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クロアチア旅 1 [旅’20-]

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(山以外は、ドイツっぽい風景もあるザグレブ)
 2月中旬、私の住むデュッセルドルフは、カーニバルのピークとなります。暦上は、平日です。が、大学(や会社も、かな)は、「祝日ではないけれど、仕事無しの日」と設定していて、わざわざそういったメールが大学全職員に送られる不思議な時期です。デュッセルドルフとケルン市内は、仮装した人達がお酒を飲みながら飲み、「Karnevalszug」と呼ばれる、山車の様な、パレートフロートの様なものが街を通過する、お祭り騒ぎとなります。このお祭り騒ぎを避けるため、友人とデュッセルドルフから脱出!

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(ザグレブ市内にある、第二次世界大戦中に造って、大戦中は使わなかったシェルター。今は歩行者用トンネル/通路)
 旅日程も短いので、「カーニバルを避けることが出来て、あまり遠くない」且つまだ行ったことがない場所、ということで、初めてのザグレブ、クロアチアへ行ってきました。ドイツのボン/ケルン空港から2時間弱の場所でした。首都であるザグレブ、コンパクトで1−2日で回れる都市でした。クロアチアは、スプリトと呼ばれる海岸沿いの都市が割と夏の観光地らしいのですが、ザグレブは冬ということもあって、ほとんど観光客が居ませんでした。2023年からユーロ通貨流通が始まり、少しずつEUの観光地になっていこうとしているのかな、という印象の都市でした。

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(ザグレブ地元のブルワリー。ビールの名前はドイツ語で「手にキスを」)
 一緒に行った友達含め、私もクロアチア/ザグレブについてほとんど知らないので、市内散策ツアーに参加しました。現在の地理で言うと、北にスロベニアとハンガリー、東にセルビア、南にボスニア・ヘルツェゴビナ、対岸にイタリアという場所に位置しているクロアチア。色々な国や帝国の支配下にあったようで、思った以上にドイツ語表記が残っているのが印象的でした。これは、オーストリア・ハンガリー帝国の影響だった様。第二次世界大戦を経て、1991年の独立戦争があって、割と「若い」国のせいか、ツアーで国の成り立ちの説明もフワッとしていたり、穴があったりして、自分もなんとなく感じたことがある感覚を思い出させる不思議なツアーでした。
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tommy88

世界史を振り返っていて思うことがあります。
人間にとって「憎悪」の寿命はどれぐらいあるのだろうかと。
例えば10年前、中国共産党が国民の休日として公祭および記念行事を主催するようになった抗日戦争勝利記念日(9月3日)、南京大虐殺犠牲者国家追悼日(12月13日)があります。年に2回、こんなひどいことをされたのです、それでも先人たちが闘って解放されたのです。と繰り返します。毎年確実に上書きされて行きます。今年1月に中国共産党は、かなり強力な愛国教育を実施すると決めた法律を施行しました。「強力」と言うのは罰則を伴うわけで、しかも大人へも普及するということで、小中学生だけの問題ではないのです。さらに全国に100か所を超える愛国教育「模範基地」が作られ、博物館のようになっており、「青少年に思想道徳を教育する重要な場所」として文化大革命や毛沢東礼賛の末、習近平は神のような扱いです。当然、天安門事件はありません。徹底ぶりが半端じゃなく、この教育は逸脱の例外が許されない鉄の掟ですから、おそらく人間性を変えてしまうぐらいの加速をすると思います。少なくとも表向きには天安門事件はなかったことになっていますが、体験した人々が消えていき、おそらくおよそ100年の時間の中で、日本帝国主義への憎悪は上書きされて新鮮なまま継承され、天安門事件は消滅するのでしょう。民族浄化の歴史も、徹底すれば200年間で抹消できるのでしょう。と、怖い話をするのも、ナチスドイツ、旧ソ連、バルカン半島での民族紛争、そこに根付いた憎悪、その憎悪はまだ寿命が尽きていないのでしょうか、あるいはすでに、過去のものとなったのでしょうか。そんなことを思います。きっと鎮静、安定化したのなら、きっと教育の力、正しい情報の入手があったからではないかと思っています。
  (長くなりました)

by tommy88 (2024-02-25 12:57) 

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