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Lyonへの旅 その10 [旅'13]

 サイクリングでどこへ行こうか、と思い、インターポールを見に行ってきました。Lyonにあることは全く知らず、観光マップで見つました。本当に映画でよく聞くインターポールなのか、確かめに行ってきました。Lyonの中心地からは少し遠く30分で到着出来るかは微妙でした。結構慎重な私は、20分ほどで自転車を乗り換えてインターポールに向かいました。

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 週末 なので、この建物の周りにはほとんど人が居ませんでした。強いて言えば、朝のランニングを行っている人たちのみ。厳重なセキュリティのため、あまり近づくことができませんでしたが、マークはよく映画で見るインターポールのマークでした。写真では見づらいですが、中心にINTERPOLの字が見えます。

 この横には大きな国際学生寮が建っていました。国際学生寮の隣にInterpolが建っているのは単なる偶然かどうかはよく分かりませんが、ちょっと不思議な場所でした。

 インターポールという意外な場所を見ることが出来た、朝のサイクリングでした。何はともあれ、自転車で動き回ると市の様子がよく分かりました。2つの川を中心に、色々な場所の位置関係を覚えていったので、意外とすぐにLyonの地理を理解することが出来ました。歩くとどうしてもスピードが落ちるため、全体の地図をとらえるのに時間がかかります。が、自転車だと早く移動出来るため、方向音痴の私には驚きの速さで全体の位置関係が分かるようになりました。

Lyonへの旅 その9 [旅'13]

 自分が旅行した週末は悪天候、との予報でした。美術館巡りだから、あまり関係ないかなあとも思っていたのですが、やはり散歩もしたいので晴れの方が良いかなあと思っていました。幸運なことに土曜の深夜を除いて、晴天の日が続きました。少しセコいですが、Lyon市内での交通費を浮かすことが出来ました!

 Parisで始まって以来様々なヨーロッパの都市で広まっているvélib(自転車レンタル)。都市によって名前は異なりますが、私の知っている限り、ロンドン、ブリュッセルに同じシステムが存在しています。Parisでは定期を持っていたため、このvélibを使ったことはありませんでした。Lyonでこの自転車レンタル、vélo’Vを初めて利用してみることに。

 Lyonには345ヶ所のステーションがあり、どこでも使うことが出来ます。ステーションにある機会で登録をし(24時間1.8€)、クレジットカードで150€を保証金としてとられます。画面に「150€引き落とし」と出てきて少し焦りましたが、これはあくまでも保証金。自転車を問題無く返せば、1.8€の使用料金だけが引き落とされます。

 一度1.8€を払えば最初の30分は無料。その後30分で0.75€追加、と料金が変わっていきます。賢い、そしてほとんどのフランス人が使う手は、30分ごとに自転車を乗り換えること。345ヶ所もステーションがあるため、30分制限時間以内に別のステーションで自転車を返却すればこの30分はリセットされます。そのステーションで新しい自転車を借りて、また30分移動出来る、という訳です。最初は30分なんて短すぎる、と思って何度も時計を確認してしまいました。が、Lyonはそれほど大きい都市では無いので、目的地さえ大体分かっていれば30分で市内を横断出来ます。

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 写真を見ても分かるように、防犯防止のため、地面に取り付けられた棒のようなものに自転車を「差し込む」ことで「返却」が完了となります。上手く入っていない場合は、警告音がなるので、返却が完了しないまま無駄に追加料金を取られなくて済みます。

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 使用時間の制限以外にある難点と挙げるとすれば、ステーション内の限られた駐輪場。各ステーションにある自転車の台数は決まっています。例えば、駅前のステーションは写真を見ても分かるように、自転車であふれています。電車に乗るため、自転車を「乗り捨て」するように利用する人が多いため。逆に、観光客の多い中心地のステーションには全く自転車がない、ということもあります。ちょっとハラハラするのは、制限時間近くなって向かったステーションに空きがない時。少し自転車をこげば別のステーションにたどり着くのですが、30分の制限時間が少ない人はハラハラすると思います。幸運にも自分はそういったシチュエーションになることはありませんでした。が、駐輪スペース残り1つしか無い時、「あと少しで30分経っちゃうから止めさせて!」と頼んでいる人は見かけました。

Lyonへの旅 その8 [旅'13]

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 Lyon滞在最終日はCentre d’Histoire de la Résistance et de la Déportation
(レジスタンスと強制収容所の歴史センター)というところに行ってきました。長い歴史を持ち、繊維産業の中心だったLyonには色々な博物館や美術館があります。その長い美術館/博物館リストの中から2泊3日という日程で行けそうな所を回ってきました。泣く泣く行くのを断念した博物館などもあります。が、そのリストの中で絶対行ってみたいと思ったのが、Musée des Beaux-arts de Lyonとこの歴史センターでした。

 というのも、夏休み中に読んだ本で印象に残っているのが以前紹介したLes Derniers Jours de Nos Pèresです。この本、第二次世界大戦中に活躍したSOEというイギリスの特殊部隊の話でした。この特殊部隊に参加したフランス人が主な登場人物なのですが、彼らのミッションはフランスに居るナチスのスパイ、そしてフランスのレジスタンス活動の支援でした。この本、登場人物の人間関係が中心に描かれているため、SOEやレジスタンス活動についてはほとんど触れません。が、この本を読んで彼らが具体的にどういった活動をしていたのかなあという疑問は残っていました。この本を読んだ前後に、Lyonのガイドブックを見ていたので、この歴史センターには興味を引かれました。

 戦争の記念館なので、一応覚悟はして行ったのですが、やっぱり鑑賞し終わった後は気持ちも落ち込みました。自分がどれだけ恵まれている生活をしているか、そして果たして自分が似たような状況に陥った時、危険を覚悟してまで自分の主張を広める活動をすることが出来るか、と色々考えてしまいました。

 この博物館がある場所、元はフランスの軍事医学校でした。が、その後ナチスに占領され、収容所として使われたみたいです。親独派の南にLyonは含まれていましたが、ちょうど北との境目でもあったため「レジスタンスの都」とも呼ばれていたみたいです。当時、フランス人がどういった方法でレジスタンス活動をしていたのかが詳細に描かれていました。新聞はもちろん、他の暗号などを頼りに水面下で色々な活動が行われていたようです。指示は主にSOE、イギリスから出されるのですが、その指示を受けて実際に活動するのは一般人。どういった方法で暗号を使っていたかなども詳しく説明されていて、とても興味深かったです。

 が、なんと言っても一番ショックだったのは、大戦約40年後、1984年に行われた裁判のビデオ。ナチスがこの記念館(元軍事医学校)を占領していた頃、Lyonのゲシュタポ(秘密警察)で活躍していたドイツ人で、Klaus Barbie(ニコラウス・バルビー)という人が居ました。Lyonでレジスタンス活動家の虐殺を指揮した人だそうです(この人についてはつい最近まで知りませんでした。が、この戦後の裁判で彼を弁護した弁護士がつい最近亡くなり、そのニュースで、Klaus Barbieという人物も知りました)。

 1984年に彼の裁判は行われ、この歴史センターではその裁判のビデオが公開されていました。戦後の生存者が当時の様子を詳細に証言していくのは、聞いているだけでもとても怖かったです。

 最後まで分からなかったのは、なぜこれほど時間が経ってから彼の裁判が行われたのかということ。そこで帰ってきてから少し調べてみました。詳しいことは省くとして、シンプルに言うとアメリカのソ連対策として、彼はCIAの保護を受けていた、ということでした。

 この記念館ではレジスタンスという自分には身近ではない歴史の勉強をすることが出来ました。映画を生んだLumière(リュミエール)兄弟、12月には光の祭りなどがあって、光のイメージが強かったLyonですが、その影の部分を滞在の最後にしっかり見ることが出来て良かったと思います 。

Lyonへの旅 その5 [旅'13]

 とりあえずの目的地に着いたので、地図を持って更に移動します。すると、友達が勧めていてくれた場所の名前が書かれた看板が。Théâtres Romains de Fouvière、フルヴィエール・古代ローマ劇場です。ずいぶんと高い塀に囲まれていると思っていたのですが、塀ではなく「観客席」でした。

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 第一印象はローマのコロッセウムです。厳密に言うと、コロッセウムは格闘技場で、こちらは劇場なので用途は全く異なるのですが。コロッセウムと似ているのは偶然ではありません。ローマ帝国時代、リヨンは帝国の植民地でした。そのため、建築スタイルが似ているのも納得です。当時どんな状態だったか、どんな土器があったを知るためにこの劇場の博物館へ行ってきました。気温も高いままだったので、博物館内に入ることが出来てラッキーと思ったことも事実ですが。

 学生料金で4.5ユーロでした。ローマということで、色々な遺跡や土器、彫刻が出てきていました。一番興味深かったのは、ローマがどこまで、どのように現在のフランスまで拡大してきたという説明でした。時代が相当古く、また聞き慣れない固有名詞も多く、説明内に分かりにくい部分もありました。

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 ちなみにこの場所、今でも「劇場」として使われることがあるようです。夏休みの間、この場所で劇やコンサートが開催されることがあるみたいです。面白い企画だと思いますが、長時間この固い石の上に座っているとおしりが痛くなってしまうと思います。分厚い座布団が欠かせません 。

Lyonへの旅 その4 [旅'13]

 目的地を決めたところで、早速Basilique Notre-Dame de Fouvièreに向かいます。地図を片手に登りますが、なかなか到着出来ません。ジュネーブでは夏らしい天気が既に終わりに入っていて、30℃を超える日が珍しくなっていました。が、この日Lyonは30℃超え。そういった天気の中、丘を登るので汗だくになっていました。

 そして、丘を登る内に、宝塚を思い出してしまいました。宝塚に祖父母が住んでいるのですが、彼らも丘の上に住んでいます。宝塚駅から一度彼らの家まで歩いて行ったことがあるのですが、意外に遠かったというか、時間がかかりました。その時と同じような感覚で登りました。

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 旧市街内を通り、この教会に向かいます。そこで、家と家の間の階段を登ることもあります。どうも私有地に入っているような感覚ですが、たくさんの人がこの階段を上ったり下りたりしていました。

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 やっとのことで教会に着くと、Lyon市内全体が見渡せました。晴天、オレンジの屋根、とてもきれいでした。南ドイツのRegensbourgに少し雰囲気が似ている気がしました。風景より、登り切ったという達成感の方が大きかった気がしますが。ちなみにキリスト教の「巡礼の道」ともなっているみたいです。Chemin de Saint-Jacques-de-Compostelle(スペインのサンティアゴ・コンポステーラ)とは異なるようですが、とにかく巡礼として歩く道であるということです。

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 この大聖堂、パリのノートルダムと区別するためFouvièreと呼ばれているようです。それもそのはず、各地に「ノートルダム」の名がつけられた大聖堂があるからです。それもそのはずで、「ノートルダム」は地名ではなく、Notre Dame(私たちの婦人)というフランス語に過ぎないからです。Paris、Reims、Lyonのノートルダムを見てきましたが、一番きれいな色をしていると思いました。パリやランスもちょっと黒く、それはそれで良い味を出しています(特に曇りの日が多いパリでは)。が、Lyonのものは真っ白でした。建築に使われている物質自体が異なると思いますが、Lyonのものは白い石が使われているようでした。

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 しかし、大聖堂以上に私がびっくりしたのは、教会の横にあったエッフェル塔に似た建物。テレビやラジオのアンテナのようです。Lyonに住む人も「La Tour Eiffel(エッフェル塔)」と呼ぶようです。知名度はエッフェル塔の方がダントツに高いため、私のように「なんでここにパリのエッフェル塔?」と思ってしまう人の方が多いような気がします。

Lyonへの旅 その3 [旅'13]

 丘へと向かう前、自分が探していた、思いがけないものを街中に見つけました。それもトリックアート!

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 これは映画館っぽいですが、「写真館」となっています。実際この建物がどのように使われているのかは分からずじまいでした。が、これ、窓も含めて全て「絵」です。

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 そして私が気に入ったのはこちらの絵。黄色のポストを除いて全て描かれたもの!特に石で出来た入り口は本物に見えてしまいます。さすがに手前に写っている郵便配達のおじさんは絵だとすぐに分かりますが。

Lyonへの旅 その2 [旅'13]

 学部時代の大学は、Lyonの大学と交換/語学留学の提携を結んでいて、友人の多くがLyonへと向かっていました。その内の一人と連絡を取り、おすすめのレストラン/美術館などを色々教えてもらいました。また、一昨年買ったヨーロッパのガイドブックを見ながら、旅行計画を立てていきました。一人で旅するので、行き当たりばったりでも良いのですが、何しろ旅行計画を立てるのが好きなので。

 11頃、既にLyonへ到着し、街を徒歩で歩いてみることにしました。電車内から見ていたせいか、どうも「Lyonの街はそれほど大きくない」という間違った印象を持っていました。が、一度地図を片手に歩き始めると意外と街が大きいことに気づかされました。思った以上に街が大きかったので、途中から移動手段は自転車に変えました。このことについては、次回以降書きます。が、川まではとりあえず歩くことに。古代に発展した文明同様、LyonもRhôneとSaôneという大きな川を中心に街が発展しています。駅からその川にたどり着くまで結構時間がかかりました。

 さて、土、日は予報が雷、雨だったので、街の散策は到着した金曜にやってしまうことにしていました。ジュネーブでは、Tシャツ・短パンだと少し肌寒いぐらいでした。が、Lyonに着くと汗が噴き出して来ました。気温を確認してみると、30℃を超えていました。緯度は同じぐらいと思うのですが、やはり山に近いジュネーブは寒く感じるのでしょうか。

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 観光案内所に寄ったり、とにかく歩きました。そして、観光案内所近くで見つけたのが、これ。Saint-Exupéry(サン・テグジュペリ)の出生地であるLyo。彼の作品で最も有名な「星の王子様」の像が建っていました。ちょっと分かりづらいですが、左が王子様、右が語り手の「ぼく」(飛行機が壊れてしまった操縦士)。観光案内所がある大きな広場から少し離れたところに、ひっそりとこの像は建っていました。木も多く並んでいるため、よく見ないと「星の王子様」の像だと分かりません。ちなみにLyonの国際空港、TGVの駅名にSaint-Exupéryの名がつけられていて、街が彼をとても誇りの思っていることがよく分かります。

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 そして、Saône川を越えてようやく目指していた歴史地区の「中心」に近づいてきました。目的地であるVieux Lyonに到着。直訳では「古いリヨン」となりますが、日本語では「リヨン歴史地区」と呼ばれているようです。古い町並みが残っている場所のみだけでなく、Lyonの大部分が「歴史地区」として登録されているようです。が、個人的にいかにも「世界遺産」と感じたのはからSaône川を渡った部分。地理的には街の中心に位置していなくても、「歴史地区」の雰囲気を一番醸し出しているのはSaône川を渡った後の地域。上の写真がその「歴史地区」の雰囲気を醸し出している通りです。この写真は日曜の朝に撮影したので、誰も居ません。が、数時間もするとこの道は観光客であふれ出します。

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 この歴史地区にやっとたどりつき、新たな目的地を設定。最終目的地は写真に写っている塔や(写真左)教会辺りに決定!この橋を渡っている時、教会までたどり着けるかどうかはまだ未定でしたが。高い所からこの街全体を見てみたい、と思い、教会がある辺りまで登ってみることにしました。

Lyonへの旅 その1 [旅'13]

 1日インターンシップからお休みをもらって、金、土、日の2泊3日でLyonへ行ってきました。

 一昨年の冬と夏は、奨学金を少し使ってヨーロッパ旅行をしました。2012−2013年は残念ながら奨学金が取れず、またインターンシップなどもあって、あまり旅行をすることがないまま1年終わりました。まだまだヨーロッパには行ったことのない国、都市があり、リストにすると長くなってしまいそうです。

 2泊3日と短期間なので、近場を探すことにしました。最初は、歴史的に興味深いStrasbourg(ドイツとフランスの国境地帯)へ行ってみたかったのですが、思った以上に遠く、予算内の宿泊場所が見つからず断念。そこで、行き先をLyonに変更。

 というのも、一昨年はパリから、そして時に高校の時のホストファミリーが住むVichy(フランスの中心辺りにある地方)から、住居探しなどでジュネーブへ向かうことが多かったです。そこで必ず通るのがLyon。また今年もジュネーブからVichyやパリへと向かう機会が多く、なんだかんだLyonを通過することが多かったです。ジュネーブ・パリ間は新幹線で行くこともあるのですが、Vichyはかなり田舎なのでLyonで地方電車に乗り換えなくてはなりません。

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(とにかく待ち時間を過ごしたLyon-Part-Dieu駅前)
 乗り継ぎで2時間待ったこともあれば、電車がキャンセルされていつ出発か分からないまま待ったこともあり、色々と思い出があるLyon-Part-Dieuという駅。なんとなく、馴染みがある気がしていた街だったのですが、駅からは一歩も外へ出たことがありません。本当に、乗り継ぎのみに使用している、という感じでした。

 その乗り継ぎの場所がどんな街なのか。また電車が駅に近づく度、とてもきれいな風景を見ていたので、行ってみたいと思うようになりました。

 出発2週間ほど前にこの旅行を計画したのですが、地方電車のため、新幹線や飛行機のように、出発日が近づくほど電車賃が高くなるということもありません。往復26ユーロほどで行くことが出来ました(若者割引カードを使用して)。ジュネーブからのんびり走る地方電車に乗って2時間、近いようであまり知らない街Lyonに着いたのでした。

Bâleへ 番外編 [旅'13]

 街中をたくさん歩いたせいか、面白い標識を見ました。今回はジュネーブでは見ないものをここでは紹介していきたいと思います。

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 ジュネーブの街中にも、多いわけではありませんが、公衆トイレがあります(有料の場合が多いです)。Bâleでもそれは変わりません。が、標識が笑えました。右から順に、歩行者、女性用、男性用、車椅子用トイレの標識になっています。そして私が気になったのはその横にある小人のような標識。調べてみましたが、どういった経緯でこのマークが使われているのかはよく分かりません。スイス人に聞いてみると、「道ばたでトイレをする男の人じゃない?」と言っていました。

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 道ばたでトイレを済ます人が居るため、作られた公衆トイレなのか分かりませんが、簡易トイレがこちら。そして、公衆トイレの横にもさきほどのマーク、「小人」が書かれていました。最初、私はこれがトイレだと思わず、水道だと思っていました。蛇口はどこにあるのかなあ と思って写真を撮っていると友達から「なんでトイレの写真なんか?」と言われてしまいました。想像するに、男性用だと思います。ライン川沿いにこのトイレがありました。ビールをよく飲む地域なので、夜パーティーを川沿いでやって、緊急時に使う人がいるのでしょうk。

Bâleへ 後編 [旅'13]

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 とりあえず集合し、11人でBaleの街を散歩しました。幸いにも晴れていたので散歩日和でした。この場所へ行く前、ホストファミリーからは「いかにも『スイス』という感じの景色できれいだよ」と言われていました。私のイメージする「スイス」はハイジ、山の中という感じなのですが、Bâleはちょっと異なりました。歩いてみた第一印象は「ドイツやオランダっぽい」でした。建物の高さはもちろん、デザインも四角などが多く、格式のあるというイメージでした。フランスでも建物の高さが統一されているのですが、それ以上という感じでした。ドイツという国からイメージする雰囲気にぴったりしたイメージの建物が多かったです。

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 ジュネーブで水がある場所といえばレマン湖ですが、Bâleでは川、ライン(Rhin)川です。歴史の中で、仏独この川を境に戦争を続けてきました。今でも、ドイツを指すとき、フランス語では「outre-Rhin」という表現をします。「ライン川の向こう側」という意味です。フランスから見て、ライン川の反対側はドイツのためです。地図を確認してみると、Bâleは微妙にフランス側。ドイツ語圏だけれど、「outre-rhin」という言葉が存在するのか気になるところです。

 出身地だけで言えば、スイス出身が多かったです。が、フランス語圏やドイツ語圏から来ている人が混ざっているため、スイス料理の話をしていても、「それスイス料理?」という発言が多く出ていました。ジュネーブなどフランス語圏はチーズが有名、というか多く食されています。が、ドイツ語圏はソーセージやジャガイモを多く食しています。例えば、私のホストファミリー宅で、ソーセージはほとんど出てきません。が、山やドイツ語圏に近づくにつれ、ソーセージが出てくる確率が高くなってきます。そういったスイスの話だけで、相当盛り上がることが出来た夜でした。