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遅めの夏休み その1(第一印象) [旅’19]

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(ドレスデンでよく見かけた「壁画」。落書き、なのか、デザインなのか分かりません)
 9月に入って、夏休みをようやく取りました。ドイツの大学の新学期は10月なので、まだ9月だと夏休み/試験期間です。多くの人は、7月・8月に休みを取ります。しかし、特に旅費が高くなるこの2ヶ月に休みを取る必要を感じず、私は9月に入ってからの夏休みとなりました。

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(エルベ川を挟んで見えるドレスデン旧市街)
 最初は外国((=ドイツ外)へ行こうと思っていたのですが、そういえばあまりドイツ国内を旅したことがないことに気付きました。東ドイツは一度行ったきりなので、とりあえず、東ドイツの大都市ドレスデンへ行ってみることに。理由は色々あるのですが、数年前に読んだヴォネガットの「スローターハウス5」も影響の一つです。話はあまり覚えていないけど、読み終えた後に「今のドレスデンはどうなっているのか」と思い、ずっと気になっていた街でした。大規模に爆撃された街というだけあり、ほぼ一から作り直した街。旧市街は古い建物の雰囲気を残していましたが、街全体はとても綺麗、というのが第一印象でした。
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ハーグへの旅 最終回 [旅’19]

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 今回も駆け足のオランダ旅行でしたが、大幅な遅延はなく、スムーズに旅行できました。初日オランダへ向かう電車は大幅に遅れましたが、それ以外の日は電車で移動が簡単にできました。滞在中、ハーグ中央駅が私のメインの駅となっていたのですが、不思議な構造でした。駅の一部で、電車が頭の上を通るという場所があります。駅構内に高架下がある、という不思議な感覚でした。最初はそれに気がつかず、電車が頭の上を通った際は「なんの音?」とびっくりしてしまいました。

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(オランダ国内の移動に使ったオランダの電車。青と黄色が目印)
 帰りは特に遅延がなくドイツへ戻れたのですが、夏休み中ということもあり、往復の電車では人が溢れていました。私は席を予約していったので、席に座っていることが出来ましたが、空いている席が見つからない人達は床に座っていて、大変そうでした。この学会があったのは7月中旬だったのですが、この時期は移動が一番多いと言われている週だったようです。人が多い時期にもかかわらず、大幅な遅延がなかったのは、ラッキーだったのかもしれません。
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ハーグへの旅 その5 [旅’19]

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 前回の記事で書いたMauritshus美術館は、ハーグへ行くことが決まった時から目を付けていた美術館でした。もし時間があったら別の美術館に行ってみようと思い、前日に調べて出てきたのが「Escher美術館」でした。オランダの有名な画家/版画家らしいけれど、聞いたことのない名前だなあ、という程度の認識でした。

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 が、当日美術館へ行ってみて思ったのが、「えっ、この人オランダ出身なの?」という驚きでした。Escherの名前を聞いたことがない人でも、上の写真の絵は見たことがあると思います。この人がオランダ出身ということも知りませんでしたが、この絵、私は数学でも、美術の教科書でも見た記憶があります。

 この美術館はEscherの作品展示のために作られています(かつての王宮を使って)。彼の若い頃のスケッチや、後世有名になる版画までが展示されていました。面白いのが、若い頃のスケッチで既に、彼の作品で印象に残る部分が見えているところです。有名な版画に見られる特徴と言えば、上に伸びる柱/建物だと思います。若い頃、イタリアで行った彼のスケッチが展示されているのですが、イタリアの海辺で見かけそうな崖の描き方が「上に伸びる柱」にそっくりでした。ここから進化して、あの有名な柱や水の流れる建物になるのか、という面影がはっきり見えます。

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 数学の教科書で彼の絵が使われていたのは多分、立体とかそういう単元でだと思いますが、私が彼の絵を見て、思い出したのは小学生の時にやっていた迷路。宿題だったか、両親に買ってもらったのか覚えていないのですが、小学生低学年の頃、迷路のワーク/ノートが好きでよくやっていました。ただ、その中で唯一苦手だったのが、「トンネルのような立体」がある迷路でした。迷路の一部分に、トンネルのように上を通ったり、下を通ったりする部分があると、いつも出来ませんでした。多分、トンネルのような部分を立体的に捉えるのが苦手だったのだと思います。Escherの絵も、立体で、水や柱がどこに続いていくか目で追っていくと、たどり着けないので、その感じが迷路に似ていたのかもしれません。

 ただ、Escher本人も「数学は得意ではない」と言っていたようです。それでも、数学的な版画を上手に作っていたし、数年かけてオランダの数学者が、Escherのある作品の立体を解き明かそうとしたりしているそうです。数学が得意ではないと言っていた版画家の作品が、数学者のかっこうの研究対象になるというのも不思議な感じです。
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ハーグへの旅 その4 [旅’19]

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(数世紀前に描かれた美術館の建物近辺。地形はほぼ変わっていません)
 学会は色々な発表があり、どれに行こうかいつも迷います。人と会う約束もあったりで、自分の発表日は色々バタバタしていました。発表はいつも緊張するのですが、今回は(多分ほぼ初めて)あまり緊張せずに出来ました。久々の発表だったので、大丈夫かなあと心配していたのですが、思ったよりスムーズに出来たし、質疑応答も上手く出来た気がします。

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(夜のBinnenhof。この裏に美術館があります)
 学会最終日が発表にあたり、その翌日にはドイツへ戻ると言うスケジュールだったので、自由時間は1日弱。学会中は晴天続きだったのですが、私の自由日は朝から土砂降りでした。美術館に行こうか、海辺に行こうか迷っていたのですが、自動的に美術館となりました。

 まず行ったのはMauritshusという美術館。以前の記事にも書いた、ハーグ中心地にあるBinnenhofの裏にある美術館。開館とほぼ同時に行ったのですが、雨ということもあり、たくさんの人がチケット売り場に並んでいました。20分ほど並んでようやく、展覧会場に入ることが出来ました。ちなみに大人料金14€でした。オランダは、ヨーロッパ諸国の中では少し珍しく、学生料金というのがあまり設定されていません。「子供料金(6歳以下)」というのだったり、現地在住高校生までは無料というのはあるのですが、それ以外は大人料金です。アムステルダムへ行った時、アムステルダム国立美術館(レンブラントの作品が多い)、ゴッホ美術館に行ったときも入場料14€ぐらいかかり、「すごく高い!」と思った覚えがあります。フランスの留学中の際に行ったため、学生料金がかなり充実しているフランスの感覚でオランダへ行くと、値段の差に驚かされます。またオランダの美術館、展示作品はかなり充実しているのですが、パリの美術館と比べると小さい物が多いので、高く感じてしまうのかもしれません。

 さて、ハーグの美術館も例外ではなく、(思ったより小さく)展示作品は充実していました。フェルメールがある、とは聞いていましたが、あの有名な「真珠の耳飾りの少女」があるとは思わなくて、この絵がある展示室ではとてもびっくりしてしまいました。この絵は、いつも見ても青と真珠がキレイだなあと思います。どんな人がモデルだったのかいつも考えてしまうのですが、ガイドさんによると、「モデルは居ない」そうです。画家の描くスタイルとして、理想とする部分を色々組み合わせて描くというスタイルで作られた作品なので、モデルは居ないとのことでした(映画「真珠の耳飾りの少女」は一応フィクションのため、モデルが居た、ということになっていますが)。

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(美術館の建物)
 またレンブラントが亡くなって350周年ということで、レンブラントの作品が色々取り上げられていましたが、それ以上に多かったのが、「オランダ政府の支援により」というカードでした。作品が描かれた年、作者などの情報が書かれたカードが普通作品の横に小さく貼られていますが、そのカードと一緒に「オランダ政府の支援により」という説明文が書かれていました。一体何のことだろう、と思って、説明を詳しく読んでみました。第二次世界大戦中、ナチスドイツに作品が持って行かれてしまったけれど、戦後持ち主のところに戻ってきて、オランダ政府が支援して、美術館に展示されるようになった、という経緯のようです。そのような経緯の作品が多いので、戻ってきた作品を多く飾る美術館なのかな、と思ってしまったほどです。このような経緯を聞くと、オランダも意外と美術大国だなと思います。
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ハーグへの旅 その3 [旅’19]

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(ライデンではとにかく色々な所に、川と自転車)
 どの大学にも風物詩というか、毎年恒例の光景というのがあると思います(文化祭等)。オランダの大学で、特にパーティー中に見られる光景というのが、自転車を川に投げ入れる、という行為だそうです。川もそれほど水位が低いわけではないので、投げ入れるのはそこまで難しくはなさそうです。理由はよく分かりませんが、多分ほとんどが酔った勢い、です。この話を聞いた時、「まさか」と思っていたのですが、今回ハーグへ行ってみて、市内をジョギングしていると下の写真のような自転車が。

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 コケがみたいのがついていて、いかにも「水から引き上げました」という感じでした。だから、大学近辺の川には、一定数の自転車が沈んでいるのかもしれません。使えなくなった自転車を棄てているという感じではないので、まだ使用可能な自転車も多いようです。そのため、川が近くにある大学では、年度末になると川をさらって、自転車を拾い出し、それらの自転車を安く売るそうです。

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 色々な意味で逞しいなあと思っていると、滞在中にすごい人を見ました。写真では少し分かりづらいですが、スーツケースを引っ張りながら、自転車をこぐ人。オランダの自転車道が整備されているとは言え、相当バランスが良く無いと出来ない気がします。私はどんくさいのでやりませんが、確かに徒歩でスーツケースをガラガラ引っ張るよりは、(危ないけれど)早く移動出来るかもしれません。
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ハーグへの旅 その2 [旅’19]

 滞在していたのはハーグですが、実際学会があったのは、ライデンという学生都市。今回の学会参加に際して私は奨学金がもらえたので、資金の心配はありませんでした。が、学生として生活するには少し高そうな都市でした(レストランなどの物価を見る限り)。ドイツは西ヨーロッパの中で物価が安いのですが、ドイツを一歩出ると、その安さを強く感じます。この学生街であるライデンでもレストランへ行くと最低でも10€するので、学生の生活費は高いだろうなあと思ってしまいました。

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(大学にあるカフェの席)
 オランダの特徴通りというか、やはりこの街の中心にも川が流れていて、それが街の区切りになっています。そのせいなのか、「キャンパス」という感じで、大学関連の建物が集中しているわけではなく、色々点在していました。ただこの街自体も小さいので、どの建物も徒歩圏内という感じでした。ただ、自転車があればさぞかし、移動も楽だろうなあとも思いました。バスなども通っているのですが、写真の通り、とにかく道が狭いので、バスも中心街は避けているという感じでした。
(道が狭いので一通)
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(アパートにこういう絵が飾られているところが学生街らしいです)
 一応、学会会場となっている建物等の配置図は持っていたのですが、自分がどこに居るか把握するのには、少しコツが要りました。もちろん、オランダにも、他のヨーロッパ諸国同様各通りに名前があるのですが、川の形も現在位置把握に結構便利でした。川は必ずしもまっすぐに流れているわけではないので、「(川の)ちょっと曲がった部分を左折」という風に、普段とは少し違う感覚で目的地に向かっていました。
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ハーグへの旅 その1 [旅’19]

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(オランダと言えば自転車のイメージです)
 7月に学会があったので、オランダへ行ってきました。ライデンという学生都市で行われたのですが、結構規模が大きく、すぐ市内のホテルは埋まってしまいました。ということで、私は隣街のハーグ(オランダ語では、Den Haag)にホテルに滞在し、この学会に参加しました。

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(オランダといえば風車)
 ライデンもハーグも行った事がある都市だったのですが、久々のオランダ(半年ぶり)だったせいか、「オランダらしい」風景を見ると、「これがオランダだよね!」と少し嬉しくなってしまいました。

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(道を普通に歩くカモメ)
 風車、自転車は定番ですが、今回少し意外だったのがカモメ。ハーグは海が近いので、カモメだらけでした。滞在したホテルは小さく、私は最上階の部屋だったのですが、カモメが屋根で鳴いていました。カモメの鳴き声で起きるというのもなかなか無い経験でした。

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(Biennenhof)
 ハーグと言えば、国際裁判所を代表とする国際都市のイメージが強いのですが、それは歴史的な理由でもあります。昔からヨーロッパの中心都市だったようで、街の中心には立派なBinnenhof、現在は国会議事堂として使われている建物がありました。17世紀頃に建てられたようですが、日本の皇居のように、建物の前には、防衛のためなのか、池もありました。この造りは17世紀頃から変わっていないようで、美術館にあった17−18世紀の絵画にも、建物と池が今と同じような状態で描かれていました。
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ベルリンへの旅 最終回 [旅’19]

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(ベルリン中央駅のプラットフォーム)
 駆け足のベルリンでしたが、(最終日自由時間は)晴天だったので楽しく、駆け足で見て回ることになりました。ドイツ国内は基本電車で移動するようにしているので、今回も例外なく電車(新幹線)。

 「鉄ちゃん」というわけではないけれど、私は駅(と路線図)が好きです。駅や路線の名前はなかなか覚えられないので、上手く色分けしている各国の大都市の路線図は見るのが大好きです。思い入れが強い路線図は、よく使っていた関東/首都圏、パリ、ジュネーブです。各都市、大き過ぎてどこのホームに行ったらよいか分からず逆に混乱する駅や、路線図の見た感じでは遠く見えるけど、実際は徒歩で行ける駅などもあり、方向音痴の私が慣れるのには時間がかかりますが。

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(ベルリン中央駅、中)
 ベルリンのメトロ路線図ももちろん色分けしてあって、駅ごとに雰囲気が異なるので、見ていて面白いです。まだどの線が何色、というところまであまり把握出来ていませんが、機会がある度に色々な駅に行きますが、同じような歴史に作られたという感じが全くしません。そして、「中央駅」(ドイツの都市には必ず「中央駅」がある)の中で一番好きなのが、ベルリンです。それほど多くのドイツの都市をまわったわけではないのですが、基本どこの都市も「中央駅」の造りは似ています。しかしベルリンの中央駅は近くに高い建物がなく、光がたくさん入ってくる感じがするので、特に好きです。
(ベルリン中央駅、光が多く入ってくる気がします)
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ベルリンへの旅 その5 [旅’19]

 時間が前後してしまいますが、ベルリンへ着いた当日、ワークショップ主催者の教授とミーティングをした後、夜までは自由時間でした。豪雨だったけれど、ホテル近辺を散策してみることにしました(あまり見て回る時間が取れそうではなかったので)。

 ホテルは結構中心街にあって、色々なドイツの政府機関が徒歩圏内でした。東ドイツが使っていた、そして現在も議会と使われている場所もあったりして、当時から色々政治の中心だったエリアのようです。そして、ホテルから歩いて10分ぐらいのところに、「チェックポイント・チャーリー」もありました。ベルリン内で東と西を分けていた場所です。今は線が引かれているわけではなく、普通の道路になっていますが、当時の「国境看板」は残っていて「2ヶ国に分かれていた」ということがよく分かります。

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 写真に写っている標識には「アメリカの区域を離れます」という文章が英語、ロシア語、フランス語、(そして小さく)ドイツ語で書かれています。私が写真を撮っている側がアメリカ、その看板の向こうがソ連側、というわけです。当時の名残なのか、たまたまなのか分かりませんが、元アメリカ側のすぐそばには、KFCとマクドナルドが両サイドに並んでいて、「アメリカの象徴」っぽくなっていました。
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ベルリンへの旅 その4 [旅’19]

1955.jpg  公園へ行った後に、向かったのは、近くのGemäldegalerie(絵画館)と言われる所。ベルリンも美術館が多いので、迷ったのですが、13−18世紀の絵画が多いということで、行ってみることに。また5月、平日ということもあり、ほとんど人が居ませんでした。小中学校は夏休みが近いということもあり、その団体が一組来て、回っていましたが、そのグループ以外はほとんどおらず、贅沢にのんびり見て回ることが出来ました。7月にオランダへ行ったときにも美術館へ行ったのですが、その際はどこも人だらけで、「5月のベルリンは本当に贅沢だったなあ」と再確認しました。 1956.jpg  ベルリンは本当に美術館の数が多く、また行くまでに美術館のこともよく調べていかなかったので、どんな作品があるかは知りませんでした。しかし私の好きなフェルメールがどーんと置いてあって、ちょっとびっくりもしました。大学生の頃は、一時期美術館巡りにはまって、色々見に行っていましたが、最近はそういった旅行がなく、「また見たいなあ」と思っていたところでした。ベルリンの美術館へ行くと、「やっぱりこうやって美術館巡りをするのは良いなあ」と再認識をしました。上手く表現は出来ないけれど、「普段とは違う脳みその部分を使っている」と感じます。私は絵を描いたりしないので、絵画を見ていると、「自分とは違う物が見えている(気がする)」ので、普段は考えないような見方、考え方で絵画を見てみようと思うのかもしれません。 1957.jpg  時間が無く、結構駆け足で常展は見たのですが、少し時間があるので、特別展も見てきました。ドイツのHenning Wagenbrethという、風刺家/デザイン画家の展示会でした。私は初めて見る作品でしたが、映画祭のポスターなども手がけているようです。子供向けの絵本も書いていたりして、一見すると子供向けの(毒の無い)絵の感じがします。が、風刺画を見ていると、結構毒のある絵もありました。 1958.jpg (美術館ではないけれど、ベルリンにあったレゴで出来たキリン)  駆け足ではありましたが、久々に美術館へ行って良い気分になり、「今年の夏は美術館へ行こう!」と決心できる、美術館への旅でした(学割が使えるのも後少しなので)。
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