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元国境地帯 [旅’15]

 あっという間に、2月も中旬(後半)に突入。一気にドイツは寒くなってきました。時間がかなり経っていますが、年始のドイツ小旅行について書いていきたいと思います。

 花火を見た年始を終え、歴史の勉強へ。友人が住んでいるところから20分ほど車を走らせると、元東ドイツのエリアに着きます。今でこそもちろん国境は無く、道路が出来ていて、自由に行き来することが出来ます(当たり前ですが検問もありません)。ただ、国境の跡というのはしっかり残っています。

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 この地域には、写真のような看板が様々なところに立っています。標識には「ここは、ドイツとヨーロッパが1989年11月18日の6時まで分断されていた地点」と書かれています。時間や日にちに違いがありますが、元国境地点にはこのような看板がいくつも見られました。「西ドイツと東ドイツ」という表現ではなく、「ドイツとヨーロッパ」という表現もなかなか興味深いです。

 どのように国境を決めたのは、細かいところは分かりませんが、通常は(見張りがしやすいように)広い草原に国境、そして立ち入り禁止区域のような部分がありました。国境というと、一定の境があって、そこを越えると別の場所というイメージを私は持っていました。スイスとフランスの国境は検問があって、その場所を越えると、別の国となっていたので、私はそのイメージが強いのかもしれません。しかし、この地域の「国境」は、東ドイツが東から西への人の移動を防ぐために設置されたもの。見晴らしのよい「立ち入り禁止」区域を設けて、見張る必要があったのかもしれません。 下の写真、奥に見える白い塔は見張りの塔です。
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 ちなみに、この元国境地帯、道路も通っていますが、今ではGrünes Band(グリーンベルト)という自然保護地区になっています。かつて分断されていたこのエリア、その歴史を忘れないよう、今では草花や動物(野鳥)を保護するための場所になっているようです。

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 人工的に引かれた国境以外にも、地形を使った国境もありました。このElbe(エルベ)川、写真の向こう側は東ドイツです。中学校の地理の授業で、国境の作られ方を勉強しました。川や山など地形を利用したもの、植民地という歴史を持つアフリカ諸国の人工的な国境などを勉強したと記憶しているのですが、まさにその内の一つの国境パターンがドイツ国内に存在していたというわけです。この川の向こう側が東ドイツ。手前にある碑には「東ドイツ(ドイツ民主共和国)」、そして奥の看板には「国境地域 立ち入り禁止区域」と書かれています。 北海道、そして日本という島国で育った私からすると、川の向こう側が外国、ということがなかなか想像できませんでした。
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 今回、東と西ドイツの元国境地帯へ行ってみたわけですが、今ではもちろん同じ「ドイツ」です。車で通過しただけですが、元東ドイツだった場所と西の差は歴然としています。 道路の整備が良くなかったり、廃墟のような建物が多い村は元東ドイツ。その廃墟もちょっと無機質な感じで(集合住宅みたいでした)、ガラッとイメージが変わります。国のシステムが異なると、これだけの違いが出るのかとちょっと驚いてしまいました。見えない「境」が今でもあるような気がします。たまにドイツ人から、「東と西の格差」について話を聞きますが、色々難しいことも多いようです。ベルリンの壁崩壊から、たった26年か、まだ26年なのか、ドイツ事情が見えてくる元国境地帯訪問でした。
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