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ボンへ [旅’15]

 今週から新学期が始まりました。あったのか無かったのかよく分からない春休みが終わりました。

 先月の話になってしまいますが、春休みを利用して、講演会へ行ってきました。3日半、ボンで行われた講演会でした。私の住んでいるところから1時間に1本、ボンへ向かう直行の電車があるので、その電車に乗って、3日間通いました。電車内では座ることが出来るので特に疲れはしませんでしたが、1時間1本の電車を逃したらどうしよう、という不安は常にありました。

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 ボンは、グミのHARIBOの本社があることでも有名です。

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 しかし、今回の目的はHARIBOではなく、ボン大学です。ドイツでも歴史ある大学のようで、門もかなり立派でした。

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 講演会があったのは、この立派な建物。若干手入れが行き届いていないベルサイユ宮殿、のような外観でした。見た目はきれいですが、中は少し複雑。写真から見て建物内左側の教室で講演会があったのですが、トイレは正反対(右側)にしかありませんでした。そのため、トイレへ行く際は、この長い通路を(延々と)歩いて行かなくてはなりませんでした。

元国境地帯 [旅’15]

 あっという間に、2月も中旬(後半)に突入。一気にドイツは寒くなってきました。時間がかなり経っていますが、年始のドイツ小旅行について書いていきたいと思います。

 花火を見た年始を終え、歴史の勉強へ。友人が住んでいるところから20分ほど車を走らせると、元東ドイツのエリアに着きます。今でこそもちろん国境は無く、道路が出来ていて、自由に行き来することが出来ます(当たり前ですが検問もありません)。ただ、国境の跡というのはしっかり残っています。

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 この地域には、写真のような看板が様々なところに立っています。標識には「ここは、ドイツとヨーロッパが1989年11月18日の6時まで分断されていた地点」と書かれています。時間や日にちに違いがありますが、元国境地点にはこのような看板がいくつも見られました。「西ドイツと東ドイツ」という表現ではなく、「ドイツとヨーロッパ」という表現もなかなか興味深いです。

 どのように国境を決めたのは、細かいところは分かりませんが、通常は(見張りがしやすいように)広い草原に国境、そして立ち入り禁止区域のような部分がありました。国境というと、一定の境があって、そこを越えると別の場所というイメージを私は持っていました。スイスとフランスの国境は検問があって、その場所を越えると、別の国となっていたので、私はそのイメージが強いのかもしれません。しかし、この地域の「国境」は、東ドイツが東から西への人の移動を防ぐために設置されたもの。見晴らしのよい「立ち入り禁止」区域を設けて、見張る必要があったのかもしれません。 下の写真、奥に見える白い塔は見張りの塔です。
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 ちなみに、この元国境地帯、道路も通っていますが、今ではGrünes Band(グリーンベルト)という自然保護地区になっています。かつて分断されていたこのエリア、その歴史を忘れないよう、今では草花や動物(野鳥)を保護するための場所になっているようです。

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 人工的に引かれた国境以外にも、地形を使った国境もありました。このElbe(エルベ)川、写真の向こう側は東ドイツです。中学校の地理の授業で、国境の作られ方を勉強しました。川や山など地形を利用したもの、植民地という歴史を持つアフリカ諸国の人工的な国境などを勉強したと記憶しているのですが、まさにその内の一つの国境パターンがドイツ国内に存在していたというわけです。この川の向こう側が東ドイツ。手前にある碑には「東ドイツ(ドイツ民主共和国)」、そして奥の看板には「国境地域 立ち入り禁止区域」と書かれています。 北海道、そして日本という島国で育った私からすると、川の向こう側が外国、ということがなかなか想像できませんでした。
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 今回、東と西ドイツの元国境地帯へ行ってみたわけですが、今ではもちろん同じ「ドイツ」です。車で通過しただけですが、元東ドイツだった場所と西の差は歴然としています。 道路の整備が良くなかったり、廃墟のような建物が多い村は元東ドイツ。その廃墟もちょっと無機質な感じで(集合住宅みたいでした)、ガラッとイメージが変わります。国のシステムが異なると、これだけの違いが出るのかとちょっと驚いてしまいました。見えない「境」が今でもあるような気がします。たまにドイツ人から、「東と西の格差」について話を聞きますが、色々難しいことも多いようです。ベルリンの壁崩壊から、たった26年か、まだ26年なのか、ドイツ事情が見えてくる元国境地帯訪問でした。

意外に遠かったジュネーブ 後半 [旅’15]

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(平地が多いドイツ)

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(湖、山の多いスイス)

 朝のバタバタとは打って変わって、スムーズにジュネーブ到着。後は荷物をターンテーブルから取り、出口へ向かうだけ!小さい飛行機(1列4席)だったので、通常の便に比べると預けてある荷物も少なめでした。同じ荷物がターンテーブルをグルグル回っているのを見ていると、次第に荷物が増えてきます。電光掲示板を見ると、別の便の荷物が既に到着しているようでした。自分の荷物を見逃したと思い、ターンテーブルの周りを探してみますが、見当たりません。「他の人に間違って荷物を持って行かれた?!」と若干焦り、荷物紛失のコーナーへ向かいました。

 荷物の特徴、預かり番号などを渡すと、そのコーナーの人は慣れた感じで手続きをしてくれました。「ミュンヘンで30分しか乗り継ぎの時間が無かったなら、荷物の乗り継ぎが間に合わなかったとしても不思議ではない」と言われてしまいました。どこに私の荷物があるのか、この時点で把握は出来ませんでした。幸いミュンヘン-ジュネーブはこの後もいくつか便があるので、荷物を見つけ次第、滞在地(ホストファミリーの家)まで配達してくれることになりました。よくよく考えてみると、国内外何度も飛行機に乗っていますが、荷物が届かなかったのは初めて。旅行中のトラブルとしてよく聞く話ではありますが、個人に何度も起こるトラブルではないのかもしれません。

 「もし荷物が無くなっていたら」という不安は消えないので、電話の自動応答サービスで荷物の追跡をしてみました。すると、無事、ミュンヘンで荷物が見つかったようで、18時30分配達予定とのこと。が、19時、20時になっても荷物が届きません。今度は電話ではなく、インターネットで追跡してみると、予定していた便に荷物を乗せることが出来ず、その次の便に荷物を乗せたとのことでした。そのため、20時30分到着予定と変更になっていました。スーツケースに洋服など大した物が入っていたわけではないのですが、クリスマスプレゼントが入っているので、24日には間に合ってほしいなあと思っていました。20時30分になっても荷物が届かないので、プレゼントの代替案まで考え出してしまいました。幸い、21時にようやく荷物が届き、一安心。長い、ジュネーブへの旅となりました。

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(ほぼ全ての便に遅れが出ていました。係の人によると、ジュネーブ空港は特に霧発生時の規則が厳しいのだとか)
 そんな旅を終え、クリスマスも無事に過ごし、あっという間の5日間でした。そして、今度はジュネーブからドュッセルドルフへ戻る日となりました。ジュネーブ出発予定時刻は20時40分。朝の空模様から何となく予想はしていたのですが、霧で出発に遅れ。1時間30分遅れでの出発となりました。ドュッセルドルフ空港からアパートから最寄りの駅までの電車は、0時30分発。この区間の電車は夜でも1時間に1本あるので、あまり心配していませんでした。しかし、問題は最寄りの駅からアパートまでの移動手段。路面電車の終電はとっくに出ているので、夜間バスで帰ることにしました。平日なので、夜間バスも最終便が1時。このバスに乗り遅れた時のことは想像したくないなあと思いながら電車に乗っていました。無事、電車の遅れは特になく、最終バスに乗って、アパートへ戻ってくることが出来ました。とても長い旅でした。

 と、2015年最後の記事は、移動トラブルに溢れたジュネーブへの旅についてとなりました。2015年はパリの旅から始まり、札幌での免許取得、ドイツへ出発、と移動の多い年でした。学生としての生活が再スタートして、環境も大きく変わった年でした。新年がどんな年になるのか、今から楽しみです。2016年もよろしくお願いします。

意外に遠かったジュネーブ 前半 [旅’15]

 先週の火曜、今年最後の授業が終わり、友達や教授とのご飯があったり、(いつも通り)バタバタ荷造りをしながら、23日、ドュッセルドルフ国際空港へ向かいました。クリスマスをジュネーブで過ごすためです。航空券を購入する際、値段を見て、23日はヨーロッパ内の大移動の日だと実感しました。一概に比較出来ませんが、ちょっと高めでした。最初は電車の方が安いかなあと思ったのですが、Duisburgからは乗り換え5回で10時間ほどかかり、チケットも飛行機より高め。結局、飛行機を選びました。

 ドイツの電車はよく遅れたり、急にキャンセルしたりするので、家の前から出発する始発(4時45分)の路面電車に乗って、電車の駅へ向かいます。飛行機は7時出発、最寄りの駅から電車で空港までは15分。余裕を持って出発しました。さすが、始発に近かったので、遅れることなく、無事にドュッセルドルフ国際空港へ到着しました。予想はしていましたが、着いてみてびっくり、チェックイン・カウンターには長い列が出来ています。クリスマスに向けた大移動の日だから、仕方がない、と最初は思っていました。しかし実際は、荷物を預ける際に使用する機械のトラブルが原因でした。Lufthansa航空の子会社を利用したのですが、この航空会社から7時に出発する飛行機は全部で3便。クリスマスという日もあって、多くの人が荷物を預けようとしていました。結局、1時間並んでも荷物を預けることが出来ず、私の乗るはずだった飛行機は出発してしまいました。機械トラブルのため、どれだけの人が実際に飛行機に乗ることが出来たか定かではありませんが。

 仕方がないので、別の便を手配してもらうことにしました(もちろん無料で)。ドュッセルドルフからジュネーブの直行便はもうこの日無かったので、9時30分ドュッセルドルフ発、ミュンヘン経由(距離的には少し遠くなりますが)で向かうことにしました。ジュネーブへの到着予定時刻は12時30分。ジュネーブのホストファミリーにも連絡し、搭乗時刻を待ちます。直行なら1時間半弱で到着ですが、3時間近い旅になります。ベンチに座っていると眠くなるので、ウロウロ空港内を歩き回っていました。

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(ミュンヘン空港にて)

 無事にドュッセルドルフを出発し、ミュンヘンへは1時間経過しない内に到着。一度来たことがある空港ですが、懐かしさを感じる暇もなく乗り換えです。30分ほどの乗り換え時間しかありませんでしたが、遅れることなくゲートに到着することができました。

 しかし、ジュネーブとドュッセルドルフは思った以上に遠かったのです。

トリノへ 最終回 [旅’15]

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(トリノ市内)
 さて、トリノのセミナー、第一部が博士課程学生の研究発表、第二部が教授や若手研究者の共同研究ミーティングでした。第一部は、フィールドワークを終えた学生の成果発表などがありました。ちなみに、私は初期段階だったので、自分の現状発表のみでした。次回は、もう少し中身のある発表をしたいものです。フィールドワークを終えた学生の発表は、自分が再来年居るであろう段階を見る良い機会になった気がします。まだまだ道は長いです。

 第二部は、話の規模が大きく、話を聞いているだけで「すごいなあ」と圧倒されてしまいました。一人で研究費を見つけてくるのは額が限られてしまうので、グループ・プロジェクトとすることで大きな資金源を見つけてこよう、というのがミーティングの目的です(ちなみに皆の専門は「労働」)。財団や機関の中には、団体/グループにのみ資金を与えるものもあるからです。研究だけでなく、どの分野でもそうだと思いますが、やはり重要なのは資金源、ということでしょうか。

トリノへ その2 [旅’15]

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 トリノでのワークショップで使った大学の教室です。当時の内装をかなり残していて、教室らしくない部屋でした。

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 坂の多い、トリノ市内。昼食後の散歩も、上り下りが多かったです。

トリノへ その1 [旅’15]

 トリノと言えば、オリンピック、ぐらいしかイメージがありませんでした。ただ、行ってみて、色々と有名な物もあるということが分かりました。例えば、車のFiatの本社があるのがトリノ。私はどこへ行っても、どのメーカーの車が多く走っているかチェックするようにしています。トリノへ行った時も例外ではなく、Fiatを多く見かけ、「やっぱりイタリア人は国産に乗るのか」と思っていました。本社があるとなれば、更に納得です。言われてみると、ナポリではフランス車も結構走っていました。

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 ちなみに、トリノは映画祭も行われる都市。ちょうど私達が行ったときに開催していました。といっても、特に映画を見たわけではありません。私にとって、(「パリは燃えているか?」の)「スウェーデーン領事」、オーソン・ウェルズに捧げられた映画祭だったようです(生誕100周年)。

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 この街の第一印象は、思ったよりきれい、というものでした。私が知っているイタリアは夏のナポリのみ。冬のトリノと夏のナポリを比較してよいのか分かりませんが、トリノの方が道はキレイでした。もちろん、ゴミや犬の糞は落ちていますが、ナポリほどではなかったです。石畳の道が多くて、スニーカーではなかった私は足が少し痛くなりましたが、さすが歴史のある国だ、と思いました。アーチが多いのも、カトリック色が強いイタリアならではでしょうか。神父などが街を歩く際、雨に濡れないように造られたとも言われているようですが、メインの通りはどこでもこのアーチがありました。
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 イタリアと言えばカフェ(エスプレッソ)ですが、私は朝食時American Coffeeを飲んでいました。イタリアで一番重要な食事は昼食なのですが、滞在したホテルでは色々な種類の食事がそろっていました。シリアル、パン、ケーキ、ハム、チーズなどなど。パンは甘いものが多かったですが、色々迷ってしまいました。このようなパンを食べる際、コーヒーは欠かせません!
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トリノへ [旅’15]

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(左側の建物が、トリノの大学)
 トリノで行われていた研究会に行っていました。自分の発表はとっても緊張しました。たくさんの話を聞いて、たくさんおいしいものを食べ、たくさんコーヒー(エスプレッソ)を飲んだ数日間でした。
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(トリノ市内を流れるポー川)

オランジュリー美術館 [旅’15]

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(オランジュリー美術館)
 先日、パリへ行ったときに時間があったので、オランジュリー美術館(Musée d’Orangerie)へ行ってきました。何人かの知り合い、友達に勧められた美術館です。 ルーブル美術館の近くにある、チュイルリー公園の中にひっそりとあった美術館でした。

 この美術館、モネの「睡蓮」シリーズを展示するために作られた美術館と言っても過言ではありません。蛇足になりますが、ヨーロッパにはこのように、「ただ一つの作品のために作られた」美術館が他にもあります。例えば、スペインにあるソフィア王妃芸術センター。美術館名は王妃の名前から来ていますが、この美術館、ピカソの「ゲルニカ」のために作られた美術館のようです。

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 さて、この「睡蓮」シリーズのための美術館、実際入ってみると、メインの階は「睡蓮」のみが展示されています。楕円形の形をした作品に合わせて、建物の形もきれいに楕円状になっていました。ベンチに座って眺めることも出来、入館者もあまりおらず、とても落ち着いた雰囲気でした。

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 「睡蓮」をのんびり見ることが出来ると言っても、(26歳以下割引で)6.5ユーロはちょっと高いだろう、と正直思ってしまいました。が、地上階だけでなく、地下にも展示室があることが判明。地下はポール・ギヨームという絵画商人(パトロン、とも言うのでしょうか)のコレクションが展示されていました。モネ、ルノワールなど、印象派と呼ばれる人達の作品がありました。商人のギヨームの人生についても色々説明がされていて、「どんなにすごい画家でも『パトロン』の存在無しには、後生に作品を残していくことが難しい」ということがよく分かりました。この人、モディリアーニと特に親しかったようで、彼の作品もいくつかありました。こぢんまりしていても、印象派と呼ばれる画家の作品を見ることが出来、満足でした。

凱旋門賞 [旅’15]

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 先日パリで行われた凱旋門賞を見に行ってきました。

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 とにかく、このレースの大スポンサー(全レースで賞金を出している)、カタールの国旗色である紫で会場が彩られていました。