SSブログ

ノーベル文学賞と翻訳 [読書’14]

 今回は、翻訳について書いていきたいと思います。インターンシップをやっているNGOからレポートの翻訳を任されました。全12ページで、結構長かったです。「食の権利」という、日本ではあまり馴染みの無いトピックでした。またレポートということもあってか、1文が長いので、訳していると、何を言いたいのか分からない日本語になってしまい、苦労しました。翻訳は本当に大変だ、と何度も思いながらやった作業でした。

 そんな中、ノーベル文学賞発表後に載っていた夕刊の記事で面白いものがありました。毎年、「ついにノーベル賞か?」と名前が挙がる村上春樹と、今回受賞したフランス人作家、パトリック・モディアノに関する記事が書かれていました。この作家、フランスではとても有名なようですが、私は全く知りませんでした。調べてみると、私が気に入っているフランスの文学賞、ゴンクール賞受賞作家でもあるようです。言うまでもなく、早速彼のゴンクール受賞作品を私は注文してしまいました。この彼がノーベル賞受賞にいたり、なぜ村上春樹がなかなか受賞できないか、という分析がこの記事には書かれていたのですが、大きな理由が「村上春樹の作品は翻訳だから」ということでした。このノーベル文学賞を選ぶ人たちは、フランス語が出来る人も多いので、このモディアノの作品も、原語で読んだ人たちが多かったそうです。しかし、村上春樹の作品は、原語が日本語なので、英語、フランス語など、何かしらの言葉に訳された作品になる、というわけです。もちろん、川端康成、最近では中国の作家も受賞しているので、翻訳作品が絶対受賞できないわけではないと思います。しかし、過去の受賞者を見ると、国は違えど南アメリカからの受賞者も多く、スペイン語が広く使われている地域だから、スペイン語という原語で読める審査員も多かったのではないか、と私は思います。そうすると、原語の方が有利という考えも捨てきれないわけではありません。

 同時期に、別の新聞で、「なぜ村上春樹が海外で有名か?」という記事も書かれていました。面白いことにこの記事でも注目していたのは、「翻訳」という点でした。村上春樹自身が、翻訳家ということもあってか、彼の作品は翻訳しやすい文体、だそうです。だから、翻訳されても、あまり違和感の無い、原語でも外国語でも楽しめる世界が展開される、とこの記事は説明していました。翻訳作品は、作者、そして翻訳者の力量が問われる、「共同作品」だと私は思っています。

 村上春樹の作品のフランス語版では、決まった2~3人の翻訳家が村上春樹の作品を訳しています。2~3人に限定はされているものの、決められた一人の翻訳家が訳しているわけではありません。それでも、彼の作品は毎回一定の部数を売り上げています。これは、原語が訳しやすい文章だからなのかなあとも思います。彼の作品を外国語で読むのは不思議な感じがするので、私は日本語で読む方が好きです。確かに読んでいても、シンプルな文体が続くので、翻訳者にとっては訳しやすいのかな、と思ったりもします。ただ、世界観がかなり独特なので、そこを上手にくみ上げるのは結構難しそうです。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

Haha

どんなに上手に翻訳しても、その言語の持つ独自の魅力を伝えることは不可能だと思います。原書で読むことが出来るのは、素晴らしい。
そう考えると、やっぱり村上春樹は不利ですね。
by Haha (2014-11-21 09:07) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0