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チューリッヒへの旅 最終回(への付け足し) [外から見た日本]

 前回の記事は、ジュネーブとチューリッヒの比較をしただけで終わってしまいました。その付け足しです。メモを見直してから書く記事なので、今回こそ、チューリッヒへの旅最終回です。

 チューリッヒの街をブラブラ歩きながらやったことと言えば、話すこと!10年も会っていないので、お互いこの期間何をやっていたのか、今何やっているのか、など色々な話をしました。色々と盛り上がった話題はあったのですが、一番印象に残っているのは、日本とヨーロッパの比較!日本でずっと暮らしてきたので、自分のかつての生活と今の生活を、頻繁に比べてしまいます。どちらが良いか、というのは別にして、違いは大きいです。彼女と話してみて分かった、頻繁に思うヨーロッパ(主にフランス・スイス・ドイツ)と日本の違い!

1)店員はレジで椅子に座っている
 これは多分、椅子に座っていない日本スーパーの店員の方が珍しい、と言われそうですが、ドイツ語圏、フランス語圏関係なく座っています。オフィスチェアのような、座高を調節出来る椅子に座っている人が多いです。日本に帰ってスーパーの店員を見ると、「何時間も立っていて、足が痛くならないのかなあ」と思ってしまいます。

2)歩くの大好き
 犬をつれた人だけでなく、年や性別に関係なく皆よく歩きます。日本と異なり、カラオケや映画館であふれているような場所が少ないヨーロッパ、余暇が少ないと言ってしまえばそれまでですが、週末になると皆歩いています。私は田舎に住んでいるので、日曜になると、特に晴れの日は、ひっきり無しに人が家の前を通っています。これはドイツの田舎でも変わらないようで、皆公園などでよく歩くみたいです。
 これは都市でも変わらないと思います。ジュネーブやパリ市内にある公園へ行くと、いつも散歩している人で溢れかえっています。私も日本に居た頃は、散歩なんてほとんどしたことがなかったのに、こっちに来てからは散歩をするようになりました。

3)人生を語るのが好き
 人生を語ると言っても、話すテーマは年代にもよると思います。漠然としていても、自分の人生をどうしていきたいのか、ということを話すのがヨーロッパの人達は皆好きです。もちろん、答えが出ない話題がほとんどですが、人生で起こりうる様々な出来事についてフランス語で聞かれた時は、「さすが哲学の国!」と思ってしまいました。友人が住むドイツでも似たような感じで、人生設計の話をよくするみたいです(ドイツも哲学の国ですが)。
 他のヨーロッパ諸国の状況は分かりませんが、フランスとドイツからの影響を大きく受けているスイスでももちろん、年代にかかわらず人生について皆よく話をしています。日本で聞かれたことはない質問もよくされ、答えに困ることがよくあります。
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(チューリッヒのこんな街を散歩するのも良いと思いますが、やはり散歩の人気ルートは山や公園など、自然があるところです)

各地域の新聞タイトル比較(宮崎監督の引退) [外から見た日本]

 9月上旬、日本映画界のトップニュースといえば、ジブリの宮崎監督引退だと思います。ヨーロッパ、少なくともフランスと(フランス語圏)スイス、そしてイタリアでは大きく取り上げられていました。残念ながらイタリア語は読めないので、どれほど話題になっているのかは分かりません。が、ネットで見る限り、フランスとジュネーブでは結構大きな話題になっていました。私がいつもチェックするLe Mondeでは一時シリア関連の記事を抜いて「最も読まれている記事」のトップになっていました。

 各新聞を見ていくと、地域によって微妙に報道の仕方が異なるので読んでいて面白かったです。大きく分けると、日本や英語圏の新聞は引退に重点が置かれているのに対し、フランス語圏はまだ続ける余地があることをほのめかしている、それを期待しているという感じでした。

 まず日本の新聞。チェックしたのはジュネーブ時間2013年9月6日、4社(朝日、毎日、読売、日経、道新)。どの新聞サイトでもこの引退会見の全文などが掲載されていました。タイトルを見ても、引退に重点が置かれていることがよく分かります 。「引退表明の宮崎監督」(読売)、「宮崎駿監督が引退表明」(毎日)、「……宮崎駿監督が引退会見」(朝日)、「宮崎駿監督が引退会見」(道新) 。 少し例外だったのが日経のタイトルでした。「深まる混迷に背筋伸ばす 宮崎駿、次なる仕事へ」となっていました。この記事だけ、引退より次のステップに重点が置かれています。

 次にフランス語圏の新聞。チェックしたのはジュネーブ時間2013年9月6日、7社(フランス4社、フランス語圏スイス3社)。その内、このニュースを取り上げていたのは4社(Le Monde, Le Temps, Tribune de Genève, Libération)でした。タイトルの付け方は2つに分かれていました。「Miyazaki n’arrête pas complètement le cinéma/宮崎は完全に映画をやめるわけではない」(Le Monde・フランス)と「 Miyazaki veut encore travailler dix ans /宮崎は後10年働きたい」(Le Temps・スイス)というタイトル。もう片方では「Hayao Miyazaki arrête le cinéma/宮崎駿は映画をやめる」( Tribune de Genève・ス)、「 Miyazaki range ses crayons/宮崎は筆をしまう」(Libération・フ)となっていました。フランス、スイスと国に関係なく、きれいに反応が分かれていました。一方は完全引退ではなく、別の形で映画活動を続けていく可能性をほのめかしています。他方は日本同様、引退を報道しているという感じでした。

 次に英語圏の新聞。チェックしたのはジュネーブ時間2013年9月6日、4社。 宮崎監督引退ニュースの記事を載せていたのは3社(The New York Times, The Wall Street Journal, The Guardian)。日本同様、引退に重点が置かれたタイトルでした。「Miyazaki signs off saying :Life is for living/『人生は生きるため』と言いながら宮崎引退」(The Wall Street Journal)、そして「Studio Ghibli’s Hayao Miyazaki to retire following latest film/スタジオジブリの宮崎駿、新作後に引退」(The Guardian)となっていました。ヨーロッパと比較して異なるのは、タイトルに宮崎監督とは誰であるかの説明がついていること。例えば、先ほどのThe Guardianでは「スタジオジブリの」とついています。またThe New York Timesでは「Hayao Miyazaki, Japanese Animator, Said to be retiring/宮崎駿、日本のアニメーター、引退すると言及」と、「日本のアニメーター」という紹介の単語がつけられています。フランス語圏ではMiyazakiと書くだけで、誰のことを指しているか、ほとんどの人が知っています。タイトルを見ても、「アニメーター」や「ジブリ」という言葉は書かれていません。固有名詞のMiyazakiで通っています。しかし、英語圏ではまだ知名度が低いのか、彼が誰なのか紹介の単語をつけなくてはならない、ということだと思います。

 こうして3地域の新聞タイトルを比較してみましたが、知名度に大きく差が出る形になりました。特にフランス語圏では「まだ続けてほしい」という期待が全面に出ているタイトルだったような気がします。また、いくつかのフランス語圏の記事の最後には最新作の「風立ちぬ」の4分予告編リンクが貼られていました。フランス語の字幕無しで、です。そのまま日本の予告編がのっていることにびっくりしました。言葉が分からなくても、映像だけでも楽しみたいという気持ちの表れでしょうか。

 フランス語圏のヨーロッパでは、日本に関心が無い人でも、映画を見る人であれば、ジブリの作品を知っているということがよくあります。子供が居る人であれば「Mon Voisin Totoro(となりのトトロ)」や「Le Voyage de Chihiro(千と千尋の神隠し)」を知っているという人が多くいます。子供が居ない人でも「Porco Rosso(紅の豚)」や「Princesse Mononoké(もののけ姫)」、「Le Château ambulant(ハウルの動く城)」を知っている人が居てびっくりしたことがあります。残念ながら私の好きな「La petite sorcière Kiki(魔女の宅急便)」はまだまだメジャーな作品ではないみたいですが。
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「疲れのため」が公式の理由 [外から見た日本]

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(写真はLe Figaroより。Junko Kimura/AFP)
 前回の記事、金曜の夜までは別の記事を書く予定でいました。が、朝色々な新聞サイトを見ている内に、面白い記事を見つけたので、そこからインスピレーションを得て、内容変更に至りました。その記事というのが、フランスのオランド大統領が犯した記者会見の間違い。私が確認した限り(ジュネーブ時間2013年6月9日、10時46分現在)、日本の新聞サイトではまだ取り上げられていませんでした。

 日仏合同会見中、アルジェリアでの人質事件に関しての話題中「Les condoléances du peuple français au peuple chinois….」(フランス国民のお悔やみを、中国国民に…)と言ってしまったのです。私はBBCニュースのサイト で知りました。このサイトでは単に中国と間違えてしまったこと、間違いに気付かず会見を続けた、ということだけが書かれていました。ちなみにエリゼ宮(大統領の住む場所)の正式弁明は「疲れのため」だそうです。

 そして、Le Mondeでは会見のビデオとThe Guardianの記事を少し紹介していました。そこで、 The Guardianの記事を見てみると、イギリス人らしいというか、強い皮肉で記事が書かれていました。「たとえ時差ぼけであったとしても、そして経済危機という気が散るものがあったとしても、外国訪問の一般的な第一のルールは、自分がどこの国に(今)居るのかを知っていること」というキツイ皮肉で記事が始まっていました。

 この記事によると、会見中、通訳の機転で、訳は「日本の国民」と修正が加えられていたようです。そして私が気になったのは、以下の文。…at least one Japanese journalist who spoke French picked up on the blunder and the French media widely reported it. 少なくとも一人の「Japanese journalist」がこの失敗を掴んだ、ようです。この「Japanese」がどういった意味で使われているか私も分かりません。表現通り意味を取ると「日本人のジャーナリスト」となります。が、Japaneseは「日本の」という意味にもなります。フランス語圏出身の日本のメディアで働くジャーナリスト=日本のジャーナリスト、という取り方が出来ない訳でもありません。一体どんな人なのだろう、と少し気になってしまいました。

 この人の功績で、一斉にこの間違いをフランスメディアは放映したようです。先ほど書いたように、Le Mondeはビデオも載せて、間違いを指摘していました。普段はあまり読まないLe Figaroという新聞サイトもチェックしてみました。これは右寄り、つまりオランド政権には常に批判的な新聞です。間違いを一応取り上げてはいるのですが、The Guardianほど皮肉がつまったものではなく、意外でした。

 Le Figaroでは日本の受け入れ体制についての評価も書かれていて、面白かったです。オランド大統領が国名を間違えた指摘もされていましたが、日本側にもちょっとした間違いがあったようです。日本側が、デジタル社会・経済担当大臣Fleur Pellerinが農業大臣補佐・農産物加工担当Guillaume Garotの(カップルとしての)パートナーと考えていた(単なる同僚にも関わらず)、いう間違いがあったみたいです。それ以外は「ミリメートル単位で決められた手順に沿って」セレモニーが行われた、という説明がなされていました。「大統領は時間通りに皇居に着き、天皇陛下にお辞儀をして・・・・」とセレモニーの様子が描かれていて興味深かったです。

 日本は「形式がかなり決まっていて」、「礼儀を尊重する」というイメージが強いようです。そのイメージが「ミリメートル単位」という表現に表れているようです。また「お辞儀」も日本という国からイメージする動作のようです。そういえばよく「電話しながらお辞儀しているのは日本人だ」という話をよく聞きますが、あながち嘘ではないと思います。自分も車が道を譲ってくれた時、癖でお辞儀というか会釈をしてしまいます(ヨーロッパでは手を軽く挙げて、感謝を示すだけ)。

 日本食レストランもかなり増えてきたり、日本の小説がフランス語に訳されていたり(マンガのおかげで、英語に次いで、フランスでは2番目に多く翻訳されている言語)、日本に興味を持つ人が増えてきているようです。それでもまだまだ「アジアの一部」で、地理的にも精神的にも遠い国であることには変わりないのだ、とフランス大統領来日の記事を読んで感じました。

日本人、アジア人 [外から見た日本]

 日本に居る時は、自分がアジア人だという意識をしたことがありませんでした。アジアという区切りはかなり曖昧です。自分の中でも曖昧だし、国によってもかなり異なります。例えば大陸としてのアジア。日本の公立中学校で勉強した私は、中1の地理で「大陸の数は6つ」と習いました。ユーラシア、アフリカ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカ、南極の6つ。社会科の先生からも「ヨーロッパとアジアは分けずに、ユーラシア。これはテストに出るから」と言われたのを今でも覚えています。この教え方から、ヨーロッパとアジアは1つと考えられています(少なくとも日本では)。が、こちらヨーロッパで大陸の数を聞くと、7つという答えが返ってきます。ユーラシアではなく、ヨーロッパとアジアになるからです。日本ではユーラシア大陸、と習うと言うと「そんなはずがない。ヨーロッパとアジアは絶対違う」という答えが返ってきます。どこでその線を区切るかは、様々な分野でいつも話題になるような気がします。

 さて、日本に居ると島国のせいか、自分がアジア人であるという意識をあまりしませんでした。というか、そういうことを考えたこともありません。が、ヨーロッパに居ると「遠いところから来た=アジア人」という見方をよくされます。ヨーロッパ人からすると、中国人、韓国人、日本人などの見分けが付かないから「アジア人」としてまとめているような気がします。自分がアジアから来ているのは事実だし、別にアジア人として認識されてどうこうということはありません。ただ、日本に居る時とは違った印象となり、面白いなあと思います。

 自分が今通っている大学院はヨーロッパ出身が大半を占め、統計上、20%がアジア出身となっています。自分のクラスにも何人か韓国人や中国人が居ます。住んでいる場所も異なるので、それほど仲が良いというわけではありません。が、日常生活について話をすると、何となく波長が合う気がします。韓国の子とはよく、バスの列や時間厳守の話をするのですが、考えていることが似ていて、面白いです。ジュネーブのバス停でバスを待っていたら、後ろから抜かされた(列を作るという考えが存在しない)、時間ぴったりに全員が揃うことがない、など韓国や日本ではあり得ないことがヨーロッパでは当たり前のように起きます。そういう失敗やちょっとした批判を韓国人と話すことがあります。「韓国(日本)に居た時はあまり思わなかったけど、相当きれいな列を作って、電車を待っていたよね。これはアジアでしかあり得ないことなんだよね」という結論にいつも落ち着きます。こういう話をしている、自分は日本人というより、アジア人なんだなあと強く実感します。

 自分たちでも似ていると思っていますが、全く同じというわけではありません。が、ヨーロッパ人からすると「見分けるのは不可能」のようです。スイスで自分が日本出身だ、と言って、毎回のように聞かれるのが「日本人や中国人、何か見分ける特徴があるの?」です。「間違って中国人に日本語で話しかけちゃったりすることってないの?」とよく言われます。雰囲気や動作の違いで(後女性に関しては化粧の仕方)、この3ヶ国で大体見分けが付くようになってきました。どのように、というのははっきりと説明は出来ませんが。そのため、先ほどのような質問には「はっきりとした基準はないけれど、雰囲気や動作が各国によって異なるから、何となく違いは分かる」と答えるようにしています。すると、相手からは「信じられない!全く同じに見える!」という反応をよくされます。そのため、最近では自分の答えに少し皮肉を付けるようにしています。「そうだよね。アジア人の見分け方難しいかもね。私たちからしたら、ヨーロッパ人の見分け全くつかないし。スペイン人もフランス人もイタリア人も、スイス人も皆同じに見える」という風に答えます。するとフランス人(スイス人)はたいてい、「イタリア人ほど話す時身振りをつけない。スペイン人ほどでかい声で喋らない」と延々、どれだけ自分たちが違うかという反論をします。アジア人の間でも、それだけ違いがあるのだよ、という説明すると、相手も納得してくれます。この皮肉、かなり効果があるので、「アジア人の見分けが付かない」という不満を言われたときは、よく使うセリフになっています。

La Colline aux Coquelicotsの感想−スイス人が思ったこと [外から見た日本]

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 前回に引き続き、「コクリコ坂から(La Colline aux Coquelicots )」の感想を書いていきたいと思います。今回はスイス人の感想。 自分とは異なった視点で日本を見ていたので、感想を聞いてみると面白かったです。

 まずは改めてご飯が主食、と認識したよう。朝ご飯を食べるシーンが登場するのですが、「あんなにご飯を炊くの?!」と驚いていました。私のホストファミリー、スイス人にしてはご飯を多く食べる方(2日に1度)で、それを自負していて「日本人みたい」と冗談で言っています。が、日本人の食生活を見て改めて「ご飯を相当食べる国だ」と認識したみたいです。そして食事シーンで更に驚いていたのが、皆「いただきます」と同時に食べ始めること。ヨーロッパでは全員がテーブルに着くまで料理に手を付けない、という決まりがあります。が、一斉に食べ始めるというわけではなく、チラホラ食べ始めるという感じのようです。私のようにすぐ食事に取りかかる人も居れば、まず食事の盛りつけ方を見る人などなど。そのため号令にように「いただきます」と皆で言って、一斉に食べ始めるのはちょっと異様に見えたようです。

 この食事シーンと合わせて驚いていたのが、主人公達が会社の社長室を訪れたシーン。偉い人が社長室から出て来る度、待合室で待っている3人の高校生が起立するシーンには相当驚いていました。会話もなければ、アイコンタクトもなく当たり前のように行われる起立は理解出来なかったようです。私はこのシーンを見て、高校の時授業が始まる前の挨拶を思い出しました。私の高校では先生が授業開始前に入ってくると起立をし、挨拶をしてから授業が始まっていました。何の疑いもなくそういったことをやっていたのですが、外から見ると少し不思議かもしれません。映画内で、この社長室での出来事、朝食のシーンを見たホストファミリーは口を揃えて「軍隊っぽい」と言っていました。

 その一方で、この規律の良さから生まれる団体意識には少し憧れる、と言っていました。連邦国家のスイス、良い意味でも悪い意味でも州がかなり強い力を持っています。ジュネーブっ子という意識は強いけれど、果たしてスイス人としては、という疑問を常に持っているのがスイス人。スイス人として何か団結(solidarité)出来ることがあるのか。同じ目標に向かって、皆一斉に動くということが出来るのか、と自問自答せずにはいられなかったようです。そういった団体意識がスイス、そしてヨーロッパには存在しないため、日本人の団結意識、団結力を尊敬する、と言っていました。もちろん、映画内ほど統一性が取れているのも「人間っぽくなく、ロボットのようで怖い」とも言っていました。団体VS個人、と二極端ではなくバランスが大切ということでしょうか。

 そして私にとってちょっと驚きだった感想が「おとぎ話のようにシンプルな話で、日本人って少しナイーブ」です。自分の思っていることをはっきり表現するかどうかは別として、考え方や行動が単純明快で白か黒かはっきりしすぎているとのこと。人間関係がこの映画の大きなテーマだったと思うのですが、スイス人からすると「人間関係は白黒はっきりつけられるほど単純ではない。大部分はグレーゾーン。人生で白黒はっきり区別出来ているのは争い事が起こっている時ぐらい 」とのこと。おとぎ話のように白黒はっきりさせて、ちょっとナイーブ過ぎるのでは?と言っていました。純粋で可愛い印象はあるけれど、人生はそれほど甘くはないということでしょうか。この白黒はっきりさせないという考え方はフランス人にも通じるところがあり、フランス語圏では基本にある思想なのでしょうか。

 自分とは異なる感想を持ったとは言え、ある2点はスイス人も私と同じことを考えていました。まずは、日本人皆よく働く!時代が戦後ということもかなり関係していると思いますが、まあ皆よく働いていました。次に映像表現がとてもきれいだ、という点。海など、風景の映像が何度か流れるのですが、とても素晴らしかったです。高校生の時、日本史の授業で先生が「日本のアニメやマンガが海外で人気なのは、風景(背景)の描き方のレベルが高いから。細部にこだわりすぎているわけでもなく、大雑把に描いているわけでもない。そのため、より現実に近い表現が出来ている」と言っていました。マンガやアニメ、スペースに限りがあるため、現実に近づけようとするとごちゃごちゃしてしまいます。かと言って、大雑把に描きすぎてしまうと雑な印象になってしまいます。シンプルさと緻密さの微妙なバランスが取れている日本のマンガ(アニメ)が、背景の美しさの秘密なのだと思います。

図書館で [外から見た日本]

 先日、市営図書館へ行ってきました。大学にない本を借りるためです。ややこしいことに、大学のホームページから市営図書館の蔵書検索は出来るのですが、貸し出しの際別の図書カードが必要になります。面倒な書類は必要なく、パスポートと滞在許可書があれば簡単に図書カードを作ることができました。

 親切な受付のおじさんは、申込用紙を私の代わりに記入してくれました。住所、自分の名前などの綴りを聞いてくるので、自分で書いた方が速いのでは?とも思いましたが、そこはおじさんに任せました。「未成年ではないから、親のサインは要らないよ」と懇切丁寧に説明され、「ここにサインして」と言われ、紙の手続きは終了。

 紙に記入した後は、データベース(コンピュータ)に情報を記入していきます。申込用紙を見ながら、おじさんがまた記入していってくれます。慣れないコンピュータなのか、ネットワークに問題があるのか、かなり入力に手こずっています。どれくらい時間がかかるのか、私も少し心配になってきます。すると、「まさか1984年生まれではないよね?」と聞いてきます。自分の生年月日は正しく伝えたはず。念には念を入れて、パスポートでも確認されました。「違います」と答えると、「どおりで自分が見ている数字とコンピュータに入力している数字が違うと思った」と笑っています。

 このおじさん、つい先ほど村上春樹の「1Q84 」を読み終えたばかりなのだとか。そのため1984という数字が頭に残って、それを入力していたのでした。私は日本人、1980年代生まれ、そして名字に作者と同じ漢字が使われているのを考えると、間違えるのに無理はないかもしれません。

 「良いなあ、原語で彼の作品が読めるなんて」と言われてしまいました。海外、特にフランス語圏での彼の人気は根強いなあと再認識しました。皮肉にも、フランスに留学してから彼の作品を読むようになりました。海外、特にフランス語圏で日本出身、と言うと「村上春樹、良いよね」と言われ、反応に少し困るので、いくつか読みました。全ての作品を読んだわけではないのですが、なぜかほとんどの作品のストーリーをあまり覚えていません。これほどストーリーを覚えられないのも珍しいのではないか、と不思議に思っていました。彼の作品をいくつか読んで、理由を考えてみると、心理描写の的確さからかなと思います。登場人物の心理をあまりにも的確に表現するため、ストーリーよりその正確さが印象に残っているのだと思います。例外的に「1Q84」はストーリーをはっきりと覚えています。

 彼の作品、毎回同じ人が翻訳しているのではないようです。何人か決まった翻訳者が居るようです。日本で一番人気、「ノルウェーの森」のフランス語版はざっと読んだことがあります。この作品、フランス語タイトルは「La Ballade d’impossible(あり得ないことのバラード)」と変わったタイトルになっています。この作品しか読んだことがないので、どの翻訳が良いのか比較は出来ません。が、自分の知り合いの中では「海辺のカフカ」をお気に入りと挙げる人が多いです。

 ちなみに私の作品は、村上春樹の翻訳作品。特に「めくらやなぎと眠る女」です。同名作品が入った短編集なのですが、最初は彼が英語で書いた作品。それを自分で「訳して」出版されたものです。この短編集の中にある「品川猿」という作品が一番好きです。ちょっと変わった話なのですが、読み終えた後はとてもすっきりした気分になります。
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(パリの本屋さんで)

Aix-en-Provenceで活躍する日本人 [外から見た日本]

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 インターンシップ、通勤途中にはオペラ劇場があります。Aix-en-Provenceはオペラで有名な場所。夏には全国的に有名なオペラ祭が開催されたり、モーツァルト祭などオペラに関するイベントが多く存在します。オーストリアなど作曲家の生地などからも音楽家が来るようです。ちなみに私が住むアパートは「アマデウス」という名前がついています。

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 (写真左がオペラ劇場、右側が建設途中の音楽芸術学校)
そのオペラ劇場の向かいでは、今芸術学校(主に音楽)兼コンサートホールが建設の真っ最中。ダンスの練習場など、とにかく芸術に関連した施設が多く入った建物になるようです。

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 (落書きされていますが)そしてこの建物の建築を依頼されたのは、Kuma Kengoという建築家。恥ずかしながらこの建築は知りません。写真のようにプロフィールが記されていたので、ざっと読んでみると世界で活躍する建築家のようです。この建物、2013年の夏に建築予定だそうです。建築のデザインをしたのは日本人でも、実際の作業を行うのはフランス人。予定通りに完成するかは不明です。

 この建物、なぜ建築が決まったのか?表向きは「2013年のヨーロッパ文化都市認定記念」ですが、(疑い深い)フランス人によると選挙のため。2013年は珍しく選挙がない年なので、その間に票数を稼ぐというわけです。

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 そしてAix-en-Provenceのメインストリートには、水玉模様の飾りが登場しました。2013年ヨーロッパ文化都市認定の特別デコレーションのようです。そしてこれも日本人芸術家によるもの。最初見た時、「どこかで見たことがあるスタイル」と思ったら、草間弥生という芸術家の作品だそうです。中学の学校祭で、私のクラスは彼女の作品をテーマに展示をやりました。そのため、彼女の特徴的な水玉模様を見たことがあると感じたのでした。昨年はパリで展覧会を開いたり、フランスで人気のある芸術家のようです(フランスだけだと思っていたら、日本の新聞でも特集記事が組まれていました。日本でも有名なようです)。

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 この「不思議さ」がフランスで評価されるのは納得です。スマイリーマークのような花が印象的な村上隆の作品がフランスで高く評価されている(驚くほど知られている)のも、彼の作品の「不思議さ」が理由ではないかと思います。2010年、フランスは思い切って彼のオブジェをベルサイユ宮殿に展示しました。国内では賛成、反対の真っ二つに意見が分かれたようです。結局展示は中断することなく、ベルサイユ宮殿に展示されていました。

 今のところ、Aix-en-Provenceで見つけた「活躍する日本人」はこの2人。彼らが市内で紹介されているのを見ると、同じ日本人として嬉しくなります。今度はどんな不思議さを持った日本人がフランスに登場するのか楽しみです。

寿司は毎日食べるもの? [外から見た日本]

 さて、日本はどう思われているのか?日本=寿司、というイメージが定着していて、「寿司が恋しくならない?」とよく言われます。そういった質問を何度か受けて分かったのは、寿司が日常食として考えられている、ということ。まだまだヨーロッパでは寿司を日常的に食べている、と思われているようです。もちろんそういった人も日本に存在すると思いますが、私の周りには居ません。だから(特にフランス人には)「フランスでもエスカルゴやフォアグラが有名だけど、毎日は食べないでしょ?」と答えるようにしています。私の中で、寿司は特別な時に食べる物というイメージがあるので、「寿司も日本人にとってはフランス人のフォアグラやエスカルゴのようなものだよ」と説明します。彼らもフォアグラ、エスカルゴを年がら年中食すのではなく、祝い事の時に食べるので、この説明にはかなり納得してくれます。

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 また、なぜか寿司は健康食だ、と捉えられています。Sushi Shopというチェーン店のおかげで、レストランでだけでなく、手軽に食べられるものになってきたようです。ヨーロッパという地理的理由からか、イタリアやスペインの海産料理(カルパッチョなど)を食べ慣れているせいか、生の魚を抵抗なく食べてくれます。が、「魚は肉よりヘルシー」というイメージを持っていて、「魚の載ったSushiはダイエットに良い」と勘違いしている人が多いです。Sushiはダイエットに良いから、と言いながら、蜂蜜の入った醤油をかけているフランス人を見た時には何も言えませんでした。

 そういった固定観念を崩そうと、餃子を作ってみました。フランスにちょっと不思議なアジア店があるので、(開店時でもなぜか鍵がかかっている)そこで餃子の皮を買ってきて、餃子を作りました。ホストファミリーは肉をあまり食べず(高いので)、食べるものほとんど全てが有機食品。豚肉もほとんど食べないので、餃子に豚肉は使えず。ネットでベジタリアン用の餃子レシピを探し出し、自分なりに少しアレンジして作ってみました。片栗粉など、足りない物が多く、どんなものが出来るか心配だったのですが、かなり好評でした。

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 私が作ったのは2種類。ベジタリアン餃子、と称して、キャベツとエビを主に入れました。そしてもう一つは牛肉とキノコ入り。招待客も急遽来る事になり、100個近く作りました。餃子の皮が日本で使っている物とかなり異なり(中国のもの)、とても厚く、なかなかくっついてくれず、少し苦労しました。焼いている間に開いてしまわないか心配になりましたが、餃子は爆発することなく、無事に焼き上がってくれました。

 「これって日本食なの?」と痛い質問もされましたが、正直に説明しました。元々は中国の物で、中国のほとんどの地域では水餃子(スープに入れて食べる)のが主流であること、日本では水餃子以外にも焼き餃子が存在する、つまり中華日本料理、と言っておきました。そして説明はしなかったけれど、日本と中国の餃子に決定的に大きな違いがあります。それは日本で餃子を食べるとき、ご飯が欠かせないということ。中国人の友達からは、「パスタとご飯食べているみたいだよ」と不思議がられてしまいましたが(よくよく考えると彼女の言うとおりです)、小さい頃の習慣で餃子に暖かいご飯が欠かせません(我が家は冷やご飯派が多いのですが、私は暖かいご飯派)。この日も、餃子を食べながら、「ご飯があれば」と少し思ってしまいました。

 ちなみにフランス語で餃子のことを「raviolis chinois」(中国のラビオリ)と呼ばれています。ラビオリ、食べたことがある人も多いと思いますが、これはイタリア料理。麺生地に挽肉や野菜のみじん切りを詰めたパスタのことです。確かに形は似ているけれど、私にはどうも同じ物に見えません。

「ブルー」にとってサプライズ 後半 [外から見た日本]

 では、スポーツ紙はどう書いているのか。似たような印象でしたが、少しだけ雰囲気が異なりました。サプライズではあるけれど、次に向けて気持ちを切り替える、という要素が含まれた記事となっていました。
※各記事のリンクを入れてあります。文字の色が変わっているところをクリックすると、その記事全文をフランス語ですが、読むことができます。

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 例えば「L’EQUIPE」というスポーツ記事は「『不安になってはいけない』」というタイトルで始まっています。この記事、日本のネットニュースでも色々引用されているので、読んだ人も多いと思うので、ここではあまり書きません。前回の一般紙の書き方に比べると、次のスペイン戦に向けて気持ちを切り替える、という印象が強い記事になっているなと私は感じました。

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 更に強気だな、と思ったのはEurosportの記事。これはヨーロッパのスポーツを専門に扱うテレビチャンネルなのですが、ネットで記事も書いています。「ブルーは悲観的にならないようにしている」というタイトルで始まり、選手のコメントが多く載っていました。その中で、「日本代表にほとんどチャンスはなかったし、彼らが自分たちにそれ以上に困難を与えたとは思わない。ただ、彼らは力を発揮した(efficace)」というものがありました。このコメントを最初読んだ時、「負けたけど、苦労はしなかった」という負け惜しみなのかな、と思ってしまいました。しかし、最後のefficaceという言葉を見ると、そういうわけでもないのかな、と思います。efficaceは「力を発揮する、効力を発揮する、効率的」という意味で、フランス人の好む褒め言葉です。努力する、しないではなく、結果がどれだけ効率的だったか、ということを重要視しています。先ほど紹介したL’EQUIPE記事内でも監督は次回のスペイン戦に向けて、「ディフェンスをしっかりしなくてはならない、また効率の良さ/有能さ(efficacité)を手に入れなくてはならない」と述べていました。こういったコメントを見ても、efficacitéがフランス人、少なくともフランスのサッカーで大切なのかということが分かります。

 ざっと、日本対フランスの試合における5紙の書き方を紹介してみました。色々面白い記事を見つけましたが、その中でずっと気になっていることがあります。それはゴールをしたのが、一体誰なのかということ。自分が読んだ5紙の中で、誰がゴールをしたのか記載していたのが4紙。その内3紙(スポーツ1、一般2)が今野選手のゴールと記載しています。唯一L’EQUIPEが香川選手のマークだった、と書いています。どれが真実なのか調べるため、日本の新聞各社のホームページを見ると、どれも「香川のゴール」と書いています。フランスでは新聞各社によってゴールの定義が違うのか、とも思ってしました。例えば、シュートを放った人のゴールが外れ、それを押し込んだ人は「ゴールをした人」と認知されないのか、と色々考えてしまい、映像を探してみました。遠くからの映像で少し分かりづらかったのですが(2人の背番号も似ているので)、押し込みなどではなく、完全に香川選手のゴールでした。今野選手のドリブル突破に目を奪われ、そのままゴールしたと勘違いしたジャーナリストが多かったのでしょうか。負け試合だったので、何度もゴールしたシーンを見る気になれず、確認の作業が出来ていなかったのでしょうか。これは今でも謎です。

「ブルー」にとってサプライズ 前半 [外から見た日本]

 ブルー(Les blues)とはサッカーフランス代表の愛称です。ユニフォームが青色だから、という理由でそう呼ばれています。1998年のワールドカップ時のユニフォームはきれいな青色でしたが、今のユニフォームを見てみると、青というより紺という印象が強い気がしますが。

 先日(10月12日)の日本対フランス、無事に日本が勝利してくれました。フランス人の友人にも「勝つ」と宣言していたのですが、内心は少し心配でした。科学的根拠があって言ったわけではないのですが、「負ける」とも言えませんでした。ただ、フランス代表は前回のワールドカップ以降、かなりゴタゴタしているので、ベストなチーム状況ではないのかな、という印象でした。

 残念ながら試合を生放送で見ることは出来なかったのですが、インターネットで新聞記事を色々読んでみました。タイトルにも書いたよう敗戦は「サプライズ」だったようで、色々読んでみると面白いです。そういった記事を今回紹介してみたいと思います。
※いくつかの記事のリンクを入れてあります。文字の色が変わっているところをクリックすると、その記事全文をフランス語ですが、読むことができます。

 まず、フランスでの前評判。私が毎日チェックするLe Mondeという新聞には、10月12日付けで「フランス対日本:テストのために理想の試合」という記事が出ています。ワールドカップ予選が数日後にあり、相手は強豪のスペイン。その試合に向けてのテストマッチという感覚だったようです。もちろん、ワールドカップ予選の方が重要なのは分かっていますが、はっきりと「監督は対日本戦において、選手のテストに利用しようとしている」と書かれていて、少し複雑な気持ちになってしまいました。その後監督のコメントが載っていますが、各選手に関するものです。ランキングの違いを見ても分かるよう、日本は眼中にないようでした。

 そのため、フランスにとって日本に負けるのはかなりショックだったようです。Le Mondeでは簡単に結果が載っているだけでした。「対戦至上初の負け」(la première défaite de son histoire face au Japon (1-0) と書いていました。

 この試合がどう捉えられているか、もう少し知りたいため、他のホームページも調べてみました。
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 例えばLe Figaro、タイトルは「ブルーは不安になったほうがよい」(どう訳したら良いのか分からず、意訳しました。直訳すると、「不安になってもよい」となります。が、これは皮肉で、そこから「不安になったほうがよい」との意訳になります)。記事内には「ブルーは日本に驚かされた」などの表現が出ています。この新聞も「日本戦はテストマッチ」という書き方を前日にしていたので(そういったコメントを監督や選手がしていたため)、「ブルーの楽観主義が通用しなかった」とまで書いていました。もちろん、フランスの記事なので、上手くプレー出来なかった自国の選手の批判がほとんど。しかし日本人選手の評価も少し載っていていました。

 この新聞内で特に高い評価だったのが、川島選手。「日本は川島にありがとうを言わなくてはならない」という表現までされていました。試合を見たわけではないので、詳しいところは分かりませんが、良いセーブを色々したようです。彼以外、ほとんど日本人の名前は出ていませんでした。

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 計5紙読んでみて、記事の書き方が気に入ったのは意外にもLe Parisien。一般大衆紙です。記事のクオリティーが高いかどうかは別として、フランス人の日常生活がよく分かる新聞です。まず「ブルーは日本の罠にかかった」とかなり強い言葉を使ったタイトルとなっています。フランスはチャンスを生かすことが出来なかった、と試合の出来にかなりがっかりした印象を持ったようです。内容も単なる試合結果だけでなく、しっかりとした記事になっています。私が特に気に入ったのは、記事の最後に載っている映像。解説員のような人が話をしていますが、その中で、「ブルーはスペイン山(=スペイン代表)をよじ登らなくてはならない」と言っていました。なかなか洒落た表現だなあと思いました。フランスとスペインの間には文字通り、ピレネー山脈があるので、それにかけた表現となっています。山のように、高くそびえ立つイメージを使って、上手く敵(前回ワールドカップ優勝、ヨーロッパ選手権2連覇)を表現しているな、と思いました。

 ここまで一般紙の記事を紹介してみました。次は、スポーツ紙(スポーツ専門チャンネル)での記事について書いていきたいと思います。
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