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意外な凱旋門 [旅'12]

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 この秋から、第二外国語としてフランス語を勉強している妹と話をしていて、パリにある凱旋門の話になりました。普段私たちが見る凱旋門とは違う角度から撮影された写真を見たようで、「あんなに車が通る場所にあるとは思わなかった」という感想を漏らしていました。確かに、あの車の量は私も最初はびっくりしていまいました。「エッフェル塔と並んだ名所が、これほど排気ガスにさらされているとは」とも思ってしまいました。そのため、 良い写真を撮るのは至難の業です。門の周りを車だけでなく、2階建て観光バスもひっきりなしに通るので、凱旋門だけ、というのはかなり難しいです。

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 パリ、凱旋門というと、Place d’Etoileにある凱旋門(エトワール凱旋門)が有名ですが、他にも色々な凱旋門があります。まず、 エトワール凱旋門の元版と言われている凱旋門、Arc de Triomphe du Carrousel(カルーゼル凱旋門)。元々、ナポレオンの勝利記念で建てられたもので、ルーブル美術館の横にあります。シャンゼリゼ通りから移動してきたわけではありません。この美術館、元々宮殿だったので、その横に建てたというわけです。が、「小さすぎる」とナポレオンが満足しなかったため、この門を建て始めたのと同時に、Place d’Etoileにも作り始めたというわけです。カルーゼル凱旋門が20m足らずという高さに比べ、エトワール凱旋門は50m近くあります。背の低さがコンプレックスだったナポレオン、大きい物好きだったのだと思います。彼の性格がなかったら、パリのシンボルであるエトワール凱旋門も誕生しなかったというわけです。

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 そして、「少し違うパリ」(と日本から持って来たガイドブックには紹介されていました)という特集で紹介されているのが、「現代的な」凱旋門。La Défenseという場所にあります。厳密に言うと、「パリ」ではありません。その証拠にパリ中心地から地方電車でこの場所へ行こうとすると、料金が変わります。イメージとしては、パリのウォール街、という感じです。大企業の(電気会社など)ビルがずらりと並んでいて、そのシンボルがGrande Arche(大きな門)です。少し産業的な門で私はあまり好きではないです。

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 が、洒落たからくりがあって、この門の前に立つと、エトワール凱旋門が見えるのです。このGrande Archeに行った時は晴天で、とてもよく見えました(写真では見づらいので、赤く囲ってみました)。

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 最後に、日本人の間であまり知られていないのがPorte de Saint-Denisと言われる門。ウィキペディアで検索してみましたが、日本語のページは存在せず。治安があまり良いとは言えない10区にあるので、知られていないのかなと思います。この門の存在は全く知らず、たまたま10区へ行った時に発見しました。門の薄さにびっくりしたのですが、これも一応凱旋門。

 サイズ、門がある場所、などを見ていくと、「凱旋門」と一口に言っても、色々あるのだな、ということを実感します。もちろん、パリに限らず、ヨーロッパの他の場所にも凱旋門は存在します。ローマにも古い凱旋門が色々あるようです。

 さて、ジュネーブに居るのに、なぜ(パリにある)凱旋門の話をしているのか。実は、アメリカの大統領選が終了し、自分の企画の最後(結論)を考えている内に、凱旋門のことを思い出し、少し脱線してしまった、というわけです(オバマ再選→シカゴに凱旋→凱旋門)。というわけで、次回は「選挙と『ザ・ホワイトハウス』」の最終回。

Cerbèreへの旅 最終回(番外編:住居探し) [旅'12]

 何度もこのブログでも書いているように、フランス人(ヨーロッパ人)のバカンスの過ごし方は、基本のんびり。普段の忙しい生活から逃れて、のんびりし、新学期に向けてリフレッシュする、というのが根底にある考え方のようです。そのため、出来ればメールという仕事を思い出すようなものは出来れば避けたいもの。私も一応コンピュータを持参して行ったのですが、「出来れば使いたくないなあ」と思っていました。が、新学期直前のこの時期、翌年の住居を探さなくてはならないため、結果的に毎日コンピュータに向かうことになってしまいました。

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 私たちが滞在していたCerbèreには、カフェがいくつかありました。が、Wifiを設置しているのは1つだけ。そのため、そのカフェには毎日足繁く通うようになってしまいました。コーヒー1杯で、1時間近く粘りました。暑い日も続いたので、冷たい飲み物を注文する時もありました。多分、この滞在中、一番通った場所だったと思います。

 幸か不幸か、早く来年度以降の住居を見つけたいのに、この時期、なかなか作業は思うように進みません。大学職員といえども、ヨーロッパのどの国でもたいてい、2週間ほど夏休みをとるので、連絡をとれない、ということがよくあるのです。電話をしても、メールをしても「海外に居るので、連絡がつきません」というメッセージが返ってくるだけです。

 私は来年度、大学の寮を申請しているのですが、未だに結果待ち。他の人は、寮に入ることが出来た、拒否された、と一応結果をもらっているのですが、なぜか私は「キャンセル待ち」のリストに入っていました。返事を催促しても、「夏中に結果が分かる」という答えが返ってくるだけ。「夏中」とは8月下旬、下手したら9月上旬までカバーする言葉です。上手い返信だな、と感心してしまいましたが、困るのは、私。キャンセル待ち、というわけで、寮に入れない可能性も大きくあります。困った私は、個人的に探してみることにしました。2年前、パリのアパート(結果的のホームステイという形になりましたが)を探した時は、ラッキーにもすぐに見つけることが出来ました。日本という離れた土地に居ながら、一発で住む場所が見つかったのは奇跡に近かったのだ、ということを、今回住居探しをしながら感じました。

 色々ながっかり、喜びを経験しながら、なんとか住む場所を見つけました。バカンス中でも、毎日このカフェに通った甲斐がありました。

Cerbèreへの旅 その6 [旅'12]

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 新しい物を見ることが出来た、ダリ美術館でしたが、少し不満の残る点もありました。それは、説明が足りなかった点。芸術は見た人が思ったように解釈すれば良い、と私は考えていますが、最低限の情報は必要不可欠だと思います。例えば、パリのオルセー美術館は展示が小さなブースに分かれ、必ずブースの入り口にそのテーマの説明があります。例えば、「18世紀のオランダ美術」がブースのテーマであれば18世紀のオランダ美術とは何を指すのか、またどういった画家が中心となっていったか、という説明が(フランス語だけでですが)なされています。が、ダリ美術館には一切そういった説明がなく、困ってしまいました。ダリは夢診断を受けたり、パリでピカソなどとふれあったり、色々な経験をしています。各作品が、そういった経験前、後に作られたのかということが少しでも分かれば、もっと深く作品を鑑賞出来たのではないかな、と思いました。

 そして、ショックだったのはダリ美術館がある町。美術館には観光シーズンということもあって、たくさんの人が来ていました。しかし、その周りの店はシャッターが閉まっていたり、閑散としていました。バカンスシーズンで稼ぎ時なのに、と思ってしまいましたが、よくよく見ると建物に「売り出し中」の看板が掛かっていました。そう、売りに出されている物件がやたら多いのです。また、建設途中のアパートや立体駐車場も多く見られました。バカンス中だから、仕事を中断しているわけではありません。スペインは、EUの中でも経済危機に陥っている国。数年前までは建設バブルで、とにかくアパートや建築物が多く建てられたようです。しかしこの世界の経済悪化で、新しい建築物の買い手が現れず、支払いもしっかりされず、中途半端なまま放置されているという状態のようです。壊すこともなく、そういった建物が多く残されていて、ゴースタウン化していました。

 そして、やたら目についたのは、何をすることもなく、朝からウロウロしている若者達。スペインは26歳以下の失業率が60%近いと言われています。新聞やテレビでそういった情報を手にしているものの、実際目にしてみると、驚きです。パリだと、夏休みの今、若者(私のような学生)にとって、お小遣いの稼ぎ時で、色々な場所で「つらい」仕事をしているのを目にします。単純なレジの作業や、観光名所で人力車のようなものを引っ張ったり。正社員はバカンスをとるため、その穴埋めとして、若者が借り出されている印象を受けます。しかし、スペインではそういったこともなく、暇をもてあましている若者が昼間からウロウロしていました。夏休み中の短期の仕事でさえ、見つからないようです。パリでは見かけないような風景で私はびっくりすると同時に、「これが若者の失業率60%の実体か!」と思ってしまいました。

Cerbèreへの旅 その5 [旅'12]

「スペイン人、フランス人である前に、私たちはカタラン人である」というのが、カタルーニャ地方に住む人達のセリフ。彼らはカタラン語と呼ばれる言葉を使い、主に南フランスから北(東)スペインで使われています。例えば、バルセロナではスペイン語とカタラン語の両方が使われています。蛇足ですが、バルセロナ大学に留学した友人は、「大学のホームページの情報が、スペイン語では少ない!」と嘆いていました。こういったことからも分かるように、カタラン語は今でもスペインで大きな影響力を持っています。私たちが滞在した地域もスペインに近いこともあり、スペイン人というよりカタラン人である、という人に多く出会いました。公用語の問題など、色々あるようですが、彼らが誇るカタラン人が居ます。それは、画家のダリ。スペイン人、というイメージが強いですが、カタラン地方出身です(私が持っている電子辞書の百科事典には、「カタラン出身」と書かれていました)。

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 そして、彼の生誕の地、Figueresにはダリ美術館がありました。どんなものか、行ってみることにしました。ダリと言えば、あのひげで有名ですが、私がダリと聞いて思い出すのは夢の世界を描いた「記憶の固執」です。中学の美術の教科書に載っていて、授業中にパラパラ見ながら「なぜ時計が液状化しているんだ?」と思ったことを記憶しています。

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 舞台装置にも興味を持っていたダリ、ローマ時代に舞台として使われた場所を自分の美術館として使用することにしたようです。通常、ある画家の美術館というと、後生の人が作るイメージがあるのですが(例えばゴッホ美術館)、この美術館は彼のプロデュースによるもの。入り口から異様な雰囲気が漂っていました。

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 この美術館で見つけた私のお気に入りは2つ。リンカーンの肖像画。これは一度近くで見て、「よく分からない作品だな」と感じたのですが、遠くから見て納得。近くで見ては分からなかった女性の後ろ姿まで見えてきて、びっくり。「木を見て森を見ず」ということは、まさにこのことか、と思ってしまいました。近くで見ると、全く分かりませんが、遠くから見ると(ぼやけた印象でも)リンカーンと分かります。こんなぼやけた印象でも分かってしまうリンカーンの影響力もすごいと思いますが、微妙なさじ加減で理解させてしまうダリもすごいと思いました。

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 そして、個人的に一番気に入ったのが、フェルメールへのオマージュ。私の好きなフェルメールに大きな影響を受けたようで、色々な作品に彼を登場させています。中でも、この絵は一瞬「フェルメールが描いたのか」と思わせるほど、このオランダ人画家の作風が出ています。しかし、いたずら心たっぷりで自分の顔を描いているところが笑えます。

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 またこのメインの美術館横には、小さな宝石美術館もありました。ダリが設計した宝石が色々と展示されていました。写真は本物の心臓のように、ハートが脈打つ宝石。実際身につけることを目的としていない宝石が多かったので、あくまでも鑑賞用。この宝石のプロデュースには、私もびっくりしてしまいました。彼の作品の多くは、夢の世界を描いたり、非現実的なものが多かったです。ある意味、実際に見たり、触ったり出来ない物を絵画で表現している印象を受けました。しかし、宝石は(鑑賞用といえども)触ったり、見たり、現実的なもの。そんな両極端の芸術に興味を持っているということに驚きでした。ただ、そういった両極端の芸術にも共通点があって、「狂気」でした。鑑賞している私たちが考えつかないような世界を描いたり、作ったりしている彼、常識から脱する狂気がなければ、完成できないような作品、という点はどの作品にも見られました。アリストテレスは「狂気を少しも含まない成功者は絶対にいない」(No great genius has ever existed without some touch of madness.)と言ったようですが、ダリの作品を見ているとこの言葉がよく理解できました。

Cerbèreへの旅 その4 [旅'12]

 フランスは、場所が変われば、各地でおいしいものに巡り会えます。スペインとの国境地帯も例外ではありません。この場所で食べた、おいしいものを今回紹介していきたいとおもいます。

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 バカンスに出発すると、必ず1週間は同じ場所に滞在するフランス人。キッチン付きのコンドミニアムのようなところに滞在します。私のホストファミリーは食べるものに関して、情熱や時間などをかける人なので、キッチンが揃っているアパートを選びました。このアパートには、planchaという鉄板も用意されていました。planchaはスペイン語で「鉄板」という意味で、この鉄板で料理したものをフランス語ではà la plancha(「鉄板風」)という風に呼んでいます。この料理、野菜や肉または魚を切って、鉄板に載せ、焼くだけというかなりシンプルなもの。しかし、シンプルなバーベキューより私は、好きになりました。

 まず、食材の味がよく出ます。食材の良さなどを語れるほど、食材の通ではありません。そんな私でも「いつも食べているトマトより数倍おいしい!」と言えるほど、食べ物の味がしっかりと出ていました。南の暖かい場所、というだけあって、トマトがかなりおいしかったです。暑い昼に、トマトで赤くなった料理に、赤い辛いソースをかけて食べると、とてもおいしかったです。

 そして、魚も獲れたて。ホストファザーと一緒に、港へ行って、獲れたての魚購入しを調理したこともありました。日本で食べるような白身魚もあり、懐かしい味がしました。もちろん、これも鉄板で焼いてしまいます(魚がこびりついて、かなり掃除が大変なのですが)。鉄板でもおいしいのですが、個人的に、白身の魚はフライで食べたいなあと思ってしまいました。

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 そして、スペインで欠かせないお酒がサングリア。神秘的な名前だ、と思っていたのですが、飲み物自体も真っ赤で結構ミステリアスでした。赤ワイン(安物)に、フルーツ(グレープフルーツなど)を入れた飲み物です。かなり甘いので、お酒に弱い人でも飲めるアルコールだと言われています。そのため、お酒が飲めない私は期待して飲んでみたのですが、やはり強かったです。「こんなに甘くても、飲めないの?」とフランス人には飽きられてしまいましたが。

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 おいしいものだけだった、というわけでもありません。サラダでは少し苦労しました。初めて行ったレストランでは、前菜にサラダが出てきました。食べてみても、何も味がしません。素材が良いから、そのまま食べろ、ということかな、と思い食べ続けました。大しておいしいと思わなかったのですが、当たり前。ドレッシングをかけなかったからです。他の地方がどうかよく分かりませんが、この地方ではドレッシングを自分で「作る」のが当たり前。酢(ワインビネガー)、オリーブオイル、塩、コショウがテーブルの上にあるので、自分で適当に混ぜて作るというわけです。2回目以降はこの失敗を生かして、自分なりにドレッシングを作ってみたいのですが、あまり上手くいきませんでした。フランスではどの家庭でもサラダのドレッシングは、お手製。毎回色々な家に行くたび、おいしいドレッシングを発見するのですが、今回自分で作ったものはおいしいと言えませんでした。自分の好きなマスタードが足りないような気がしました。残念。

Cerbèreへの旅 その3 [旅'12]

 前回の山火事事件の続きです。車の中で一晩過ごすのは無理だ、という意見でフランス人は一致したようで、ホテルを探しますが、もちろん既に満室。

 フランスまで火が広がった、と聞くと、自分たちが滞在しているアパートも少し心配になってきます。私も大切な情報が詰まった(ブログに載せる写真や原稿が全て入っている)コンピュータが焼けてしまったらどうしよう、と少し心配になってきました。が、なかなか情報が入ってきません。スペインの警察も、予想以上、対処能力以上の火事が起こったため、パニックに陥っていました。

 私たちが居たカフェの前に歩行者天国があり、その先に病院があったようでした。そこを往復するパトカー、歩行者天国にもかかわらず、時速80キロ以上で走っていました。私は火事以外に、このパトカーが事故を起こさないか心配になってしまいました。何が起こっているのか、スペイン語での情報も回ってきません。

 一体どうなっているのか、情報を収集するため、臨時の避難所へ向かいました。車を山道に残してきた人達の避難所でした。しかし、「今のところ新しい情報はありません。最新の情報はここに入ってくるので、またしばらくしたら来て下さい」と言われてしまいました。

 結局どうすることも出来ず、ホストファミリー内でもかなりイライラが募っていました。そして、混乱したスペインを散歩する組と車内で睡眠をとる組に分かれることにしました。もちろん、私は車内で睡眠。夜行バスでの移動に慣れているため、車で寝ることに抵抗はありませんでした。日本のように熱帯夜ということもなく、クーラーなしでも涼しかったです。

 そしてのんきに寝ていると1時頃、たたき起こされました。ようやく、フランスへ向かう道路が開通した、とのこと。「行ったその日」には帰れなかったけれど、山火事後4時間で帰宅できました。これは予想以上の短さでした。

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 もちろん、翌日の朝刊トップ(地方紙)はこの山火事。異常な乾燥と強風、という条件が重なり広範囲にわたって、山火事が広がったようです。後日(この山火事が少しトラウマになったのか、1週間ほどスペインには行きませんでした)、山火事の現場を通ったのですが、真っ黒。1週間経っても、炭素の臭いがたくさんしました。不幸中の幸いは、火災現場近くのガソリンスタンドが爆発を起こさなかったこと。初スペインは強く、印象に残るものとなりました。

Cerbèreへの旅 その2 [旅'12]

 到着した翌日、自分たちが滞在する近辺を探索しようと、スペインとの国境を越えてみることにしました。EUになって以来、入国審査はなくなったのですが、山道のため、距離以上に時間がかかりました。またバカンス中ということもあって、たくさんのキャンピングカーもあり、渋滞。日曜日なので、人が出歩かないだろうと思って出かけたにもかかわらず、見事にその予想が外れ、色々な意味で、スペインを堪能することが出来ました。

 やっとのことで到着したスペイン。私にとっては、初めての国です。大学で1年半スペイン語をやったので、興味がある国でもありました。標識なども、スペイン語とよく分からない言語(後にカタラン語と判明しましたが)の2ヶ国語標識になり、いよいよ自分が知らない国へやってきたのだと、実感しました。

 知らない場所へ着くと、とりあえずバー(またはカフェ)を探すのがヨーロッパ人。フランス人の家族と旅しているので、カフェへ向かいました。慣れないスペイン語でオレンジジュースを注文しました。相手も私のスペイン語を理解してくれたようで、無事にオレンジジュースを飲むことが出来ました。外国語が苦手なフランス人も一応スペイン語は同じラテン語系ということで、何とか意思疎通が出来るようです。面白いことにこの国境地帯の地域はお互いが、外国語を話すという状況をよく見かけました。スペイン人はフランス語を、フランス人はスペイン語を話そうと苦労していました。

 各自飲みたいものを注文し、好奇心旺盛なホストマザーが質問。「フランスとスペインの国境近辺、週末は常に渋滞しているの?」とカフェの人に聞いてみました(フランス語で)。日本人の私からすると、週末はどこへ行っても人が多いという感覚です。が、日曜は休む日と捉えるフランス人、納得がいかないようです。すると相手は片言のフランス語で、「大きな火が今日はあるから」と答えてくれました。大きな火、夏ということで花火なのだろうという話になりました。せっかくだから、花火でも見て行くか、という話になり、私たちはカフェに長居することにしました。

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 のんびり話をしていて、ふと山を見ると火が上がっています。「山火事?」と思い、慌ててカフェの従業員に連絡すると、相手も真っ青。消防署に連絡しますが、簡単に行けるような場所ではありません。山道のため1.5車線ほどしかありません(一応2車線ありますが、狭いため、2台の車がすれ違うのは不可能)。更に、バカンスシーズンの今、キャンピングカーが渋滞。果たして、大きな消防車があの場所にたどり着けるのか、ハラハラしながら見ていました。(後日の報道で知ったのですが)スペインは60年に1度と言われるほど、乾燥した夏を迎え、この日は風も強く、一気に火が広がってしまいました。

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 たった20分の間にここまで火が広がってしまいました。現場で車を残し、山を下って来る人も多く居ました。やっとのことで消防車が現場に到着しましたが、簡単に消せるような火ではなくなってしまいました。もちろん道路は通行止め。フランスへ戻る道路は2本あるのですが、1本は数時間前にあった山火事で通行止めになっていました。鎮火はしたようですが、道路はまだ通行止めとなっていました。そのときに、私たちはようやく気付きました。カフェの人が言っていた、「大きな火」というのは花火ではなく、本当に大きな火、山火事だったのです。別の山火事は鎮火したようですが、この山火事はフランス側にも広がっていったようです。私たちがフランスへ戻れる見込みはますます低くなっていきました。

移動手段 その2 [旅'12]

 日本では格安航空会社が話題となっていますが、もちろんヨーロッパにも存在します。電車よりも、バスよりも早く移動出来る飛行機は、利用方法によってはかなり便利です。短い期間の滞在となったナポリへは、飛行機で向かいました。色々ある格安航空会社から私が選んだのはEasyjet。インターネットや友人からは様々な評判を聞いていましたが、色々な意味で大変な移動でした。

 まず空港が慣れたシャル・ド・ゴール空港(Aéroport Roissy-Charles-de-Gaulle)ではなかったこと。初めてのオルリー空港(L'Aéroport d'Orly)だったので少し苦労しました。バス停から更にシャトルバスに乗って移動しなくてはならず、苦戦しました。RERというパリの電車一本で行けるシャル・ド・ゴール空港とは大違い。しかし、この空港が出来るまでは、オルリー空港がパリの国際空港でした。その名残で、首脳はシャル・ド・ゴール空港に下りるのではなく、必ずオルリー空港に到着するのだとか。

 そんな初めての空港内、Easyjetの受付を探すにも苦労しました。地下のようなところに、小さく設けられていました。私はチケットを印刷していかなかったので、受付で発券してもらう羽目に。荷物を預ける人達の列に並んで、順番を待ちます。

 出発まであまり時間がない、と少し焦り始めたころ、ようやく発券してもらいました。私のチケットを発券すると、ラストコールを始めました。発券してもらったチケットを見てみると、以下のようなことが書かれていました。
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 これは単なる脅しではなく、本当のこと。私の後ろに居た、ニースへ向かうお客さん。受付が閉まった5分後に到着したのですが、受付のお姉さんは「もう受付は閉まりました。ニースへ向かう場合は、次の便を予約してください」と言うだけ。格安航空券だけあって、こういった部分はかなり厳しいです。

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 飛行機に乗るまで、不安は続きます。機内持ち込みの荷物のみが無料で、荷物を預けるとなると50€取られます。滞在予定3日分の荷物をなんとかリュックサックに詰め込みましたが、少しパンパン。搭乗入り口前にも、規定サイズの容器が置いてあり、少しでも荷物が大きいとその容器に入れ、規定範囲内の荷物かどうかチェックされます。押し込むのではなく、すんなり入らないと追加料金を請求されます。私の荷物、すんなり入るかどうか微妙。そこで、荷物が確実に大きそうな人の後ろに並ぶことにしました。予想通り、私の前の人は止められてしまいました。係の人、ここで列を止めるわけにはいきません(出発時刻を遅らせないように)。そのため、私は容器に荷物を入れるよう言われることなく、搭乗できました。帰りは、荷物をこれ以上増やさない、と決めて、イタリアへ出発しました。

移動手段 [旅'12]

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 ヨーロッパを旅行する際、よく使ったのが電車。特にフランス内は、頻繁に電車で移動していました。北海道という島に住んでいると、飛行機の方が便利で、道外へ行くときの移動手段は常に飛行機、本州に上陸してからは夜行バスという方法でした。フランスは陸続きの国であるせいか、電車での移動がメイン。SNCFという日本で言うJRのようなものが存在し、国民の足となり、また悩みの種になっています。

 パリだと様々な大きな駅から、各方面へ行くことが出来ます。同時に、パリそして各都市では頻繁にSNCFのストが起こっています。国鉄のため、少しでも自分たちに不利な条件が出されると、すぐにスト決行。これがバカンス初日のかき入れ時であっても関係ありません。そして、フランス人の間で言われているのが「バカンス初日は絶対に電車が遅れる」ということ。ジンクスなのかよく分かりませんが、初日は機械が動かなかったり、線路トラブルが発生したりよく足止めをくらったお客さんがニュースに出ています。私もフランスに居る間、二度ほどそういった目に遭いました。

 まずは、「機械的問題による」遅れ。フランス人の友人と旅行していた時のことなのですが、帰りの電車が40分ほど遅れました。遅れるということは前々から分かっていたのですが、どれほど遅れるのかの情報は全く流れませんでした。到着予定時刻ほどになると、ようやく車掌さんが出てきたので、聞いてみました。すると、「機械的問題(による、遅れ)」とのこと。興味本位で遅れの理由を聞いても、なぜか答えを濁します。一体どういうことなのか、と友達と一緒に問い詰めてみると、「人員的問題」でした。要するに、運転手さんが時間通り電車を発車させなかったということでした。つまり、運転手の遅刻。この日はちょうどバカンスに入る時期だったので、人員交代の時期。その交代連絡が上手くいかず、担当の人が遅れてきたとのことでした。通常なら、「技術的問題」という表現をすると思います。が、今回は電車という乗り物、機械を運転する人が不在、ということで「機械的問題」と表現していました。なかなか上手い言い訳を考えた車掌さんでした。

 次は、「不思議な電車消失」事件。ジュネーブからVichyという小さな町に向かう時のこと。この区間は直行便が存在しないため、リヨン経由で向かいます。帰りの便だったので、リヨンは初めての駅ではありませんでした。しかし、乗り換えの時間は20分ほどしかありません。電車を降りてすぐに、次自分が乗る電車を電光掲示板で確認します。自分の電車出発予定時刻は17時40分。その時刻出発の電車の行き先は、自分が知らない地名。終点がいつもと異なる場所なのか、と思い、確認のため受付へ向かいます。すると、「この電車はキャンセルされました」との返事。「え?なぜ?」と聞いても、「そういった情報がこちらに入っていません。1時間後、同じ場所に向かう電車が来るのでそれに乗りなさい」と言われるだけ。その1時間後の電車、確かに私の目的地を通過するものでした。しかし電車の番号は自分が乗るはずだったものと全く異なります。こういった長距離の電車内では、車掌さんがチケットを点検して回ります。そして、電車のチケットでないと、罰金が取られるということもあります(これは容赦なく請求されます)。罰金を請求されたらどうしよう、と不安になりながら乗りましたが、結局問題なく目的地に到着。しかし未だに電車がキャンセルされた理由は分かりません。まさに、私が乗るはずだった電車が「跡形もなく」消えてしまった感じです。フランス人に問い詰めても、「SNCFは常に、説明不可能な理由で遅れたり、勝手に電車をキャンセルする」という答えが返ってくるだけでした。

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 蛇足ですが、日本の新幹線に匹敵するのがTGV(Train à Grande Vitesse)という電車。この高速鉄道のロゴが写真のようなもの。このマークをひっくり返してみると、なんとカタツムリに見えるのです!フランスと言えば、エスカルゴ、カタツムリの国。デザイナーが意図して作ったのか真偽の方は不明ですが、個人的には上手く出来たマークだと思います。

Cerbèreへの旅 その1 [旅'12]

 フランス滞在中最後の旅は、フランス国内。高校の時のホストファミリーと一緒に、南フランスへ向かいました。フランス人が南フランス、と言って想像するのは2ヶ所。マルセイユやニース、モナコ(リッチが多い)南東かトゥルーズやスペインに近い南西です。南東は観光シーズンの今、観光客も多いということで、人混みをさけて南西方向の南フランスへ。車で5時間かけて、向かいました。

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 とくにかく人混みを避けるため、宿泊する場所も小さな町、Cerbère。坂が多いため、子供やお年寄り連れには少しキツイ場所でした。そんな町で2週間のバカンスを過ごしました。フランス人と一緒のバカンス、1つの場所に滞在し、のんびり過ごすという日が続きました。ある程度の時間に起き、オリンピックを鑑賞しつつ、読書をして、昼食。その後はビーチに向かって、日焼けし、泳いで、読書という日が続きました。特にビーチはすぐ近くにあったので、毎日のように行きました。残念ながら水が少し冷たくて、長時間泳いでいることが出来ませんでした。しかし、イタリアに続いて初の地中海、日本の太平洋とは大きく異なりました。

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 まず、海藻が少ないため、水の中が明るかったです。小さい頃海へ行って、海藻に足が絡まりおぼれそうになったことがありました。かなり海藻が多い海で、海自体真っ黒で少し怖かったのを覚えているのですが、更に泳いでいる途中、足に海藻が絡まっておぼれそうになり、恐怖心が更に増しました。水泳をやっていても、やはり海で泳ぐことに少し抵抗がありました。しかし、地中海ではそんな恐怖心に遭遇しませんでした。海底が石または砂のため、水が透き通って見えます。ただ今回は(小さな)別の恐怖心に遭遇。水が冷たいため、泳いでいる途中に足がつったらどうしよう、ということでした。幸い、冷たい水に長時間いても足がつることなく、水中散歩を体験することが出来ました。