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軍師の死にざま(アンソロジー:2013) [読書’14]

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 図書館の検索機能で「司馬遼太郎」と調べると、この本が出てきたので、すぐに予約しました。もちろん、タイトルが気に入ったからです。が、目次を見てみると、様々な小説家の作品が集まったアンソロジーでした。ちょっとがっかりしたのですが、色々な小説家の作品を楽しむことが出来ました。そして、意外にも、司馬遼太郎ではない作品が気に入りました。他の(歴史)小説家は、こんな書き方をするのだなあと、少し発見がありながら、読むことが出来ました。全てを紹介することは出来ないので、私が気に入った作品をいくつか紹介したいと思います。

1.「城を守る者」by 山本周五郎
 私は初めて聞く、千坂対馬という軍師/武士の話でした。タイトル通り、城を守ること、留守を買って出る武士の話です。軍を指揮するという意味での軍師とは、全くタイプが異なるけれど、先見の明がある、という意味では軍師に似ている気がします。また、全く表舞台に出てこない、真意を隠し通す部分なども軍師に似ていました。英語でunsung hero(「歌われないヒーロー」→影の英雄)という言葉がありますが、まさにこの作品の主人公にぴったりな言葉だと思います。影のつらさ、というか、光が当たらない、表舞台に出ない人の様子が上手く書かれていて、好きになった作品です。

2.「まぼろしの軍師」by 新田次郎
 先ほど紹介した作品ほど、熱くなるものではないけれど、ミステリーっぽくて結構速く読めました。短編なので、あっという間に終わってしまいます。山本勘助が活躍している時代を現在として書くのではなく、過去として書くことで、より彼のすごさが分かる作品だった気がします。最後に、「そういうことか!」と思える、少し推理小説を読んでいる気分になりました。

3.「黒田如水」by 坂口安吾
 これは、作品が好きになったというより、文体が面白かったという方が正解かもしれません。音読したら、流れるように読めそうな文体でした。「ここで終わっちゃうの?」と思ってしまう、不思議な小説でした。と、思っていたら、これは短編ではなく、坂口安吾が書いた長編の最初の2章を持ってきていただけでした。どおりで、中途半端な終わり方でした。

関ヶ原 上・中・下巻(by 司馬遼太郎 :1964) [読書’14]

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 戦国、安土桃山、そして江戸時代へ向かう小説を読み続けていますが、ようやく関ヶ原までやってきました。ウィキペディアによると、司馬遼太郎作品で「国盗り物語」、「新太閤記」に続く戦国三部作品の一つがこの「関ヶ原」のようです。関ヶ原の戦い、というと江戸時代を作り上げる徳川家康の戦い、というイメージが私には強かったです。そのため、勝手に徳川家康の話だろう、と思っていました。もちろん、徳川家康も描かれるのですが、石田三成と交互に描かれます。二人の戦いが、関ヶ原のため、ほとんど交互に、東の徳川、西の石田、という風に話が進んでいきます。ほぼ同時期にお互いがどんな風に相手を見ていて、どのような策略で相手をだましていくか、というのが分かるストーリー構成になっていました。対比されながら進んでいくので、「やっぱり東の勝ちか」というのが、上巻ぐらいで分かってしまいます。歴史小説なので、結末が既に分かっていながら読むというのは定番なのですが。

 しかし不思議なことに、印象に残っているのは石田三成でもなく、徳川家康でもありませんでした。私の印象に残っているのは、この関ヶ原の戦いという流れに一気に向かわせた、豊臣秀吉でした。確か、彼が死ぬ直前頃からこの小説の話は始まります。彼が亡くなっても、何度も彼の名前は登場し、大きな影響力を持ちづけます。彼の子孫を「守る」または豊臣家に「尽くす」という姿勢を、どう社会に印象づけるかということを頭に置いて作戦を立てるか、ということがとても重要になってきます。死んでもなお影響を残し続ける豊臣秀吉はやっぱりすごい人だったのか、と何度も思わされました。司馬遼太郎の他の作品を読んでいても、豊臣秀吉は(もちろん策略家でもあるのですが、それをなるべく見せないようにしている、という意味で)「名役者」のイメージが私の中では強いです。その名役者が後生に残す影響というのはあまり考えていなかったのですが、この小説では何度も考えさせられました。一代で全国統一はやっぱりすごかった、ということだけでなく、彼は名役者というだけではなかったなあ、という具合です。

 そして印象に残っているのは小説最後のシーン。石田三成が亡くなった後もこの小説は1章ほど残っていました。最初はこの小説の解説かな、と思っていたのですが、大事な章の一つでした。石田三成死後の、黒田如水と徳川家康のやりとりです。ここには書きませんが、なかなか良い終わり方だったと思います。私の中でナイーブなイメージが強い石田三成でしたが、この1章で少しそのイメージが少し変わった気がしました。

 蛇足になりますが、小説を読み終えた翌日の日経の広告に面白いものが載っていました。FUJITSUの広告で「名将の影に軍師あり」というもので、耳にした戦国武将が色々載っていました。そこに石田三成も載っていて、最初はちょっと意外に思ってしまいました。しかし説明を読むと、豊臣秀吉を支えた軍師として紹介されたので、納得出来ました。なかなか良い広告だと個人的には思いました。

功名が辻 1〜4 (by 司馬遼太郎: 1963) [読書’14]

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 「国盗り物語」、「新太閤記」と読んできましたが、今回読んだのも戦国時代の小説です。この本は、あくまでも戦国武将の奥さんが主人公。内助の功というのはこういうことか、と思える本でした。同時期にSimone de Beauvoir (シモン・ド・ボーヴォワール)の「第二の性」を読んでいたので、なんという女性の扱いだ、と思わなかったわけではありませんが、面白い本でした。本の裏表紙にも「痛快!」と書かれていましたが、まさに痛快な話でした。「歴史に『もし、たら』はない」というけれど、この本の主人公である千代、山内一豊の奥さん、が男だったら、どれほどの手柄を立てていたのか、と思わずにはいられません。現実にこのような女性だったのか、あくまでも脚色だったのかは分かりませんが、上手く旦那さんを誘導し、しかしそれを見せない部分は、完全に旦那さんを尻に敷いているなあと感心してしまいました。山内一豊の行政に影から関わるだけでなく、夫婦関係も上手に操っているところもあり、軍師のような部分もあり、私の好きな話になりました。

 そして、この小説で再認識したのが、様々な行動が深い意味を当時は持っていた、ということです。徳川家康を信頼させるための一計として、山内一豊が千代からの手紙を開封せず徳川家康に渡す、というシーンがあります。もちろん、千代が考えた案なので、同じ内容の手紙が別ルートで山内一豊のところに来ています。もしかしたら愚痴などが書かれているかもしれない女房の手紙を、自分が見る前に、将来自分が所属する軍のトップになるかもしれない人に見せる、という行動が、相手を信頼させるためのものだというわけです。もちろん、徳川家康はこの行動の意味をしっかり理解し感動します。当時の社会は、内容より、このような行動形式により、意味を重んじていたのだなあ、と感じます。また、各行動の意味を常に考えていないと、語られない行動の意味をくみ取ることが出来ません。将軍はもちろん、それに使える兵士達も頭の回転が速くないと、こうした「語られない行動」の意味を理解出来ず、その行動も無意味になってしまうよなあと思ってしまいました。

義経 (by 司馬遼太郎:1968) [読書’14]

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 ずっと読もうと思っていた作品ですが、司馬遼太郎の他作品を色々読んでいて、なかなか目的だったこの作品を読み始めることができませんでした。ようやく読むことが出来たのですが、私好みの話ではありませんでした。もしかしたら、変な期待をしすぎたのかもしれません。

 そもそも、この作品を読もうと思ったきっかけというのが、京都で弁慶橋という名前を見たから。弁慶だから義経、と思ったので、この本を図書館で借りてきました。タイトルからも分かるように、この本は義経について、でした。私がより興味を持った弁慶は、思っていたほど登場しませんでした。勧進帳で有名なあの弁慶の活躍(関所での問答)も、かなりあっけなく書かれていて、ちょっとがっかりしてしまいました。一文あるかないか、ぐらいでした。もちろん、義経の話だから弁慶の活躍があまり描かれないのは当たり前と頭では理解していたのですが。

 また、この本を読んで、源頼朝のイメージも少し変わりました。小学校の歴史の授業で初めて、源頼朝という名前を聞き、江戸時代まで続いた幕府というものを最初に作った人、征夷大将軍、という風に習いました。もちろん、各時代により政治のやり方は異なったにせよ、基礎となる幕府を築いたすごい人だ、とずっと思っていました。しかし、この「義経」の中では、自分の邪魔になりそうな義経をとことん排除しようと動く、という風に描かれていました。もちろん、ここまでやっていなかったら、彼は征夷大将軍になっていなかったかもしれません。それでも、異母兄弟とは言え、兄弟に対してここまで残酷に接することが出来るモノなのかなあ、と私は思ってしまいました。もちろん、現代とこの時代の「兄弟」の概念はかなり異なると思います。この時代、兄弟というのはむしろ、将来の侵略者・邪魔者になり得る人だったのかもしれません。それにしても、妹が二人居る私にとっては、かなり理解のしがたい兄弟関係でした。

ロスジェネの逆襲 (by 池井戸潤 :2012) [読書’14]

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 東野圭吾、池井戸潤、宮部みゆき、今本屋で大人気の作家3人だと思いますが、宮部みゆき以外は時々読んでいます。図書館で予約して読んでいるのですが、人気の作家だからなかなか来ないだろう、と思っていました。

 私の使っている図書館は市内全部の図書館の本を予約出来、自分の指定した図書館へ持ってきてくれます。また各図書館、人気作家の本となると、同じ作品をたくさん持っている(30冊ぐらい)ので、予約している人が多くても、意外に順番が早く回ってきます。この「ロスジェネの逆襲」もそのケースで、予約してから1ヶ月しない内に、私の番が回ってきました。

 さて、返却日が近くなってきたので、札幌へ行くとき、一緒に持って行きました。早朝、成田空港へ向かう電車の中で読んだのですが、面白くて電車内ではずっと読んでいました。眠いとすぐ寝てしまう飛行機の中でも読んでしまいました。読み終わってさて寝よう、と思った時には、もう飛行機が新千歳空港に到着していました。

 半沢直樹シリーズですが、過去2作品とは少し異なる内容でした。前2作品は、資金回収(経営再建)がメインでした。読んでいて、銀行の仕事はどんなものか、銀行内の人間関係が描かれていて、銀行員の仕事がどんなものであるかよく分かる作品でした。

 しかし今回は主人公が勤めている場所の特徴上、企業買収がメイン。買収する側、される側、それに関わる銀行、と様々な企業種が関わっています。そのため、銀行員の仕事、というより、仕事とは何なのか、というテーマがメインだった気がします。インターンシップをやっている時に読んだせいか、とても面白いテーマだったと思います。今までに読んだ半沢直樹シリーズの中で、一番好きな作品です 。

 また、面白いと思ったのが人事に関する考え方。ヨーロッパ人の友人の就職状況や、今インターンをやっている場所で働いている人たちと、人事に対する考え方が正反対でした。「銀行員にとって人事は絶対」と作品で何度も書かれているのですが、ヨーロッパや国際機関などでは、「人事は自分で取ってくるもの」と言われます。私は就職活動をしたことがないのでよく分かりません。でもよく考えてみると、ヨーロッパの友人はよく上司と交渉をしています。ポストや収入に関する交渉なのですが、いつ会っても交渉している感じです。そのためか、自分自身の人事に関しても、自分で取りに行く、という感じなのでしょうか。

Le deuxième sexe (by Simone de Beauvoir : 1949) [読書’14]

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 私が読み終わったのは第1巻で、かなり厚い2巻目が残っています。一応1巻目で話に一段落ついているので、忘れない内にこの1巻の感想を書いてしまいたいと思います。

 元々、この本または彼女に興味があって読み始めたわけではありません。哲学者サルトルのパートナー(一緒に数年間住んでいたけれど、結婚はしていない)として有名ですが、彼女も哲学者です。サルトルの作品は一度戯曲を読んだことがあるのですが、かなり難解でした。哲学の本が多く、自分から進んで手に取る作者ではありません。彼女も同じく哲学者で、思想関連の本を出しています。その内の一つがこの「第二の性」です。フランス人の友人が「女性なら読んだ方がよいと思う」と言って薦めていたので、自分で買って読んでみました。

 この本は「On ne naît pas femme : on le devient(私たちは女に生まれるのではない、女になるのだ)」というフレーズでとても有名ですが、実際にこれは第2巻目に入っている文章。1巻では、まるまる1冊かけて、それがどういうことなのか、生物学的、社会的な視点から説明しています。哲学書は読み慣れていないので、読むのに相当時間がかかりました。最初の生物学的説明は、生物の専門書かと思うくらい詳しく書かれていて、途中で「私は何の本を読んでいるんだろう?」と思ってしまいました。

 日本でもようやく女性を重職に登用が叫ばれましたが(そしてその比率についてもめていますが) 、ヨーロッパに比べるとまだまだだなあと思います。スイスへ行く前にも、この点についてはなんとなく感じていました。が、行って帰ってくると、日本は遅れているなあということが目につきます。

 さて、この本は女性解放運動の先駆けになった本、のようです。1960年代にこういった運動は広まってきたようですが、この本が出版されたのはなんと1949年。大戦の数年後、このような本が出て、相当な話題になったのだろうと思います。

 この本には、もちろん、女性の投票権について書いてありました。女性も投票できるようなった最初の国がニュージーランドで1893年。日本は1945年、そしてスイスは1991年。そのため、1940年代に出版されたこの本では、「スイスの女性に投票権はまだ無い」というようなことが書かれ、女性の投票権が認められていない国の例として使われていました。

 スイスというと、ヨーロッパの一国で「進んでいる」と思っていましたが、投票権については別。スイスでも汚点、となっているので、スイス人は皆この話題になるのと苦い顔をしています。ジュネーブはスイス国内で、どちらかというと先進的なので、女性は1959年から投票が出来ました。女性の投票権については他の議題同様、国民投票にかけられました。ジュネーブやその他フランス語圏州はこの議題を可決。しかしドイツ語圏の多いスイス、保守的な考え方をする人が多いようで、全国規模ではこの議題は否決となりました。この年からジュネーブや他のフランス語圏州は、独自に女性の投票権を認めるようになりました。特にアッペンゼル州は(全員が広場に集まり、挙手による投票を続けていることで有名な州)95%が反対。1990年まで、これらの州で女性投票権は認められていなかったようです。アッペンゼル州などは最後の最後まで抵抗を続け、これらの州の反対を押し切る形で、1990年に議会が女性への投票権を認めるよう義務づけることで決着がついたようです。ちなみにジュネーブの人たちはこの件に関して「議会から義務づけられるまで、女性に投票権がなかったなんて、スイスの恥だ」と言っていました。

 と、難しい本でしたが、この時代に、このようなことを発表した作者はすごい人だなあと思いました。現在でも、まだまだ問題になっている点が述べられており、「社会の『女性』という枠組みに、気づかない内にはめられてしまっている」と何度も思いました。

 さて、1巻目より更に長い2巻、どんな内容なのでしょうか。

項羽と劉邦 上・中・下 (by 司馬遼太郎:1984) [読書’14]

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 インカレで3泊することになっていて、大会中に読める本を司馬遼太郎作品から探しました。この夏、織田信長、豊臣秀吉の司馬作品を読んだので、次は徳川家康に関する司馬遼太郎作品を、と思っていました。しかし、残念なことに、「関ヶ原」の上巻は貸し出し中でした。

 それなら、3日間で読める3巻の作品がないか、と見つけたのが「項羽と劉邦」でした。父がたとえ話でよく、「百戦99敗の劉邦、百戦99勝の項羽」という話をしていました。2人の名前は知っていましたが、詳しいことはよく知りませんでした。そこで、インカレを機会に読んでみることにしました。

 インカレの大会では、やはり学校対抗ということもあって、リレーは特にハラハラ、ドキドキです。しかし、私は本を読んでいる間もハラハラ、ドキドキでした。歴史は過去のことだから、結果は既に知っています。例えば、この小説で言えば、色々なことがあったにせよ、最後に勝つのは劉邦です。しかし、あれだけ負けて、頼りない劉邦が本当に最後勝てるのか、と読みながら、何度も疑ってしまいました。本の中でも、「他人が『助けてあげたい』と思わせる何かを劉邦が持っている」というようなことが書かれていました。本当にその通りで、周りに優秀な人が集まって、最後の最後に勝利を収めたという感じです。もちろん、優秀な人を離さない、劉邦の人徳も才能の一つと言えるのだと思いますが。

 また、人間に必要なものは、なんだかんだ言って、食糧なのだ、ということも実感しました。劉邦は項羽に負け続けてばかりですが、自分自身を養うためにも、とにかく食糧があるところ(城)へ向かいます。それだけがあれば良い、という感じです。そして、付いてくる人たちも、「劉邦のところなら、何とか食べさせてくれる」と、どんどん増えていきます。食べることが好きな私、この気持ちはよく分かります。旅行するにしても、宿泊所のシャワーが良いか、ということより、食べ物を手に入れる場所があるか、ということを気にします。これまで読んできた本は、どれだけ領土を広げるか、どうやって権力のある人と家族関係になるのか、ということが権力拡大の方法となっていました。しかし、この本で最後に勝者となる劉邦は単純に、しかしとても重要な食糧を常に追い求めていて、とても新鮮でした。
 
 中国ということで、地理はもちろん、人名にも結構苦労しました。地図も本についてきていましたが、どこがどこだかよく分かりませんでした。

 そして、この作品で私のお気に入りは、劉邦でもなく、項羽でもありません。劉邦の部下、国士無双と言われた韓信です。軍師のように、色々戦略を立てて、劉邦を支える人です。この人は自分の実力を試してみたい、と思っているだけで、必ずしも天下を取るという野望は強く無いようです。少なくともこの小説内では、劉邦を裏切ることなく、緻密な戦略を持っています。「播磨灘物語」でもそうですが、自分の戦略を試してみたい、という人は、必ずしも天下を取りたいというわけではない、ということがよく分かります。

 と、読もうと思っていた「義経」をまだ読むことが出来ていません。別の司馬作品を読んでいて、良い意味での寄り道を続けていたからです。これでようやく「義経」に取り組むことが出来ます。

播磨灘物語 (by 司馬遼太郎:1973) [読書’14]

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 父に勧められて、この本を読みました。最初はタイトルの漢字も読むことが出来ず、また誰の話なのかも知りませんでした。豊臣秀吉を支えた軍師、黒田官兵衛の話ということで、読む前から楽しみでした。

 先日、関西の祖父母宅へ行ったとき、ちょうど日曜日で大河ドラマを見ていました。たまたま私でも知っている「本能寺の変」の回で、「豊臣秀吉にはこんな軍師が居たんだ」とぐらいにしか思いませんでした。しかし、「国盗り物語」でもう一人の軍師、半兵衛が登場し、そこでも一瞬この黒田官兵衛について触れられていました。「国盗り物語」は織田信長が主人公なので、軍師についてはほとんど書かれていません。しかし、この後に読んだ「新史 太閤記」の中で、たくさん登場し、ある程度彼の名前を聞き慣れてから、この「播磨灘物語」を読むことが出来ました。

 まず面白いなあと思ったのが、本によって設定が違うこと。両方とも、歴史小説なので、多少の脚色が加えられていると思います。しかし、「新史 太閤記」と「播磨灘物語」では、豊臣秀吉と黒田官兵衛がどのように出会ったのか、という描き方が少し異なります。使われている資料が違うのか、演出のためなのか、よく分かりません。これはちょっと驚きでした。もちろん、物語上に支障が出るほどではないのですが、歴史と言っても、見方を変えると結構違いが出るのだなあと思いました。

 軍師、というと、私が最初に思い浮かべるのは諸葛亮孔明。マンガの中でしか、彼を知りません。そのマンガでは、帝である劉備玄徳の意志をついで、蜀、呉、魏を最終的には統一させようとしている気がしました。また、戦いの指揮だけでなく、政治にもかなり干渉していた印象がありました。そのため、軍師というと、将軍、帝などの右腕、というイメージを持っていました。

 しかし、実際には軍師は漢字を見ても分かるように、軍を導く人。軍師という仕事が何であるのか、この「播磨灘物語」を読んで再確認出来た気がします。官兵衛は日本を統一しようとかいう野望が特にあるわけでなく、純粋に「天下いじり」がしたかったのだ、ということが、この本を読んでいるとよく分かります。この時代の小説を読んでいると、どうしても、誰でもが天下を統一したがっている、と錯覚してしまいます。しかし、必ずしもそうではない、とこの本を読んでいると実感します。

 軍師の話、ということで、ずっとワクワクしながら読むことが出来ました。相手の心理をどう読んでいくのか、という部分が一番面白かったです。強いて言えば、彼の人生の後半、豊臣秀吉から離れた後の部分が少し短かった気がします。九州に向かって、何をしたのか、ということをもう少し詳しく描いてくれた方が良かったです。そうすれば、もう少し長い小説を楽しめることが出来るのに、と思ってしまいました。

新史太閤記 上・下 (by 司馬遼太郎:1992) [読書’14]

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「国盗り物語」の後は、元々読む予定でいた「義経」に取りかかろうと思っていました。しかし、「国盗り物語」は本能寺の変が起こった辺りで終了。「国盗り物語 織田信長編」なので、当たり前と言えば当たり前なのですが、どうも中途半端な感じでした。この後、弟子達の明智光秀や豊臣秀吉がどうなるのか、少し気になったので「義経」の前に、「新太閤記」を読んでみることにしました。もちろん、この本は豊臣秀吉の一生を描いているので、上巻は彼が実家を飛び出してくるところから始まります。つまり、私が知りたかった「本能寺の変」後は、まだまだ先でした。確か、上巻の終わりでも、まだ織田信長は生きていました。

 この本は、豊臣秀吉の視点から描いているので、彼がどんなことを考えていたであろうかということが少し分かります。織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の三大武士を比較する時によく使われる、「ホトトギス」の俳句があります。誰がどの句を詠んだのか、何となくは覚えていたのですが、「新史 太閤記」を読むと、誰がどんな性格をしていたのか、というのがよく分かります。メインは豊臣秀吉でも、3人の武士がどんな考えをしていたのか、ということが分かりやすくなる本だと思いました。

 しかし、私がこの本で印象に残っているのは豊臣秀吉でも織田信長でもありません。限られた場面にしか登場しないけれど、私に強い印象を残した二人の参謀です。半兵衛と官兵衛です。二人とも似たような字で、最初はどちらが今年の大河ドラマで取り上げられているのかも分かりませんでした。今ではもちろん、見分けが付くようになりましたが。半兵衛は「国盗り物語」にもチラッと出てきていて、なかなかすごい参謀だなあ、と思っていました。今回は上巻にしっかり登場して、彼の策略、計算高さも見ることが出来ました。もちろん、官兵衛の策略、実力も色々描かれていて、「軍師ってすごいな」と憧れを持って読んでいました。

やがて哀しき外国語 (by 村上春樹 : 1997) [読書’14]

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 村上春樹のエッセー集を読むのは初めてだと思います。スポーツ雑誌Numberに書いてあったエッセー/インタビューは何度か読んでいて、「彼の小説よりエッセーの方が好きだな」とは思っていました。そのため、「哀しき外国語」というエッセー集を読むのは楽しみでした。

 このエッセー集、小説よりは結構早く読むことが出来ました。共感できる部分も多くて、彼の小説を読んでいる時に感じる「居心地悪さ」(表現があまりも的確過ぎて、私の心を見透かされているのかと少し落ち着かなくなる)がほとんど無い、というのも好きな理由の一つかもしれません。エッセーにおいて、ネタバレというのはほとんど無いと思うので、印象に残った部分をここでは書いていきたいと思います。

 1.「行ってはいけない場所」について
 アメリカでもそうですが、パリでも「危ない場所」があります。日本だと「未成年は競馬場に入ってはいけない」という特定の施設に関する制限はありますが、地区で「行くべきではない」という場所はあまり聞いたことがありません。が、アメリカ(映画などを見る限り)やパリではそのような場所が存在します。このエッセー集に書かれていたのと同様、「○○には△△の人種が多いから危ない」という注意を私もパリで受けました。友達がその地域に住んでいたので、私もその地域に行ったことがあります。確かに私が住んでいた地域とは雰囲気も異なり、ちょっと汚い感じもしましたが、昼間は「危ない」雰囲気がありませんでした。もちろん、リスクを冒して夜一人でその地域を歩くということはしません。が、この場所に行って、確かに危ない地域かもしれないけれど、危なくない時もあるのだなあと思いました。地図の線引きだけでは分からないことだったと思います。

 2.床屋は日本人
 床屋は海外に居ても日本人が居るところを探す、と作者は書いていましたが、この章を読みながら、私の友人を思い出してしまいました。彼は日本人ではありませんが、学部時代一緒に勉強した友人です。彼曰く、「上手く髪を切ってくれるのは日本人」らしく、どこへ行っても日本人が営業している床屋へ行くそうです。私は髪を短くしてくれれば良い、という人なので、そのこだわりにはびっくりしたことがあります。彼はヨーロッパの色々な都市を回っていますが、その各都市で日本人経営の床屋を見つけています。それほど、日本人経営の床屋は腕が良いのでしょう。日本人経営の床屋における需要・供給が海外の大都市にはあるのだと思います。

 海外で生活することで感じる、外の人(部外者)という感じ、また外の人だからこそ分かる(客観的な)視点ということがこのエッセーは書かれていました。私もスイスで同じような感覚を味わったので、読んでいて共感をすることが多かったです。