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Tout est Permisを見て考えたこと [スイスでの生活]

 Tout est Permisは、スイスのホストファミリーと見に行ったのですが、その日の夕食は、ドキュメンタリーの話題で尽きませんでした。今でも印象に残っているのが、「合宿参加者は政府が国民を子供扱いせざるを得ない状況を作っている人たち。私たちも例外ではない」ということでした。この合宿参加者が、初期によく言うのが、「ルールや罰金を設定して、政府が私たちを陥れようとしている」ということでした。これに反論できる例が、スピードカメラの位置を政府がインターネットで公開している、ということでしょうか。もし、陥れる意志が本当にあるのなら、分かりにくい所に設置するだろうし、設置場所を隠そうとします。しかし、現実には、スピードが出そうな曲がり角や追い越しの多い場所に置いてあり、運転している人も簡単に予想できそうな場所です。ではなぜそんなことをしているか、というと、事故を起こさないため、ではないでしょうか。合宿の講師曰く、「罰金より、事故を減らして、社会保障の額を減らす方が国にとって儲けのよい話」でした。でもそのような交通ルールを守らない人が居るから、新たなルールを設置せざるを得ない。自由になりたくても、自分たちが自由にさせない状況を作り出している、ということです。ホストファミリーの言葉を借りると、「子供扱いする」ことを避けられない、ということでしょうか。

 更に怖いことに、ルールが出来れば出来るほど、思考の停止が多くなる、というわけです。これが一番怖いこと、のような気がします。例えば、道路のスピードは、場所によって決まっています。それをルール、として捉えてしまえば、思考もそこで止まってしまいます。かなり極端な例ですが、もしスピード規制がない道路があったら?どれくらいのスピードを出したら、危ないか、どれだけのスピードを出すべきか、と様々なことを自分の頭で考えなくてはなりません。もちろん、道路のスピード規制をなくすべきだ、というわけではありません。一種の基準として、ルールは必要だと思います。ただ、ルールが存在すればするほど、自分で考える、ということも少なくなり、思考停止に陥るような気がします。

 この映画を見た、数日後、日本の新聞に「自動運転(制御)の車発売」の記事が出ていました。ホストファミリーと一緒に苦笑いしてしまいました。
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Mi

自動制御が付いている車が普及すると、自動で止まるからという安心感のようなものを持ってしまい、スピードを出しすぎたりする人が増えるのではということを、ニュースを見ていて思いました。
by Mi (2014-09-10 17:19) 

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