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入居祝いパーティー [スイスでの生活]

 まず、フランス語で「入居祝い」はPendasion de crémaillèreといいます。この表現を直訳すると、「自在鉤をつるす」と、とても変わった意味になります。自在鉤とは、暖炉に鍋をかけるフックのようなものです。このフックをつるす場所はもちろん暖炉、そしてその様子は「おいしい食事をする」というイメージにつながります。フックをつるして、おいしい食事をすることが出来るくらい、家が整ったという意味につなげて、入居祝いを Pendasion de crémaillèreとフランス語では言うようです。個人的には、相当こねくり回した表現だと思います。

 住居費が高いジュネーブ、学校の友達はよくアパートを移動しています。最初は学生寮に住んで、知り合いを見つけてから仲のよい友達と大き目のアパートに移るというパターンが多いです。そのため、こちらに来てからは何度かPendasion de crémaillèreに呼ばれたことがあります。あくまでも学生、アパートの小さな部屋で行われますが、なかなか面白いです。

 今回は子供も居る友達の入居祝いだったので、今まで参加してきたPendasion de crémaillèreとは大きく異なりました。当たり前ですが、子供が多かったです。ほとんどが4歳以下、これほどたくさんの4歳以下を見たのは久しぶりでした。20人近い人が来ていて、それぞれ好きなように話したりご飯を食べたりしていました。

 とりあえず腹ごしらえをしてからは、ショーの始まり。この入居祝いを企画した友達がある日見た劇を気に入り、その役者達をこのパーティーに招待。彼らがその劇をやってくれました。劇をやると言っても、会場はリビングルーム。大した設備が無いのに大丈夫か、と思ってしまいましたが、必要な物はテーブルのみ。2人の(イスラエル人)役者が座って、テーブルの上で様々な劇を繰り広げる、というものでした。2部構成で、私が面白いと思ったのは第2部。リンゴを様々な形に切って、それを「人形」のように見立て、上演されるというものでした。一歩間違えれば、食べ物の無駄遣いと言われそうですが、使ったリンゴは全てデザートとして消費されていたので大丈夫。子供にも分かりやすいよう、簡単なストーリーでしたが、リンゴに関連したセリフが出てきて笑えました。例えば、登場人物の名前はSmith(リンゴの品種名)、向かう先はBig Apple(ニューヨークのあだ名)などです。英語のイディオムを使った、なかなか面白い劇でした。

 劇の内容より、リビングルームで劇をやるというのが、とても画期的でした。劇場のような広いスペースが無くても、机の上という別の「舞台」を使うというアイディアが意外でした。もちろん、劇場のように大人数を呼ぶことは出来ないけれど、ホームパーティーにはちょうど良いショーだったと思いました。

Bâleのカーニバルへ 後半 [スイスでの生活]

 4時からカーニバルは開始だったので、3時に起きて友達の家を出発。驚くことに、こんな遅い時間にもかかわらず、街にはたくさんの人であふれていました。路面電車も人でいっぱい(友達曰く、「街にあるだけ全ての路面電車を使って、人を市内に移動させている」)。日本の大晦日みたいな雰囲気です。

 このBâleの人たちはこのカーニバルにかけて一年を過ごす、といっても過言ではないようです。まず、月曜の明朝に行われるMorgenstreich(ドイツ語で「朝の一巡」)と呼ばれるパレードに参加できる団体というのが決まっています。御輿のようなもの(神様のようなものが祭られているわけではないので、決して「神輿」ではないのですが、日本人が一番イメージしやすいものとして)を担げる団体というのが決まっています。一年かけてこの「御輿」を作ったり準備します。この団体になると、市から支援金などがもらえたりします。もちろん、団体になるための規定も細かく決まっているので、この日練り歩く正式な団体も、数え切れないほど多いというわけでもあります。

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 ではこの団体、何をするのか、というと、その「御輿」にその年を代表する(風刺できる)出来事、人物を描きます。地元の話題であったり、国際的な話題だったり、様々な風刺が描かれていました。何を皮肉っているのかよくわからないものもありましたが、どの「御輿」も絵のデザインはきれいでした。

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(子供の音楽隊。パジャマを着ているみたいですが、仮装)
 この御輿の周りには、それを囲む音楽隊がいます。この音楽隊、子供から大人まで居ます。仮装もしながら、数時間演奏するのには相当体力が要りそうです。このパレードの間、同じ曲を繰り返し演奏するのではなく、レパートリーも広く、最低15曲ほど演奏出来なくては、このカーニバルに音楽隊として参加できないそうです。 もちろん、この音楽もこのカーニバルのための伝統的な音楽です。この音楽隊もこのカーニバルの日ためだけに練習するそうです。友達に、「この音楽隊、他にコンサートとかで演奏しないの?」と聞いてみましたが、「カーニバルの日、列の前のほうで演奏する(つまり上手な人)を選ぶコンサートはやるけれど」と言っていました。このカーニバルの日のためだけに、というすごい熱意を感じます。

 こういった背景を聞きながら、4時開始を待ちます。街の中心はこのカーニバルのパレード中は、電気をつけることを禁じられています。電気をつけた家/建物には罰金が課されるほどです。街灯も消され、本当に真っ暗の中、4時ぴったりに街全体で音楽が一斉に演奏されました。この一斉に演奏が始まる瞬間は、本当に魔法みたいで素敵な感じでした。あまり上手く表現は出来ないのですが、真っ暗でなければこれほど演奏の始まりには感動しなかったような気がします。

 この音楽隊や御輿が一斉に市内を歩き回るので、私たちもそれに付いていって、見て回ることにしました。と言っても、道幅が狭い「歴史地区」ではすれ違うこともほとんど出来ず、渋滞していましたが。その後2時間近く歩いて、市内のほとんどの御輿を見ました。

 そして、そのまま私は駅へ。7時発の電車に乗って、ジュネーブへ戻るためです。幸いにも直行便だったので、車内で少し寝ることが出来ました。朝のせいか、人も多くて、あまり熟睡は出来ませんでしたが。

 日曜の夜から、数時間の強行日程でしたが、初めてのカーニバルを見ることが出来て良かったです。4時ぴったり、真っ暗の中、街中一斉に音楽が演奏されるあの不思議な感じは、今でもはっきりと思い出せるほど印象に残りました。真っ暗だからこそ感じる、不思議な感覚でした。

Bâleのカーニバルへ 前半 [スイスでの生活]

 2月9日に行われた投票を見ても思ったことですが、スイスの人は「スイス人」というより、各地域の出身(ジュネーブ、チューリッヒなど)という意識が強いような気がします。私の学校は外国人ばかりなので、「スイス人に会うのは、難しい。皮肉にも、特にジュネーブ人は」といわれているほどです。が、私はジュネーブの(かなり)田舎に住んでいるので、先祖代々ジュネーブに住んでいる、という人が多くいます。そのため、ジュネーブ出身という人と話す機会が何度かあります。そういった人たちの話を聞いていると、やはりジュネーブっ子にとっては、8月1日の独立記念日より、12月のEscalade(隣国だったSavoyardからの進撃を防いだ日)がかなり重要な記念日になっています。もちろん、これはジュネーブだけではなく、各地域に「年一度の大きなイベント」が存在します。そして、ジュネーブ大学の友人にBâle出身の友人がいるのですが、その彼女がよく話すのが「Morgenstreich」というBâleのカーニバルです。「すごいんだから!」ととても誇らしそうに話すのを聞いて、一度見てみたいなあと思っていました。この日は三日間祝日となって、学校もないそうです。が、相当お祭り騒ぎ(祝日)になるのはもちろんBâleだけ。ジュネーブは祭日でも何でもありません。

 そして今年も3月9日にそのカーニバルの季節がやってきました。毎年異なる日(ある年は寒い2月)とは言え、始まりは日曜の夜、正確に言うと、月曜の明朝が開始。今年もその友人が、このカーニバルに誘ってくれました。私は月曜の10時から授業があるのですが、カーニバルは明朝ということで、強行日程で行ってくることにしました(日曜の16時ジュネーブ出発、月曜の朝9時30分ジュネーブ戻り)。

 カーニバルというと、やはりブラジルのとても華やかなカーニバルを思い浮かべます。ヨーロッパのカーニバルというと、ヴェネツィアのマスクをつけたカーニバル、でしょうか。スイスに来るまで、Bâleのカーニバルは全く知りませんでした。が、スイスのカトリックの州ではカーニバルが行われています(ジュネーブはプロテスタントの州なので、カーニバルは行いません)。そういったいくつかの州でも、一番有名なのがこのBâleのカーニバルなのだとか。

 このカーニバル3日間続いて、毎日様々なパレードのようなものが行われるようです。日曜の夜(月曜の明朝)に行われるのはMorgenstreich、ドイツ語で「朝の一巡」と呼ばれる始まりのカーニバルです。朝の4時から行われるパレードです。

 とても早い時間から始まりますが、これを見るためにスイス国内だけでなく、ヨーロッパ各地から観光客がやってくるほどです。そのため、日曜の夜はBâleに向かう電車の本数が増えていました。普段は数が少ない直行の電車がジュネーブからも出ていて、私もそれに乗って19時頃、Bâleへ到着。駅構内に、既に仮装している人たちが居ました。友人宅でご飯を食べ、23時ごろ就寝(昼寝)しました。起床は3時!
(午前3時40分頃、カーニバル開始を待つ音楽隊)
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初めてのデモ その4 [スイスでの生活]

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(24heuresというスイスのニュースサイトに載っていた写真。議会前に集まったデモの人達!)
 さて、少し期間が空いてしまいましたが、今回は肝心のデモの内容について。どういった内容のイベントになるのか、ホームページ上で一応紹介されていましたが、どんな感じなのか私には全く予想が出来ませんでした。「団結」がテーマでもあるこのデモ、一応各党ごとに固まっていました(学生団体、労働組合、社会党などなど)。私はこのデモに誘ってくれた友達が属す緑の党が集まっている所に居ました。

 とりあえず集まったところで、開催者3人が挨拶。フランス語、ドイツ語、イタリア語、各言語で開催宣言となったので、「同じことを3回繰り返すということがこの後も続くの?」と思ってしまいましたが、最初だけでした。ミュージシャンが音楽を演奏したり、Erasmusを利用した学生の話や、ベルンで働く外国人看護師などの話がありました。各自自分の好きな言葉で喋って、通訳無し、という思い切った企画になっていました。

 そして、一番この言語の違いが分かれたのは詩の朗読。各言語圏出身の作家、詩人が出てきて詩を読んでいました。3つ作品を聞いた限り、フランス語の詩が一番きれいだった気がしました。これはかなり偏った意見ではありますが(ドイツ語とイタリア語の詩は内容を理解することが出来なかった)。ただ、ドイツ語も分かる友人は「フランス語の詩の方が良かった」と言っていました。個人的な印象ですが、聞いているとドイツ語はリズミカルな(規則正しい)感じで、フランス語は流れるような感じ、でしょうか。

 また観客も正直というか、自分が理解しない言語の時は余計なおしゃべりをしている人が多かったです。この投票で「Non」を投じた州のほとんどがフランス語圏。そのため、このデモに参加しているのもフランス語圏の人が多かったです。そのため、ステージ上でドイツ語やイタリア語で話が始まると、ステージ下はフランス語で私語が始まっていました。その逆もありで、ステージ上がフランス語になると、私語はドイツ語、でした。

 2時間弱で、このデモは終了。ジュネーブ帰宅のバス出発まで1時間近くあるので、友達とコーヒーを飲んで行くことにしました。デモが始まった頃は暖かかったのですが、やはり2時間近くじっとしていると寒くなってきました。デモ終了後に飲んだコーヒーで暖まることが出来ました。

 そしてバスに乗ってベルンからジュネーブへ。渋滞に巻き込まれ、2時間以上かかってジュネーブに到着しました。

初めてのデモ その3 [スイスでの生活]

  ベルン市内に到着すると、早速議会がある広場へ向かいます。旗やホイッスル、プラカードなど様々なものをバスから出しているUNIAの人達を見ていると、本当に準備が良いなあと思わされます。プラカードに各自スローガンのようなものを書いて、デモの準備です。

 ベルンへは12月に一度行ったきりでしたが、はっきりと覚えていました。半日かけて市内を歩いたおかげか、今回行った時もどこに何があるのか、大体分かっていました。と言っても、目的地は分かりやすい議会前の広場なのですが。

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(参加者が少しずつ広場に集まってきています)
 UNIAの他支部だけでなく、全国学生委員会、緑の党、社会党など様々なグループの人達が広場に集まっていました。プラカードを見ていると、各党によって書かれていることが異なりました。例えばUNIAは労働組合なので、4月に行われる最低賃金に関する国民投票と2月9日の投票結果をリンクさせたプラカードが多かったです(最低賃金保証と外国人労働者の搾取禁止、というようなもの)。学生委員会はErasmusに関するプラカードを持った人が多かったです。こういったプラカードを見ていると、本当に様々な考えの人が集まっているという印象です。「寄せ鍋」のようにとりあえず何でもかんでも混ざっていたいう感じもします。が、それもデモの主旨の一つ。Pour une Suisse ouverte et solidaire (開かれた、そして団結したスイスのために)という名前の元、たくさんの人を結集させるというのが開催者の第一目標のようでした。実際、参加した人数は開催者集計で12000人、Tribune de Genève(新聞)発表が5000〜10000人となっていました。フランスと比べると少ないですが、スイス規模で言うと多い方だと思います。私は即席ステージの前の方に居たので、広場全体がどれほど埋まっていたのかは分かりません。が、とにかくステージ前は人であふれていました。

 デモというと私は行進をするイメージなのですが、今回はステージ前に集まって、開催者などの話を聞くというもの。その演説に合わせて「オー」など言うところはデモらしい、と思いましたが。

初めてのデモ その2 [スイスでの生活]

 デモを行うのはもちろん首都であるベルン。そのため、ジュネーブから無料のバスを大学が出してくれるということになっていました。しかし情報はほとんどありませんでした。14時からベルンでデモ、ということ以外は何も分かりませんでした。大学の学生委員会へメールをしてみると、とりあえず集合時間と集合場所を教えてくれました。11時過ぎにバスが出発、ということだったので、とりあえずその場所へ行ってみました。まだ集合時間前でしたが、たくさんの人であふれていました。そして、その集合場所というのがUNIAという、スイスの労働組合ジュネーブ支部部前。私はてっきり大学がバスを出すと思っていましたが、UNIAにくっついて行くということのようでした。

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(UNIAジュネーブ支部前に集まるデモ参加者)
 Pour une Suisse ouverte et solidaire (開かれた、そして団結したスイスのために)、が正式なデモの名前で、様々な団体が参加していました。あくまでもこのデモ、2月9日の投票後に決行が決まったものです。Erasmusからの除外によって決まったものではありません。結果的に、この決定を受けてたくさんの学生が参加することになるのですが、本来の目標は2月9日の投票に対してどういったスイスであるべきか(=開かれた、団結した)というものです。このUNIAジュネーブ支部前に集まったのも、学生だけでなく、移民の人達など、年齢層も幅広く、色々な人達が来ていました。私がざっと数えてだけで100人近い人が集まってきていました。

 たくさんの人が来ていましたが、UNIAの人達はとても上手にまとめていました。様々な人が来るから、相当混乱するだろうと思っていましたが、さすが規律正しいスイス、というべきか、大きな騒ぎが起こることもありませんでした。各自乗車券(バス・電車組)が配られ、更に水、サンドイッチ、リンゴまで渡されました。素晴らしい運営だ、と本当に感心してしまいました。フランスほどではありませんが、スイス(ジュネーブ)では何度かデモがあるので、皆こういうデモをやり慣れているのでしょうか。

 さて、私はバス組。電車は満杯で大変だったようですが、バスは座ることが出来るので快適でした。ジュネーブからベルンへは行ったことがなかったので、距離感が上手くつかめませんでした。が、思ったより近くてびっくりしました。2時間かからないほどで、到着しました。

初めてのデモ その1 [スイスでの生活]

 2月9日に「大量移民反対」のイニシアティブ(議案)が通過して、まだ1ヶ月経ちませんが、毎日のように新聞に話題が載っています。私のような学生で言うと、一番気になるのはEU加盟国との研究(プロジェクト資金など)、Erasmus(エラスムス)協定など。Erasmusは日本でいう交換留学です。日本と大きく異なるのは、規模。日本の大学は海外の各大学と協定を結んでいますが、ErasmusはEU圏内の大学であればどこでも(もちろん留学生としての条件は色々あると思いますが)留学することが出来ます。つまり、スイスという国がフランスやオーストリアなどEU圏内の国と留学協定を結ぶ、というものです。EUの活動なので、留学期間中はEUが資金援助をしてくれるようです。少なくともジュネーブ大学の学生は、自分の出身大学だけでなく、受け入れ先にも授業料を払わなくて済むようです。更に、月200€の奨学金ももらえる、という特典付きです。

 が、先日の「大量移民反対」のイニシアティブにより、このErasmusにも影響が出そう、ということになりました。以前の記事にも書いたように、「国際協定」の見直しがこのイニシアティブの目玉。その協定の一部である、シェンゲン協定の一つがErasmusでもあるからです。

 大学でも国民投票後、どういう変化があるのか、動向が注目されていました。早速2月10日には、大学から「今留学中の人(Erasmus2013-14)に、この投票結果の影響は全くなし。2014-15も今のところ全く制限はないので、募集を受け付けています」という、学生を安心させるメールが来ました。

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(2月28日付けTribune de Genèveというジュネーブの新聞トップ記事「スイス、Erasmusから追放:ショックの大学」)
 このイニシアティブ自体、今のところ、どこをどう変更するという議論はまだはっきりとは始まっていません。国民投票というシステムを見直すべきではないか、という議論の方が先に出てきています。 スイスもEUと交渉しているようなので、私も動きがあるのは数ヶ月後だろうと思っていました。が、投票の2週間後(2月27日)、EUがスイスをErasmus計画から除外を決定。2014-15のErasmus計画は未定、となってしまいました。EUにしてはとても早い動きで、私もびっくりしてしまいました。3月3日現在、大学からこの決定に対する連絡はまだ来ていません。

 EUの動きは予想より速かったものの、いずれErasmus計画に影響が出ることは必須。そのため、2月9日の投票1週間後、ジュネーブ大学学生委員会からデモのお知らせが来ました。「2月9日の投票に対して団結を見せる」というデモになっていました。

 周りの友人、自分が交換留学を経験した身としては、とても興味がある話題となっています。デモの詳しい内容がホームページに載っていたので、主旨などを確認しておきました。そして、人生初のデモ参加を決定しました。

スキー遠足 最終回 [スイスでの生活]

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(雲がかかっている辺りがモン・ブラン)
 休む暇も無く、ずっと滑っていたので、お腹が空いてきました。大きなスキー場なので、休憩所は様々な場所にありました。もちろんレストランで食べることも出来ましたが、私はサンドイッチを持参(日本同様、こういったスキー場のレストランは基本高いので)。こういった休憩所の前には、椅子が乱雑に並べてあって、自由に座って食べることが出来ます。近くにあるモン・ブランなどの山(雲がかかっていて、全体は見えなかったのですが)を見ながら、サンドイッチを食べたのはかなり贅沢な経験でした!ちなみに、大学のインストラクター達は来慣れているのか、チーズフォンデュを持参して食べていました。冬のバーベキューのような雰囲気でした。
(風景を独占出来る椅子)
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 このまま山を見ていても良かったのですが、せっかくスキー場へ来ているので、さっさと滑りに行きました。駐車場の近くからはゴンドラがあって、それに乗って朝は山(コースが多い場所)を登りました。行き同様、帰りもゴンドラに乗って下山しても良かったのですが、せっかくコースがあるのだから、と滑って帰ることにしました。相当長いコースなので、集合時間から逆算して、何時頃滑り降り始めるか決めていきました。その時間までは、別のコースを探して、新しい場所を滑っていきました。同じ名前でもレベルが異なったりして、毎回新しいコースを滑ることが出来て楽しかったです。

 あっという間に、集合時間が近づいてきたので、駐車場へ向かうコースを滑り始めました。さすがに高度を感じるというほどではありませんでしたが、雪の質が異なりました。自分が午前・午後滑っていた場所は1900mの高さ、ある程度気温は低いので雪もパウダースノーとまでいかなくても、サラサラしていました。が、駐車場がある1010mの辺りに近づくにつれ、雪がシャーベットのようで、滑ると「ガリガリ」という音を立てていました。

 9時過ぎから15時30分頃まで滑ったスキー遠足となりました。あっという間でしたが、たくさん滑った、という充実感もいっぱいでした。が、学校に着くとちょうど雨が降り始め、雨の中スキーを抱えて家に戻りました。とても疲れていて、その日の夜は熟睡でした。

スキー遠足 その4 [スイスでの生活]

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(コース名の横にレベルを示した色が付いています)
 「難しめ」のリフトがあるという話をしましたが、もちろんコースもレベル別になっています。面白いシステムだと思いますが、フランスとスイスでは、コースのレベルによって色が決まっています。初心者から上級者の順に、緑、青、赤、黒の順になっています。どこのスキー場へ行っても、この色でコースが分かれているので、自分に大体合ったレベルのコースを見分けることが出来る、というわけです。

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 今回行ったスキー場は青や赤のコースが多かったです。最初はそういったコースを試しながら滑っていました。スキー場内にあるPrarion(1900m地点)という場所に着くとびっくり、山の天気が変わりやすいということを思い知らされました。自分が今まで登ってきた場所は、雲が一つ無い晴天。が、この地点に着くと、びっくり、そのコースだけ雲で覆われていました。小さい頃、「雲の中に入ってみたい」と思ったことがありますが、まさにそういった経験をするのにぴったりでした。実際滑ってみると、雲が厚く、前もよく見えないという状態でした。結局このコースは1回滑っただけ。

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(この日滑ったコースで一番急だった場所)
 その後、上級コースである黒コースもいくつかあり、試しに滑ってみました。問題なく滑ることが出来て驚きでした。人もほとんど居なくて、とても快適でした。たまに、とても上手な人が後ろから勢いよく滑ってくるぐらいでした。とても急なコースも無く、怖いとも思いませんでした。「上級コース」と言うと、朝里川スキー場にある自分が「壁」と呼んでいるコースを思い浮かべます。朝里川スキー場にあるこのコース、とても急で上からどんなコースであるかほとんど見えず、何度滑っても怖い思いをしました。壁のようにまっすぐなコースなので、私はそう呼んでいました。それと同じくらい急なコースがあるかな、と思っていたのですが、Les Houchesにはありませんでした。ただ、Les Houchesの黒コースはどれも距離が長くて、踏ん張る足がちょっと痛くなりました。こういったコースを滑っていても恐怖感が無く、スピード出し過ぎではないか、と逆に心配になってしまいました。

 午前中いっぱい、様々なコースを滑りました。5年も滑っていなくて、正直大丈夫かな、と思っていましたが、意外に体が覚えていました。冬の体育でスキーをやらない学校が増えていると聞きますが、私は幸運にも小・中・高とスキー授業がありました。特に小学1、2年はスキースクールにも通わせてもらったので、基礎を体が覚えていたのかなあと思いました。が、体は小学校の時からかなり年を重ねているので、翌日はひどい筋肉痛になってしまいました。

スキー遠足 その3 [スイスでの生活]

 さすがアルプス山脈というか、どこを見ても、山、山、山。スキー場もとても大きかったです。どこから滑り始めようか迷ってしまうほどでした。幸運にもスキー日和の晴天!閉まっているコースはなく、どこでも滑ることが出来ました。

 服装の準備は完璧にしておきました。なぜなら私はスキーをしている時、体が冷えるのが嫌いだからです(スキーをしていると足の先が冷たくなってそれが嫌だから)。日本から送ってもらったヒートテックを上下に着て、そこにさらに2枚(ズボンや上着)を重ね着し、ホストファミリーに借りたスキーウェアを着用。ポケットにはカイロまで入れてきました。が、スキー場に着いて早々暑くなってしまいました。札幌でスキーをやっていた頃は、どんな晴天でも必ず寒くなっていました。が、さすが雪が降っているのは山だけ、という状態が続いているフランス/スイス、スキー場といえども結構暖かかったです。

 コースが多いため、リフトの数も多かったです。そして驚いたのがその種類!日本に居た頃は、ゴンドラとリフトぐらいしか知りませんでした。が、こちらはそれ以外の移動手段がありました。その中でも特に印象に残っているのが、「Téléski(シュレップリフト)」と呼ばれる物。私の辞書には、「尻当て部が円盤状のバーリフト」と説明が書かれていました。その通り、下の写真に写っている棒を股に挟んで、スキーを滑らせながら移動するリフトです。足が地面に着いているので、「落ちる」という恐怖感はありません。が、出発する時は勢いよく引っ張られます。
(これがTéléski。出発地点に戻っている途中のものです。バーが人にぶつからないように高めになっています。使用する時は、もっとこのバーが下に降りてきます)
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 この時、上手く捕まっていないと私のように、体が回転して木の枝にぶら下がったような格好になってしまいます。案の定、このリフトに上手く乗れないのは私だけではありませんでした。コースの途中に「この後、難しめのTéléskiあり」と書かれていました。普通なら「この後、難しめのコースあり」という表示になると思うのですが、このスキー場ではリフトも難しさの物差しの一つになっていたようです。
(少し見づらいですが、このTéléskiに乗った状態で撮った写真です。小さいですが、前の人がこのTéléskiにまたいでいるのが見えます)
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