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BDにハマる [2023年ドイツ]

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(デュッセルドルフのアリアンス・フランセーズ図書室)
 私のアパートから自転車で10分のところに、アリアンス・フランセーズというフランス政府公認のフランス語語学学校があります。日本に居た頃はフランス語の授業や試験で何度も通ったことのある場所で、個人的に思い入れのある機関でもあります。通常、この学校にはフランス語の本や雑誌を置く図書室/館が併設されていて、デュッセルドルフにあるアリアンス・フランセーズにも図書室が設けられていました。デュッセルドルフに引っ越してきてから、ずっとこの図書室が気になっていて、早速先日利用登録をしてきました。

 本の数はあまり多くないけれど、私が読んだことのない本や雑誌も数多くありました。気分転換というか、普段は手を伸ばさない、BD(バンド・デシネ)、フランス語の漫画を読んでみることに。日本の漫画もそこまで読んできたわけではないけれど、やっぱり日本の漫画のタッチ(絵で、動きを表現する感じ)とBDのタッチはかなり違うので、読む時にかなり戸惑います。日本の漫画はコマを贅沢に、上手く使って時間経過や気持ちを表現し、映画っぽい部分がある気がします。フランス語のBDは、小説と絵本の間の位置づけの様で、絵も文章表現もこだわっている感じがします。そのせいか、日本の漫画のコマ割りに、慣れている私がBDを読むと、「ごちゃごちゃしている」感じがどうしてもしてしまいます。ただ、これも「慣れ」なので、ある程度読み進めていくと、あまり気にならなくなってきます。漫画だけど、読むのに時間かかるなあと思う気持ちは決して消えませんが。

 これは、多分システムの違いだと思うけれど、フランス語のBDは分業というか、役割がはっきりしている気がします。もちろん一人で、シナリオ、イラストをこなす人も居るけれど、シナリオを書く人、イラストというか、絵の「線」を書く人(作画)、色を付ける人(彩色)、と、3人の「専門家」が関わっているBDの作品もありました。このシナリオを有名小説家が担当することも多いらしく、セリフも結構文学的だったりする場合もあります。

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 私が今読み進めている「L'Arabe du futur(未来のアラブ人)」は、著者がシナリオ、作画、色づけを全て担当している作品。シリア人の父親(研究者)とフランス人の母親から産まれた著者(1970年代生まれ)の自伝的なBDだから、一人で全て描いているということでしょうか。昨年最終巻の6巻目が出て、人気シリーズのため巻が進んでいくごとに、借りるのが難しくなってきています。私は3巻まで読んだのですが、当時のフランス、シリア、リビア等々(父親が研究者なので、移動が多い様)各国の事情が子ども目線で描かれています。私の視点からすると、「なんていう父親だ!」という感じなのですが、決して悪人としては描かれず、時には(時代、国、の事情も相まって)ちょっと可哀想な、複雑な人物として描かれていて、うまいなあ、と思います。子ども目線で当時の様子が表現されているので、(各国の事情をよく知らないと)分からない部分も多いのですが、宗教や政治の不条理や矛盾が上手く描き出されていて面白いです。私が読み終えた巻は1980年代後半、なので、90年、2000年、2010年代と、この地域がどの方向に向かっているのかなんとなく理解しながら読み進めていますが、果たして最後はどう終わるのか(主人公とその家族の最終居住地はどこになるのか)とても気になります。次の4巻の貸し出し順番待ち中なのですが、週刊、月刊連載の漫画を待ちながら読み進める人の気持ちが初めて分かった気がします。
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tommy88

アリアンス・フランセーズは言語や文化を普及する出先機関と捉えますが、孔子学院はどうしても扇動的秘密結社のように思えてなりません。もしくは、情報収集出先機関。あるいは諜報機関。北大の近くにある大きな中華料理店も、あまり流行っていないけれど、どうも密入国の相談や諜報活動をやっているのではないかと、時々、妻とランチタイムに偵察に行っておりました。さて思うに、フランスと中国で、こういう語学学校的文化施設が、まったく違う印象を持って見られるのには、やはり現代の政治の見え方の違いなのかも知れません。ただ、マクロンの動きも妙だと言えば実に怪しい感じはするのですけど。日本だけが潔良しを美とし、犬が寝っ転がって腹を出してへこへこするような無様な外交が多いのは「実に情けない」今日この頃です。

むかし、中野区上高田に住んでいた頃、サンプラザ方面はよく歩いて行きました。ブロードウェイ3階にある明屋(ハルヤ)書店へ行って立ち読みをするのですが、中野サンプラザにも足を運びました。上の方の階で、全国の地方紙を置いてあるコーナーがあって、気になるものを読ませて貰っていました。こういうときに、なぜか自分には「出っくわす」コトが多くて、あるとき、徳島新聞を見て(いつもは見ないのに)、その第1面を見て驚いたのです。一家心中の事件が、写真入りで紹介されていたのです。亡くなった方の写真の中に、母にそっくりな女性が写っていて驚き、記事を読みました。母の妹でした。内容は悲惨なものでしたが、母は長女だから空襲の中を妹たちを連れて逃げ回ったのだけど、その後、平和な時代に一家心中を選ぶとは母にとっても残酷な話だなと思ったものです。半官半民の中野サンプラザは公的機関としての役割があって、勤労者会館としての立場を、全国から出てきている青少年のためにフロアーを開放していたのでしょう。全国紙に新聞を寄贈して貰うという地道な作業は正しかったと思っています。杉並に住んでいた松本清張が、「地方紙を買う女」をここで着想を得ていたら私も嬉しいけれど、そういう話ではありません。

by tommy88 (2023-09-14 11:14) 

Mi

そもそも、英語の漫画などは文字数が多いのでどうしてもセリフに絵が圧迫されるというイメージがありますが、それ以上にぎっしりした印象なのでしょうか。
by Mi (2023-09-17 14:19) 

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