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ジュニア選考会プラス広報 [日本での日常]

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 2月上旬にデビスカップの、記者会見のお手伝いをし、その関連で、今度は、ジュニア選考会前夜のパーティーを手伝ってほしいというお話が来ました。今回も案の定、どういった団体が、どういう関係で、パーティーを開催しているのか、よく分からないまま参加でした。結果的に、特にこれと言った仕事は無かったのですが、不思議なパーティーを経験することが出来ました。

 どういうパーティーか、分からないというのも若干不安ではあったのですが、ドレスコードもユニークでした。ビジネスカジュアルに、何かしらのオレンジを身につける、とのこと。オレンジの洋服をそもそも持っていないし、普段着るような色ではないので、どうコーディネートしたら良いか迷いました。最初はオレンジのスカーフでも買おうかと思ったのですが、意外に売っていませんでした。オレンジに近い茶色が入ったスカーフは見かけたのですが。最終的に、オレンジ色のピアスを購入しました。近くの丸井今井に入っていたお店で唯一のオレンジ色のピアス。迷うことなく購入しました。

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(料理もおいしかった)
 そもそも、ローラン・ギャロスで行われる世界ジュニア大会の日本予選のパーティーというのがメイン。ジュニア大会の国内予選で、なぜこんなに豪華なパーティーなんだ、と最初思ってしまいました。日本の国内予選のため、わざわざフランスのテニス連盟トップの人達が来ていて、ますます謎が深まりました。しかし、パーティーが始まる内に、もう一つのイベントと組み合わさっていることに気づきました。それは、2024年のパリオリンピック招致。どおりで、テニス関係外のフランス大使館の人が挨拶をしているわけでした。

 と、前回同様、色々な団体の考えが、色々なところで出ているパーティーでした。そこで私が感じた点は2つ。
1.フランス人のプライド
 これは、前回も、テニス協会の人から説明してもらって思ったのですが、フランス人が全仏オープンが行われるクレーコートにすごい誇りを持っています。テニス関係者(と言っても、フランス人と日本人しか知りませんが)に話を聞くと、フランスのテニス関係者はクレーコートへの思い入れが強いという話をよく聞きます。蛇足になりますが、ボールの落ちた場所がクレーコートだとはっきり分かるということで、チャレンジシステム(ビデオ判定)がないのも、四大大会で全仏オープンのみ。それも結構、誇りみたいです。

 全仏オープン関連でいうと、試合のアナウンスがフランス語だけ、というのもこの試合の特徴。ドイツ、アメリカ、フランスで行われた試合をテレビで見たことがあるのですが、ドイツでは英語の後にドイツ語のアナウンスがあったと記憶しています。しかし全仏オープンは、フランス語のみ。

 テニス用語というテクニカルなものだから、英語もフランス語も単語が同じだと最初は思っていたのですが、全仏オープンの試合を見てびっくり。もちろん、同じものもあるのですが、全く異なる単語もあります。良い例が、「love」です。0点の時(例えば0-15)に、「love – 15」と英語(そして日本語)で言います。が、フランス語では単純に「0」と表現します。確かに、言われてみると、なぜわざわざゼロを「ラブ」というのか、不思議です。というように、フランス語でのアナウンスは、私にとっては良い勉強になったのですが、英語が主流なテニス界では異質の大会だと思います。

2.「パッケージ」にするのが上手なフランス人
 よく、アメリカ文化の広がりの批判として、「世界中どこに行ってもスターバックスやマクドナルドがある」という例が挙がります。(国の政策かどうかは別として)ハリウッド映画も、世界中で広がっています。アメリカの文化を広める戦略として、単体での進出が多い気がします。フランスは、単品というよりかは、色々なものをまとめたパッケージで他国に進出というのが多い印象です。

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(大使館のパティシエが作ったケーキ)
 例えば、今回のパーティー。メインはジュニア世界大会出場権をかけた国内の予選会前のパーティー。しかし、その中にしっかり2024年オリンピック立候補のメッセージが出ていたし、「フランス文化」ということで、大使館専属のパティシエが作ったケーキが登場していました。「上手いなあ、やられた」と私は思ってしまいました。

 また、「フランス文化、フランス語発信拠点」として、世界中にアリアンス・フランセーズ/日仏学院と呼ばれる組織があります。私の知る限り、中国語(孔子学院)、ドイツ語(ゲーテ学院)、スペイン語(セルバンテス文化センター)、英語(British Council/イギリス)が似たような組織を持っています。私はゲーテ学院とアリアンス・フランセーズへしか行ったことがないので、2つの組織の比較しかできませんが、総合的な(文化や言語の)発信という点においては、アリアンス・フランセーズの方が上手です。もちろん、ゲーテ学院は、ドイツ語学習拠点だけでなく、ドイツ語の図書館があったり、ドイツ語映画の上映会をやったりしています。しかし、個人的な私の印象では、どうしてもドイツ語学習拠点がメインになってしまっているような気がします。色々やり過ぎず、ドイツ語学習という目標に向かってコツコツやっていく辺りは、ドイツらしいなあと思います。他方、アリアンス・フランセーズは、フランス語学習に留まらず、色々なことを各施設でやっていて、「文化パッケージ発信」が上手だなあと思ってしまいます。一極集中の政治形態であるフランス、文化省から全世界のアリアンス・フランセーズに指示などを出しやすいのかな(ドイツは逆に各州の力が強い)とも思ってしまいます。

(お土産までもらってきました。Lacosteのマグカップ)
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(このパーティーのメインスポンサーであるLonginesのペンもお土産にもらいました)
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中間発表 それ以外の心配事 [日本での日常]

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(色々おいしいものを食べられるのも、研究発表やワークショップ等の醍醐味。韓国料理店で夕食を食べた日もありました)

 発表が終わりホッとはしていたのですが、それ以外に準備するべき事が迫っていました。それはStammtischと呼ばれるイベント。私達の在籍するプログラムでは、毎学期Stammtischを開くことができます。これは、ドイツ独特のシステムというか風習のようです。直訳すると、「常連のテーブル」となりますが、大学内では「常連のミーティング」という意味で使われています。ミーティングというものではなく、学生同士集まって、ご飯を食べに行く、気軽な集まりです。この費用をプログラムが出してくれるのです。一人につき10€が出ます。一応「大学におけるミーティング」なので、アルコールに対しては補助が出ません。ドイツに居るころは、10€あれば十分食事代ぐらいにはなりました。そのStammtischを東京で開催することになったのです。これを計画するのは、学生代表の仕事。博士課程の学生代表2名を毎年選ぶのですが、今年は私がその代表の一人となりました。東京ということで、私が企画係になったのですが、色々準備が必要でした。

 まず店選び。ベジタリアンの人が居たり、アサヒビールは好きではない人達が居たりするので、メニューを色々確認して、坐・和民へ行くことにしました。小さな立ち飲みへ行くのも面白いのかな、と思ったのですが、そういう場所だとどうしても焼き肉などが中心となってしまうので断念。今回皆は赤坂見附のホテルに宿泊していたのですが、東京見物も兼ねて、新橋の坐・和民へ。高架下にあって、面白い造りの居酒屋でした。

 Stammtischの補助金は事前ではなく、支払後に出ます。そのため、まずは私達で支払いをしなくてはなりません。人数も結構多かったので、支払いを割り勘にするのはなかなか難しかったです。それでも特に問題無く、支払いを完了。お金を全て計算して、店員さんに必要金額を渡し終えた時は、思わずガッツポーズが出ました。

中間発表 [日本での日常]

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(初めてのひつまぶし!おいしかったです)
 先週は、中間発表がありました。うちの(ドイツの)大学から教授達が東京へやってきて、フィールドワークの中間発表なるものを行いました。中国や韓国で研究を行っている人達も、東京に集まってきました。日本以外について研究している人達とは、6ヶ月ぶりだったので、久しぶりの再会!みんな元気にとりあえずやっているようで、良かったです。 

 2日半の発表会で、トップバッターは私。いつも最初に発表するので、皆からは「相変わらず最初が好きなんだね」と言われました。しかし、今回は偶然。私の指導教官のスケジュール上の理由で、最初に発表を行うことになりました。記者会見の通訳を行った際は、「中間発表、あんまり緊張しないだろう」と思っていたのですが、この中間発表もそれなりに緊張しました。各自、発表時間30分、コメント/質疑応答1時間だったので、たっぷり時間を取れました。教授陣からは、参考になるコメントをもらえたので、良かったです。どのようなデータが足りず、今後のフィールドワークではどのようなことをしていけば良いのか、というコメントをもらいました。フィールドワークをやる前は、これまでに行われた研究を元に自分の研究テーマなどを発表していました。しかし、今回は自分が実際に行っているインタビューなどが得た疑問やデータを発表だったので、自分の研究が「自分のもの」という感じで、質疑応答もいつもよりは少し自信を持って答えられました。

 最初に自分の発表が終わってしまったので、残りの2日間は楽に他の人達の発表を聞くことができました。どれだけ他の人達の研究が進んでいて、どのように変化しているのかを聞くのはとても面白かったです。

記者会見お手伝いの難しさ 後半 [日本での日常]

 2日連続で上手くいかず、3日目は朝から私は結構ピリピリしていました。落ち込んでも、めげずにやるというのは結構難しいものだと思いました。

 3日目最初の会見は、なんとか、大きな問題もなく出来ました。満足のいく出来ではなかったけれど、初日の会見に比べると、会場に「答え」を提供出来たのではないかと思います。3日目、そして4日目の会見の通訳も私が行いました。終わったときには、ドッと安心するのと同時に疲れました。モチベーションへのダメージが大きい最初の2日間を経ての3日目、4日目だったからでしょうか。4日間とは思えない、濃い経験でした。他の国際試合と比べると、大きな試合ではなかったかもしれませんが、私は毎回記者の前に出て通訳をするのは、大舞台で毎回緊張しました。なかなか上手くいかないことの多い4日でした。しかし、新聞の記事の一部に自分の訳したコメントが使われていたりすると、ちょっと嬉しかったです。どの仕事にもいえることなのかもしれませんが、場数を踏むというのはとても大事なことだな、とつくづく思いました。

 この4日を終えた後は、数週間後に控えた中間発表も緊張せず出来そうだなあ、とまで思ってしまいました。少なくとも、その発表会に記者は居ないし、全員教授。ある程度自分の専門分野でもあるので、話はしやすいだろうなあ、ということを考えてしまいました。

 この4日間で色々なことを考えたのですが、特に印象的だったことを2点。まず、フランス人はおしゃべり。私はフランスやフランス語圏で生活をしたことはありますが、そういった地域圏外でフランス人の集団と接したのは今回が初めてでした。フランス人がおしゃべりというのは、以前から感じていたこと。フランスやフランス語圏では、日常的にそういったことを目にしていたし、その地域ではそれが当たり前、という感じでした。ただ、彼らがそういった地域を離れてみると、彼らがどれだけおしゃべりか、ということがよく分かります!プレスルームでは日本の記者の作業スペース、フランスの記者の作業スペースが設けられていました。日本側はほとんど沈黙で、キーボードを打つ音ぐらいしか聞こえてきません。しかし、フランス側はずーっと誰かがおしゃべりをしています。ヒソヒソという感じではなく、ペチャクチャと楽しげな様子でした。「フランスの人って本当におしゃべりなんだな」と再認識してしまいました。

 次が、フランス語の明確さと日本語の曖昧さ。両言語に良さはあると思うのですが(特に日本語は挨拶の表現が豊かな気がします)、日本語の曖昧さは通訳泣かせです。特に「〜について一言」や「〜はどうですか?」という表現は、分かりづらいです。何度かこのような質問が来たときは、私もヒヤヒヤしました。英語でもそうですが、フランス語はそれ以上に明確さ/精密さが求められる気がします。名詞の性を始めとすると、言葉の性質上、精密性が求められる言語です。日本語ではなんとなく意味が通じる表現でも、いざフランス語に訳すとなると、「つまりどういうことなんだろう?」と何度も考えてしまいました。普段、日本語からフランス語、フランス語から日本語いうことはあんまり考えないので、この通訳という作業は言葉を比較する上で面白い経験でした。

記者会見お手伝いの難しさ 前半 [日本での日常]

 前回の記事から相当時間が経ってしまいましたが、テニスの日本対フランスの国際試合であった記者会見お手伝いについて、引き続き書いていきたいと思います。この経験は色々な意味で強烈だったので、時間が経った今でも結構はっきり覚えています。

 3日間で4回記者会見があったのですが、その内私が通訳担当したのは、3回。1回目はチームごと(選手プラス監督)の会見。最初でありながら、一番難しく、一番上手く出来なかった会見でした。テニスは全く馴染みのあるスポーツではないので、スポーツそのものだけでなく、テニス協会や国際テニス連盟がどのような組織かということもよく分かっていませんでした。水泳であれば、ある程度やっていたこともあり、連盟内のえらい人がどんな選手だったかなど、なんとなく分かるのですが、テニスとなると、そのようなこともよく分かりません。また、記者会見と言っても、日本の協会、日本の記者、フランス側のテニス連盟、フランスの記者、国際テニス連盟、様々な関係者の利害があります。それが日本語とフランス語で行き交っている場所でした。やりとりを全て把握できても、色々な詳しい事情はよく分からず、私に決定権は無いので(決定権があっても困ったと思う)、少し歯がゆい思いもありました。現場でのやりとりが100%理解出来ても、自分の力不足で何も出来ないというのはとても悔しいものです。

 と、悔しい思いで終わった1日目。家に帰ってからも、相当落ち込んでいました。もちろん、これ以上に落ち込んだことも、これまでにはありました。例えば、自分の研究発表(練習)が上手くいかなかった時はこれ以上に落ち込みました。しかし、それはその日で終了。次回まで気持ちを持ち直したり、発表を良くする時間もありました。しかしこのお手伝いはそんなものではなく、翌日にまた別の会見があります。「1日目はこれが出来なかったから、こうしよう」と、色々考えながらゆりかもめに乗っていました。晴天だったのですが、電車内から良い景色を見る余裕は全くありませんでした。

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(試合観戦も重要な事前準備)
 2日目はシングルスだけだったので、選手のみの会見。それでもやはり、2日目の最初の会見は上手くいかず。一番の問題は(自分の実力/経験不足以外でいうと)、何をどこまで訳すかという点でした。会見場には、英語、日本語、フランス語を理解する人がそれぞれ居ます。全てを訳すという予定でいたのですが、全てを訳していると時間の無駄ということで、どこのやりとりを訳すか、というのがカギでした。それが、なかなか決まらず、私も何語のやりとりを訳すのか分からず、会場も訳して欲しい部分が訳されず、という状態でした。通常は全て英語(または日本語)のやりとりなので、3ヶ国語というのは珍しいケースのようです。またまた落ち込んでしまう会見でした。この日の午後は、この道ベテランの人にピンチヒッターで通訳をやってもらいました。私もその会見を横で聞いていたのですが、上手い!全部を訳すのが、「良い訳」ではありません。核心というか、記者達がほしがっている答えを上手に訳していると思いました。この日はピンチヒッターだったので、翌日からは私がまた通訳をやることに。会見後に、彼に「どのように、何を訳すか」ということを教えてもらい、翌日に備えたのでした。

記者会見のお手伝い [日本での日常]

 ある程度(十分以上に)生活費がでる奨学金を頂きながら、学生を今は続けています。フィールドワークを行っていると、毎日があっという間です。色々良いこと、大変なことがありますが、良い点の一つは、直属の上司がおらず(指導教官は居ますが、上司とはちょっと異なる気がします)、出勤時刻など決まったスケジュールがなく、とにかく自由の度合いが強いことでしょうか。そのためなのか、友人から「スポーツイベントのフランス語通訳をやらないか」と連絡をもらったのが、去年の10月。詳しい話はその時無かったのですが(何のスポーツか、どういうイベントかもよく分からなかった) 、興味本位で「やる」と答えました。11月末、その担当者と直接話をしてきました。私の想像していた「イベント」より規模が大きくて、ちょっとびっくりしました。テニスの国際試合の、記者会見通訳のお手伝い、というものでした。

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 昨日(2月2日)その一日目だったのですが、とっても緊張しました。以前、バレーボールの記者会見を手伝ったことがあったのですが、その時の方が小規模でした。また、その時は、外国人の記者の方の横について、選手のコメントを訳すという、1対1のやりとりでした。今回は、記者会見室全体に向かって訳すということで、大きなプレッシャーでした。最初は分からないテニス用語が出てきたらどうしよう、と思っていたのですが、実際難しかったのは、用語以上のものでした。一言で表現すると、メディアと選手の関係、日本とフランスにおけるメディア文化の違い、でしょうか。フランスにおけるメディアと選手の関係は、(私が想像/推測する)日本におけるものとかなり異なる気がします。それ故のコメントや態度、やりとりをどこまで訳すのか(訳さないのか)、どのように訳すのかという判断がかなり難しく、上手く出来ませんでした。理想は全て訳すことかもしれませんが、同時通訳ではなく、また時間も限られているため、やはりどこか削る(訳さない)部分が出てきます。その瞬間的な判断というのは、場を重ねることで磨かれるのだと思うので、先は長いです。

 と、緊張の一日目を終えました。一日を終えると、不思議な気分でした。遠くから見ていてきれいだった炎に近づいた、気分でした。特別、何かその職業について調べたり、トレーニングを受けたわけではありませんが、高校生ぐらいまで、通訳も悪くないかなと思っていました。単に自分の好きなことと出来そうなことを考えた時に、候補の一つとしてあった職業でした。日本で有名な翻訳家や通訳を見て、かっこいいなあとも思っていました。そんな遠くから見ていた物の中に、いざ近づいてみると、色々なことがその中で起こっていて(今回は記者会見室でしたが)、綺麗なだけではない炎(熱気)のようなものがある場所でした。

2017年 [日本での日常]

 元旦から大分、日が経ってしまいましたが、あけましておめでとうございます。今年もこのブログをよろしくお願いします。ここ1年は残念ながら更新が少なかったので、今年こそは増やしていきたいと思っていますが、どうなるか分かりません。

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 1日は、近くの神社へお参りに。午前11時頃行きましたが、小さな神社なので、誰も居ませんでした。あまりにも小さくて、「本当に神社?」と思ってしまいました。しかし、この西町天神、学問の神様で有名な北野神社が本社の立派な神社です。自分の学業のお参りをしてきました。

 さて、2017年の目標は、旅をすること、でしょうか。考えてみると、日本で行ったことのない県も多いし、未知のアジア諸国も多いです。せっかく居るのだから、色々な場所へ行き、食べ歩きたいです。

 次の目標は、読書をすること。論文や専門書はもちろんよく読むので、それ以外の「読書」です。2016年に読んで、印象に残っているのは、池井戸潤の「下町ロケット」です。フィールドワークがあまり上手くいっていない時に読んだのですが、元研究者の町工場の社長とその工場の社員達に感動してしまいました。

 また、意外と面白かったのが東野圭吾の「新参者」です。加賀恭一郎シリーズの一作です。このシリーズは、「卒業」と「麒麟の翼」を読んでいるのですが、私の中で突出して面白いと思えませんでした。シリーズものでいうと、ガリレオシリーズが面白いと思っていました。ただ、「新参者」はパズルのように、一つずつ組み合わせって、全体像が見えてくる感じで面白かったです。舞台が日本橋というのも、面白さに大きく貢献していると思います。

 もう一つの目標は映画を見ること。なかなか見ることが出来ていないので、試写会という文化がある日本に居る間に色々見てみたいと思います。

復活!我が家の十大ニュース 2016 [日本での日常]

 今年も残すところ、あと10時間ほど。皆さんにとっては、どんな年だったでしょうか?クリスマス明け、年末の数日前に、妹(次女)と女子会をしました。私のアパートに泊まって、二人で食べながら、飲みながら色々な話をしました。前回3人でやったときは、勝手が分からず、食事はほとんど出来合いのものを購入したのですが、今回はほとんど手作り!私とキッチンのキャパシティー上、4品しか作ることが出来ませんでしたが、3品は成功したので、良しとしましょうか。

 色々な話をしながら、ふと、今年を振り返る話になりました。そこで、急遽、我が家の十大ニュースを復活させ(以前は大晦日に家族全員で、各自十大ニュース発表をし、また家族の十大ニュースというものを作っていました)、リスト化してみました。ただ、やっていた頃から時も過ぎ、私達もやりたいことが結構定まってきて、各自10個もニュースが無いことが判明(私も個人的なニュースを挙げてみたのですが、90%以上が他の人のニュースでした)。それでも、色々思い出してみて、我が家の十大ニュースを私と次女の独断で決めてみました。それではランキング形式で発表!(タイトルは全て次女が作成)

1.三女交通事故 闘病生活 各自様々な場所で色々な事を考える
 やっぱり、これが二人とも一致して、第一位。それぞれが、それぞれの場所で色々なことを考えるきっかけになりましたね。エピソードもたくさんある、本当に色々あった出来事でしたね。

2.三女引退〜8継の勇姿に感動をありがとう
 私は経験していないのでよく分かりませんが、やはりインカレの4年生パワーというのは存在するようです。

3.母仕事、父が主夫〜料理に楽しさを見い出す
 3人とも札幌を離れ、両親の生活も激変。今年はその変化が特に大きかったのかな。

4.関東3人集結〜遊・飲・食・泊・歌
 関東にて、初めて3人集合!よく歌い、よく遊び、よく食べ、飲んだ数日でしたね。またやりたいです。

5.次女1年勤務〜いつまでも魔法にかけられて
 次女も新しい生活がスタート。あっという間の1年だったのではないでしょうか。毎回話を聞くと、専門家のようになってきている気がします。

6.父「新」スタート、第二の人生
 これも第3位と関連して。ブログなどで確認して、まだ1年経っていないことに次女と共に驚き。

7.長女(私)一時帰国〜実地調査実施中
 私の中ではこれが、一番大きかったです。生活する場所もリズムも変わるきっかけとなりました。

8.三女筑波、ライバル校へ
 早々に大学院受験が終わり、来年4月から生活する場所も決まりました。

9.札幌、我が家4人集合
 6月の北海道選手権に合わせて、次女と三女が札幌へ。久々に4人揃っての時間だったのではないでしょうか。

10.三女奨学金、時差を越えて(協力)獲得
 奨学金獲得、おめでとう!

 と、いう結果になりました。私はフィールドワーク(実施調査)の準備、そして実施と、フィールドワークの年だった気がします(まだ/もう3ヶ月しか終わっていませんが)。つい数ヶ月前まで、ドイツに居たことが信じられません。短いですが、良いお年を!
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先が見える誕生日 [日本での日常]

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 10月に更新して以来、バタバタしていて、今日(誕生日)までブログの更新が出来ていませんでした。しばらく記事があがっていませんでしたが、無事に東京で生活しているのでご心配なく。

 ここ数年、誕生日にはどんな記事を書いていたのだろうと気になり、数年さかのぼって読んでみました。あまり大したことは書いていませんが、毎回○歳という年が自分にとって何を意味するか、というようなことを書いている気がします。さて今年は27歳になりました。1/4世紀の25歳から2年、30歳まで3年、ずいぶんと中途半端な年齢だと思います。ただ、誕生日に考える「来年の今頃」に関しては、ここ数年に無いほどはっきりイメージが出来ます。12月が誕生日、つまり年の最後ということもあり、誕生日になると「来年の今頃、自分はどうしているのかなあ」ということを、毎年考えている気がします。ただ、12月、年の最後の月ではありますが、秋学期が始まってから3ヶ月弱という、これまた微妙な時間しか経っておらず、具体的な「来年の今頃」を描けることがほとんどありません。2015年は、フィールドワークでどこへ行くか迷っていたし、2014年は自分の将来(進学)がどうなるか決まっていなかったし、2013年は修士修了後の進路を迷っていたし、2012年は修士の2年どう過ごすか迷っていたし、2011年は修士への進路が決まっていませんでした。しかし、今年(2016年)は来年(2017年)の同じ時期に何をしているか、はっきりイメージすることが出来ます。それは、博士論文を書くこと!フィールドワークで今は東京に居ますが、5月末にはドイツへ戻ります。6月にある発表(結果報告)をやった後は、フィールドワークで得たデータを整理しながら、博士論文を書き始めなくてはなりません。先日、指導教官へフィールドワークの進捗状況報告と今後の計画の話をしてきました。その時に博士論文を書くコツをずばり聞いてみたのですが、「とにかく毎日コツコツ書くこと」だそうです。ドイツへ戻ったら、少しずつ書いていくしかありません。もちろん、来年の今頃(2017年12月)も博士論文を書いているでしょう。未来に何があるか断言は出来ませんが、何をしているかとてもシンプルなため(行為がシンプルなだけで、そのプロセスがシンプルだとは思いません)、ここ数年に無いほど、「来年の今頃」がはっきりとイメージ出来るというわけです。

 さて、来年の誕生日にはどんなことを、ブログに書くのでしょうか。

都民になりました [日本での日常]

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(いつも賑わっている中野サンプラザ)
 あっという間に10月末になってしまいました。一日、一週間があっという間です。フィールドワーク開始前に、東大で研究発表があったのですが、それも遠い昔のように感じてしまいます。

 しばらくは日本に居ることになりそうなので、今は東京ベースで生活をしています。学部時代は千葉県民(県マスコットのちーばくんには今でも親近感があります)で東京の大学に通っていましたが、今回は都民となりました。東京23区内なので、住民登録は区役所へ行って行ってきました。札幌「市民」というくくりに慣れていたため、区民というと、少し不思議な感じがしますが。

 (主に外国人留学生向けに)家具付きアパートを紹介しているホームページから、今のアパートを見つけました。自分の予算に合いそうで、且つ大学に近い場所を探してみて、今のアパートに決まりした。が、来てみると、とても交通の便が良いことに気がつきました。以前は東西線をよく利用していたので、この線がお気に入りでした(色も自分の好きな色なので)。が、最近は丸ノ内線を頻繁に利用していて、好きな線になっています。乗り換えもしやすく(色々な線に乗り換えしやすい駅がある)、とても便利です。そのせいか、ラッシュアワーに関係無く、いつも車内は混んでいますが。
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