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知床へ行こう! その5(知床五湖へ) [旅'14]

 この日は朝から分刻みで立てられたスケジュールを元に行動しました。元々、そういう旅行は得意ではありません。が、知床自然公園内の移動はバスのみ。ある場所によっては、1時間に1本しかバスが来ない、ということもあるので、事前にしっかり予定を立ててから行きました。

 私たちが最初に向かった知床五湖は8月1日から、いわゆるハイシーズン。公園内にある五湖を歩いて回ることが出来ます。それ以外の期間だと、メインの湖を見る高架木道を歩くのみです。せっかく来たので、私は公園内全部を歩きたいと思っていました。そのためには、まず自然センターのようなところで「レクチャー」を受けなくてはなりません。簡単に行けると思っていたら、意外に色々と手続きが必要のようです。このレクチャー代が、「入場料」となるのかなあと思いました。

 レクチャーは林間学校の先生、みたいなおじさんが説明してくれました。最近の熊目撃情報なども教えてくれました。もちろん注意を喚起するために、目撃情報を教えてくれたのですが、私は「今日も同じ場所に行ったら、熊を見られるのかな?」とのんきなことを考えていました。目撃情報以外にも、熊に万が一遭遇してしまったらどうするか、の対策も色々教えてくれました。が、結論としては、「一番の対策は『会わないこと』」でした。熊に居場所を知らせて、熊を近づけない、という意味で「会わない」という言葉を使ったのだと思います。が、「会わないようにすること」とだけ言われると、人と人の出会いのように、熊との出会いも、不可抗力が大きいのではないかな、と少し思ってしまいました。

 レクチャーを受け、いざ、公園内の散策開始!散策と言っても、公園内の決まった道を歩くだけです。それにしても、たくさんの人が来ていてびっくりしました。自然の場所に来たはずなのに、自然を全く感じない散策になってしまいました。でも、しばらくすると、歩き回る人たちのスピードにも差が出てきて、私たちものんびり歩くことが出来ました。

 五湖全てを見られる道というのが3km。小さい順に五湖、四湖、と見ていきました。公園は「知床五湖」という名前になっていますが、個人的に湖はあまり印象に残りませんでした。湖後ろに見える山が雲で隠れてしまっていたせいか、湖は少しがっかりでした。が、暑くても森林の中を歩くのはとても気持ちよかったです。

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(バスに間に合うために走った高架木道)
 3kmは、私が走ったら15分ぐらいだから、余裕を持っても1時間ほどで全てを見て歩くことが出来るだろう、と思っていました。が、読みが甘かったと後から気づくことになりました。次の目的地に向かうバスに乗るために、1時間半知床五湖で過ごす、と予定を立てていました。が、コースの最後、高架木道(どのシーズンでも歩ける場所)に到着したのがバス出発予定時刻の10分前。この木道を走る羽目になりましたが、なんとか乗るべきバスに乗車できました。

 そして、目撃情報があった場所も通過しましたが、熊には会えませんでした。

知床に行こう! その4(オシンコシンの滝、そして小清水原生花園へ) [旅'14]

 オロンコ岩を登った後は、オシンコシンの滝、というところへ行ってきました。ただの滝、と言われればそれまでですが、とても印象に残っています。なぜかというと、滝が横から流れてきているように見えるからです。

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 私が今まで見てきた滝は、正面から見ることが出来るようになっています。これは日本でも、ヨーロッパででもです。正面から見て、「うわー、高いところから流れてきているね」という風になります。が、この滝は、階段横に滝が流れていて、正面から見るというよりは、自分の横から流れてくる滝を見るという形になります。もちろん、階段で立ち止まって正面を向けば「正面から滝を見た」ということになるのですが、階段を登っていると横から水がかかってくる、というのは不思議な感覚でした。知床斜里観光協会のホームページによると、この滝は流れが途中から2つに分かれているところが、観光ポイントらしいです。しかし、私は進行方向の横から流れている滝、という方が印象に残りました。

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(原生花園駅の前を走る線路)
 そして今度は来た道を戻っていきます。ナビが必要ではないくらいまっすぐな道路が続きます。自転車で走ったら、とても気持ちよさそうです。そして、途中で小清水原生花園というところへ行ってきました。もう既に夏だったので、咲いている花はありませんでした。が、夕日と何も無い風景が良かったです。「原生花園」というJRの無人駅があったので、私はこれが公園の名前だと思っていました。しかし、戻ってきて調べてみると、これは公園名ではなく、あくまでも名詞のようです。Wikipediaによると、「人為的な手を加えず、自然をそのままにした状態でも色鮮やかな花が咲く湿地帯や草原地帯のこと」だそうです。この原生花園のほとんどは、北海道にあり、私たちが行った小清水原生花園が一番有名だそうです。

 果たして私は他にも原生花園へ行ったことがあるのか、と思い、調べてみました。すると、サロベツも原生花園のようです。当時は「サロベツ原野」としか思っていませんでしたが、今回少し調べてみて、原生花園だと分かりました。当時飲んでいて、今でも一番おいしい牛乳だと思うサロベツ牛乳の産地です。本当に何も無いところに、牛がポツン、ポツン、と居たことをはっきり覚えています。相当広い土地だったので、牛の数も多かったと思います。が、何しろ土地が広いので、その牛でさえ、少なく、また小さく見えてしまうほどでした。こんな広い所で飼育され、草をのんびり食べていたら、おいしい牛乳が出来るのもおかしくない、と納得したのを覚えています。そのサロベツ原野と同じくらい、この小清水原生花園は何もありませんでした。が、花もほとんど無く、牛ももちろん居ないので、少し寂しい感じがしました。

知床に行こう! その3(オロンコ岩にのぼる) [旅'14]

 お昼を食べた後は、2時間弱ほどドライブ!延々と続く、道を走って知床を目指します。知床のメインである自然公園へ向かうのは翌日、この日は自然公園入り口前にあるオロンコ岩に行きました。

 大きな岩で高さは約60メートルです。50mプールを縦に置いて、更に10m。少し分かりにくい例えですが、とても高かったです。60mを歩くのは簡単ですが、登るとなると、もちろん、直線で登るわけではありません。グルッと迂回するように登っていくので、60m以上の距離になります。また、改段の一段一段が大きかったです。そして、少し暑くてもスニーカーを履いていって良かったです。以前サンダルで山を登ったことがあります。その時に苦労したので、以降はどんなに暑くてもスニーカーで山には登るようにしています。そんな岩のため、私の後ろから来ていたおじさんは「気軽な気持ちで登り始めるんじゃなかった」と何度も言っていました。

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(オロンコ岩から見える景色)
 頂上からはどんな景色が見えるのか、楽しみにして、登り切りました。天気予報では曇りだったのですが、岩を登ったときは晴天。青い空、青い海、とてもきれいでした。カモメも飛んでいて、まさに夏、という感じでした。山のてっぺんは草が多く、途中虫にも少し刺されてしまいましたが、歩くのはとても気持ちよかったです。

 ただ、少し残念だったのが、港での工事。小さな市場があって、そこを拡大するための工事だったと思うのですが、相当大がかりなものでした。せっかく自然公園があるのに、と思ってしまいました。

 海の景色を堪能し、来た道を戻っていきます。この改段、一方通行なので、登る人と降りる人の譲り合いです。登りよりは息が切れませんでしたが、一段一段が大きいので怖かったです。

 オロンコ岩の話からかなり脱線して、日本語表現でふと疑問に思ったことをここで少し書いていきます。岩に登る、岩を登る、両方の表現が出来ると思います。両者、面白い表現だと思います。まず、岩を登る経験というのはそうあるものではないと思います。私のイメージで岩というと、海の真ん中にあったり、山の断崖絶壁のところにあったり、足下が不安定だったり、とても登ったりするものが出来ないというイメージです。ロッククライミング、という言葉が存在しますが、日本語で「岩登り」というとちょっと不思議な感じがします。エアーズロックも一応岩ですが、どうも山のような気がしてなりません。私の中ではあまり馴染みの無い「岩登り」をこのオロンコ岩で経験することが出来ました。

 また、「岩に登る」と「岩を登る」、両方の表現が出来る、と先ほど書きましたが、両者の表現がどう異なるのか、と今この記事を書きながら思いました。私の直感で、「岩に登る」は岩そのものに動きかけている(=登る)のに対し、「岩を登る」はそうではない、動作の対象が岩とは限らない、という違いがあると思います。少しインターネットで調べてみると、アルクの日本語教師養成通信講座に分かりやすい説明が載っていました。このページを要約してみると、「山に登る」に「頂上に」という言葉(目的地)をつけることは出来ないけれど、「山を登る」という表現には「頂上に」という言葉をつけることが出来る、ということでした。つまり「山に登る」は既に最終目的地が山である、ということがはっきりしているけれど、「山を登る」という表現では必ずしも山が最終目的地ではない、ということです。後者の表現は目的地ではなく、「登る」という動作が行われている場所に要点が置かれているということです。山ではなく、岩を登った、という具合です。そのため、その岩を八合目まで登ったのか、頂上かは必ずしもはっきりしておらず、この文章内ではあまり重要ではないというわけです。つまり、岩を登り慣れていない私としては、「(山ではなく)オロンコ岩を登った」という表現の方が、状況を上手く表現しているということです。

知床に行こう! その2(網走ザンギ) [旅'14]

 最終日に観光する時間がほしいので、行きは札幌からより遠い網走駅へ。電車で5時間半近くかかりました。7時近い出発だったので、最初は寝ていました。 少し昼寝(朝寝)をした後に、読書を開始。移動中に1冊読み終えることが出来たので良かったです。

 到着はお昼近く。駅前すぐにあるレンタカーで車を借りて、いざお昼を食べに出発!網走では「ザンギ丼」というのが有名。それを洋風に調理した店があるというのを事前にインターネットで調べていたので、そのイタリアンレストランへ向かうことにしました。カーナビに住所を入れて、車の方向転換をし、駅前の駐車場を出ない内にカーナビが「目的地に到着しました」とのこと。なんと、駅前にあるお店でした。カーナビの使い方を探り、住所を入れている方が長かったのではないか、というほどでした。

 ザンギ、とは普通、北海道の方言で「鶏肉のからあげ」を表します。が、網走で言う「ザンギ丼」というのは鮭の唐揚げを指します。網走観光協会のホームページにもその網走ザンギ丼の定義が載っていました。いくつか紹介してみると:①北海道米のご飯の上に「網走ザンギ」を載せる②オホーツク網走産長芋と網走産の山わさびを添える③網走産の貝を使った汁ものをつける④小鉢をつける、などです。

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 私が食べたザンギ丼がどれほど基準・定義に合っていたのかはよく分かりません。洋風、ということで、どんぶりにはよそわれておらず、少し食べづらかったです。また、ご飯が少し多すぎ、ザンギが少なすぎ、という印象を抱きました。が、それ以外はとてもおいしかったです。バルサミコがかかっていて、意外に鮭の唐揚げとマッチしていました。

知床に行こう! その1(計画作り) [旅'14]

 7月中旬、札幌に戻ってきて、人に会ったりしていました。同時に「せっかく北海道に居るのだから、道内旅行でもしよう」と思っていました。が、インターンシップ応募などもあり、なかなか旅行の予定も立たずにいました。もし時間があれば、知床に行ってみようと思っていました。色々理由はあるのですが、世界遺産に登録された知床がどんなものか見てみたい、と思っていたからです。まだ、以前我が家に滞在していたイギリスからの留学生が知床へ行って楽しそうだった、という理由もありました。

 自然公園なので当たり前といえば当たり前ですが、知床は広いです。保護を目的に交通手段も限られていて、自転車を借りて自転車で回ろうか、と思ったほどです(自転車旅行もやりたいことの一つなのですが)。一人で野宿というのもちょっと怖いので、ユースホステルに泊まってそこからどうにか移動しよう、ということにしました。

 が、電車のチケットなどを確認せず、そのまま旅行計画を放置していると、思わぬきっかけが。父が(講習と講習の間に)休みを取ることができたので、両親と私の3人でどこかへ行こうという話になりました。そこで知床への旅行話が進んでいくことになりました。知床へはとにかく移動に時間がかかるので、パック旅行を利用することにしました。

 夏に帰ってきてから2回目のパック旅行利用です(京都へ行くのにもパック旅行を利用しました)。旅行会社というものに、自分がこれほど頻繁に行くとは思ってもいませんでした。今回利用したのは、JR、ホテル、レンタルカーがセットになっているものです。制限はほとんどありませんが、唯一の制限が駅。札幌から着く駅と、札幌へ向かう駅を異なるものにしなくてはならないのです。釧路か網走という選択で迷いました。札幌-網走間は5時間25分、札幌-釧路間は4時間10分、ということでした。1泊2日の旅程だったので、出来るだけ見て回る時間を最終日に確保しようということで、網走着、釧路発というのを選びました。

 あーでもない、こーでもないと迷って、旅行会社に何度か足を運びました。このパック旅行を説明してくれた人がとても仕事の出来る人で、利用していて気持ちよいぐらいでした。質問にも迅速に答えるし、 仕事の引き継ぎも的確だし、すごい人だなあと思いました。
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意外に時間を過ごした場所 [旅'14]

 私が京都で見せたいと思っていた場所は、とりあえず制覇。東京へ戻る新幹線出発まで時間があるので、新たな予定を追加。花見小路へ行くことにしました。

 というのも、前日に祇園へ21時頃向かい、芸子/芸者さんを見ようとしました。が、時間が少し遅かったのか、タクシーに乗った芸者さんをチラッと見ただけ。カメラを持った外国人観光客も何人か来ていました。

 祇園ではあまり見られないのか、と思い、インターネットで検索してみました。すると、「パパラッチ並みに観光客が芸者/芸子を追いかけ回している」という記事もいくつか出てきました。そのため、芸者さんなどが対策を取って、目立たないように行動している、とも言われているようでした。どのような対策を取るのだろう、と思ってしまいました(あの華やかな着物はどうやっても目立つと思う)。が、花見小路で見ることが出来るという情報がいくつか載っていました。花見小路、で検索をしてみると、市の保護地区のような扱いになっているようでした。

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(映画に出てきそうな小さな道)
 実際に行ってみると、「これが古都!」という感じでした。黒っぽい建物がたくさん並んでいて、タイムスリップしたような気分でした。ここを歩くだけでも、京都に来たなあという実感が沸きました。外にお品書きを張っていないような店もあって、知っている人でないと、レストランだと分からないような場所もありました。一見さんお断り、のような店なのかなあと思いました。

 さて、肝心の芸者/芸子さんは二回見ることが出来ました。一度お茶屋さんから、芸者さんらしき人が出てくると、外国人観光客は走って写真を撮りに行っていました。その勢いはすごいものがありました。そして、結局私たちはこの花見小路に1時間30分も居ました。

 今回、私も芸者さんを見るのは初めてでした。テレビなどでは見たことがありましたが、華やかさが違いました。今、京都では、浴衣を着て観光するのがブームで、私たちの旅行中もたくさんそういった人たちを見かけました。フランス人の友人はそういう人たちを見る度に、「あれが芸者さん?」と聞いてきました。「違う」と答えると、「どうやったら分かるの?」と聞かれてしまいました。「華やかさが違う」としか答えることが出来ませんでした。そして花見小路で初めて芸者さんを見た友人は「エレガント!着物を着た観光客との違いがよく分かる。あの華やかさは一日で身につけられるものではない。」と言っていました。

最後はやはり光り物で [旅'14]

 別の約束があるというドイツ人学生と別れ、私たちは三十三間堂へ向かうことにしました。幸い清水寺からバス一本で行けるので、特に迷うことなく到着しました。三十三間堂の33の意味、とにかく「手」が多いこと、などを事前に説明して、いざあの長い廊下へ。

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 百聞は一見にしかず、やはり見てみると、フランス人の友人は驚きの声を上げていました。私も小さい頃に一度来たことがありますが、やはり「手が多いなあ」と思います。像の説明だけでなく、手がどんな意味をしているのか、という説明もパネルでされていました。それを大体説明したのですが、「そんな複雑な意味があるなんて!」と日本人の信仰心の深さにびっくりしていました。

 私が個人的に驚いたのは、建物の頑丈さ。当時の技術でできる限りの耐震構造となっていました。あえて、建物の基礎部分を「揺れやすく」しているのです。今でも、地下部分にゴム状の物質を入れて、揺れを吸収し、上の建物部分に揺れを伝えない、という構造があります。それと同様、この三十三間堂の地下部分は揺れやすい物質を多く使用し、地震が起こった時にその揺れを地下部分で吸収するというシステムにしているのです。地震は起こってしまうものだから、それにどう対抗するかではなく、どう受け止めるかという考え方が面白いと思いました。

 また、暑い京都でも、三十三間堂の中はそれほど暑くありませんでした。保存のためある程度の温度管理はしていると思います。が、隙間風などが入ってくる場所もありました。それでも、中は涼しくてびっくりしました。

 三十三間堂は有名な観光スポットだと思いますが、稲荷大社のように、たくさんの外国人観光客が来ていました。特に多かったのが、ロシア語圏の人たちでした。他の場所では、アメリカ人や中国人を多くみたのですが、三十三間堂ではロシア語圏の人たちがたくさん居ました。ロシアやロシア語圏には華やかな城がたくさんあるイメージを私は持っているので、金が多く使われている三十三間堂に興味を持つのかな、と思いました。

いざ清水の舞台へ! [旅'14]

 錦市場から歩いて、バス停へ。大きな通りにはバス停がいくつかあるだろうと思っていたのが間違い、なかなかバス停を見つけることが出来ません。結構歩いて、烏池通りまでやってきました。そこに地下鉄はあるものの、バスはあまり便数がありません。そこでバス停に居た地元のおばちゃんに聞いてみることにしました。バス停に居た地元のおばちゃん、結構元気で、隣にいたドイツ人の学生に話しかけていました。彼は日本へ来たばかりで、日本語があまり分からないようで、会話も平行線状態が続いていました。

 ドイツ人の相手をしていたおばちゃんにバスの行き先を聞いたりしていると、このドイツ人の学生も清水寺へ行きたいということが分かってきました(もちろん英語は問題なく喋ることができたので)。フランス人の友人、ドイツ人の学生と一緒に清水寺へ向かうことになりました。方向音痴の私が案内係になってもよいのか、と思いましたが、ここは前進あるのみ!

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 更にバスを乗り継ぎ、なんとなか清水寺に一番近いバス停に到着。と言っても、長い坂を上ることになりましたが。小さい頃祖父に連れられて行った記憶がありますが、これほど上り坂が続く場所だとは思いませんでした。暑い中、なんとか清水の舞台に到着。個人的にはこの舞台からの景色が好きなのですが、やはり「清水の舞台から飛びおる」という表現を知っていないと、ちょっと理解が難しいのかもしれません。一応ドイツ人の学生とフランス人の友人に説明したのですが、「ふーん」という反応だけでした。

 それより、靴を脱いであがる本堂の方に興味を持っていました。靴を脱いであがり、正座をして、お参りする、というのがとても珍しかったようです。

 暑い中上ったので、帰りは坂の少ない道(傾斜が緩やかな)を通って帰りました。

錦市場へ [旅'14]

 タクシーで移動した翌日、この日メインの移動手段はバス。この日は錦市場、清水寺、三十三間堂を回ろうと思っていました。どこもバスで移動出来そうだったので、一日バス乗車券を購入。初乗りが230円だということを考えると、一日乗車券500円は手頃な値段だと思います。

 事前にしっかりバス路線図を確認すると、乗り換えは京都駅。新幹線でこの駅に着いた時、「ずいぶんと大きな駅だ」と思いました。タクシーもたくさん、バスの乗り場もたくさん。アルファベットと数字で乗り場が表示されているのですが、どういう表示方法になっているのか、すごく分かりづらかったです。

 交通整備をしているおじさんに聞いて、錦市場へのバスを見つけ、市場へ。普段日にもかかわらず、たくさんの人が来ていました。食品が多く売っていて、商店街というより、本当に「市場(マーケット)」という感じでした。友人もフランスの「市場」とは異なる錦市場を面白そうに見ていました。

 まず最初に寄ったのは靴下屋さん。友人がフランスへ持ち帰るお土産を買うためです。まだお土産を買っていない人がいたので、その人のために靴下を買うことにしたようです。喜ばないかもしれないけれど、日常に必要なものだから、という理由でした。足の指が一つずつ分かれた靴下を買いたいようでしたが、サイズの大きなものはあまり種類がありませんでした。色々迷って、購入終了。

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 その後はとにかく歩いて、見て回りました。「市場」というと、私は魚市場を想像してしまいます。が、ここの錦市場は野菜、京野菜が多かったです。特に漬け物の店が多かったです。そして、京都産のトマト、というのも店で買って食べてみました。1個300円するトマトでしたが、とてもおいしかったです。フルーツみたいな味でした。

 また個人的に驚いたのが、昆布、わかめなどの海藻屋さん。大きな昆布が売っていましたが、そのほとんどが北海道産(羅臼etc)。札幌に居るとあまり実感しませんが、確かに北海道は海藻が多く取れる場所かもしれません。

タクシーで最終目的地へ [旅'14]

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 天龍寺を見た後は、嵯峨野の大きな通りをブラブラ歩きました。観光地という感じで、八つ橋、チリメンで出来た和風小物など、たくさん売っていました。改めて、京都が観光地だ、と思わされます。その通りを抜けて、渡月橋(とげつきょう)と桂川を見にやってきました。この川と橋は、なんとなく見覚えがありました。木で出来た橋を見て、一休さんのトンチを思い出してしまいました(「橋/端を歩いてはいけない」)。小さい頃に読んだ一休さんの絵本で、彼が渡った橋は木製。私は木製の橋を渡った記憶が無いので(公園のアスレチック用の橋は多くが木製で、何度も渡りましたが)、とても珍しいなあと思いました。木製の橋を見慣れているのか(フランスは石製の橋が多いと個人的には思いましたが)、友人は「この川に出来ている段差は自然の物か?」ということを仕切りに気にしていました。タクシーの運転手さんに聞いてみると、「もちろん舗装はしているけれど、段差は元からの地形」と言っていました。と、友人に説明したのですが、これほど大きな段差が自然で出来るのか、ちょっと信じることが出来ていない様子でした。

 9時から開始したツアーも終わりに近づいてきました。8時間という約束だったので、17時にツアー終了。本当にたくさん回った一日で、私たちも疲れて切っていました。早くホテルに戻ってくることが出来て、良かったです。

 が、17時でツアーが終わるはずがありません。夕食を早めに食べて、夜の街へ出かけて行きました。というのも、午前中、祇園の街へタクシーで連れて行ってもらいました。辰巳神社という舞妓/芸者さんの神社も見て、「舞妓/芸者ってどんな人なの?」と友人に聞かれていたからです。もちろん、日本の固定観念として、舞妓/芸者に関することはいくつか知っているようでした。それが正しいか間違っているかは別として、一度どんな人か見てみたい、とのことでした。私たちが祇園へ行ったのは、昼間。そのため、彼女たちはまだこの界隈に来てはいませんでした。「夜来て、もしラッキーだった見られるかも」とタクシーの運転手さんに言われ、また夜に祇園へ戻ってきたというわけです。

 ホテルは鴨川近辺、徒歩で行くことにしました。橋を渡って、鴨川を挟んでホテルやレストラン、飲み屋を見ると、とてもきれいでした。明かりが川に映っていて、昼とは全く異なる雰囲気でした。昼間、建物自体黒っぽく、営業をしている場所も少ないので、少し暗い印象でした。が、夜になると、それが一気に明るくなり、建物の色は夜の闇に紛れてしまい、賑わっている部分だけが目立ち、明るい印象になります。昼の暗さと夜の明るさ、面白い組み合わせだと思いました。

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(昼間の祇園)
 そういった場所を過ぎて、祇園へ。驚くことに、ほとんど迷わず目的地へ着くことが出来ました。カメラを持った観光客数人が既に到着していました。タクシーもたくさん通りますが、たいていは空車。もう既に、お客さんを降ろしたか、これから迎えに行くかのどちらかでした。30分近く待ちましたが、結局芸者さんを見ることは出来ず。翌日の新幹線が夜出発のため、駅へ向かう前にもう一度この祇園へ来てみよう、ということになりました。