 これも少し裏切られた感じが強かったので、印象に残っています。黒田官兵衛の話です。私は、黒田官兵衛というと、大河ドラマか「播磨灘物語」の、人の良さそうな、イメージが強いです。 しかし、この作品では、彼の冷酷な部分が描かれていてびっくりしました。後の解説にも、「あくまでも作者による、新たな黒田官兵衛のイメージ」というような説明がしっかり書かれていました。それほど自分が抱いていた彼に対するイメージが崩れる作品でした。ただ、黒田官兵衛が軍師であるため、「作戦を実行するため、私情を入れず、命令を下せる人なのかも」とも思い、このような冷酷な黒田官兵衛も可能性としてはありなのかなあと最後には感じてしまいました。

④ 「真田の蔭武者」(大佛次郎)
 これは、軍師というより、徳川家康のイメージが大きく変わった作品でした。教科書に出てくる写真を見ても、また司馬遼太郎の作品を読んでいても、徳川家康のイメージは、「辛抱強く、慌てない」というものでした。体格も良いので、どっしりと構えているイメージを私は強くもっていました。そんな彼を唯一追い詰めたと言われる、真田幸村の作品。とても緻密で、さすが軍師、と思える人だった気がします。個人的には、この短編集に出てきた軍師の中で一番頭の切れる人物でした。

 読書の秋にぴったりな、ワクワクする短編集でした。

HHhH (by Laurent Binet: 2010) [読書’14]

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「HHhH」という、フランス語の本です。たまたまた友達に勧められて読んでみました。

 まず、この本のタイトルから説明することになると思います。このタイトル、「Himmlers Hirn heißt Heydrich(ヒムラーの脳はハイドリヒという名前)」というドイツ語表現の頭文字をとって、HHhHとなっています。ナチスドイツのトップだったヒムラーという人を裏から支えた、ハイドリヒという人の暗殺を試みたプラハの青年2人の物語という、第二次世界大戦中の話です。

 私がこの本に惹かれた点はいくつかありますが、一番面白かった点はこの1940年代の話と同時進行で、この小説の著者の話も出てくるからです。1940年代当時の様子が書かれた章の次に、小説を書いている2000年代の様子を描いた章が来ます。現代の章では主に、歴史小説を書く苦悩、資料集めの様子、どこまで忠実に歴史を再現できるのか、というエッセーのような感じになっていて、とても興味深いです。もちろん、大戦中に何があったか、という話も面白かったですが、私は著者のエッセー部分の方が気に入りました。私が何気なく読んでいる歴史小説ですが、どこまで創作するか、という幅は歴史小説家誰もが悩む点だと思います。小説としての創作のため、そのような「妥協」をするのではなく、徹底的に史実を追って、あくまでも忠実に再現しようとする著者の苦労を読んでいるとすごいなあと思います。少しでも微妙な表現をした章の次には、「あくまでも『たぶん』という言葉を入れたとおり、このような行動をしたことは不確定である」という著者の本音が出てくる、ということが何度もありました。

 また、著者の資料集めは、主にプラハで行われます。このヒムラーとハイドリヒがプラハを担当していたため、資料が多くあるというのが大きな理由だと思います。

 プラハはフランスと同じように、昔のままの風景がそのまま残っています。もしかしたら、フランス以上かもしれません。この街を訪れると、タイムスリップをした気分になるほど、古い建物がそのまま残っています。 1920年代に話に登場してくる時も、通りや広場の名前が今と同じ。読みながら、「あの通りのことを指しているのかなあ」と、私に馴染みのある感じがしたのも、この本を面白いと思った理由の一つかもしれません。

 この小説スタイルも個人的に好きなものだったのですが、それ以上に描写が上手いと思いました。忠実に再現しようとしているだけあって、飾り気の無い文章が続きますが、逆に映画のような1シーンをスローモーションで見ているような気がします。特にクライマックスの部分は、実質数秒から数十秒の出来事だったと思いますが、数ページ割いて描写しています。目に浮かぶような、淡々とした描写でした。

 少し蛇足になりますが、この本を読んでいる間、一つの単語がずっと頭にありました。Histoireというフランス語の単語です。フランス語では、「歴史」と「(お)話」を表す単語が同じで、histoireという単語を使います。この本を読んでいる間は、このフランス語の単語histoire(歴史/話)が、何度も私の頭の中に浮かんできました。歴史という話を作り出すのか、淡々と述べていくのか、そしてどのように歴史/話を伝えていくのか、という強いメッセージがありました。

「マスカレード・ホテル」と「マスカレード・イブ」(by 東野圭吾 :2011、2014) [読書’14]

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 家から最寄りの駅構内には、小さな書店があって、1日2回通ります。そのため、売れ筋の本や雑誌というのがよく分かります。同時に、移り変わりが激しいなあと思います。その中でも、安定して、通路側に置かれているのが、東野圭吾や池井戸潤の作品です。ビジネスマンを想定していて、ビジネスや経済の本が多く置かれている本屋なのですが、この2人の著者の作品は常に、見やすいところに置かれています。そんな本屋で、「『マスカレード・ホテル』70万部、『マスカレード・イブ』100万部達成!」という宣伝を見つけ、電車/地下鉄に乗ると同じ宣伝を見ることになりました。そのせいか、「読んでみたいなあ」とずっと思っていました。このような自分の反応を客観的に見ると、マーケティングにまんまとはまってしまっているなあ、とも思い、少し怖くなりますが。

 これほど宣伝に反応したのは、もう一つ理由があるかもしれません。夏から、急に東野圭吾を読み始めた父が、この作品を気に入っていたようだからでした。一番のお気に入り、かどうかはよく分かりませんが、会話の中にこの作品がよく出てきていたので、面白いと思っているようでした。多く(大半)の東野圭吾作品を読破している母も面白い、と言っていたので、私も読んでみることにしました。

 ちょうど、札幌に帰った時、テーブルの上にこの「マスカレード・イブ」があったので、読んでしまいました。この作品、発行年は新しくても、時系列としては「マスカレード・ホテル」の前の設定となっています。時系列通りに話が読める、と思ったのですが、意外な落とし穴がありました。たいていの人は、最初の「マスカレード・ホテル」を読んだ上で、この「マスカレード・イブ」を読むと思います。そのため、馴染みのある登場人物の過去を楽しむことが出来る気がします。が、私は彼らの「現在」を知らないので、読んでいても、「ふーん」という感じでした。最後の章で、「この2人が、時系列的には『次』となる作品で会うのかなあ」と思ったぐらいでした。期待していたほどではなかったので、正直がっかりでした。ホテルのフロントという仕事を裏側から見られる、という意味では面白かったですが、ストーリーに対しては特に何も感じませんでした。

 そして、「マスカレード・ホテル」を読む機会がやってきました。成長した二人が登場し、また「マスカレード・イブ」を読んでから間隔もあまりあいていなかったので、「マスカレード・イブ」で敷かれていた伏線もよく分かりました。あのときには理解出来なかったけれど、この「マスカレード・ホテル」を読んで分かる部分が多くありました。

 両作品の伏線探しも面白かったのですが、やはり成長した登場人物2人が良かったです。二人ともプロ意識が強く、読んでいても気持ち良かったです。価値観は全く異なるけれど、この強いプロ意識は共通していると思います。他の東野圭吾作品で、探偵のようなものが登場する場合、一人がかなり優秀、もう一人がサポート、という感じです。一人の優秀さが際立つことになるので、これはこれで面白いと思います。が、今回は倫理観が異なる2人が各自のプロ意識をぶつけて、事件を解決していく様子は読んでいて気持ち良かったです。

 また、この本を読んで、母と「ホテルのフロント」の仕事についての話になりました。確かに、色々なお客さんが来て、興味深いとは思います。友達の友達がジュネーブの高級ホテルで研修していたのですが、話を聞くと、大げさではなく、この作品に出てくるような変わった、個性的なお客さんが色々来るようです。殺人事件は無いかもしれないけれど、たくさんの秘密を抱えた人が泊まっていくみたいです。確かに興味深い仕事だけれど、(倫理観や正義とか関係なく)相手がルールというのに、自分が耐えられるかなあ、と思ってしまいました。それなら、悪事を暴く刑事の方が面白そうだなあ、とも思いました。
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