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福岡2日目 前半 [旅'14]

 福岡滞在2日目は、両親がプールへ妹達の応援へ行きました。私は、福岡城跡を目指します。福岡へ来た大きな理由の一つが、この福岡城跡でした。今年の夏休み中、司馬遼太郎にハマり、彼の作品を読みあさりました。その中で一番好きになったのが、軍師の黒田官兵衛でした(相棒とも言える竹中半兵衛も好きですが)。他の軍師の本を読んでも、やはり気になるのはこの黒田官兵衛でした。その彼が、豊臣秀吉から離れて向かったのが福岡。この県の始まりを作ったとも言える、福岡城を見てみたいと思いました。

 ガイドブックを読んでいく内に、この福岡城は今存在せず、跡だけが残っているということでした。何か面白いことが分かるかもしれない、と跡だけでも見に行くことにしました。寒い中歩いて行き、案内所みたいなところへ着きました。(暇そうな)ボランティアの人が近づいてきて、丁寧に城の模型を前に色々説明してくれました。

 歴史的な城を回るのが好きな人も居ますが、私が城へ行ったのは数えるほど。小さい頃、大阪城へ連れて行ったのを覚えていますが、豊臣秀吉をまだ知らないことだったので、「大きいな」と思ったことしか覚えていません。城に色々防衛の策が施されている、ということは何となく想像出来るのですが、具体的にどんな方法が用いられているのかということまでは分かりませんでした。この跡地には、堀が多い、ということぐらいしか感じませんでした。ボランティアの説明によると、当時は堀がもっと深く、長く続いていて、入り口はたったの3つしか無かったようです。大きな城、更に集落のようなものがあったのに、入り口が3つしかなかったのには驚きです。陸の孤島のようになってしまわないのか、と少し心配になってしまいました。

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 更に、ボランティアの説明で一番印象に残っているのは城全体の作り。敵が侵略してくる際、ブレーキをかけるため、まっすぐな道が少ない、ということでした。当時の模型を見せながら説明してくれたのですが、確かにまっすぐの道がほとんどありません。迷路のように、入り組んでいました。現存している石垣を見ても、必要以上に曲がり角が多い気がしました。これを考えたのも官兵衛(とその息子、長政)、さすが築城の天才と言われているだけあるなあ、と思ってしまいました。

 説明を一通り受け、その後、鴻臚館(こうろかん)へ行きました。結構立派な建物で、また福岡城跡にあったので、江戸時代に関連したものだと思っていました。が、表示を見てみると、これは単なる再現。遣唐使という職業が存在した 、奈良時代のもの。こんな古いものが福岡にあるとは思っておらず、驚きでした。また、京都、大阪にも似たようなものが存在していますが、はっきりと場所が特定できているのは福岡のもののみ。江戸時代の福岡城と、奈良時代の鴻臚館。「たった」400年前の江戸時代から、日本の中心となった東京。かつての中心が西日本だったということを痛感させる瞬間でした。また、前日博多駅に到着した際、私は「雰囲気が札幌に似ている」と思っていました。東京ほど最先端ではないけれど、ある程度新しい街だと思っていました。しかしこれも、鴻臚館を訪れるまで。一気に、福岡が歴史ある都市に思えてきてしまいました。確かに、札幌周辺にこんな城跡などないので、それだけでも福岡と大きな差があります。
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コメント 2

次女

福岡って近代的なイメージしかないから、お城があるなんてびっくり。
by 次女 (2014-12-30 05:39) 

tommy88

1775年からアメリカに歴史が始まったとして、大阪城はずっと前。
今の皇居、江戸城もアメリカ建国の170年も前に完成している。
歴史の浅い国だからアメリカは「チェンジ」なんて言えるのだ。
鳴くよウグイス平安京、平安遷都が794年。
アメリカが始まるまでに1000年もの歴史を持つ日本。
そう簡単に変われるわけがなくて当たり前、でも、毒されてしまった。
アメリカより新しいのは北海道開拓の歴史。
福岡や奈良などでは、大和朝廷の時代からの歴史がある。
福岡の志賀島では、漢委奴国王の金印まで掘り出されている。
古ければ良いというわけではないけれど、歴史は重い。
ただ、統一された国家観が果たしてあったかどうかは別である。
by tommy88 (2014-12-30 10:20) 

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