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黒い手帖 (by 松本清張:1961)  [読書’15]

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(私の「黒い手帖」です。旅行の際、持って行きます。主に、祖父母に書く手紙やブログの記事のための旅行のメモが書いてあるものです。)
 小説「黒革の手帖」を図書館で予約しようとしたら、間違って「黒い手帖」を予約してしまいました。作者も同じ、前者が小説、後者が随筆でした。せっかく借りてきたのだから、と読んでみることにしました。初めて読む松本清張の随筆でした。彼の考える推理小説、がテーマとなった随筆で、面白かったです。私が彼の作品に対して不思議に思っていたことの謎が解けた本になりました。

 推理小説に欠かせないトリックだけを考えると、私はコナン・ドイルや東野圭吾の方が面白いと思っています。もちろん、松本清張の作品に登場するアナログなトリックも面白いと思います。しかし、シャーロック・ホームズの作品の方が、現代でも通じる盲点を突いたトリックがあり、読んでいてもすごいなあと思います。そして、逆に東野圭吾の作品にあるトリックは最新テクノロジーを駆使した物が多くあり、科学技術の進歩に感心したりしています。私が推理小説を読む理由はトリックだけではないので、松本清張の作品も楽しんでいます。そして、この随筆を読んで分かったことは、著者自身もトリックだけに重みを置いているわけではないということでした。動機に重点を置いている(日常的にありそうな気持ちのもつれ)というようなことが書かれていて、納得。だから、彼の作品に出てくる登場人物はどれも、身近に感じてしまうのだと思います。

 また、作家メモも公開されていました。読んだことのない作品のメモの場合は、あまり理解出来ませんでした。しかし、読んだことがある作品だと、どこからが創作でどこからが実際に起きた(彼の取材が元となっているのか)が分かって、面白いです。作家メモを読むのは初めてだったのですが、創作と現実の線引きがある程度理解出来るのが、彼のメモを読む面白さかなと思います。

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 また、内容には全く関係ありませんが、この本の値段にもびっくりしてしまいました。この本、普段利用している図書館の書庫から出てきました。ここの書庫は一般者立ち入り禁止で、司書さんに出してきてもらわなくてはなりません。書庫にある本は、専門書か古い本です。そのため、この本が書かれたのは「昔」と意識はしていたのですが、値段を見てびっくり。ハードカバーなのに、たったの500円でした。現代は、新書でも600円ほどするので、安さにびっくりしてしまいました。ちなみに出版されたのは1961年。半世紀近く前の本だったら、今と物価は違うよな、と納得しました。

黒革の手帖(by 松本清張:1978) [読書’15]

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 以前、 テレビを見ていたら、女性だけで組織された「便利屋」の企業が紹介されていました。様々なバックグラウンドを持った人が居るため、複雑な要望に対応出来る、と説明していました。その幅広い対応領域を紹介するために、彼女たちの前職を聞いていました。そして、登場した人達の中に、不思議なオーラを持った人が居ました。その理由は、最初、私も分かりませんでしたが、服装が着物だったから、というのが唯一の理由ではありません。前職に関する質問をされると、彼女は「黒革の手帖です」と答えていました。私はこれが何を指しているのかよく分かりませんでした。後で調べてみると、これが「銀座のバーのママ」で、松本清張の作品から来ているということが判明しました。読むしかない、と思い、早速図書館で借りて読んでみました。

 なるほど、というか、テレビに出ていた女性の不思議なオーラの理由が分かった気がします。「おばちゃん」と言って良い年齢だったと記憶していますが、「おばちゃん」と呼ぶには失礼な、それぐらいエレガントで、不思議な雰囲気を持っていました。もちろん、「黒革の手帖」はフィクションの作品であり続けるので、どこまで本当か分かりません。でも、バーの経営者は様々な事を経験してきていると思うので、あのエレガントさはこの経験から出てきているのでしょう。だてに年を重ねているわけではない、という表現がぴったりの人でした。

 松本清張の小説を読んでいると、どこまで本当か、といつも思ってしまうのですが、この作品も例外ではありませんでした。確かに、フィクションの部分もありますが、そのフィクションと現実の線はかなり曖昧なものだと私は勝手に思っています(彼の表現力が優れているから、読者に実際に起こったことと錯覚させるとも言えますが)。この作品に出てくるバーやクラブの買収劇も、かなり現実味があります。今でも企業買収が盛んで、バーなども例外では無いだろうなあと思います。不思議な世界なので、不思議なことが起こってもおかしくはない、とこの本を読みながら勝手に想像していました。

 不思議な世界の話を読み終わったのですが、これには後日談があります。私の知り合いの祖母が、ずっと前に銀座のバーで働いていたことが最近判明したそうです。この小説を読んだ後だったので、話を聞いてみたいなあと思ってしまいました。

 後、面白いなと思うのは「手帖」の扱われ方です。この作品では、タイトルに入っているほどなので、登場人物にとって重要なものです。「黒革」という言葉も入り、いかにも怪しそうです。小説であっても、イメージしやすい物な気がします。そして、アメリカのドラマ(犯罪、政治、分野を問わず)を見ていても、必ず駆け引きに使われるメモか手帳が登場します。単純にテレビ映りの問題だと思いますが、「メモ」の時には画面にメモそのものが登場することがありません。手帳だと、必ずと言っていいほど、映像に登場します。手帳とメモの扱い方の違いを考えてしまいました。個人的には、メモの方が薄いし、秘密を隠せやすそうな気がしますが、そのメモがどこへ行ったか分からないということが起こりそうです。

 蛇足になりますが、私は銀座というと、百貨店や高級ブティックのイメージがかなり強いので、どうもバーのイメージがありません。個人的なイメージですが、赤坂の方が高級バーの地区、というイメージがあります。そのため、この小説を読んでいて、銀座の地名を見ると、どうも百貨店を思い出してしまい、バーが並ぶ様子をイメージ出来ませんでした。

Rue des Boutiques Obscures (by Patrick Modiano : 1978) [読書’15]

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 昨年のノーベル文学賞に輝いたモディアーノの作品です。フランスではあまり聞いたことがない、少なくとも私の周りにはファンが居ない作家です。普段は、あまりノーベル文学賞を気にしたりしないのですが、今回はフランス人が受賞ということで、これを機会に彼の作品を読んでみることにしました。

 芥川賞、フランスのゴンクール賞と異なり、ノーベル文学賞は特定の作品に対して与えられる賞ではありません。作家が書き重ねてきた作品、言ってみれば作家自身の功績を称える賞です。そのため、どの作品を読もうか、決めかねていました。彼の著作品リストを見ると、1970年代にゴンクール賞を受賞した作品がありました。私はこの賞の受賞作品が結構好きなので、このRue des Boutiques Obscures(暗いブティック通り)を読むことにしました。

 私のように受賞が決定して一気に読む人が増えたのか、なかなか本が家に届きませんでした。日本で、フランス語書を扱う書店で頼んだのですが、意外と時間がかかりました。さて、いざ読んでみたものの、2回挫折しました。理由は簡単、登場する名前が多すぎたからです。今回モディアーノにノーベル文学賞を与える理由の中で「記憶の芸術」という言葉が使われていました。この言葉の通り、記憶が大きなテーマとなっています。この本では、登場人物が記憶喪失という設定。そのため、主人公が会う人の数が多いだけでなく、更に彼らの話から出てくる名前も多いです。ストーリー内でも、彼の記憶の中、現在、過去を行ったり来たりし、そこでも更に新たな登場人物が出てくるので、余計分かりづらかったです。ただ、前半部分を過ぎるとキーとなる登場人物の名前が大体分かってくるので、一気に読み終えました。私は2回挫折したので、3回目からは、出てくる名前を全て紙に書き出し、名前の横に特徴(職業)なども書いた、お手製の人物相関図を作りながら読んでいました。そのおかげで、無事読み終えることが出来て良かったです。

 読み始めた時は、なんだかモヤモヤした感じが作品から溢れていて好きになれませんでした。太陽がなかなか出ないパリと、記憶のモヤモヤから抜け出せない主人公。その雰囲気が作品の舞台となるパリに合っていることも事実でした。主人公が自分の記憶を取り戻すためのプロセスは、推理小説にも少し似ていて私は好きな話の進め方でした。

 また、この本の時代は占領下。作家自身、占領下のフランスを経験しているので、その描写もリアルでした。ドイツ軍は全く登場しないけれど、市民の生活に根付く「占領下」の雰囲気がよく分かります。戦争でよく出てくる兵士を取り上げないで、戦争ということをありありと表現する辺りは、作家の文章力がいかに優れているかということだと思います。

 と、表現が色々気に入った作品ですが、難点が一つ。終わり方が呆気なかった点です。中途半端というか、「ここで終わっちゃうの?」というところで物語が終了してしまいました。後は、読者の考えに任せるということだと思いますが、この終わり方は残念でした。本の分野としてはミステリーではないですが、私はミステリー小説の感覚で読んでいたので、解決編のないミステリーみたいな終わり方になってしまいました。

女のひとさし指 (by 向田邦子:1982) [読書’15]

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 5年ぐらい前に、NHKでやっていた向田邦子の特集番組を父と一緒に見ました。この時は、まだ知らない作家だったので、番組の内容は全く覚えていません。彼女がドラマの脚本家、ということで、私の知らないドラマについて語っていたのも、特番の内容を覚えていない理由の一つかもしれません。ただ、作家、大学教授に混じって、(引けをとらず)芸人さんが熱くこの作家について語っていたのは、とても印象に残っています。普段のバラエティからは想像出来ない感じだったので、余計印象に残っています。そのため、ずっと読んでみたい作家でした。父との会話でも、たまに彼女の名前が出てくるので、どんな作家なのか興味はありました。

 図書館で「向田邦子」と検索すると、色々な作品が出てきました。色々迷って、タイトルが気になった「女の人差し指」を読んでみることにしました。結局、なぜこのタイトルになったのか、読み終わっても分からないままなのですが。

 久しぶりに読むエッセー集でした 。着眼点が面白く、冗長しているようで無駄が無い文章、という印象を受けました。私は文章が冗長していると言われるので、見習いたい書き方でした。彼女のエッセー、一見すると、語っているような文章です。しかし、それをそのまま文章にしてしまうと、どうしてもダラダラした印象を与えます。逆に、ばっさり言いたいことだけを書いてしまうと、味気ないものになってしまいます(シンプルさが売りの作家も居ますが)。しかし、味気なくさせない程度に、良い加減で「ダラダラ」した感じが出ていました。

 また、観察力というか、「この場面で、こんなところに着目するんだ」というところは、読んでいてクスッと笑えました 。ちょっと変わった見方があるから、ドラマの脚本家になれるのだ、と思ってしまいました。この不思議な着眼点は、一番下の妹にも共通するものがあって、このエッセー集を読んでいると、妹の文章を思い出してしまいました。

 このエッセー集の中で、気に入った作品は色々あるのですが、印象に残っているのは「昆布石鹸」です。タイトルを見た時は、食べ物なのか、美容用品なのか判断できませんでした。しかし読み終わってみると、「昆布石鹸」という名前がぴったりの食品だと思ってしまうから不思議です。この食品、正式名称は「スペインカンゾウ」です。お菓子としては、「リコリス菓子」と呼ばれているようです。私も一度食べたことがあります 。黒い渦巻き型のお菓子はちょっと不気味だったのですが、大好きなグミメーカー、HARIBO(ハリボ)が出しているものだったので味見してみました。通常であれば、あまりおいしくなくてもとりあえず飲み込むのですが、このお菓子は途中ではき出してしまいました。表現出来ないまずさでした。食べた時は「まずい」という表現しか出来ていなかったのですが、このエッセーを読んで、目から鱗でした。彼女の言うとおり、「昆布石鹸」という表現がこの食感を一番表現しています。

松本清張短編集 [読書’15]

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 19歳か20歳の誕生日プレゼントとして、父から松本清張の短編集11巻をもらいました。作品が書かれた年代順に1〜11巻となっていて、その時は順番通り1巻から読み始めました。彼が芥川賞を取った「或る『小倉日記』伝」が入っている巻でした。彼がそんな有名な作家だとは知らず、読み始めましたが、あまり進まず。言葉遣いも難しくて、ちょっと読んでは別の作家の作品を読む、ということが続きました。そのため、11巻までたどり着くのはいつになることやら、という感じでした。

 しばらくの間、この短編集は祖母の家に置かれていました。しかし、今年この短編集をまた読み始めることになりました。昨年読んだ東野圭吾の自伝的エッセーで「松本清張を読んで、読書・推理小説にハマった」ということが書いてあったのです。東野圭吾にも大きく影響を与えた、少なくとも彼が推理小説と出会うきっかけとなった、松本清張の作品を読んでみようと思ったのでした。しかし、この時でも、この松本清張という人が、父からもらった短編集の作家と同一人物だということには気づいていませんでした。市の図書館で検索し、「砂の器」など松本清張の有名な作品をとりあえず読んでみることにしました。そして、私もハマってしまいました。その読んだ長編作品の解説部分で、短編のことが触れられていました。ここでようやく父からの誕生日プレゼントの短編集のことだ、と分かったのでした。

 しかし、1巻はなかなか読み進められていないという嫌な記憶があるので、真ん中を取って、4巻から11巻まで、そして2、3巻と読み、最後に1巻を読みました。鬼門だった1巻も無事に読み終えました。この巻に入っている「或る『小倉日記』伝」も、推理小説っぽかったです。有名な小説家の軌跡をたどる、という点が、事件を追う刑事にも似ている感じがしました(後に読んだ坂田安吾のエッセーにも同じようなことが書かれていましたが)。なぜ今になって、松本清張の作品を面白いと感じたのか分かりません。単に私が年を重ねたということなのでしょうか。

 11巻全て読んで分かったのは、私が特に好きなのは彼の後期作品だ、ということでした。特に「空白の意匠」(1959〜1961)が、この11巻の中で一番面白かったです。新聞社、不倫、歪んだ家族関係、才能はあるのになかなか社会的に認知されない学者/芸術家、など描かれる人物は結構定番化されているのですが、飽きません。特にこの「空白の意匠」の巻に入っている作品は淡々と物語が進んでいきます。ワクワクするようなストーリーではないのですが、最後に、登場人物が全てを悟る部分にある種の興奮が起こります。人間の感情ってそういうものなのか、そういうとらえ方もあるのか、という発見があって、読んでいても快感です。私自身が直接体験したシチュエーションではないけれど(そしてこれからも体験はしたくない)、作品の最後を読むと「分かる!」という人間関係、人間の感情がとても上手に表現されていると思いました。この不思議な波、最初は単調で最後に一気に盛り上がる、を体験出来たのが「空白の意匠」でした。

 「空白の意匠」と同じ巻ではないのですが、最も印象に残っている作品は「声」です。新聞社の電話交換手が主人公の話です。電話交換手、という職業に私はまずびっくりしました。現代で一番これに近い仕事は、ホテルのフロント(外部からの電話を部屋に繋ぐ)や秘書ですが、電話をつなぐ仕事だけをやっているわけではありません。そういった意味で、電話交換のプロというのは今から考えると目新しい職業です。

 色々事情がある電話も多いので、名乗らず、声だけで認識して電話を繋ぐようです。実際、何百人もの声を電話交換手は聞き分けることができたそうです。それを上手く利用した作品でした。多分、私の知らない未知の職業が使われていた作品だったせいか、とても印象に残りました。

燃えよ剣(by 司馬遼太郎:1964) [読書’15]

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 先日、祖父母の家へ行く移動中に読んだ本です。これまで、「世に棲む日日」、「花神」と倒幕派の作品を読んできました。逆の見方(幕府側)では、どうこの幕末が捉えられていたのかということが気になって、土方歳三が主人公の「燃えよ剣」を読むことにしました。これは、もちろん旧幕府軍側。幕府側の視点で幕末というものを描いた作品を読んだことがありませんでした。そのため、この作品を読んでいる間、ちょっと不思議というか、古くさい考え方をする人達だなあと思ってしまいました。

 旧幕府側の話だったので、幕末で聞き慣れない人物も多く出てきました。新撰組内では、近藤勇ぐらいしか名前を知りませんでした。大河ドラマの近藤勇と、「燃えよ剣」の近藤勇のイメージが大きく違って、読んでいても変な感じでした。私は大河ドラマの近藤勇を先に知ったので、本を読んでいて、顔(=大河ドラマ)と性格(=本)が一致しませんでした。

 また、土方歳三といえば、五稜郭。私の生まれは函館なので、五稜郭のシーンは楽しみでした。五稜郭というと、あの不思議な形を思い浮かべ、戦場だったということをなかなかイメージ出来ません。この五稜郭がある函館、当時はもちろん北海道の一部ということもなく、「蝦夷」と呼ばれていました。「土方歳三は北海道へ向かい」という表現であれば、いよいよ函館か、と思えるのですが、ざっくり「蝦夷」と言われてしまうと、あまり馴染みがありません。

 と、倒幕とは別の見方を求めて読んだ「燃えよ剣」ですが、個人的には好きな作品ではありません。以上挙げた理由以外に、主人公に対して肩入れできなかったということが大きな原因です。私は司馬遼太郎作品を読んでいると、各作品の登場人物にかなり肩入れして読んでしまいます。単純と言えば単純ですが、それだけ彼の表現力に魅了されているということでしょうか。が、例外が2作品。それが「義経」と「燃えよ剣」でした。新撰組がある意味幕府の警察だったとは言え、とりあえず斬るという感じが好きになりませんでした。

花神(by 司馬遼太郎:1972) [読書’15]

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「世に棲む日日」を読み終え、すぐにこの「花神」(中国語で「花咲かじいさん」の意味)を読み始めました。通販サイトで、「世に棲む日日」を検索すると、この「花神」もお勧めと出てきたので、早速図書館で借りてきました。この本、明治維新の際、倒幕軍を仕切った参謀、大村益二郎の話です。幕末はカリスマ的数々の大物が登場しますが、この大村益次郎はそういったカリスマとは大きく異なります。高杉晋作のような天性の勘、坂本竜馬や西郷隆盛のような人を惹きつける愛嬌、というものは全く持っている人ではありません。蘭学という知識、そこから学んだ医学という技術を持って、コツコツ階段を上った、ある意味、地味な人です。それでも、このように地味な人が魅力的に描かれている部分はさすが、司馬遼太郎だなあと思ったりしました。

 カリスマ性はあまり無いのですが、この人の職歴を見てみると、やっぱり天才です。蘭学者・翻訳家・医者・軍師/総司令官・技術者、です。オランダ語を理解する人は、当時海外から入ってくる技術全てに関わっていた、という感じで、現代からすると、色々な職業に就いていたようです。医者になるだけでも大変そうなのに、更に技術者である辺りもすごいなあと思います。また、彼の家は百姓。百姓から軍事大臣のような立場まで上り詰めたことも、時代を考えるとすごいなあと関心しっぱなしでした。彼自身は「技術者」という意識が強かったらしく、考え方は極端に合理主義です。義理、感情という感覚は全くなく、論理的であるかどうか、合理的かどうかというのが彼の決断の全てです。ここまで極端だと、特定のシチュエーションではかわいそうになってしまう部分もありました。

 また、この小説は他の歴史的人物の描き方も面白かったです。他の人物と比べると、大村益二郎は当時、あまり評価されていませんでした。そして幕末という時代だけあって、この小説には様々な人物が登場します。この時代の大物が、大村益二郎という別のタイプの大物を通して描いているのも読んでいて面白かったです。そのため、幕末のドリームチーム小説を読んでいるようでした。「世に棲む日日」に登場した吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文はもちろん、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、福沢諭吉など。さらに、個人的には主人公のちょっとした窮地を救ったのが大隈重信というのも、読んでいて嬉しかったです。かつて別の小説で主人公だった人達を、大村益二郎という外の視点を通して読んでいくのは、不思議な感覚でした。

 これは「世に棲む日日」を読んでいても感じたことなのですが、長州藩は優秀な人物を輩出する藩、ということでした。もちろん、これは若者をあまり咎めないという藩の性格から来ていると思います。しかし、「花神」を読んでいる間は、さすがに「この人も長州、あの人も長州出身!」と正直びっくりしてしまいました。まるで、この両作品は長州という藩を描いた作品に思えます。実際、「花神」の解説には、「『世に棲む日日』と『花神』は姉妹編のようなもの」と書かれていました。全く異なる人物を両作品は描いているけれど、時代背景、長州という共通のものを使っているので、「世に棲む日日」からの独立した続編、という感じも読んでいて少ししました。

世に棲む日日 (by 司馬遼太郎:1970) [読書’15]

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 私が最初に読んだ司馬遼太郎作品は、父からの課題図書として渡された「竜馬がゆく」でした。20歳ぐらいの頃に渡され、8巻を読み切りました。竜馬の若さの勢いをすごいなあと思いながら読みました。8巻目は、薩長同盟、明治維新への動きもあり、様々な地名や人名が登場し、色々なことがごちゃごちゃになりながら読み終えた、と記憶しています。初めての歴史小説、面白かったのですが、やはり長編だったので、その後しばらくは司馬遼太郎の作品を読まなくなりました。

 そして昨年、「国盗り物語」を皮切りに、戦国時代の歴史小説を読むようになりました。「竜馬がゆく」も良かったのですが、やっぱり身分を超えてトップに登る下克上、戦国・安土桃山時代の方が面白いなあ、と思っていました。軍師が活躍するのも、この時代の好きな理由でしょうか。幕末より、戦国時代だ!と思っていました。

 単に、私が影響されやすいだけかもしれませんが、この「世に棲む日日」を読むと、幕末も良いなあと思ってしまいました。戦国時代はまだ日本が統一されていたわけではないので、領土をどれだけ拡大するか、物理的な戦いが多くなります。武士と武士がぶつかる、ある意味分かりやすい戦いです。幕末も「藩」という、現代の「県」と比べると、キャラクターの強い単位で動いていましたが、日本全国一応同じようなシステムで動いています。そのため、戦いと言っても、ぶつかり合うものは少なくなっていきます。開国か、佐幕か、攘夷か、考え方でぶつかり合う戦いが多くを占めます(この考え方の違いで、物理的な戦いにもなるわけですが)。その考え方の違いを、松本松陰と高杉晋作という人物を通して描いています。

 また、開国派、攘夷派、と考え方に一応派閥があっても、そのグループ内でも考え方に幅があります。これは、自分の身近でも起こっていることなので、読んでいて「その通り!」と共感してしまいました。

 何か政府に対して提言を行う時、NGO一団体では主張が弱くなるので、いくつかのNGOが集まって主張するということがあります。しかし、同じ主張の元に集まっているとは言え、信念は多少異なるし、優先する活動するというのも異なります。そのため、同じ主張の元に集まった団体とは言え、やはり妥協したり、交渉、駆け引きをグループ内でやるということも必要です。これはどこでも行われていることで、私がインターンをしているNGOでも似たようなことが起きています。私は直接関わっていないのですが、外から様子を見ていると「同じ主張を持っていなくても、まとまるのは大変」と思います。

聖獣配列 (by 松本清張:1986) [読書’15]

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 パリ旅行には、何冊か本を持参しました。その内1冊が、この本でした。上下巻でさすがに2冊持って行くのはキツかったので(他に持って行った本が分厚かったため)、上巻は日本で読んでおくことにしました。

 銀座のママが、国家機密を手に、ヨーロッパの秘密口座を利用していく様子が描かれています。「蒼ざめた礼服」や「歪んだ複写」など、事件や黒幕が大物だったりすると、頭がクラクラしてきます。扱われるお金の金額も、相手にしている人物も次元が異なって本当に自分が生きている社会のことか、と思ってしまいます。

 松本清張の作品は、彼の取材力も魅力の一つです。このような社会の闇部分もしっかり取材し、作品に活かされているのだと思います。同時に、どこまで脚色なのか、とも疑問に思います。描写が結構リアルで、精密なので、もしや現実でも起こっている/起こったことなのでは?と作品を読みながら思ってしまいました。

 さて、この作品は主にヨーロッパが舞台です。秘密口座と言えば、もちろんスイスです。私たちがスイスに持つ「汚いお金がいく銀行」というイメージも、このような作品から来ているのかなと思います。特に作品で登場するチューリッヒは私の第一印象通り!「チューリッヒ=銀行」というイメージを持ったままこの都市に向かったせいか、到着するなり「金持ちが牛耳ってそうな都市だ」と思ってしまいました。実際、銀行、金持ちの別荘なども多いみたいですが。

 また、松本清張の作品に必ずと言っていいほど登場するのが、高級な銀座や赤坂のバーや料亭で働く人達。新聞社の記者だったり、刑事だったり、謎を追う人物は作品ごとに変わるのですが、鍵となる情報をよく持っているのは高級バーで働く女性達です。私はこのような場所に縁が無いのでよく分かりませんが、今でも捜査や取材の突破口はこういった女性達なのかなあと思ってしまいます。

 今回の作品、トリックというほどのトリックは無かったので、推理小説というジャンルになるのかは分かりません。裏社会の様子が分かる作品でした。

City of Thieves (by David Benioff : 2008) [読書’15]

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 この本は、アメリカ/カナダ人の友人に勧められて読んだものです。彼女はフランスへ留学したことがあり、彼女と各国の第二次世界大戦のとらえ方についての話になりました。おおざっぱに分けて、フランスでは西ヨーロッパ、ノルマンディ上陸などが第二次世界大戦の話題の中心となります。アメリカではパール・ハーバー、D-Day(ノルマンデイ上陸)、日本だとパール・ハーバー、アジアでの戦い、となります。これら3ヶ所に限ると、東ヨーロッパで何が起こっていたのか分からないよね、という話になります。大戦中のソ連(レーニングラード)での様子が分かる本がある、とその友人に勧められたのがこの本でした。

 邦題は「卵をめぐる祖父の戦争」です。題の通り、卵をめぐる話です。舞台はソ連、些細なことでナチスに逮捕された二人のロシア兵が主な登場人物です。解放の条件として、ナチスの大佐の娘の結婚式で作るケーキに使う卵が足りないので、レーニングラードへ卵を求めていく話です。簡単に言うと、卵探しの旅、ですが、その道中で、様々なことが起こります。その出来事を通して、当時の様子が描かれている作品です。

 大戦中の話、というと、重く捉えてしまいがちです。しかし著者が脚本家ということもあり、テンポが非常に良く、ジョークなども多く使われています。主人公は著者の祖父(当時17歳)、その彼に伴って旅する変わった兵士がたまに良いセリフを言ったりするので簡単に読み進めることができました。

 唯一残念だったのは、終わり方。(ハリウッド映画のように)上手くまとめてしまっていて、少しがっかりしてしまいました。