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L’insoutenable légèreté de l’être (by Milan Kundera: 1984) [読書’13]

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 夏休み中、風邪をひいて一日ベッドで過ごした時に読んだクンデラの「La valse aux adieux(別れのワルツ)」が印象に残っていたので、ホストファミリーの家にあった別の彼の作品も読んでみることにしました。それが「存在の耐えられない軽さ」です。

 最初タイトルを見た時は、「何だこれ?」という感じでした。読み終わった今でも、「一体どういうことを言いたいのだろう」とよく分からないままです。そしてフランス語圏では、この本がヒットしてクンデラの名前が知られるようになったそうです。なぜこの本で、と、ホストファミリーにも理由を聞いてみましたが、「よく分からない」という答えが返ってきました。

 この本、一応小説ですが、たまにクンデラの哲学/考え方が割り込んでくる、哲学書でもあります。三人称で話が進んでいたと思ったら、いきなり一人称で始まる章があって、最初はよく混乱しました。というか、最後まで戸惑うことが多い小説でした。「キッチュ」とは何か、とかなり哲学的な話が入ってきて、慣れていないと相当混乱します。哲学の国であるフランス語圏、こういった本を好む人が多かったのかな、と個人的には思いました。

 そして、このクンデラの哲学考察が入るだけでなく、話の進め方も込み入っていました。時系列で話が進むのではなく、各出来事をバラバラにして、話が進んでいます。本来の小説で「結末」に当たるであろう部分が本の真ん中に来ていて、「後100ページ近くもあるのに?」と思ってしまいました。本の最後はトマ(登場人物)が部屋に上がってきて、電気をつける、というシーンで終わっています。結末をここで明かしても、全くネタバレにならないというかなり変わった小説のような気がします。もちろん、時系列通り話が進まない小説もあると思います。が、そういった作品でも一応最終章を読めば一応話が解決、となっています。その「解決」の部分がこの本には無いため、最後まで読んでも読み終わったという感じがしませんでした。

 この消化不良、の感じも人生に似ているのかな、と思いました。悲劇(それが死という形であっても)が起きても、周りに居る人たちはそこで人生が終わるわけではないし、なんだかんだ続いていきます。こういった人生の大きな出来事が区切りとなっているかに見えても、実際長い目で見てみると、大した区切りではなかったり、また小さな出来事が大きな転換になるということもあります。この小説の「バラバラになった話」は、必ずしも起承転結通りに人生が進まないという意味で、人生っぽいのかな、と個人的に思いました。人生を語るのが好きなフランス語圏の人たちがこの小説を好むのは、その複雑さのせいなのでしょうか。
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