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Cerbèreへの旅 その5 [旅'12]

「スペイン人、フランス人である前に、私たちはカタラン人である」というのが、カタルーニャ地方に住む人達のセリフ。彼らはカタラン語と呼ばれる言葉を使い、主に南フランスから北(東)スペインで使われています。例えば、バルセロナではスペイン語とカタラン語の両方が使われています。蛇足ですが、バルセロナ大学に留学した友人は、「大学のホームページの情報が、スペイン語では少ない!」と嘆いていました。こういったことからも分かるように、カタラン語は今でもスペインで大きな影響力を持っています。私たちが滞在した地域もスペインに近いこともあり、スペイン人というよりカタラン人である、という人に多く出会いました。公用語の問題など、色々あるようですが、彼らが誇るカタラン人が居ます。それは、画家のダリ。スペイン人、というイメージが強いですが、カタラン地方出身です(私が持っている電子辞書の百科事典には、「カタラン出身」と書かれていました)。

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 そして、彼の生誕の地、Figueresにはダリ美術館がありました。どんなものか、行ってみることにしました。ダリと言えば、あのひげで有名ですが、私がダリと聞いて思い出すのは夢の世界を描いた「記憶の固執」です。中学の美術の教科書に載っていて、授業中にパラパラ見ながら「なぜ時計が液状化しているんだ?」と思ったことを記憶しています。

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 舞台装置にも興味を持っていたダリ、ローマ時代に舞台として使われた場所を自分の美術館として使用することにしたようです。通常、ある画家の美術館というと、後生の人が作るイメージがあるのですが(例えばゴッホ美術館)、この美術館は彼のプロデュースによるもの。入り口から異様な雰囲気が漂っていました。

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 この美術館で見つけた私のお気に入りは2つ。リンカーンの肖像画。これは一度近くで見て、「よく分からない作品だな」と感じたのですが、遠くから見て納得。近くで見ては分からなかった女性の後ろ姿まで見えてきて、びっくり。「木を見て森を見ず」ということは、まさにこのことか、と思ってしまいました。近くで見ると、全く分かりませんが、遠くから見ると(ぼやけた印象でも)リンカーンと分かります。こんなぼやけた印象でも分かってしまうリンカーンの影響力もすごいと思いますが、微妙なさじ加減で理解させてしまうダリもすごいと思いました。

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 そして、個人的に一番気に入ったのが、フェルメールへのオマージュ。私の好きなフェルメールに大きな影響を受けたようで、色々な作品に彼を登場させています。中でも、この絵は一瞬「フェルメールが描いたのか」と思わせるほど、このオランダ人画家の作風が出ています。しかし、いたずら心たっぷりで自分の顔を描いているところが笑えます。

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 またこのメインの美術館横には、小さな宝石美術館もありました。ダリが設計した宝石が色々と展示されていました。写真は本物の心臓のように、ハートが脈打つ宝石。実際身につけることを目的としていない宝石が多かったので、あくまでも鑑賞用。この宝石のプロデュースには、私もびっくりしてしまいました。彼の作品の多くは、夢の世界を描いたり、非現実的なものが多かったです。ある意味、実際に見たり、触ったり出来ない物を絵画で表現している印象を受けました。しかし、宝石は(鑑賞用といえども)触ったり、見たり、現実的なもの。そんな両極端の芸術に興味を持っているということに驚きでした。ただ、そういった両極端の芸術にも共通点があって、「狂気」でした。鑑賞している私たちが考えつかないような世界を描いたり、作ったりしている彼、常識から脱する狂気がなければ、完成できないような作品、という点はどの作品にも見られました。アリストテレスは「狂気を少しも含まない成功者は絶対にいない」(No great genius has ever existed without some touch of madness.)と言ったようですが、ダリの作品を見ているとこの言葉がよく理解できました。
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