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夏の読書 その9 [読書’13]

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 とても久しぶりにマンガを読みました。フランス語のマンガは大文字だけで書かれていて読みづらいため、あまり好きではありません。が、このマンガ、色々な本屋で何度も目にするため図書館で借りてみることにしました。

 マンガ=子供のもの、というイメージが自分の中にはなぜかあります。日本では大人もたくさんマンガを読むにもかかわらず、マンガ=子供という公式ができあがっています。が、今回読んだ作品は内容も政治、と必ずしも子供が好むような内容ではありません。

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(パリ7区にある外務省前の通り名、Quai d’Orsay)
 タイトルは「Quai d’Orsay」、直訳すると「オルセー河岸」となりますが、フランス語では別の意味で使われます。フランスの外務省を指しています。住所がこのQuai d’Orsayとなっているからです。新聞内でもMinistre des Affaires Etrangèresの多用を避けるため、Quai d’Orsayという単語を使うことがあります。このマンガは2002年、イラク戦争開戦前にフランスの外務省でどんなことが起きていたのか、新しく入った若い官僚Arthurの目から語られていきます。彼の仕事はスピーチライター。彼の視点から話は進んでいきますが、その話の中心は当時の外務大臣。Alexandre Taillard de Worms、と名前は変えられていますが、見かけは、当時の外務大臣Dominique de Villepinにそっくり。大統領も時々、「PR」(Président de la République、共和国大統領)として出てきますが、シラク大統領にそっくりです。イラクの国名をLousdemという架空の国にしていますが、それ以外は事実に基づいています(この国に軍事介入しようとするのはもちろんアメリカ、架空の国ではありませんが)。

 de Villepin元外務大臣が国連で行った有名なスピーチ、「古い国、フランス、古い大陸、ヨーロッパ、戦争を知っている(立場として、戦争に反対する)・・・・」が出来るまでのプロセスが描かれています。かなり変わった外務大臣、どういったスピーチをするべきなのかという演説を毎回色々な場所でするのですが、スピーチや表明に入れたいフレーズなどは毎回変わり、スピーチライターのArthurは相当振り回されます。国連、フランスの世界に対する役割、など「偉大な」言葉を外務大臣は毎回入れたがりますが、首相は消極的(他国との関係を色々考えなければならず、そういった調整をするのも首相の仕事のため)。そういった首相、各地域の外交官(ヨーロッパ、アフリカ、中東)、外務大臣の間を行ったり来たりして、言葉を色々書き換えざるを得ないArthurの苦労が面白く描かれていました。また各地域の外交官も、自分の地域の利益を最大限に考えるため、同じ外務省で働いていても相当考えが異なります。恋人とバカンスに出かけても、Arthurの携帯には大臣から電話がひっきりなしにかかってきて、どこまでも振り回されている様子まで細かく描かれていました。この著者、2003年当時、フランスの外務省で働いていたようで、描写がかなり現実的でした。上下の2巻で、結構長めに感じてしまいました。が、スラスラ読むことが出来ました。マンガはあくまでも、大人から子供向けなのだ、と再認識しました。

夏の読書 その8 [読書’13]

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 600ページ以上というかなりの長編だったため、読破できるか心配でした。が、そんな心配は杞憂に終わり、これまでに読んだ本の中でもトップ3に入る本でした。それがLa Vérité sur l’Affaire Harry Quebertです。

 この本、昨年のアカデミー・フランセーズ賞というフランスで最も有名な文学賞を受賞した作品。色々な作家がこの賞を取ってきて、(やはり宣伝文句になるので)よく売れています。毎回この受賞作が決まると話題にはなるので、昨年は少し特別。(フランス人が驚くことに)Joël Dickerという、スイス人作家初受賞。27歳と年齢が例年の受賞者に比べて若かったというのも話題になった理由の一つかもしれません。受賞した時、色々新聞に記事が出ていて私もその記事は何度か目にしました。記事を読んだ時は「へー、ジュネーブ出身の人が賞を取ったんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。

 が、ジュネーブで朝バスに乗っていると、昨年の冬頃からたくさんの人がこの本を読んでいることに気づかされました。何しろ分厚いので(実際測ってみると4cm)、この本を読んでいる人は結構目立ちます。朝のラッシュ時、必ず2〜3人はこの本を読んでいました。そしてスイスのホストファザーも購入し、あっという間にホストマザー、彼女のお母さんの手にこの本が渡っていきました。彼らは結構本を読むので、読むスピードは割と速いのですが、それでも相当なスピードでした。

 あっという間に、ホストファミリーの棚にこの本が戻ってきていました。そこで私もチャレンジ。600ページ(辞書並みに厚い)も読めるか心配でしたが、読み始めると止めるのに苦労するほどでした(おかげで寝不足の日が続きました)。

 ジャンルは推理小説っぽいです。若い作家が処女作をヒットさせますが、2作目以降が書けず。そこで、大学の恩師(彼も作家)のところへ訪れ、手がかりを探します。ある日その恩師の庭から30年前に失踪した14歳の女の子の遺体が見つかります。更にその恩師と女の子は当時恋愛関係になっていたことが判明し、容疑者ナンバーワンとして逮捕されます。恩師の容疑を晴らすため、この若い作家が色々調べていきその様子を書いていく(作品として出版するため)というストーリーです。当時の様子(1975年)と現在(2008年)が交互に描かれていきます。各章で新事実が明かされるのですが、章の終わりで必ず「ズレ」(アリバイなど)が見つかり、新たな展開になっていきます。それが600ページに渡って繰り広げられ、真実は何なのかずっと気になります。シンプルな文体で書かれているので、とても読みやすかったです。自分なりに推理しながら読み進めていきましたが、結局最後まで犯人は分かりませんでした。

 小説内で、主人公が恩師に「良い本とは?」というような質問をします。そして恩師は「読者が読み終えたことを後悔するような本。登場人物が懐かしく思えること」と答えます。私はこの本を読み終えた後、そんな気分になりました。事件を解明した、という意味ではすっきりしていましたが、読み終えると「もっと読みたかった」という気分になります。

 そして私が一番気になるのは、この作家張本人。今のところこの作品が2冊目。2冊目が相当ヒットしたため、3冊目を書くのには(この本の作家同様)苦労しそうです。それでも読者としては次回作がどうなるのか、楽しみで待ちきれません。

夏の読書 その7 [読書’13]

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 またまたTonino Benacquistaを読みました。「Tout à l’ego」という短編集です。内容がよく分からないまま終わってしまうもあって、「結論は?」と思ってしまうことも何度かありました。その中でも気に入ったのは(とっても短い話なのですが)Q.I.という話。Q.I.はフランス語でQuotient Intellectuelの略、知能指数(IQ)のことです。I.Q.がとても高いフランス人の子供が、語り手となって自分の考えを語るという話です。短編なので、物事が何か大きく変わるというより、彼がどんなことを考えていているのか、ということがメインです。

 IQのとても高い人を直接は知りません。そのため、どんなことを考えているのか詳しくは分かりません。なんとなく、寂しそうなイメージは以前から持っていました。少なくともこの小説に出てくる男の子もそういう感じです。「周りより早く色々なことが分かってしまう・色々なことを把握している」ことで、孤独になるということでした。この「周りより早く」というのが、鍵だと思います。自分はそういった経験をあまりしたことがありません。そのため、自分はどちらかというと、理解出来なかったことが分かるようになったり、新しい知識を得ると嬉しく思う時の方が多いような気がします。もちろん、「知らない方が良かった」と思うような出来事もありました。ただ、今のところ、この主人公が常に感じているような孤独さを経験したことはありません。

 アメリカにはこういったIQの高い子供を集めて特別な教育を受けさせる場所があるようです。が、フランスにはそういった施設がなく、「落ちこぼれて」しまうIQの高い子供が居るようです。飛び級は存在しますが、こういった子供に特化した教育は存在していない、という記事を以前に読んだことがあります。そういった状況も踏まえて、この小説内では主人公が自分の気持ちを語っていたので、興味深かったです。

 夏休みに入ってから、小説も7冊目。今は、長編小説を読んでいます。とても長くて自分でも読み切れるのか、と最初は思っていました。が、今のところ順調に進んでいます。ミステリー(コールド・ケースのような感じ)なので、結末がどうなるのかとても楽しみです。

夏の読書 その6 [読書’13]

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 以前紹介した Sagaと同じ作者の短編集を読んでみました。この小説家、1つの小説で複数のストーリーが展開していくため少し複雑です。例えば前回の作品であれば、脚本家達の周りの話と彼らが書くドラマのストーリー、同時進行でした。そのため、自ずと登場人物が多くなります(脚本家達、ドラマの俳優、ドラマの登場人物)。名前を覚えるのが相当苦手な私にとって、最初はなかなか苦労します。そのため、この作者の小説を読む時は必ず登場人物表を自分で作って読み進めることになります。が、短編小説を手に取った時は、「短編だから大丈夫だろう」と思っていたところ、案の定複数のストーリーが同時進行していて、少し難しかったです。何度か戻って読み直したりして、ようやくストーリーのポイントを掴む、という感じでした。

 いくつかの作品があったのですが、その中で気に入ったのはLa Boîte Noireでした。訳すと「ブラックボックス」という意味になります。記憶のブラックボックス、つまり自分では覚えていない記憶についての話です。覚えていない、つまり、自分が覚えていたくない嫌な、そして複雑な記憶が主人公に少しずつ戻ってくる、という話です。自分で覚えている感覚はないのに、頭の中で眠っている記憶というのは少し怖い気がします。人間の脳は忘れるために出来ているとよく聞きますが、脳はもっと複雑な構造をしているようです。自分もそういったブラックボックスを持っているかどうか気になりますが、開けてみるのも怖いような気がします。ストーリーというより、自分の記憶について少し考えてしまった小説でした。

夏の読書 その5 [読書’13]

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 これはホストマザーに勧めてもらった本です。Danniel Pennac のAu bonheur des orges(邦題「人喰い鬼のお愉しみ」)という変わったタイトルです。小さい頃、日本昔話が好きでよく読んでいたせいか、鬼が出てくる絵本をたくさん読みました。そのせいか、タイトルに「鬼」が入っていた今回の本、「子供向けだ」と信じ込んで読み始めてしまいました。50ページ近く過ぎても、鬼はほとんど出てこらず、自分の勘違いだったと気づきました。そもそも子供向けにしては、本の表紙が怖すぎるかなということは薄々感じていました。が、「ヨーロッパの子供は日本より大人っぽいしなあ」と思いながら、読み進めていき、1/3が終わる頃、ようやく「これはもしや大人向け?」と気づきました。1/3過ぎる頃には、どれだけ主人公に運がついていないか、悲惨だけれど笑ってしまう生活状況が分かってくるからです(兄弟が多いけれど皆お父さんが違う、店のクレーム対応係で遅かれ早かれお客さんに怒られるetc)。それだけ悲惨でも、彼の皮肉のこもったセリフを読んでいくと笑ってしまいます。日常生活だけでなく、何をしてもトラブルばかり起きる彼の身の回り。トラブルを呼び寄せる磁石のような存在になっています。そんな彼に周りの人は「bouc émissaire」というありがたくない呼び名をつけます。直訳すると「生贄のヤギ」、つまり「常に他人の責任(トラブル)をかぶる人」という意味になります。

 主人公のBenjamin Malaussèneはデパートのような店で働くContrôleur Technique(技術検査官)です。職名は立派ですが、実際は電化製品のクレーム対応係(お客さんのクレームに対応し、店の損害賠償を最小限に抑える)。毎日店内アナウンスで呼び出される人です。そんな彼の仕事に対して、「Vous faites un curieux métier, monsieur Malaussène, qui attire nécessairement les coups, tôt ou tard.(あなたの仕事は奇妙だね、必然的に、遅かれ早かれ一撃を呼び寄せる)」という表現が作品内でありました。彼の仕事をぴったり表している表現だと思います。どんなに良い製品が販売されていても、どの商品のクレームは全て彼の所へ行く、というわけです。この仕事が彼の役柄、人は優しいのだけれどトラブルを被る「生け贄のヤギ」にぴったりというわけです。一応ミステリーということになっているのですが、個人的にはこの彼の仕事や生活の表現(かわいそうなほどトラブルが多い)が面白かったです。ミステリーの方は、あまり面白いと思いませんでした。少し入り組んでいる感じがしました(表現も少し独特なので)。

 この作家、フランス語の近代作家としてかなり有名なようで、私がこの本を読んでいると色々なスイス/フランス人から「Pennac、面白いよね」と言われました。読み終えてみると、その面白さがよく分かりました。よくよく考えると、他人の不幸(Benjaminの災難)を笑っているため、あまり誇らしいことではありません。が、彼の不幸がユーモアたっぷりに描かれているので面白かったです。

 この記事を書くにあたり、作家についてWikipediaで調べてみました。この「悲劇」は1冊で終わらず、シリーズになっているようです(4巻)。ホストファミリーはもちろん全作揃えてあるので、また読んでみたいと思っています。また、映画化が決まって、今秋フランスで公開されるようです。今年自分が読んだ本で、今年映画化されるのは2冊。日本ではマンガ原作の映画が多く公開されるようですが、フランスも同様に、小説を元にした映画が増えてきています。映画のネタが無くなってきているのでしょうか。

夏の読書 その4 [読書’13]

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 クリスマスにもらって、冬休み中に読んだTonio Benacquistaの本。なかなか面白かったので、他の作品を探してみました。Malavitaの続編、Malavita encoreという本があるようですが、見つからず。図書館で予約することにしました。その間、ホストファミリーの家にあった、Sagaという作品を読むことにしました。Sagaとは英語で「長編物語」という意味ですが、この小説、決して長い話ではありませんでした。小説内で描かれる時間はかなり長いので、その点は「長編」かもしれませんが。Sagaというテレビドラマを書いた脚本家4人の話でした。Malavitaより気に入った小説でした。小説家、エッセイスト、記者、という文章を書く職業に憧れていたこともあって、脚本家が中心となっている話は楽しめました。

 フランスが舞台となっている話で、とあることから4人の全く売れない脚本家達が、全く視聴者の居ない時間帯に放映されるドラマの脚本を書くということから始まります。日本だと午後の早い時間帯だと思いますが、フランスだと午前2時~4時ぐらいです。フランスのテレビやラジオには「割り当て」の決まりがあって、ある一定時間はフランス語の音楽やドラマ(吹き替えではなく)を放送しなくてはならない、となっています。その割り当てのため、この脚本家達はくだらないドラマを書く羽目になるのですが、意外にドラマがヒット。その後、どのように脚本家達の生活が変わっていくのか、という話になっています。

 特に笑えたのが、脚本家達のブレーストーミング。全く期待されていないドラマなので、プロデューサーからも「やりたいようにやれ」といわれている脚本家達。予算も少ないため、ドラマは全て一部屋で行われる、という状態。そういった中で、名前や登場人物の性格などを話し合っていきます。彼らも期待されていないことが分かっているので、開き直って、ストーリーを書いていきます。登場人物の名前や過去も結構テキトーに決めていきます。が、人気が出てくるにつれ、各エピソードの結末もいくつかのバージョンを用意したりするようになってきます。すると「現実に私が見ているドラマの結末も同じようにいくつかのバージョンが用意されていたのかな」と、小説を読みながら思ってしまいました。もちろん、そういったバージョンが公開されることはないので、残念ながら脚本家(達)のみが知る話となります。この小説の著者、脚本家でもあるため、こういった裏事情少なからず「本当のこと」が含まれているのだと思います。

 小説内の語り手の「信憑性の定理」によると、ある出来事を大げさに、かつ細かい部分は現実的にすると信憑性が増すのだとか。この定理、小説全体にも現れていて、かなり大げさな描写が多い脚本家達の世界でも、細かい部分は現実感覚があるので、「本当かも?」と信じてしまいたくなる場面が何度かありました。ちなみにこの定理、私の家族、親戚内でもたまに使う人が居て、何度かだまされそうになったことがあります。

 普段はスポットライトが当たることのない脚本家達、これはこの小説内でも変わりません。その中で印象に残るセリフがありました。「Vous, les auteurs, vous n’avez besoin de personne. Vous êtes les premiers à connaître le premier mot de la première phrase. Les autres viendront au gré de votre liberté et de votre fantaisie…..(君達、物書きは誰かを必要としない。文章の初めの言葉を最初に知るのが君たち。他の人たちは、君たちの自由のまま、思いつくまま、やってくる)」という、ドラマ内の俳優が脚本家に向かって言うせりふです。確かに、脚本家がカメラの前に出ることはほとんどないけれど、彼らなしではドラマは成り立ちません。もちろん、俳優、監督、誰かが欠けてもドラマは生まれませんが、小道具・大道具など同様、名前は知られていないけれど必要不可欠な仕事の代表が、脚本家のような気がします。

 考えてみると、自分が知っている脚本家はほとんど居ません。監督や俳優などは、すぐに名前が出てきますが、「有名な脚本家は?」と言われると、一人しか名前が浮かびません。俳優や監督で映画を見るか決めることは滅多にないのですが、この脚本家の名前が出ると、見ずにはいられません。このブログでも何度か取り上げている「ザ・ホワイトハウス」のアーロン・ソーキンです。映画の脚本も何度か書いていて、「ソーシャル・ネットワーク」は彼が脚本を書いたから、という理由で見たほどです。Facebook自体、まだ進化している途中のため、映画も中途半端な終わり方でした。が、この脚本家の特徴であるマシンガントークが様々なところで見られ、セリフは楽しむことが出来ました。他にどんな作品の脚本を担当しているのか調べてみると、「チャリー・ウィルソンズ・ウォー」という映画の脚本も書いていました。まだ、見たことがないので、夏休み中に見てみたいと思います。

夏の読書 その3 [読書’13]

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 先日見た映画の元となった小説、「The Perks of Being a Wallflower」を読んでみることにしました。主人公が「ある人(それが誰なのかは最後まで分かりません)」に、手紙スタイルで自分の高校1年間を語るという方法で、物語が進んでいきます。映画も良かったですが、小説は別の点において良かったです。

 まず、Charlieは本が好きで、英語の先生から特別課題図書をもらって、その感想文を先生に書いています。自分の文章力を向上させる、という意味でも、「ある人」に手紙を書いています。小説を読み進めていくと、実際彼の文章が物語内を通して少しずつ向上していっていることがよく分かります。ストーリー上で彼が成長していく(文章だけではありませんが)のが、読みながら感じるので面白かったです。「読むこと」が出来るのは小説の醍醐味、そして音と映像を持つ映画に劣る部分もあります。それが、音楽の部分。映画の感想でも書いたように、様々な80年代の音楽が登場します。が、小説内でそのタイトルを言われても、分からないものがほとんど。「どんな音楽なのかなあ」と思いながら、読み進めていく羽目になってしまいました。

 主人公の性格は全く異なりますが、「ライ麦畑でつかまえて」に少し似ているなあと思いました。若者が一人称で話すという書き方はもちろん、読み終えた後、旅に出たくなります。「ライ麦畑でつかまえて」は2回日本語で読みましたが、毎回読み終えると、旅に出たくなります。今回読んだ小説も、読んだ後「もし今どこへでも行けるとしたら、どこへ行こうか」と旅のことを考えてしまいました。

夏の読書 その2 [読書’13]

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 日本へ留学するフランス人が勧めてくれたのが「Nââândé !? : Les tribulations d'une Japonaise à Paris 」という本。タイトルを日本語に訳すと「なあああんで!?:パリの日本人(女性)の苦労」となります。パリに住むEriko Nakamuraという日本人が書いた本です。私は知らないのですが、元アナウンサーだったみたいです。日本人がフランス語で書いた本だけあって、文章もシンプルで、一気に読むことが出来ました(近日、これを日本語訳したものが、日本で発売されるようです)。自分もフランスで経験したことがあるような話もあって、なかなか面白かったのです。パリと日本(東京)を比較していくエッセースタイルの本でした。が、彼女が描く「日本」は自分が生きてきた日本の生活とはかなり異なるので、違和感を感じる時も多くありました。「日本の視点」に関して、多少の不満はあるものの、比較していく書き方は面白かったです。

 なるほど、日本にも良いところがある、と再確認できる本でした。特に(この本を読む前から強く感じていたことですが)、日本の学校内は比較的きれい。日本の学校で、チューイングガムが手に触れないか、という心配は一度もしたことがありません。が、こちらでは机、いすの下、壁、様々なところにチューイングガムが付いているため、どこに手を置くか、しょっちゅう気にしなくてはなりません。

 この本を読んで面白かったのが、スイス人ホストファミリーの反応。私がキッチンでこの本を読み終えて、片付けるのを忘れていると、ホストシスターが数時間で読み終えていました(ホストファミリー、皆かなりの読書家です)。彼女も色々思ったことはあったようですが、一番驚いたのが「日本にはダブルベッドがあまり無いこと」だそうです。日本でホテルにあまり泊まったことがないのではっきりしたことは分かりません。が、ツインルームとダブルという異なる言葉が存在していることからも、はっきりと区別していることが分かります。

 逆にヨーロッパで「ツインルーム」はほとんど存在しないようです。フランスに居た頃、水泳の大会で何度かホテルに泊まったのですが、必ず女子偶数人数の参加で部屋はダブルベッドでした。遠征は友達と一緒で楽しかったことは楽しかったのですが、「寝相が悪くて、友達を叩いてしまったら嫌だな」と思い、なかなか寝ることが出来ませんでした。いつもベッドの端に寝て、ベッドから落ちそうになって寝ていて、大会時は毎回眠りが浅かったです。また友達の家に泊まらせてもらったときも、ほとんどダブルベッド、友達の顔を叩かないかヒヤヒヤしながら寝ていました。

 フランスでのダブルベッド経験の影響が、今でも残っています。去年のパリ、そしてジュネーブではダブルベッドに寝ています。2人分のスペースがあるにも関わらず、いつも隅のほうに寝ています。電気スタンドが近いから、という理由もあると思いますが、実際寝る時、中央に移動せず、隅の方で寝る癖がついてしまっています。

 自分がダブルベッドに慣れていない、という話、スイス人のホストファミリーにはかなりの驚きだったみたいです。カップルが同じ部屋で、別々のベッドで寝ることなどあり得ないそうです。ヨーロッパ人は寝相が悪くないのかな、と思ってしまったのですが、そうでも無いようです。

 蛇足ですが、ヨーロッパで3段ベッドも見たことがありません。小さい頃はアパートに住んでいてスペースが無かったため、私たち三人姉妹は3段ベッドで寝ていました。狭い日本だからこそ誕生したベッドなのでしょうか。

夏の読書 その1 [読書’13]

 私は既に夏休み入っていますが、他の学校(小・中・高)は後数週間。高校3年生はみな最終試験に挑んでいるか、ちょうど終わった、そんな時期です。天気がずっと悪かったということもあってか、5月ごろから、皆バカンスについて話をするようになっていました。私の周りでも、たくさんの人が旅行を計画しています。その勢いはとどまることを知らず、6月になると、バカンスの話もかなり具体的な内容になってきます。そして夏休み中に欠かせないのが、読書。多くのヨーロッパ人が本やKindleを片手に、旅行へ出発します。そして私も、夏休みということで、課題も特にあるわけではないため、授業があるときは読まないような小説を最近読むようにしています。幸い、色々なスイス人・フランス人が色々な本を薦めてくれるので、読む本を探すのには苦労していません。読んだ本の感想は次回から始めるとして、今回はその第一回を記念して日本人作家について少し書いてみたいと思います。

 日本人作家=Murakami、という言葉が返ってくるほど知られているのが村上春樹の作品です。英語圏で知っている人はあまり見かけたことがないのですが、フランス語圏では多くの人が知っています。日本に興味がある人ではなくても、一度は手にとって読んだことがある、それぐらい知られている作家です。

 そして今少しずつ人気が出てきているのが東野圭吾。さすがに「Higashino」と名前が会話の中で出てくるほどは、まだ知られていません。が、どの本屋に行っても、必ず「海外ミステリー」のセクションに彼の作品が数冊置かれています。まだ2~3冊ほどしか翻訳されていませんが。母がこの作家のファンで、ほとんど彼の作品をほとんど読んでいます。そして、母のお勧めを聞いて私も何冊か読んだことがあります。私のお気に入りはやはりガリレオ・シリーズで、ほとんど読みました。数学好きのスイス人も「容疑者Xの献身」を読んで、「面白い」と言っていました。トリックより、「日本の社会」のようなものが少し見えて面白かった、と言っていました。英語で読んだようで、タイトルは「The devotion of suspect X」、そしてフランス語では「Le Dévoument du suspect X」となっています。両言語、日本語のタイトルから忠実に訳されています。

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(ちょっと不気味な表紙)
 この本を除いて、せっかく本屋で東野圭吾作品を見つけても困るのがタイトル。日本語タイトルから忠実に訳した作品の方がほとんどないため、フランス語のタイトルを見ても「一体これは何の作品?」と思ってしまうことが多いです。また、彼の作品を多く読んでいるわけでもないので、そもそも自分が知っている作品かどうかもよく分かりません。さすがに、「容疑者X」はほとんど直訳だったのですぐに分かりました。不気味な表紙にはちょっと驚きでしたが。困ったのが「Un café maison」。直訳すると「コーヒー(の)家」となります。なんだかさっぱり分かりません。仕方が無いのであらすじを読んでみると、「聖女の救済」でした。毒殺だったことは何となく覚えていますが、それがコーヒーだったかどうかもよく覚えていません。まだフランス語で読んだことはありませんが、タイトルの印象だけで評価すると、日本語タイトルの方がミステリーっぽいと感じるのは私だけでしょうか。

Livre audio [読書’13]

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(道ばたで見つけたモリエールの落書き。結構上手い)
 Audio Livre。日本語で、オーディオブックのことです。日本ではCDなので少しずつ広まってきているようですが、印象としてはヨーロッパの方が数は多いという漢字です。電子書籍、オーディオブック、と自分は本のスタイルが変わる真っ只中に生きているなあと感じます。

 私の中でオーディオブックは忙しいビジネスマンが出勤時に車の中で聞くもの、というイメージがあったため、自分には無縁だと思っていました。というのも、国語の先生である父は通勤やドライブ時に、教科書のオーディオブックを聞いているからです。以前ドライブへ行った時に繰り返しかけていた小説があります。この小説、なぜか私には子守歌で、決まった章になると寝てしまいました。そのため、この小説の結末は知ることなく今に至っています。今ではタイトルも忘れてしまっているため、どの小説だったのかは永遠の謎となっています。それ以降、オーディオブックは自分に向いていないと信じ込んでいました。

 料理するときにオーディオブックがぴったりだ、という友人が居て、半信半疑で試してみることにしました。とういのも、料理する機会がこちらで何度かあるからです。料理し慣れていないため、シンプルなものを作るのにも1時間近くかかります。料理をする時は一人。沈黙の中で作るのも少し寂しいので、何か音が欲しいなあと思うようになりました。英単語のCDを聞くという手もありますが、友人の勧めるオーディオブックを半信半疑で試してみることにしました。

 フランス語の先生が勧めてくれたLitterature audio.com(http://www.litteratureaudio.com)から作品を探してみることにしました。いわゆる「文学作品」のオーディオブックが色々揃っています。全て無料でダウンロード出来ます。著作権の関係だと思いますが、古い名作がほとんどで、現代小説はありません。全てフランス語ですが、外国語文学のフランス語版などもあります。ただ、サイトが上手く出来ていなくて、検索には少し時間がかかります。タイトルを打っても、検索結果の最初の方に出てこないことがよくあり、自分の探している小説になかなかたどり着けません。

 料理のために、私が選んだ作品はAlexandre Dumasの「Les Trois Mousquetaires(三銃士)」。ジュニア版で読んで、かすかに覚えている程度です。かなり大きくなってから気付いたのですが、実はこの作品、かなりの長編。元々雑誌に書いていた小説なので、全てを合わせると相当な長さになるみたいです。60章近くあります。

 さて、気になるオーディオブック。小説に集中出来るかどうか心配だったのですが、驚くほど中身に入っていくことが出来ました。0章は例外的に短く、20分ほどでした。なぜこの小説を書こうと思ったのか、語り手が説明するところからこの物語が始まります。こういったことを語り手が説明している時点で、この小説が相当長くなるのだ、ということがよく分かります。この最初の章を除き、1章30から40分近くかかり、料理にぴったり。今は4章ほどまで進みました。音を吹き込んでいる人、読むのは上手いのですが、少し南フランスのアクセントがあります。そのため、最初は少し聞きづらかったです。が、スピードもちょうど良いため、慣れてくると違和感がなくなります。改めてフランス語の小説を聞いてみると(読むのではなく)、フランス語ってきれいに流れる言語だな、と感じます。この「流れ」を可能にするには、もちろん作者の力量にかかっています。そして、各言語にそういった能力を持った小説家が存在するのだと思います。目で追っているだけでは分からない、声に出してみて初めて分かる意外な「印象」を楽しめるのがオーディオブックなのかな、と思います。数年前にヒットした「声に出してみたい日本語」シリーズも、そういった「意外さ」が受けた本だったのではないかと思います。そしてこのシリーズこそ、オーディオブックにぴったりの本だと思います。

 忙しい人が読書(聴書?)をするために使うのみだと思っていたオーディオブック。音で話を追っていく、という新しい楽しみ方を発見したオーディオブック体験でした。が、難点が一つ。前のページに戻って話を確認、というのが出来ない点。登場人物の名前がなかなか覚えられない私(小説を読むときに、必ず人物関係表を作らないといけないほど)、数日後に次の章を聞き始めると話や登場人物を思い出すのに少し時間がかかります。先日はM. de Tréville(トレヴィル)という人の話で章が始まり、「主人公はD’Artagnan(ダルタニャン)ではなかったっけ?」と少し混乱してしまいました。小説だと、前のページへ自由に戻ることが出来るのですが、オーディオブックではそれが難しいです。この難点を除いては、良い料理の友になります。