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富良野の旅 番外編2 [旅’15]

 ラベンダー畑以外に、富良野や美瑛で有名なものといえば、コマーシャルなどで使われていた風景。私達もいくつかまわってきました。残念ながら、美瑛の風景が使われたというコマーシャルを、どれも私はテレビで見たことがありませんでした。そのため、実際の風景を見ても「そうなんだ。」という感想を持つことしか出来ませんでした。そこで、帰宅してから復習も兼ねて、実際のコマーシャルやポスターを見てみることにしました。

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(「ケンとメリーの木」です)
 まず、私達が最初に訪れたのは、「ケンとメリーの木」でした。日産のスカイラインのコマーシャルに1972年から77年の間、シリーズで作られたのがこの「ケンとメリー」シリーズらしいです。最初、この木を見たとき、私はどうも自動車とリンク出来ず、どんなコマーシャルか全く想像出来ませんでした。そして旅行から戻ってきて、コマーシャルを見て納得。

 当時、車と言えば、重要だったのはイメージ。現在、国産自動車のコマーシャルを見ていると、どうも機能性の説明がほとんどです。しかし1970年代、日産は少なくとも「イメージ」にこだわったコマーシャルを流していたようです。このようなコマーシャルによって「毒される」という言い方も出来るかもしれませんが、個人的に私はこのような「イメージ」を重視したコマーシャルが好きです。香水のコマーシャルが良い例です。香水は機能というよりは、イメージが商品価値の大半を占めているので、各社コマーシャルには相当な額を使っています。有名な俳優が広告塔を務めていて、ショートムービーのようなコマーシャルもあります。コマーシャルにもかかわらず、2分ほど続く作品もあります。私はこのようなコマーシャルを見て、商品を買いたいと思ったことはありませんが、映画を見ているような感覚でこういったコマーシャルを見るのが好きです。

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(マイルドセブンの丘)
 次に私達が向かったのは、「マイルドセブンの丘」です。タバコ会社も、イメージに多く投資している会社ではないでしょうか。この丘を見た時も、正直「タバコと一体どんな関係なんだろう」と思ってしまいました。
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(実際のポスター)

 「ケンとメリーの木」、「マイルドセブンの丘」、両方とも何もない、のどかな風景でした。が、当時のコマーシャルやポスターを見てみると、今以上に「何もなかった」場所なのだと思います。実際、1980年代前半、富良野へ来ていた両親によると、「本当に何もない場所だった」と言っていました。ラベンダー畑を含め、いつまでこの「何もない状態」を維持していけるのでしょうか。自分を含め、たくさんの観光客が来ている富良野を後にして考えてしまいました。

富良野の旅 番外編1 [旅’15]

 富良野や美瑛の風景は、様々なCMに使われていた、とガイドブックに載っていました。どれも知らないCMだったのですが、白金青い池は別。行くまでは「一体何のCMで使われたんだろう」と思っていましたが、見た瞬間に分かりました。厳密に言うと、CMではなく、コンピュータの壁紙です。

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(これが「青い池」の壁紙です。自分のコンピュータの壁紙にしてみました)

 Macの中に元々存在する壁紙の一つが「青い池」の写真。私は初期設定の壁紙をすぐ写真に変えてしまうので、気づきませんでした。しかし、友人などでMacを持っている人の中にこの「青い池」の壁紙を使用している人がいて、見覚えがありました。何度も見たわけではないのに、記憶しているというのは画像のインパクトが強かったということなのでしょうか。

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(今回、私が撮影した「青い池」)

富良野の旅 最終回 [旅’15]

 1泊2日でまわった富良野と美瑛でした。久しぶりの家族旅行も楽しかったです。旅の目標であったソフトクリームもたくさん食べることが出来ました(2日目のソフトクリームはアスパラ味!)。

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 「何もない」風景を車からたくさん見ることが出来ました。家と家の間隔がかなり離れていて、ここに住む人達の日常生活がどのように機能しているのかも気になります。私も田舎で生活した経験がありますが、これほど一軒一軒離れているところではありませんでした。これだけ離れていると、回覧板はあるのか、町内の火の用心はどうやっているのか、と色々考えてしまいました。

 夏休み中ということもあり、たくさん観光客が来ていました。ラベンダーの季節が終わってしまっていましたが、どこも賑わっていました。場所によっては、多くの観光客を受け入れるだけの「器」がないというところもあるように感じました。歴史的や文化的な場所としての観光地ではなく、富良野はそこにある自然が観光客を惹きつけています。そのため、「そこにある」自然と富良野へ来る観光客受け入れのバランスの取り方が難しいのかもしれません。

富良野の旅 その6 [旅’15]

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(後ろが私、前が妹)
 2日目の最初は、乗馬に挑戦。小さい頃、夕張にあるハイジ牧場で乗った記憶がありますが、これは係の人が馬に付けられた紐を引っ張ってくれました。今回は、ある程度練習をして、自分で馬に指示を出しながら乗るという1時間コース。さて、どんな1時間になるでしょうか。

 落馬したくないので、落ち着いた馬だと良いなあと思っていました。係の人が馬を連れてきてくれます。私が乗った馬は、エルメスと名の落ち着いたマダムのような馬でした。というのも、帰宅して彼女の年齢を計算してみたのですが、80歳近い馬でした。名前が「エルメス」だったので、マダムのような落ち着きがあると勝手に思っていました。

 1時間のコースで森林を散策するというものでしたが、まずは敷地内で練習。ジグサグに歩いたり、停止したり、指示の出し方の練習。係の人曰く、「森の中に行くと誘惑(=草や花)が多くあるので、その方向へ行かないように指示を出すように」とのこと。ただ、馬をある程度信用することも必要なので、毎回進む方向を指示しなくてはならないというわけではありません。ジグザグの練習も、何回か繰り返すとエルメスは指示無しでも動けるようになっていました。ただ、指示をずっと出さないと「サボり癖」が出てきて、まっすぐ歩いたりもしてしまう馬でした。馬自身に歩かせつつ、指示をある程度出して、自分が主導権を握っているということを分からせるという微妙なバランスの取り方が難しかったです。

 その後、森の中へ向かいます。森へ向かう途中、一度道路(車道)を通行します。練習場も森林の中も土が多く、馬の歩く音はあまり聞こえません。が、道路はアスファルトなので、歩くと「パカパカ」音がして、いかにも馬が走っている、という感じでした。ただ、馬にとって、アスファルトが歩きやすいのか、土の方が良いのかは分かりませんが。

 森林の中は案の定虫が多かったのですが、蚊にも刺されませんでした。結構のんびりした性格のエルメスでしたが、虫にはうるさかったです。練習場で虻が寄ってきた時も、停止して、しっぽで追い払っていました。森林の中でもそれは変わらず。おかげで、私は虫の被害を受けることなく、乗馬を終えました。

富良野の旅 その5 [旅’15]

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(私達が泊まったペンション。撮影は次女)
 この日の宿泊場所は、富良野のスキー場近く。「ペンションふらぬい」という所に泊まりました。ペンションというよりかは、「スキー場の近くにある小さな別荘」という感じでした。私達が泊まった場所は、部屋というより一棟(一階がリビングと小さなキッチン、二階がベッド4台)だったため、ちょっとした別荘みたいだなと思いました。

 一日富良野を周り、このペンションに着いたとき、富良野郊外はミニ・スイスみたいだと思いました。スキーのシーズン以外はシーンとしていて、空の家(つまり別荘)が目立ち、山があって、不思議なレストランが点在。スイスのスキー場近辺と似ていると感じました。もちろん、スイスのスキー場近辺にも不思議なレストランがいくつかあったりします。スイス名産の食べ物を売っているわけでもなく、かといって、地元の人が多く来るわけではないレストランです。富良野=ワインのイメージが強かった私としては、スイスをちょっと思い出してびっくりしてしまいました。

富良野の旅 その4 [旅’15]

 富良野、美瑛を巡る旅の(隠れた)大きな目標、それはソフトクリームを食べること。酪農が盛んな北海道、ソフトクリームが一番おいしい県だと私は思っています。田舎へ行けば行くほど、濃厚なソフトクリームが食べられます。今回の旅でも、出来るだけ多くのソフトクリームを食べようと思っていました。初日は2つのソフトクリームを食べました(妹と半分こ)。

 最初のソフトクリームはファームズ千代田というところで食べました。和牛や牛乳を生産する小さな牧場で、レストランも隣接しています。牛乳を作っているところだから、きっと濃厚でおいしいソフトクリームが食べられるのだろうと期待していました。その期待通り、とてもおいしかったです。牛乳の味がはっきりとするソフトクリームで、私の好きな味でした。

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(ぶどうのソフトクリームを食べた場所)
 次に食べたのが、ぶどうのソフトクリーム。富良野ワイン工場とは別にブドウ果汁(ジュースではなく果汁です)を販売しているところがあります。この小さな販売所で、ソフトクリームを食べることが出来るのです。19年前の富良野旅行でも、この販売所に来たことをはっきり覚えています。というのも、販売所へ向かったのは閉館時間後。そのため、ぶどう果汁を試飲/ソフトクリームを食べられず、がっかりしたからです。今回、ようやくそのソフトクリームを食べることが出来ました!

富良野の旅 その3 [旅’15]

 北海道と言えば、ラベンダーを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。小さい頃、他県の人に会って「北海道と言えばラベンダーだよね」と言われ、首をかしげたことがあります。私が住む札幌で、身近なところにラベンダーが無かったからです。しばらくして、北海道=富良野=ラベンダーということに気づきました。そして今回の旅、目的地は富良野というわけで、富良野のラベンダー元祖ともいえる「ファーム富田」へ行ってきました。

 私は知らなかったのですが、元々、富良野にラベンダーが現存していたわけではありません。最初はフランスから種を輸入していたそうです。北海道移住者の子孫であった、ファームの名前の由来にもなっている富田さんが、ラベンダー栽培の先駆者、上田美一さんに出会ったのが始まり。そこからラベンダー畑が始まり、カレンダーなどで紹介されるようになり、一気に人気が出たそうです(「ファーム富田」HPより)。

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(花の手入れは手作業!)
 私達が行ったときは、既にラベンダーの季節は終了。通常は8月上旬までラベンダーを見ることが出来るようですが、今年はラベンダーの季節が早く終わってしまったようです。それでも、ラベンダー以外の花があるので、たくさんの観光客が来ていました。ラベンダー畑/花畑も素晴らしいのですが、驚いたのがラベンダー商品の数々。石鹸に始まり、ポプリ、飾りなど。私は友人へ石鹸を購入したのですが、値段も手頃でした。このラベンダー商品も、ラベンダー存続のために富田さんが開発したもののようです。ラベンダーのポプリというと、定番ですが、これもラベンダーオイルの販売が頭打ちになって開発されたもの。様々な「定番」が始まった場所が、このファーム富田なのだと感じます。

(ファーム富田のスタッフは皆ラベンダー色の洋服を着ていました)
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富良野の旅 その2 [旅’15]

 出発前には色々目的地の候補を母と出し合いました。その中で、私が行ってみたいなあと思ったのが、「四季彩の丘」でした。ガイドブックに載っている風景がとてもきれいだと思ったからです。

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 もちろん、「絨毯のように」花が植えられていてきれいでした。しかしバギーがあったり、お土産屋があったり、アルパカが居たり、ちょっとゴチャゴチャし過ぎている感じがしました。「ぜるぶの丘」は、花畑だけ、シンプルな構成で私は好きでした。ちょっと期待していた「四季彩の丘」だけあって、残念でした。

 

富良野の旅 その1 [旅’15]

 両親と次女と私で、小旅行へ出発(三女は千葉で大会)。目的地にはいくつか候補があったのですが、時間と予算を考えた上で富良野となりました。以前の記事にも書きましたが、富良野へは行ったことがあります。多分一度ではなく、何度も。15年ぐらい前に行ったかな、と思っていたのですが、19年前、つまり20年近く前だということが分かりました。5歳の記憶があってもおかしくはないので、多分19年という数字に間違いはないと思います。ずっと昔の気がしますが、結構覚えていることも多いのでびっくりです。かつての富良野への旅は、色々印象に残った出来事が多い旅でした(もちろん富良野での楽しい思い出もあります)。

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 出発日は朝早く出発。お盆の季節なので、観光客が来る前、早めに行ってしまおうという作戦です。最初の目的地はぜるぶの丘/亜斗夢(アトム)の丘です。花畑がきれいな場所でした。疑問は名前の由来。旅行後に調べてみると、「風香る丘で遊ぶ」という文中にある「風(か)」、「香」、「遊」の語尾をとった名前だそうです。旅行本「るるぶ」みたいなネーミングです。また「亜斗夢」は、この丘を管理するアトム農機(美瑛町にある農機の株式会社)から来ているとのこと。到着した際は、どこからどこまでが、ぜるぶの丘なのか、亜斗夢の丘なのかよく分かりませんでした。一応、境界線はあるようですが。

 さて、この丘を回るのにまず妹とバギーに乗りました。私は自分の運転するバギーに乗って横転したことがあるので(上手く運転ができなくて)、妹に運転してもらいました。妹はもちろん初めてですが、上手に運転していたと思います。花もバギーも楽しんだ初日前半でした。

余市までドライブ 後半 [旅’15]

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 余市ドライブのメインと言っても良かったのが、余市ニッカウィスキーの蒸留所見学でした。NHKの朝ドラ効果で、たくさんの人が来ていました。祖母がこのドラマを毎朝見ていて、そのドラマをたまに目にすることがあり、私は余市にこんな有名なウィスキーがあるなんて全然知りませんでした。すすきの(札幌の繁華街)にある大きな看板が、そのウィスキー会社のマークだと気づかなかったのです!あのウィスキーが全国ドラマになっているとは全く知りませんでした。

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 また,海外で売れている日本のウィスキーが、このニッカウィスキーだということに気づいたのも、かなり後でした。上の写真は、2012年、フランスのNicolasというワイン専門チェーン店で撮ったものです。この写真を撮影した時には、「変わった名前のウィスキーだな」と思った程度でした。そしてその2年後、「余市」というシングルモルトウィスキーにスイスで出会いました。ホストマザーがホストファザーに買ってきたのでした。私はウィスキーを飲まないので、味はよく分かりませんが、「おいしい」と言っていました。この時にもまだ、ニッカウィスキーだとは認識していませんでした。帰国して、実際の商品を見る内、2つの商品がニッカウィスキーだと気づいたのでした。

 この日はまず、試飲場へ向かいました。私は飲まないので(母は運転)、父が試飲しました。3種類ほど試飲出来るのですが、試飲場にはたくさんの人が溢れていました。無料でこれだけ試飲が出来るのもすごいな、と思ってしまいました。

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 そして隣りにある販売店へ行くと、無料試飲にも納得しました。一番高いウィスキーには販売制限(一人3本)がかけられ、私達が行った11時頃にはもう完売!ドラマの人気、中国人観光客増加などいくつかの理由があると思いますが、この勢いには私もびっくりでした。そういえば、今年1月、パリで行ったワイン専門店で会った販売員のお兄さんが、「クリスマスの時期、日本のウィスキーを入荷したいのに、なかなか出来ない」ということを言っていました。日本でも人気が高まってきているので、ヨーロッパでは日本のウィスキーが入手しづらいのでしょうか。

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 その後、かつて蒸留所として使われていた場所、ニッカウィスキー創業者が暮らしていた場所などを見学してきました。その中にウィスキー博物館のようなものもありました。一番勉強になったのは、ウィスキーの種類。色々な種類が存在しますが、ニッカウィスキーが取り扱っているのは、モルトウィスキー(大麦100%)、そのモルトウィスキーにもいくつか種類があります。まず、シングルカスク(モルトウィスキー)。カスク(cask)は樽という意味で、一つの樽から作られた(モルト)ウィスキーをシングルカスクと言います。一つの樽からは450本ほどしか作られません。そのため、このシングルカスクが一番値段の高いものになっているということです。次に、シングルモルト。これは、一つの蒸留所で作られたモルトウィスキー。先ほどの写真で販売制限がかけられていたウィスキーは、シングルモルト、つまりこの余市蒸留所のみで作られた商品というわけです。最後にピュアモルトウィスキー。これは、「モルト(大麦の麦芽)のみ(=ピュア)で作られた」という意味です。樽、蒸留所に関係なく、あくまでモルト100%であれば良い、というものです。ただニッカウィスキーで販売されているのは、ほとんどがシングルモルトでした。シングルカスクは作られる数自体が少ないので、限られた機会にしか販売されていないようです。

 と、全く知らないウィスキーの世界を少し見ることが出来た見学でした。お酒を飲むことが出来れば、深そうなウィスキーの世界をもっと堪能出来るのかもしれません。