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飛行機、空港巡り 前半 [旅’17]

 先日、JALがハワイ島への直行便開始、というニュースを見かけました。やはり、日本から、行きやすい海外として、ハワイは根強いんだなあと思いました。やはり、直行便がある場合、海外の長距離移動は、(理想としては)JALかANAでしょうか。そして、乗り物の中で、私は飛行機が一番好きです。もちろん、時差があったりして、疲労は一番大きいけれど、空の上という非日常的な感覚が好きだし、離陸のエンジン音を聞くと、旅に出るんだという感じがしてワクワクします(だから小さい頃はスチュワーデスになりたかったです)

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(成田空港から見えるJALの飛行機)
 最近では、LCCの登場で、私も空の移動で、大手に乗ることはなくなってしまいました。今年の5月、大阪−札幌−成田の移動は、マイルがJALとANA両方のカードに貯まったので、久しぶりに大手2社を利用してきました。これはあくまでも、個人的な好みですが、やっぱりANAは良いなあと思ってしまいました。久々に、ANAのテーマソング(飛行機を降りるときに流れるバイオリン演奏のような音楽)も聞いて良いなあ、と思ってしまいました。昔やっていた「GOOD LUCK!」というドラマを見て以来、ANA贔屓になってしまいました。また、イメージカラーが私の好きな青というのも好きな理由の一つ。

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(ドイツの空港で見つけたANAの広告。「日本を体験 毎日、ノンストップでドュッセルドルフから日本へ」)
 日本では、LCC専用の出入り口やターミナルを利用するので、ANAやJALを見かけることも少なくなってしまいました。が、ヨーロッパに来てからは、頻繁に見かけるようになりました。まだ、ヨーロッパ−日本をJALまたはANAで旅したことはありませんが、空港ではよく見かけます。私が現在ドイツで一番多く利用している空港、ドュッセルドルフ空港は、ANAによる成田への直行便があります。ドュッセルドルフは日系企業が多いので、90年代頃まではJALでも直行便があったようですが、なくなってしまいました。ANAはドイツのフラッグキャリア、Lufthansa(ルフトハンザ)と同じ航空連合、Star Allianceに所属している為なのか、ドュッセルドルフ以外にも、ミュンヘン、フランクフルトからの日本への直行便があります。フランクフルトは、ドュッセルドルフから新幹線で2時間弱ほどの距離。ANAはフランクフルト(空港)からドュッセルドルフまでの無料バスを出しているので、この近辺に住んでいる日本のビジネスマン/ウーマンにとっては、便利が良いようです。

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(Lufthansa航空)
 Lufthansaはドイツの航空会社ということで、何度か利用したことがあります。そのため、ヨーロッパに来てから、ANAのマイルが貯まるようになりました。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、ヨーロッパで驚くのは、航空会社の数。ドイツの、というよりかは、ヨーロッパ各国の航空会社のカウンターが空港には並んでいるので、本当にたくさんの航空会社を見かけます。先日アテネに行った時は、Air Serbiaという聞いたことのない航空会社を利用しました。これは、れっきとしたセルビアの元国営航空会社。EUと限っても、20ヶ国以上あるので、各国1社と単純計算しても20社以上。それにアジア、アメリカ、と数えていくと、数はどんどん増えていきます。

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(セルビアの航空会社、Air Serbia。LCCではないので、機内では飲み物がしっかり出ます)
 更に、大手航空会社以外にも、もちろん、ヨーロッパにもLCCはあります。ただ、私はあまり利用しなくなってしまいました。セールスやかなり事前に予約すると、確かに安く航空券が買えます。ただ、発着が辺鄙な場所にある空港ということが多いです。公共交通手段がなかったり、ほとんど通じていない場所にあったりします。そのため、航空券以外にかかる料金を考えると、LCCではない、大手の子会社を利用する料金と変わらない、ということがあります。東京で言えば、成田、大阪で言えば関空に発着できるLCCはかなり便利なので利用しますが、ヨーロッパでLCCはほとんど利用しなくなってしまいました。

 と、好きな飛行機について書いていたら、長くなってしまいました。空港については、次回!
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イーストサイドギャラリー [旅’17]

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(「壁を作るのには、たくさんのレンガが必要」現在の政治状況でも言える事ですね)
 「ギャラリー」というと、高そうなアートギャラリーを思い浮かべてしまいますが、ベルリンのこのギャラリーは、つまり壁のこと。ベルリンの壁に描かれたアートのことです。もちろん、元々、絵を描くために建てられた壁ではありません。特に屋根があったりするわけではないので、雨にも雪にも、そして落書きにもさらされている壁です。どの絵/落書きが元々のものか分からなくなってしまいますが、それも含めてアートということでしょうか。

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 国境を越えないための壁なので、当たり前ではありますが、簡単に乗り越えられない高さです。頭では分かってはいましたが、実際に見てみると「高いなあ」と思います。
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(元東ベルリン側に建設中のメルセ・ベンツアリーナ)
 壁のこちら側、つまり絵が見えている側が元東ベルリンです。今でこそ、自由に行き出来るのですが、やはり壁を越えると、東ドイツだったということがよく分かります。元西ベルリン側と比べると、開発発展のところが多く、改築中の建物が多かったです。

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(多分、イーストサイドギャラリーで一番有名な絵。歴史の教科書に載っていましたね)
 また、(下の写真)この橋は、ちょうど元東と西の境近辺にあるのですが、一瞬見た時に「ロシアっぽいなあ」と思いました。ロシアへはまだ行った事がありませんが、私の勝手なロシアのイメージとこの橋が似通っていました。
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ドイツの国会議事堂見学 [旅’17]

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(外側から見た国会議事堂)
 ベルリンでのサマースクール、主催者が国会議事堂のツアーを組んでくれました。夏なので、結構予約が大変だったようですが、無事にツアーに参加出来ました。ツアー当日は、議会がなかったので、建物内だけの見学でしたが、ドイツの歴史を感じる建物でした。

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(歴史的部分が残る天井)
 今でこそ、首都であるため議会として、政治の中心となっていますが、そうなったのは1989年以降。外側から見ると、歴史的建造物という感じですが、中はほとんどがモダンな建物、という感じでした。ホールのような部分が多く、一見すると余計なスペースが多いように私は感じてしまいましたが。

 ガイドの人が強調していたのは、「ナチスとは関係のない建物だ」ということでした。その前のワイマール共和国(日本ではワイマール憲法で有名ですね)初期時代にも、議会として使用されていたようです。が、ナチス時代の議会は、ベルリンのオペラ劇場で開かれていたため、この建物は国政にほとんど関わっていなかったようです。この議会があったのは、西ドイツ側でしたが、西ドイツの首都はボン。国会議事堂も、ボンへ移動します。ガイドの人曰く、「いつか統一した時に、議事堂として機能するため」事務的機能だけ残して、建物は保存されたようです(第二次世界大戦の展示などをこの建物で行っていたようです)。国政は一切行わず、事務作業のみ行う建物だったようです。ずいぶんと大きな建物で、事務作業を行い、国会議事堂としての日の目を待っていたのだなあと思います。

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(ソ連軍が残した落書き/メッセージが消されている壁)
 内装が新しくなっているとは言え、たまに見かける「古い」内装。当時のものが使える場合は、そのまま残しているそうです。ただ、壁は、ソ連軍が侵攻してきた時の落書き等があったので、国政機関の建物内の展示として残せる物は歴史として残し、後は消してしまったようです(残してある部分もあります)。そのため、古い壁に見えて、真っ白になった壁があって、不思議な感じでした。

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(10月以降、このイスに座るのは誰なんでしょうか)
 この議会へ行ったのは、既に2ヶ月前。見学時は、夏休み中で、議会がありませんでしたが、来週はいよいよこの席に座る人達を選ぶ日。フランスの選挙が終わり、最悪の選択は逃れたかな、と思っていましたが、フランスに次ぐEU内での大国、ドイツの選挙がやってきます。
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Mitte地区 [旅’17]

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(合併した地区ということで、東ドイツのシンボルがこのテレビ塔。)
 最終日、諸事情により、ベルリン滞在時間が延びたので、市内をブラブラ歩いてみました。1日乗車券を持っていたので、とりあえず市内へ行ってきました。旅行を終えて調べてみると、ここがMitte地区と呼ばれるということが分かりました。Mitteはドイツ語で「中央」などという意味になります。「中央」という名前の地区のわりには、あまり人がおらず、ずいぶんと寂しい場所だな、と思っていました。ただ、地図を確認してみると、その若干寂しい雰囲気の意味が分かりました。地図を文字通り、確かに、ベルリンの真ん中にあります。しかし、この地区、東ベルリンと西ベルリンが合わさって出来た珍しい地区の一つ。もう一つ、東と西ベルリンが合併した区というのがありますが、この合併区はこの2つのみ。もっと栄えている場所、例えば、政治的機関が多くあるのは、やはり元西ドイツということになります。

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 色々調べて納得が行くエリアでしたが、夕暮れ時にここを歩くのは悪くありませんでした。赤レンガが夕焼けに反射していてキレイでした。そして、また、有名どころが、このマーティン・ルターの像。彼は世界史の教科書でしか聞いたことがありませんでしたが、聖書をドイツ語に訳した人(そして宗教改革の重要人物)ということで、ドイツではかなりの重要人物です。この像は、1895年、彼の像が初めて建てられます。が、元々はこのような形ではなく、ステージのような場所に彼が立つ、という像だったようです。写真に引いてある赤い線が、そのステージの場所を表しています。「ドイツ語、つまり国の地盤に大きく貢献した」ということで、彫刻家がステージの上に彼の像を建てたそうです。ただ、第二次世界大戦に損傷し、像だけ別の場所に移動され、1989年に、元の場所に戻った、ということが、像の付近にあった説明に書かれていました。最初、写真を撮っている時は、「何の線だ?」と思っていたのですが、当時、像が置かれていたステージの大きさを表しているとの説明を読んで納得。

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 ブラブラ歩きで、見て歩いている時はよく分からないことが多かったです。が、後に調べてみると、「へぇー」と思えるようなことが書かれていて、面白い意外な旅でした。
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Museuminsel [旅’17]

 ベルリンは首都だけあって、美術館、博物館がたくさんあります。今回は歴史博物館へ行くのをメインにしていたので、絵画の方は行けませんでしたが、ベルリンの美術館には結構見たい作品が何点かあります。私はフェルメールが好きなのですが、ベルリンの絵画館(Gemäldegalerie)に何点か彼の作品があります。大学生の頃、「フェルメールはオランダ出身だから、オランダに作品の多くがある」と思って、アムステルダムに行ったこともあります。もちろん、彼の有名作品はアムステルダムにも結構あったのですが、数でいうと、やはり多いのはアメリカでした(こういうところ、さすがアメリカ、と思ったりします)。

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 と、パリやニューヨークに負けないぐらい美術館、博物館のあるベルリン。その象徴とも言えるのが、このMuseuminsel。ドイツに訳すと、「美術館/博物館島」となります。「島」と呼ばれる所以は、川の流れで、美術館がある部分だけ孤島のようになっているから。ちょっと、パリのノートルダム大聖堂があるような場所に似ている気がします。

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(「美術館/博物館島」の一つを成すボーデ博物館)
 美術館、というよりは、博物館が多いこの島。古代ギリシャの彫刻を展示している博物館等、5つから成る島だそうです。結局、博物館には入らず、ぐるっと、島の周りを見るだけになってしまいましたが。
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ベルリンのシンボル [旅’17]

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 ベルリンの街を歩いていると、やたら多く目にするのが熊。熊と言えば(北海道は別として)、スイスの首都ベルンを私は思い出します。ベルン州の旗に熊が描かれ、熊牧場ならぬ、熊公園まであります。

 ベルンだけでなく、ドイツの首都ベルリンも熊がシンボル。市の旗に、熊が描かれています。詳しいところはよく分かりませんが、ドイツ語で熊(Bär)を表す単語が、両都市名の語源になっているようです。確かに、日本語でも、ベルン、ベルリン、似ています。

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 多くの熊をベルリンで目にし、ようやく、ベルリン映画際のシンボルが熊である理由が分かりました。賞の名前が、「金熊賞」、「銀熊賞」となっていて、「なぜ熊?」と思っていたのですが、これで納得。
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ベルリン食べ歩き 3 [旅’17]

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 サマースクールで、日本の大学に通う、ベトナム人の学生に会いました。彼女と、ベルリンのベトナム市場へ行ってみよう、という話になりました。ベトナム戦争後、たくさんのベトナム人が東ドイツへやってきたため、元東ベルリンエリアにはベトナム人のコミュニティーが残っているそうです。

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 週末ということで、あまり人は居ませんでしたが、ベトナム本土同様、たくさんのお店が所狭しと並んでいました。面白いのは、トルコ人とのすみ分けがあること。食品、美容室、レストラン、アクセサリー系のお店は全てベトナム人が従業員として働いていたのですが、洋服関係はほとんどがトルコ人。ベトナムマーケットと呼ばれていても、このすみ分けはなぜ存在するのか、ちょっと気になるところです。

 ただ、それ以外はベトナムで見た市場にかなり近かったです。よく分からない大量の鞄や洋服が所狭しと並べられていて、店員同士はお茶を飲んでいて、営業中なのかよく分からない感じもベトナムそのままでした。また食料品店では、香辛料独特の臭い(何の臭いか表現出来ない)もして、日本食なども売っていましたが、「ベトナムみたいだなー」と思ってしまいました。

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(友人が注文したBun Cha)
 日本食に完全に慣れてしまったベトナム人の友人、「ドイツはご飯があまりおいしくない」と言っていたので、彼女と一緒にベトナム料理を食べるというのがこのマーケットへ来た理由の一つ。値段はもちろん、ベトナムの倍以上しましたが、味はなかなかおいしかったです。私は色々迷って、フォーを注文し、友人はBun Chaを頼んでいました。ちょっと懐かしくなる味でした。
(私が注文したフォー)
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ベルリンの街並み [旅’17]

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 ヨーロッパで、「若者(最後の)首都」と捉えられている ベルリン。ロンドンやパリは生活費がかなり高くなってしまっていますが、ベルリンは家賃などが高くなく(それでも徐々に上がってきているようですが)、若者カルチャーが盛んな都市だと言われています。若者というか、「アート」の多い都市だと思いました。

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 例えば私が滞在したアパート。Airbnbで見つけたのですが、ベットルーム2部屋、リビング、キッチン、バスルームの大きなアパートでした。このアパートの住人というのが、コメディアン。スペインに講演へ行くので、その間アパートを貸し出す、ということで、私が滞在したのでした。人気の方はよく分かりませんが、カギを渡してくれたりしたそのコメディアンの友達曰く「徐々に人気が出てきている」だそうです。このコメディアンの収入も、家賃も全く分かりませんが、コメディアンの人が生活出来、活躍出来る街が、ベルリンなのかな、と思いました。

 また、街を歩くと、いたる所に、落書きというかアートというか、絵が描かれていました。壁に描かれた絵、というと、ベルリンの壁に描かれた絵が有名ですが、それ以外に、アパートなどにも色々な絵が描かれていました。

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 地上だけでなく、地下にも「アート」がありました。全ての駅ではありませんが、多くの駅が、独自の駅表示をしていました。例えば上の写真は、サマースクール会場最寄りの駅表示。下は、どこかへ行く時、乗り換えに使ったKurt-Schumacher-Platz駅の表示。
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ドイツ歴史博物館 [旅’17]

 ドイツには、少なくとも私が知る限り、2つの有名な歴史博物館があります。一つがボンにあるHaus der Geschichte der Bundesrepublik Deutschland(国立歴史博物館)、そしてベルリンにあるBerlin Historisches Museum(ドイツ歴史博物館)。ボンの方は、無料、そして1945年後の歴史について説明されています。特にドイツ政治が分裂時、統一後どのように動いていったのかという展示となっています。今回のベルリン歴史博物館は(学生料金で4€)、ボンのものとどのように異なるのか、とても興味がありました。

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(歴史博物館前)
 簡単に言うと、ベルリンの方は、ドイツ歴史全体、つまり紀元前から今日(正確にはベルリンの壁が崩れるまで)までの歴史をカバーしています。そのため、プロイセンと呼ばれていた時代についても、詳しく説明されていました。私はドイツの歴史にあまり詳しくないので、知らない事ばかりでした。が、同時にフランスとの深い関係についても、「別の角度」から見ることが出来た気がしました。

 私がこれまで受けてきた歴史の授業というのは、もちろん日本のものが中心です。ただ、ヨーロッパの歴史というのに少しだけ触れる機会が、一度ありました。はっきりとした授業名は忘れてしまいましたが、「20世紀の国際関係の歴史」というような名前のクラスを、パリ政治学院留学中に取りました。自分にほとんど馴染みのないことばかりで、苦労した授業の一つでしたが、ヨーロッパでどんなことがあったのか、知る上で大切な授業だったと今では思います。「国際関係」という言葉が授業名に入っていますが、教授陣はフランス人、学生もほとんどフランス人なので、もちろんフランスから見た国際関係という感じになります。そのため、ヨーロッパと言っても、当時フランスが国際関係の中で、どういう位置付けだったのか、近隣諸国とどういう関係だったのか、ということが中心になります。隣国ということで、ドイツについてもかなり触れられていました。蛇足になりますが、当時のドイツ(プロイセン、神聖ローマ帝国etc)のことは、現在のドイツを指す「Allemagne」ではなく、Reichとフランス語では表現していたため、授業初期は何の話をしているか全く分かりませんでした。また、ドイツ(Allemagne)の言い換えとして、「Outre-Rhin(ライン川の向こう)」という表現もよく使われていました(使われている)。ただ、これが「ドイツ」を指していることを当時は知らず、「『ライン川の向こう』ってどこなんだろう?」と私は思っていました。

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(「ビスマルクからベルリンの壁まで」博物館のポスター)
  さて、このドイツの歴史に関する博物館、訪れてみて、展示の説明を読むと、不思議な違和感を感じました。自分が知っていることと「逆」のことが多かったからです。例えば、普仏戦争、勝ったのはプロイセン(当時のドイツの一部)。が、「私の記憶では負けたような気がしたけれど」と、思いながら見ていました。そして、すぐに、フランスで取った授業の記憶から、「逆だ(ドイツと反対側の立場、つまりフランス)」と感じてしまうことに気づきました。

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(「カイザー/皇帝からコーボルトまで」よく見ると、ナポレオンが掃除機=コーボルトを持っているのが分かります)
 また、この戦争後に、ベルサイユ宮殿でドイツ帝国の統一が宣言されます。第一次世界大戦後の条約(敗戦国のドイツに対する処遇を記した条約)も、ベルサイユで結ばれます。「普仏戦争の時の仕返し」と、フランス人の講師は言っていましたが、この博物館では「ドイツにとって、この条約は屈辱的なものであった」と説明されていました。当たり前のことかもしれませんが、まさに「国が違えば見方も変わる」という感じです。

 今でこそ、EUを引っ張っていく、お互いに書かせないパートナーという感じですが、このような関係になるまでには、長く敵対する歴史があったということでしょうか。ちなみに、私が取った授業の期末試験は、お題が2つ出され、その中から一つ選んでエッセーを4時間かけて書くというものでした。その時のお題の一つが、「独仏関係の歴史について」でした。「国際関係」というテーマの授業だったけれど、あくまでもフランスの歴史を語る上で欠かせない国ということでしょうか。試験同様、この博物館ではもちろんドイツについて大きく触れられていましたが、フランスとの切っても切れない関係が見えました。
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ベルリン食べ歩き 2 [旅’17]

 トルコからの移民が多いドイツ、トルコ料理のお店がいたるところにあります。日本で言うと、中華料理(定食)屋のような感覚でしょうか。庶民の生活にかなり浸透している(外国の)味です。そのため、トルコでは存在しない「トルコ料理」もドイツにはあり、「トルコ料理はドイツ料理の一部」という議論もあります。

 私はトルコへ行ったことがないので、本場がどのようなものか分かりませんが、ドイツにあるトルコ料理はとても好きです。ドイツで、辛い料理はあまり一般的ではないのですが、トルコ料理は唐辛子も効いていて、ご飯も結構食べるようで、ご飯に合う料理というのも出てきます。ベルリンでもこの傾向は変わらず、多くのトルコ料理店がしのぎを削っています。特に、ケバブを出す屋台は人気です。ベルリンの名産はこのDoner Kebabと言われるほどです。

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(去年ベルリンへ行った際の写真)
 前回、ベルリンへ日帰りで行った時も、このDoner Kebabはしっかり食べてきました。(その時は知らなかったのですが)ベルリンで一番と言われるMustafas Gemüsekebapで、食べてきました。30分以上並びましたが、今まで食べたDonerで一番おいしいと思えるものでした。そして、今回は「ベルリンのものを食べたい」というベトナム人の子を連れていってきました。

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 向かった日は雨だったので、並んでいる人も少ないだろうと思ったのですが、しっかり1時間も並びました。人気店と言われていますが、当時から店の仕組みは変わっていないように思います。レジ担当が一人、野菜をトッピングする人が一人、肉を切る人が一人、計3人(または4人)でのフル稼働なので、かなり時間がかかります。メニューもシンプルに3つだけ。こういうところは(余計なことをせず)味で勝負をしているので、私は好きです。前回同様、3€ほどのHähnchen Döner mit Gemüse(チキンケバブ野菜添え)を注文。前回も、とてもおいしいと思いましたが、今回もその期待を裏切ることない味でした。
(これも去年の写真ですが、味は変わらず!)
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