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Tout est Permisを見て考えたこと [スイスでの生活]

 Tout est Permisは、スイスのホストファミリーと見に行ったのですが、その日の夕食は、ドキュメンタリーの話題で尽きませんでした。今でも印象に残っているのが、「合宿参加者は政府が国民を子供扱いせざるを得ない状況を作っている人たち。私たちも例外ではない」ということでした。この合宿参加者が、初期によく言うのが、「ルールや罰金を設定して、政府が私たちを陥れようとしている」ということでした。これに反論できる例が、スピードカメラの位置を政府がインターネットで公開している、ということでしょうか。もし、陥れる意志が本当にあるのなら、分かりにくい所に設置するだろうし、設置場所を隠そうとします。しかし、現実には、スピードが出そうな曲がり角や追い越しの多い場所に置いてあり、運転している人も簡単に予想できそうな場所です。ではなぜそんなことをしているか、というと、事故を起こさないため、ではないでしょうか。合宿の講師曰く、「罰金より、事故を減らして、社会保障の額を減らす方が国にとって儲けのよい話」でした。でもそのような交通ルールを守らない人が居るから、新たなルールを設置せざるを得ない。自由になりたくても、自分たちが自由にさせない状況を作り出している、ということです。ホストファミリーの言葉を借りると、「子供扱いする」ことを避けられない、ということでしょうか。

 更に怖いことに、ルールが出来れば出来るほど、思考の停止が多くなる、というわけです。これが一番怖いこと、のような気がします。例えば、道路のスピードは、場所によって決まっています。それをルール、として捉えてしまえば、思考もそこで止まってしまいます。かなり極端な例ですが、もしスピード規制がない道路があったら?どれくらいのスピードを出したら、危ないか、どれだけのスピードを出すべきか、と様々なことを自分の頭で考えなくてはなりません。もちろん、道路のスピード規制をなくすべきだ、というわけではありません。一種の基準として、ルールは必要だと思います。ただ、ルールが存在すればするほど、自分で考える、ということも少なくなり、思考停止に陥るような気がします。

 この映画を見た、数日後、日本の新聞に「自動運転(制御)の車発売」の記事が出ていました。ホストファミリーと一緒に苦笑いしてしまいました。

自宅でのパーティー [スイスでの生活]

 4月に、ホストマザーの働く劇場でイベントがあった後、「パーティーはよい物だね」という話になりました。その話の流れで、「日本へ戻る前に、友達を呼んでパーティーをしたい?」とホストファミリーが聞いてきました。4月時点で、どんな形にせよ、日本へ帰国することは考えていましたが、どういった形で離れるか、というのは全く考えていませんでした。そのため、最初にこの提案をされた時は「もう2ヶ月後に帰国かあ」と、漠然ながらも考えてしまいました。

 というわけでスイスを離れる5日前に、ホストファミリーの家で大きなパーティーを開きました。様々な人に招待状を(メールで)送り、20人以上の人が来ることになりました。私もここまで来るとは予想しておらず、どうしようか、と思ってしまいました。

 この日に来る半分近くが村に住んでいる人でしたが、中にはジュネーブ中心に住んでいる人も何人か居ました。このパーティーを開いた日は、日曜だったので、バスは1時間に1本。そのバスに乗ってきてもらって、私がバス停まで迎えに行くという形になりました。案の定、バスから降りてきた私の友達は「すっごい田舎だから、正しいバスに乗っているかどうか不安になった」と言っていました。ジュネーブ市内からたった20分といえども、中心地からの風景と村の風景では大きな違いがあるので、市内からは相当遠く感じます。 慣れていないと、バスに乗っていても少し不安になると思います。実際、2年前、初めてこの村に車で来たときも、「いったいどこまで田舎に行くのだろう?」と少し不安になったのを覚えています。

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(ホストファミリーが用意したのはピザ、私はテーブル用意など)
 料理が苦手な私が開催するパーティーなので、もちろん、buffet canadien、持ち寄りパーティーです。「各自の得意料理を持ってきてください」とメールに書いておいたので、皆が何を持ってくるのか楽しみでした。学校の友達、ランニングの授業で一緒の人たち、村のバトミントンクラブの人たち、フランスのホストファミリーなど、たくさんの人が来てくれました。このスイスのホストファミリーと引き合わせてくれた友人も来てくれて、とても嬉しかったです。彼女無しでは、このホストファミリーと会うこともなかったので。

 この日は運良く晴れてくれたので、庭で20人テーブルに座って、各自持ってきた料理を食べました。事前に打ち合わせすることがなくても、食事、おつまみ、デザートがうまい具合にそろいました。

 また、この日はクリスマスだったのではないか、というぐらい、たくさんのプレゼントをもらいました。スイスを忘れないように、とスイスに関連したプレゼントを色々もらいました。ジュネーブに来てから、もう2年も経つのか、と色々思い出して、泣きそうになりましたが、我慢しました。

 (当たり前ですが)招待客全員が私の知り合い、というちょっと不思議な感じのパーティーでした。それでもジュネーブを離れる前に、一度ジュネーブで会った人たちと話が出来てよかったです。このパーティーを手伝ってくれたホストファミリーに感謝です。
(私が2年間過ごした部屋もすっかり空に!)
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帰国準備 [スイスでの生活]

 日本対ギリシャ戦を、フランス語解説(スイスのフランス語圏テレビ・ラジオがネットで流している中継)を聞きながらの、荷造りが終了しました。試合はちょっと残念な結果でした。

 さて、学期末、ジュネーブを離れる準備、ということで、バタバタした日が続いていました。そして、明日(厳密には今日、金曜)にはもうパリへ向けて出発となりました。それまでどういったことがあったのかは、日を追って書いていこうと思います。

 というわけで、2年弱のジュネーブ生活が終了しました。「あっという間」でした。でも、この2年間、色々、本当に色々なことがあって、2年以上経ったような気もします。特にスイスのホストファミリーとは、一緒に生活しただけあって、たくさん話をしたし、たくさんのことをやりました。彼ら無しのジュネーブ生活は、考えられません。しかし彼らと知り合ったのは偶然です。当初、学生アパートの部屋が見つからず、友達の伝手でこのホストファミリーに巡り会いました。「家族の一員として生活すること」と「どちらか(私でも、ホストファミリーでも)嫌になったら、この生活は続けない」という条件で、ホストファミリーとの生活が始まりました。今考えると、契約書無しの生活は結構危なっかしかったかもしれませんが、結局、このホストファミリーとの生活は2年弱続きました。これまでにも、居候生活を色々な場所でしてきましたが、家族・親戚以外で2年近くも一緒に生活をしたのは、このスイスのホストファミリーが初めてです。

 (機関も通さず、決して「頻繁に連絡を取り合う」友達ではない人から紹介された)  赤の他人を、よくもホストファミリーは受け入れようと思ったなあ、と私は感心していました。が、ホストファミリーはホストファミリーで「スイスから遙か遠い日本から来て、よくもこんな小さな村の家族に住むなんて」と思っていたようです。会った時は案外、お互いに似たようなことを考えていたのかもしれません。

このホストファミリーの家を、今日で離れることになります。長く居すぎたのか、彼らの家を離れるという実感がありません。荷造りを終えて、空っぽになった部屋を見ると少しずつ実感が出てきますが、まだまだ「少し旅に出て戻ってくる」という感じです。多分、駅に行ったら実感するのでしょうか。SNCF(フランス国鉄)がまだストをやっているので、運行がかなり不安定なようです。問題なく次の目的地であるパリへ着けるとよいのですが(友達の結婚式があるので)。

郵便事情 [スイスでの生活]

 先日、日本へ送った郵便が届いたと母から連絡がありました。「すごい切手の貼り方だった」という感想を述べていました。写真を見てみると、やはり相当な切手の貼り方でした。今までいくつかの国で郵便を利用してきましたが、日本の郵便局の仕事が一番丁寧だと思います。スイスはフランスに比べると、結構丁寧ですが、やはり少し雑な時があります。

 例えば、先日、大学から「送った郵便物が戻ってきてしまったので、新しい住所を教えてほしい」というメールが届きました。2012年にジュネーブに来てから、一度も住所を変えていません。そして、今まで、問題なく大学からの手紙は届いています。「住所は変えていませんが」という返信をして2週間後、その手紙が家に届きました。新しい封筒(切手が貼られた)に全く同じ住所が書かれた封筒(大学に戻ってきてしまったもの、もちろん切手が貼られている)が入っていました。郵便配達人が私の住む村の地理に慣れていなかったのか、理由はよくわかりませんが、なぜか差出人に戻ってしまったようです。

 逆に、日本の郵便配達システムに感動したこともありました。クリスマス、妹に郵便を送ろうとフランスの郵便局へ向かいました(フランスから送る方が安いので)。が、郵便物が少し大きめだったため、別の用紙に住所を書かなくてはなりませんでした。封筒にも住所を書いておらず、妹の住所が書かれた紙を持ってくるのも忘れてしまいました。うろ覚えで、彼女が住んでいる市名、町名、アパートの名前(番号も分からなかった)、彼女の名前をアルファベットで書きました。郵便番号も本当は必要だったのですが、「無くても届く!」とフランス郵便局の人を説得して郵送しました。

 驚くことに、その郵便も無事に届きました。さすがに、アルファベットは読みにくかったらしく(フランス側はアルファベットで書け、と指示してきた)、日本到着後に誰かが漢字で書いた住所を郵便物に付けてくれたようです。このサービスの良さには、本当にびっくりしました。

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(像の右側がHelvetia、左がジュネーブを表す女性)
 ちなみに、スイスの切手にはHelvetiaという言葉が書かれています。現在のスイスが位置する地方のローマ名でHelvetiaと言われていたようです。Helvetiaを象徴するものとして、女神のような女性が、国のシンボルになっていてコインにも描かれています。スイスには公用語が4つもあり、どの言葉も同等に扱われるように決められています。そのため、「ドイツ語を話す人が多いから、ドイツ語優先」と必ずなるわけではありません(商品のラベルはたいてい、フランス語、イタリア語、ドイツ語で書かれていますが)。4ヶ国語で書くこともありますが、1つに選ばなくてはならない時、「スイス」を表すのがこのHelvetia、というローマ名になるわけです。ちなみに、ホームページアドレスの最後につく、「jp」や「fr」、スイスのホームページは「ch」となっています。これも、Confoederatio Helvetica(ヘルヴェティア連邦)というラテン語から来ています。フランス語でもたまに(少し詩的になりますが)、「スイスの」という形容詞、helvétiqueが使われることがあります。

Marathon de Genève 2014 レース編 [スイスでの生活]

 21時、特に運営上のトラブルも無く、Aグループが無事出発。1分ほど間隔を開けるのかと思いきや、10秒ほどでBグループも出発。Aグループに離されないよう、しっかり付いていくことにしました。付いていくだけでは50分を切れそうでは無いと思ったので、Aグループの真ん中の位置を目指して走っていきました。色々考えていましたが、意外に体が動いてびっくりしました。それでも、レース最後でエンジン切れしないよう、しっかり抑えていきました。

 さすが10kmというか、5kmとは異なる雰囲気でした。皆SEIKOやOMEGAのような腕時計を付けていて、1kmずつ走るべきタイムを登録していました。どのような仕組みかはよく分かりませんが、目的タイムと1kmずつのスピードを腕時計が計算してくれ、一定のタイムになると、アラームが鳴る仕組みのようです。そのため、1kmごとの看板に着く度、周りで時計が「ピーピー」なっていました。私は自分の最終タイムを知るため、ストップウォッチを付けていきましたが、レース中は絶対に時計を見ないようにしていました。タイムが速かったらスピードを出しすぎた、と慌てるし、遅かったら「もっと飛ばさないと」と慌てると思ったからです。いずれにせよ、少し焦ると思うので、走っている間は時計を見ない、と決めました。それでも、(自分には全く関係ないと分かっていても)周りで時計がピーピー鳴ると、少し焦りました。

 そんなことを考えていると、一気に街灯があまり無い村へ。この道、暗くてもあまり心配になりませんでした。なぜなら自分が住んでいる村だからです!堆肥の匂いがしてきて、少し自分に馴染みのある場所へ戻ってきた、という意識が強くなりました。自転車、車、徒歩で何度も通ったことがある場所なので、暗くても転んだらどうしよう、という心配は全くありませんでした。村にある大きな通りに着くと、ホストマザーの声が聞こえてきました。寒い中、走るのを見に来てくれたようです。まだ出発して3kmほどしか過ぎていませんでしたが、応援の声を聞くと嬉しくなって、少しスピードを上げました。

 スピードを上げましたが、人を抜かすのには苦労しました。10kmは男女混合のレースで、出発グループも、男女分けること無く、単純に申請タイムで分けていました。私がついていったグループはほとんど男性ばかり。みんな私より背が高く、体格も良く、自分の周りに大きな壁があるようでした。中には肘が私の頭の位置に来るほど、背が高い人も居て、顔面に肘突きを食らわないように気をつけていました。が、風が強い日のレースだったので、風避けにはとても便利でした。

 自分がいつも乗るバスの通行路もレースコースの一部。その道を通って、別の村へ向かいます。私が勝手に「金持ちの村」と呼んでいる、Colognyという村です。本州の人には分かりづらいと思いますが、ジュネーブの円山(札幌にある地区)、と言ってもよいと思います。この円山、文字通り山にある札幌の地区で、見晴らしが良く、有名人が住んでいる住宅街です。このColognyも似たような地区です。ジュネーブの中心街からは少し離れ、高いところにあるので、ジュネーブ全体を見渡せる位置にある村です。自ずとこの村の不動産の価値は上がります。ゴルフ場や壁の高い家、門から玄関まで遠い家など、普段見かけないような家がたくさんあります。壁が多いし、何も見えないと思っていましたが、たまにその家と家の間から、ジュネーブの夜景が見えてびっくりしました。夜景を見ながら走ることなど、なかなか無いので、走るのが楽しくなってきました。

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(ゴールはもちろん、ルマン湖沿い)
 下り坂も多くなってきたので、スピードをもう少し上げることに。坂道ばかりのコースだったので、スピードを上げるのにそれほど苦労はしませんでした。そして、 あっという間に最後の、大きな下り坂に、そしてラスト約2kmの湖沿いに。去年の5kmではこのラスト2kmが相当長く感じました。今回はそれほど長いと感じはしませんでしたが、やはり最後1.5kmは「相当長い距離だ」と思ってしまいました。

 結局タイムは驚きの46分。50分切りを最低限の目標にしていましたが、これほどよいタイムが出るとは思ってもいませんでした。高校の時に出した45分43には残念ながら届きませんでしたが、エンジン切れも起こさず、楽しい10kmでした。坂道が多く、高速コースだったことは事実ですが、次回はもう少し長い距離にチャレンジしてみたいと思います。

 レースを終えて帰宅し、詳しいタイムを見てみました。そこで、なぜエンジン切れを最後に起こさなかったが分かりました。前半5kmのスピードを抑えすぎたからです。最初の5kmは24分56秒。後半の5kmは21分。後半5kmは坂道が多かったとは言え、3分の差は少し大きすぎるような気がします。前半もう少しスピードを上げた方が良かったのかもしれません。次のレースがいつになるか分からないけれど、少し思い切って前半のスピードを上げるようにしていきたいです。

Marathon de Genève 2014 スタート準備 [スイスでの生活]

 レースは土曜の夜、21時開始でした。自分は練習でさえも、夜に走ったことがありませんでした。涼しい夜に走るのが好きな人も居るようですが、私は断然昼間に走る方が好きです。公共交通運行への影響を少しでも減らすために、夜にレースが行われたのだと思います。が、自分としては夜、街灯があまり無いような村でもちゃんと走ることが出来るか少し心配でした。探検家がつけていそうな、頭のランプを付けて走ることも考えたのですが、頭がかゆくなりそうなので断念。

 土曜のため、私が住む村から出るバスは1時間1本の運行。乗り遅れることが無いよう、早めに村のバス停へ。が、肝心のバスは走行路で行われていた10kmのコース準備の影響で、10分遅れ。バスが来るまでは、「自分が乗り遅れたのではないか?」とずっと心配でした。それでも無事にバスが来たので、一安心。

 運営側も一応、夜のレースということで、蛍光塗料入りのブレスレットを支給してくれました。コンサートで観客が付けているような細いブレスレットで、十分な明かりになるのかはよく分かりませんでしたが。

 理想としては晴天が良かったのですが、残念ながら曇り。またBiseというスイス特有の風もたくさん吹いていて、厚着で会場へ向かいました。先週までは20℃近くあって、Tシャツ短パンで走っていたのですが、この日は長ズボン、ヒートテック(上)、厚手のパーカー、Tシャツを着ていきました。暑すぎるかな、と思ったけれど、体が寒いまま走るのは嫌いなので(体が動かない感じがするから)、厚着でスタート場所へ。

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 昨年の5kmは持ちタイムが無かったため、最終グループからのスタートでした。が、今回の10kmは事前にタイムを申請し、そのタイム順にスタートグループが構成されていました。40〜50分未満がAグループ、50分から60分未満がBグループ、60〜70分未満がCグループ、という風になっていました。また、10kmウォーキングも10km走の5分後出発となっていたので、相当な人数がスタート地点に集まっていました。レース終了後に統計を見てみましたが、10km走に参加していたのは1800人!Escaladeの時は、スタート場所が狭くて、ギュウギュウ詰めでしたが、今回は田舎がスタートというだけあって、スペースがかなり広くなっていました。

 準備運動もほどほどに、自分のスタート地点へ。私はBグループに居ました。50分を切るのが最低限の目標だったので、Bグループの一番前に陣取りました。

 家を出た20時頃は相当明るかったのに、21時頃になると、相当暗くなってきました。周りを見渡しても、頭のランプをつけている人はおらず。街灯が無い場所は転ばないように、道の端を走らないようにしよう、と決めました(道の端は溝があったり、ボコボコしていることが多い) 。

Marathon de Genève 2014 準備 [スイスでの生活]

 大学で行われている体育の授業で、昨年の10月頃から上級のランニングクラスに参加しています。自分が今までに参加してきた初級・中級(レベルが分かれていても、この2つのクラスのコーチは同じなので、練習内容はほとんど同じ)とは全く異なります。基本の練習は火曜の昼、そして金曜に(任意)練習もあります(自然の中を10km走る)。参加している人達も、マラソンのような本格的な長距離専門の人が多いです(100kmレースに参加するという人も居ます)。そのため、高校までは自分が長距離派だと思っていましたが(鈍くさくて瞬発力があまり無い、というのが本当かもしれません)、この上級クラスに入ると、自分は短距離派となります。12月のEscaladeまではたくさん人が居たのですが、1月になると一気に人数が減りました。

 何の目的も無いまま走る練習をしていても少しつまらないので、昨年も参加したMarathon de Genèveに参加することにしました。この大会、マラソン以外にもハーフ、マラソンリレー(42.195kmを4〜6人で走る)、5km走などがあります。昨年は湖近くを走る5kmに参加しました。今年もこの種目に出ようと思ったのですが、色々悩んだ末、今年から新しく出来た10kmを走ることにしました。Marathon de Genèveは今年で10周年を迎えるので、それを記念して10kmという種目が出来たようです。

 高校の時に札幌マラソンで走った10kmは未だに覚えています。最初をかなり飛ばし過ぎて、5km過ぎない内から「いつになったら終わるんだろう」と思いながら、走っていました。

 この性格は今でもあまり変わっていないようで、練習でも最初飛ばし過ぎて最後全く持たない、ということが続いていました。コーチも「最初から飛ばすより、もっとタイムを平均化して走ること」と言われ、そういった練習を何回か用意してくれました。

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(自主練コースから見える景色)
 また、大学での練習以外では、家の近辺を走る練習もしました。自然が多いので、天気の良い日は走っていても、とても気持ちがよかったです。

 また、レース当日に「初めて走るコース」という思いをしたくないため、10kmレースが行われるコースというのも実際に走ってみました。厳密に言うと、コースを逆走しました。スタート地点は家からバスで20分ほどのChêne-Bougerieという場所。ここへ行くには、私が住む村から出ている34番線に乗らなくてはなりません。が、コース下見当日、何を間違えたのか、私は34番線同様、村から出ている33番線(ジュネーブ市内へ向かうバス)に乗ってしまいました。当然、目的地のChêne-Bougerieへ向かうはずもなく。仕方が無いので、ジュネーブ中心地から出発することにしました。10km走のゴールは湖横の公園、Jardin Anglais(街の中心地近く)。この日はゴールから出発して、コースを「逆走」しながらスタート地点へ向かうことにしました。

 我ながら良いアイディアだと思いながら走っていましたが、2km過ぎたあたりで少し後悔。坂が延々と続く道がコースの一部だということを忘れていたのです。レース当日は下りとなりますが、コースを逆走していたこの日は上り。太ももがかなり痛くなる練習でした。坂の最終部分近くでは、一生懸命走っていても、歩いているのか走っているのか分からないようなスピードでした。それでもなんとかコースを走り終え、レース当日に備えました。

劇場のイベント 後半 [スイスでの生活]

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(編み物で作った「花束」)
 イベントが始まったころは、お客さんの反応も良いとは言えなかったのですが、段々趣旨が分かってくると(はたまたお酒が入ってからは)、お客さんも遊び心を持ちながら答えてくれるようになりました。中にはそのまま洗剤の名前で注文する人が居て面白かったです。が、私は洗剤の名前と箱の中にある食品が一致していなく、「どの箱?」と聞き返すこともありました。

 Brunchと言っても、結局ひっきりなしにお客さんが食べ物を取り来ていました。ひと段落したのは16時ごろでしょうか。一時期は食べ物のサービスを一人でやっていたので、少し大変でした。そのため、11時から16時まであっという間でした。

 さて、イベントのメインであった編み物ですが、私はほとんど見ていません。というのもあまりに天気が良かったので、皆外で編み物をしていたからです。私も一度休憩で外に出ると、椅子に老若男女座って、編み物をしていました。マイペースにお話しながら、椅子に座っている姿を見ると、のどかな気分になりました。

 晴天だったためか、お客さんも思ったよりたくさん来ていたみたいです。売り上げの方も上々。食事は「chapeau(帽子)」と呼ばれる方法。テーブルの横に帽子(今回はテーマが編み物だったので、編んだ靴下でしたが)を置き、そこへお客さんが好きな金額を入れるという方法です。ただ食いしても分からないというのが難点ですが、前回同様、今回もしっかり黒字。私も手伝いとして少しは役に立ったかなあと思います。

 前回は初めてのイベントだったので、よく分からないままの参加でした。が、今回は見慣れたホストファミリーの友人なども来ていて、少しは勝手が分かっての参加でした。ホストファミリーの友達からも「なんか馴染んで手伝っているね」と言われました。そういった意味で、少しは余裕を持って参加できたかなあと思いました。が、慣れないことをしたには変わりなく、その日の夜は8時頃に就寝してしまいました。

劇場のイベント 前半 [スイスでの生活]

 11月頃に一度ホストマザーが働く劇場の食堂でイベントがありました。1日限定のイベントで、当日は家族総出で手伝いました。そして食堂でのイベント第二弾が4月上旬にまたありました。前回は美容師とのコラボレーションだったのですが、今回は編み物をするホストファミリーの友人とのコラボレーション。前回同様、1日限りのイベント、そして今回は日曜のBrunchでした。もちろん、今回も家族総出で手伝い。

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(これがPersilという洗剤の箱。ホストマザーが段ボールにパッケージを描きました)
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(箱の中身がこちら)
 食堂が企画するイベントなので、メインは食べ物。今回のアイディアは編み物に絡めて、「洗濯物に絡めた食べ物」でした。編み物、イコール洋服というわけです。洗濯物といえば、洗剤、ということで、洗剤に絡めた(語呂合わせなど)食べ物。分かりやすいもので言えば、「Persil」という洗剤は、フランス語のパセリ、と同じスペル。そこで、パセリのサラダを用意、という感じです。洗剤のデザインをダンボールに描き(これは食堂で働く人とホストマザーが3日かけて準備)、その箱に食べ物を入れておきます。そして、当日、お客さんには「何の洗剤を食べたいですか?」と聞きながら、食べ物をよそっていくという仕組みです。

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(嵐の前の静けさ、イベント開始前)
 用意した食事は9品。混雑するのでは飲み物はカウンター、食べ物は別の場所でサービスすることになりました。私は食べ物担当。「『何の洗剤を食べたいですか?』と遊び心を持ってサービスして!」とホストマザーからは言われていました。リラックスして、ということだと思いますが、関西人を父に持つ私は「面白ことを言ったほうがよいのかなあ」と考えてしまいました。

 Brunchなので、11時開始。ゾロゾロと人がやってきました。このイベントの趣旨を説明し、例の質問を投げかけますが、思ったより反応が悪かったです。「えっ、何か分からないものは食べたくない・・・」という人が結構居て、びっくりしました。そのまま用意してある食事を答えるのは面白くないので、ヒントを出すことに。例えば「Chat(猫)」という洗剤箱の裏にはスパゲティが用意してありました。「この食事は、猫のひげに似て長くて、主に黄色」という具合です。小学校のころにやった、連想ゲームみたいでした。

イースター休暇 [スイスでの生活]

 4月18日からはイースター休暇です。18日がVendredi Saint(聖なる金曜日)、20日がPâques(イースター)、21日が Lundi Pâques(イースター月曜日)です。土曜日を除いて祝日なので、店はほとんど閉まっています。働いている人にとっては少し長めの週末となるわけです。キリスト教徒でない私は、いつになってもこのイースターというものが分かりません。毎年、日にちが変わるからです。日本のように「4月の第三日曜日」という風にしてくれれば分かりやすいのですが、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、という風になっているので、とても分かりづらいです。

 昨年は確か3月下旬頃、既にイースター休暇に入っていました(学校が1週間休みだった)。しかし今年は4月下旬。年によって相当動く休暇のようです。

 会社で働いている人は18日〜21日までが休みですが、学生や生徒は休みがもう少し長いです。ジュネーブ州の公立学校は16日の授業後から既に休みで、翌週も休み(27日まで)。大学は、18日から27日まで、となっています。そこで子供がいる家庭は、この1週間で山へ行ったり様々なところを旅行するみたいです。子供の休みに合わせて休みを取るせいか、ジュネーブの道路もガラガラ。16日から既に休んでいる人も多いのか、この日からバスの運行はスムーズでした。私の村から出るバス、朝の8時台に乗ると市内に着くまで40分は覚悟をしなくてはなりません。が、16日からは同じ8時でも、平常通り20分で市内に到着しました。皆、ジュネーブ州を出て行ったことがよく分かります。

 また、スイスは州の力が強いこともあり、休みも各州によって異なります。ジュネーブ州の公立校は11日間の休みですが、Vaud州は2週間近くあるようです。また、休みの開始時期がバラバラ。これは、州の力が強いという理由だけでなく、渋滞を避ける、という理由もあるからです。国民全員が同時期に休みを取ると、渋滞だらけになってしまいます。例えば、2月の休みになればスキーをするため、皆山に向かうため、相当混雑します。こういった事態を避けるため、休みを取る時期を少しずつずらしているというわけです。

 これはフランスでも同じ。フランスは一極集中型の国、各県ではなく、国が休みの時期を決めています。国を3つのゾーンに分け、複数の大都市が同時期に休みとならないようになっています。例えば、Zone A にはLyonやToulouse、Zone BがMarseilleやStrasbourg、Zone CがParisとBordeauxという具合です。夏休みとクリスマス休暇は皆同時期ですが、冬休み(クリスマス休暇の他、2月に「冬休み」がある)と春休み(イースター)は休みの開始時期が1週間ずつずれています。今年のイースター休暇、Zone Cが4月12日〜4月28日、Zone Bが4月19日〜5月5日、 Zone A が4月26日〜5月12日、 となっています。1週間ずつずれているので、Zone CとZone Aは1週間だけ「自分達だけの休み(=他の地域が休みではない)」を楽しむことが出来るわけです。Zone Bは2週間ともZone AかZone Cと被っているので、そういった「自分たちだけの休み」はありません。もちろん、不公平にならないよう、この休みは各年交代式。つまり、来年のZone Bは最初または最後に休みを取るようになるというわけです。この仕組みを初めて知った時、「フランス人は本当にバカンスに対して貪欲だなあ」と思いました。が、日本やフランスと比べると人口が少ないスイスでも、休みの時期が州によって少しずれていて、「スイス人もバカンスが大好きなのだなあ」と感じました。

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 写真はホストマザーがくれたチョコレート。アメリカほどイースターが盛り上がるわけではありませんが(色つきの卵も一応スーパーで売っていますが、買っているスイス人を見たことはありません)、ウサギ型のチョコレートはスーパーのいたる所で売っています。
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