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2014年最初の国民投票 [政治]

 2014年最初の国民投票が2月9日にスイスで行われます。何度かこのブログでも、国民投票のことを書いてきました。日本で投票というと、選挙の時ぐらいしかありません。スイスでは、選挙以外にもこの国民投票というものが存在します。初めてこの国民投票を知った時の私の単純な疑問は「何をどうやって投票するか?」でした。

 街を歩いていると、その謎が解けました。フランス語だと「Oui」か「Non」で投票する、ということが分かってきました(ちなみにドイツ語だと「Ja」か「Nein」となります)。なぜ街に出ると、それが分かるのかというと、各党が各議題でどういった投票をするべきか、というのをポスターにして貼り出しているからです。各党ポスターに工夫をこらしていて、見ていくと面白いです。二択(無効を含めると三択)しかないので、各党扇動的なポスターが多いですが。たまに、凝りすぎて何を言いたいのかよく分からないポスターもあります。

 毎回ショッキングなポスターが多くなる傾向にある話題は移民問題。難民だけでなく、隣国から(主にフランスやドイツ)越境してくる外国人など、たくさんの外国人が居るスイス、移民問題の投票は毎回話題になります。不景気のスイス、規制が厳しくなっていく傾向があります。2月9日に行われる投票の議題の1つにも、この「移民規制を厳しくする」という案があります。「毎年発行される許可証(学生、労働関係なく)の数を制限する」といった計画が含まれた議案が、投票にかけられるわけです。

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 この議案を提案したUDC(保守派)という党が作成したポスターが上の通り。「大規模な移民を食い止める!」と書かれています。得体の知れない黒い「波(人の足)」がスイスにやってくる、という不安感を与えるようなポスターになっています。

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 また、投票用紙にOuiかNon、どちらを書いたら良いのか直接ポスターに載せている場合もあります。この写真は、同じ議題で反対する党のポスターです。このポスターでは少し分かりづらいですが、下の方に「NON」と大文字で書かれています。写真と一緒に書かれているメッセージは「移民無し、介護無し」となっています。日本でも増えてきましたが、スイスの病院ではたくさんの外国人看護士が働いています。また老人介護もスイス人ではなく、外国人が担っている場合が多いです。そういった外国人介護士の姿をあえて白くすること(=居なくなった場合)で、彼らの存在感をアピールしているポスターです。最初見た時は、ちょっと怖くなりました。

 2月9日、この議題と一緒に他の議題(住居に関する最低限の規制、中絶を社会保障でカバーするかどうかなど)も投票されます。が、今のところ新聞が多く取り上げているのはこの「移民規制」の議題です。毎日のように新聞に載っていて、賛成・反対などの記事が掲載されています。まだ投票が先なので、どういった結果になるかは不明です。私も少し気になっているので、この話題について、結果が出次第、またこのブログに書いていきたいと思います。

6月9日の国民投票 [政治]

 さて、国民投票が盛んなスイス。3月、話題になった国民投票に引き続き、この6月のものも、数週間近く前から話題になっていました。前回の記事でも紹介したとおり、議案は「難民申請法改正」と「連邦閣僚のメンバーを国民が選出」でした。毎回、国民投票が近づくと街のいたるところに「Oui」や「Non」を掲げた党のポスターが貼られています。国際都市ジュネーブは、難民を多く受け入れているだけあって、最初の議案はよく話題になっていました。街に貼られているポスターの中に、過激なものも多く、びっくりすることもありました。

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 最初の法案、難民申請法改正、となっていますが、規制が厳しくなるという提案です。投票率39%、と高い数字ではありません。以前書いた国民投票の記事でRöstigraben(Röstiの壁)を説明しましたが、今回の投票でその「壁」は見られませんでした(とは言っても、ドイツ語圏、保守派で有名なAppenzellが86.8%の賛成票を獲得していましたが)。結果的に、全ての州が賛成票を入れました。国際都市ジュネーブは多くの難民を受け入れているだけあって、どの州よりも低い賛成票でしたが、それでも賛成多数の61.3%でした。「中東の春」以降、そういった地域からの難民申請者が増えていて、その状況に対して国民がどう思っているかを反映した投票だったようです。

 この投票前後に、難民に関する記事が新聞に出ていました。そういった記事を読む中で、どういった部分が改正となるのか、説明されていました。スイスは難民大国(中立国なので、元々そういったイメージは持っていましたが)。スイスは本国ではなく、外国にあるスイス大使館での難民申請も受け入れる、という稀な国だったようです、今回の投票で、その法案は改正されることになります。難民申請のためには、スイス本国に出向かなくてはならないというわけです。

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 そして第二の議案「連邦閣僚のメンバーを国民が選出」は、意外にも76%の反対。直接民主主義の国だから、自分達(国民自身)で政治を進めていきたがる、つまりこの議案に賛成する人が多い、と私は思っていました。が、この議案、全ての州が反対。理由を聞いてみると、「閣僚メンバーを選ぶのは自分達の役割ではない」ということでした。自分達が送り込んだ代表者が連邦閣僚を選ぶのだから、自分達の考えを反映してくれる、という考えのようです(どこかの国の議員選出の論理に似ています)。必ずしも自分達の考えを反映してくれるという保障はないけれど、国民投票がこれだけ行われているから、自分達の権利が侵されることはない、という論理で反対票を投じた人が多いのだとか。逆に国民が閣僚メンバーを選ぶようになったら、扇動の得意な人が選ばれるようになってしまう、と言っていました。

 連邦規模、州規模、村規模、毎月何かしらの投票が行われているスイスです。これだけ投票が多いからこそ、閣僚を選ぶという仕事は政治家に任しておくべきだ、と考える人が多いのかもしれません。投票率も高くはありませんが、少なくとも私の周りで、投票の多さを不満に思うスイス人は多くありません。これが直接民主主義だ、ということのようです。日本同様、自然資源が少ない(海に囲まれているわけでもない)のがスイスという国です。自然資源がないから、生き残るためにはそれ以外のものを探すしかなかった、とスイス人は言っています。永世中立国、直接民主主義、などアイディアや考え方で勝負するしかない、とスイス人は熱く語ってくれます。ドイツともフランスともイタリアとも違う、と熱く語る彼らには、「『考え方』で生き残るしかない」という危機感もあるのかなと思います。

一つの国を分ける線 後半 [政治]

 さて、そんな「壁」を日常生活でも実感するのですが、先月に行われた国民投票ではこの「壁」がきれいに見えました。直接民主主義の国であるスイス、議会が何の法案を通す(話し合うか)を決めるのも国民投票、実際その法案を憲法に加えるかどうかを決めるのも国民投票、とにかく国民が政治を動かしていきます。連邦レベル、州レベル、市議会レベルと投票する回数は年内に多くあります。

 中でも3月3日に行われた国民投票はかなり大きな反響を呼びました。国民投票にかけられた議案は「arrêté fédéral sur la politique familiale」「Initiative populaire « contre les rémunérations abusives »」「Modification de la loi sur l’aménagement du territoire」の3つ。

 1つ目は「家族政策に関する連邦命令」という案。この案に関する要旨を読む限り、「現代の家族の形に合わせて」国がもっとサポート形を変えるべきではないか、という提案です。「現代の家族」という言葉を使用していますが、主に両親共働きの家庭を指しているようです。子育てと職を両立するために、国の支援の方法を変えていくべきではないか、という案。が、残念ながらこの案(提案)は反対多数で通過せず。

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 上がその投票の傾向を示したスイスの地図です。「oui」(賛成派)を投票した人が多かったのですが、この投票で鍵を握るのは「賛成」となった州の数。10対13という数で、反対派多数。人口の大きさに関係なく1州1票となっているようです。緑が賛成票(賛成過半数)を投じた州、赤が反対票(賛成過半数以下)の州となっています。スイスの地図左の部分はほとんどが緑色、これらの州はフランス語圏。そして地図右下の緑色はイタリア語圏(イタリアに接している部分)です。それ以外は保守が多い(と言われる)ドイツ語圏。この投票を分断している線がRöstigraben(ルシュティの壁)というわけです。

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 2つ目は「庶民の提言『不当な報酬』」という案。銀行大国のスイス、様々な金持ちが住んでいます。そういった会社内では社長などの重鎮、社員の給料の差が大きく問題となっています。そういった「不当な報酬」を減らしていこうと、一般社員と重要ポストの給料の差に制限を求める、という案。3月3日の投票で、一番注目を集めたのがこの「不当な報酬」案です。各州差はあったものの、全州一致で賛成。Röstigraben(ルシュティの壁)が存在するスイス、全州一致で賛成票(または反対票)を投じることはほとんど無いそうです。「不平等にNonを突きつけることが出来た!」とスイスを(少し)誇りに思ったスイス人は多かったようです。

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 最後もジュネーブの隣の州、Valais州が関連しているだけあってジュネーブではよく話題になった案。「土地開発に関する法律改正」の案。土地開発において、かなり好き勝手に建物が建てられるようになってきました。自然、そして見た目も良くないと、その法律を改正(どう改正されるのか、詳しくは私もよく分かりません)するというのがこの案。この案に唯一反対したのがまさに、(ジュネーブ人の言葉によると)「好き勝手に」土地開発を行っているValais州。先月私が向かったTaneyがあるのはValais州。この州に住む人に話を聞いてみると、「伝統」が理由なのだとか。山のふもとにあるValais州の伝統は、「先祖から土地を受け継ぎ、それを子孫が分けていく」というもの。どんどん分けていくと、終いには土地のサイズも小さくなって何も出来ないのでは、と私は思うのですが、それが伝統。「先祖から受け継いだ自分の土地だから、わざわざ政府から規制を受ける必要はない」というのが彼らの考え方のようです。が、現状はどうなのか話を聞いてみると、結構めちゃくちゃな土地開発を行っているようです。そして国民投票の結果、このValais州の伝統思考に他のスイスが「Non」を突きつけた感じでした(つまり、法改正の案が通った)。ジュネーブのスイス人は「全く頑固なValaisの人達。同じフランス語圏(の兄弟)として恥ずかしい」と言っていました。

 国レベル、州レベルと団結する機会が案によって異なるスイス。そのせいか、愛国心というものがあまり見えてこないこともあります(特にフランスと比べると)。が、Röstigrabenという壁が分けられないものが数少ないながらもあって、それがスイスの大切にする直接民主主義。この政治システムは国民の多く(ラテン語系、ドイツ語系関係なく)が、好意的に思っています。

一つの国を分ける線 前半 [政治]

 私が聞いても、意味を全く推測出来ない言語の一つがドイツ語です。スイスの公用語、そして人口の半分以上が使用している言語がスイスのドイツ語です。もちろん日常生活でドイツ語を使用することはありません。が、スイスの伝統料理の名前となるとドイツ語が入ってきたりします。かつて紹介したBircher Muesliという料理も元々はドイツ語圏のもの。

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(写真:Röstis traditionnels Roestiより)
 また4ヶ国語が公用語のスイス、なかなか「国民全体」という意識が高まることはほとんどありません。そんな国民を一つにまとめているのが「Rösti」(ルシュティ)という国民食。ジャガイモを薄く切ってバターで炒める簡単な料理です。フライパンぎっしりにジャガイモ敷き詰めて料理するため、見た目はスペイン風オムレツ(トルティーヤ)のような感じになります。私はまだ食べたことがありませんが。そしてこの料理、もちろんドイツ語がから来ています。

 そして政治の中にもこの料理名を使った言葉があります。Röstigraben(ルシュティグラーベン)、フランス語ではbarrière de röstiという訳になっています。直訳すると「ルシュティの壁」というような意味になります。国民を一つにまとめている「ルシュティ」を分ける壁が存在する、というような意味です。「壁」が顕著に見られるのは、国民投票を行う時に現れる傾向です。州で話されている言葉によって、きれいに国が分かれてしまうのです。国民投票の結果を見ると、ドイツ語が話されている地域とラテン語系のフランス語・イタリア語が使われている地域が「壁」によってきれいに分かれています。日本で言うと、東日本と西日本という線に近い気がします。

 この投票傾向を一般化すると、ドイツ語系が伝統重視の保守派、ラテン語系は自由、リベラルな感じです。自分の同世代は使用言語に限らずどちらかと言うとリベラルな人が多いのですが、この「壁」はなんとなく分かるような気がします。ドイツ語圏、フランス語圏のスイス人両方を知っていますが、前者は時間に厳しかったり、秩序だった考え方を少しするので、日本人に通じるような部分があります。が、フランス語圏のスイス人は時間にルーズなところがあったりして、ラテン系の部分が見える時があります。

Exception culturelle、フランスの映画 [政治]

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 先日、妹が「世界のマクドナルド」の写真を送ってくれました。色々な国の変わった形のマクドナルドがありました。マクドナルドと言うと、赤・黄色がカラーですが、色々なマクドナルドがあるようです。写真は規制が厳しいフランスにあるマクドナルド。珍しくかなり目立つ色です。パリにあるようですが、詳しい場所は不明です。通常は、隣にある建物と同様の色にします。下の写真はローマにあるマクドナルド。パッと見は、マクドナルドに見えずびっくりしてしまいました。
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 フランスのマクドナルド、日本同様、子供達に大人気。水曜の午後は学校がないこともあって、小学生で溢れています。また、離婚した夫婦、親権は両方が持つことが多く、普段日はお母さんと、2週間に1度の週末はお父さんと過ごす子供が居ます。そういった子供を連れたお父さんがよく行く場所もマクドナルドです。が、cocacolonisationという言葉がフランス語には存在します。coca cola+colonisation(コカ・コーラ+植民地)と2つの言葉をつなげた単語です。コカ・コーラ(アメリカの「文化」)によるヨーロッパの植民地支配という意味です。この言葉からも分かるようにマクドナルドに良くない印象を持っている人も多いです(多数)。それを印象づけた出来事が、1994年のException culturelle導入。1984年、自由貿易の元となったウルグアイ・ラウンドで危機感を持った、ヨーロッパ。貿易がメインのWTO(GATT) で、フランスを含むヨーロッパが「文化は貿易の取引で『例外』とするべき」という提案でした。他国同様、ハリウッド映画が氾濫しているフランス、自国の映画がこのままでは無くなってしまう、と危機感を覚えているようです。2011年は例外的に「フランス映画の年」でしたが、毎年ハリウッド映画に戦々恐々としています。この「Exception culturelle」を適用することで、自国の産業を守ろうとしたというわけです。そういえば、ラジオにもこれが適応されています。ラジオで流れる50%の歌は、フランス語でなくてはならないというわけです。自分の友達でフランス語の歌を聴くフランス人はかなり少ないのですが、やけにラジオでフランス語の歌が多い、と思ったことがあります。それは50%ルールのおかげか、と納得。

 この「Exception culturelle」、ヨーロッパはほとんどが賛成、アメリカが反対という2極構造。が、イギリス側が賛成票を投じたことで、イギリスをヨーロッパに取り込めた(アメリカ側につくことを防げた)、この件に関してはヨーロッパが優勢という立場になりました。

 Exception Culturelleの法律が成立して、10年後、フランス映画はハリウッド映画に抵抗し続けるようです。先日、アカデミー賞候補が発表されましたが、フランス映画はリストに入っておらず。昨年フランスで大ヒットしたIntouchables、De rouille et d’os、どちらかの映画が何かしらの賞の候補になる、とフランスでは噂されていました。が、外国語映画賞にもノミネートされず。オランダと合作の「Amour」がノミネートされただけ。予想されていた作品がどれも入らず、フランス人にとって驚きだったようです。Amourはまだ見ていませんが、IntouchablesとDe rouille et d’os、両作品自分の中での評価は高いです。アカデミー賞ノミネートが発表されると、フランスのテレビではがっかり、驚きの反応。が、すぐに「アカデミー賞はハリウッドの会員が選ぶから、偏見があって当たり前。フランス映画の良さが分かっていないだけ」というコメントも多く出てきていました。確かに、両作品、ハリウッド映画とは異なったジャンルでした。映画の後、一緒に映画を見た人と深い話をしたくなるような映画でした。

 が、昨年アカデミー賞を多く獲った「The Artist」は英語で撮影されているとは言え、賞を獲りました。このときは「ようやくフランス映画がアメリカで評価されるようになった」という反応でした。つまり、フランスのメディアでは賞を獲っても獲らなくてもフランス映画は素晴らしい、という結論に落ち着くというわけです。他人の評価には左右されない姿勢ということでしょうか。

 とはいえ、ハリウッド映画が若い人の間で人気が高いのも事実。日本同様、ハリウッド俳優が色々なチャンネルに出てきて、映画の宣伝をやっています。もちろん、通訳付きでのインタビューが多いのですが、フランス語を喋る俳優も居て「この人、フランス語話せるのか!」と驚くこともあります。質問は大概映画に関することで、どれも似たようなものです。インタビューのテクニックなのかはよく分かりませんが、最後に必ず痛い(鋭い)質問をフランス人はします。タランティーノ監督が出た時には「あなたの映画が自国の乱射事件に影響していると思いませんか?」という質問が出ていました。デンゼル・ワシントンには「ハリウッドは『白人の世界』と言われています。そういった差別を感じたことは?」また(名前は忘れたけれど、有名な)俳優には「フランス人俳優は給料をもらいすぎと言われていますが、これについて意見はありますか?」などなど。こういった厳しい質問に俳優がどう答える(交わすのか)は見ていて興味深いところがあります。ハリウッド俳優は日本を好む(来日を快諾する)、とどこかで聞いたことがありますが、厳しい質問が飛んで来ないことが大きな理由ではないかと思います。

選挙と「ザ・ホワイトハウス」 最終回 [政治]

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(当選した日の新聞。Libérationという左派の新聞。トップの大きな写真がこの新聞の特徴)
 4年前、オバマ大統領が当選し、任期を終え、再選してから、既に2週間近く経ちました。本当に時間が経つのは早いな、と実感します。「ザ・ホワイトハウス」は8年近く続いたようですが、ドラマ内も似たような時間が経過しているものだと思います(残りの任期+再選して4年+新しい大統領の登場)。まだ最後まで見ていないので、どれくらいの時間が経っているのか分かりませんが。

 「ザ・ホワイトハウス」を見ていても、実際の選挙の様子を追っていても、「共和党は嫌われている」という印象を受けます。もちろん、自分が読む新聞は限られているので、そういった傾向のものしか読んでない、とも言えます。前回のマケイン候補VSオバマ候補の時は、それほど目立った敵対心が無かったように気がします。マケインが負けた時も「過去8年のブッシュ大統領のせいで負けた」と言っている人が多かった気がします。が、今回は異なる印象を受けます(皮肉好きのフランスからの情報が多いせいでしょうか)。「とにかく共和党の勝利を阻止するべきだ」という感じです。私が読むLe Monde(中道、穏健派と言われています)も、オバマ大統領当選翌日の記事に「最悪(事態)は避けられた」という風に書いていて、私もびっくりしました。

 「アメリカの伝統的な価値観」を全面に押し出すロムニー候補は、フランス人の視点からあまり好まれなかったため、これだけ敵対視しているのかな、と思います。理由は色々あると思いますが、個人的にはモルモン教という彼の宗教が理由かな、と思います。いくつかフランスの番組を見てみると、ロムニー候補を取り上げる度話題になるのが、彼の宗教。政教分離を徹底しているフランスだからこそ、この点に話題が集中しているのだと思います。もちろん、他の要素もありますが(「アメリカの伝統的価値観」を強く押しすぎた)、宗教も大きな理由の一つだと個人的には感じました。

 アメリカ嫌いのフランス(そしてスイス)、選挙期間中は例外のようで、新聞、雑誌は挙ってこの話題を取り扱っていました。私も選挙を追った一人ですが、同時にアメリカの影響力を強く感じました。経済、軍事、政治で今でも(一応)世界のトップであるアメリカ、そのリーダーが決まるというわけで、世界中が注目しています。しかし、一国の首脳を決めるのに、これだけの人の感心を集めているとも言えます。私が通う学校は各国から学生が集まってきているので、皆その経過を追っていました。水曜の朝8時(開票日)に統計の授業があったのですが、ほとんどの人が寝不足、そして授業に来た学生数もいつもより少ない感じがしました。

 ちなみに、私の在籍するプログラムにいるアメリカ人は、ほとんどが民主党支持者だと思われます。「思われます」と書いたのは、100%確かではないから。面白いことに、アメリカ人、絶対に誰に投票したのかを言いません。私の友達はテキサス出身で、「テキサスで、私の票はそんなに意味を持たないから」ということを言っていました。推測するに、民主党へ投票したのだと思いますが、絶対にどこの党へ投票したのかは言いません。フランスでは割とオープンに(右、左問わず)、自分が誰に投票したのかを言っていたので、面白い違いだと思います。

選挙と「ザ・ホワイトハウス」 その4 [政治]

 日にちがだいぶ開いてしまいましたが、まだアメリカの大統領選挙前なので、この企画は続いています。バタバタしていて、討論は最初の一回しか見ることが出来ませんでした。そのため、今回は討論というより、アメリカとフランス、大統領に求めている物の比較です。

5.大統領のプライベートな空間の違い
 アメリカの大統領選を見ていると、思うのは「しかし大統領候補、よく運動するな」ということです。オバマ候補のバスケットボール好きは有名ですが、選挙中に何度も運動しているシーンがテレビや新聞に出てきます。ルーニー候補も、自分の財産証明書と一緒に、医者のサイン付きで「健康だ」という証明書をメディアに公表したことからも、健康が欠かせないということが分かります。健康でなくては、大統領という仕事が出来ない、ということだと思います。大統領、CEOなどアメリカでトップに立つ人は、健康ではなければならない、という暗黙の了解があるようです。自分の健康をコントロール出来ない人は、人をコントロール(導いていく)ことなどできない、という考え方らしいです。

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(L'EXPRESS/AFP)
 しかし、フランスで「健康」とかスポーツが出来る、ということは大統領になるための条件に入っていないようです。サルコジ大統領は運動が好きで、ランニングをしているシーンや自転車に乗っているシーンがよく取り上げられましたが、これが選挙に影響したかどうかは分かりません。オランド候補がサッカーをしている映像を何度か見たことがありますが、オバマ候補のように「身軽に」スポーツをやっている印象からはほど遠いものでした。

 この違いは一体何なのか、と思うと、前回の記事で紹介したような(その2参照)違い、つまり大統領に何を求めているかの違いになると思います。フランスで、あくまでも健康は個人的領域なので、投票者の関心が向く要素ではないのかな、と思います。大げさですが、健康で無くても政治をしっかりやってくれればよい、ということでしょうか。

 これ以外にも、アメリカ(北アメリカ)とフランスで微妙にプライベート、一般空間の違いがあります。この違いについて、知りたい人は「Six Million Frenchmen Can’t Be Wrong : Why we love France but not the French」(Jean-Benoît Nadeau & Julie Barlow)という本を読んでみてください。ケベック州のジャーナリストがフランスと北アメリカの感覚の違いについて書いています。この本を読んでみて、フランス人に対する謎が少し解けた気がします。英語ですが、興味のある人はどうぞ。

選挙と「ザ・ホワイトハウス」 その3 [政治]

 前回からの続きです。

3.アメリカで討論はショータイム。フランスはあくまでも討論。
 今回の討論では、オバマ候補(大統領)は青のネクタイ(民主党のシンボルカラー)、ロムニー候補は赤(共和党のカラー)のネクタイをつけていました。アメリカの国旗にも合う色なのは、偶然でないと思います。

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 またアメリカの討論会には、観客というものも存在します。ヤジ、余計な拍手は厳禁。意外にもこのルールはしっかりと守られていて、討論中、観客が居ることさえ忘れてしまうくらいです。更に、司会者は討論の一部ではなく、観客席と同じ目線から討論を仕切ります。そのため、討論中は姿がほとんど見えず、声だけで登場するという感じです。見えても、背中だけという感じです(逆に司会者の顔が見える場合というのは、候補の背中が見える)。つまり、討論はあくまでも2候補が主役というわけです。そして、この主役、自分たちが「役者」だということを自覚していて、討論内であってもよくジョークが出てきます。もちろん相手を皮肉ったジョークなのですが、観客を楽しませようとしている、という事を強く感じます。

 2候補という役者、それを見る観客、ということで討論会がショーのような感じになっています。ショーだからこそ、見た目(例えばネクタイなど)にも気を遣うというわけです。

 フランスでも年々、討論会がショーのようになってきている、と批判がありますが、それでもアメリカと比べると、地味な「討論会」という感じです。まず両候補の服装が討論の話題になることはほとんどありません。新聞ではすぐに、討論の内容批判から始まります。また、司会者も候補と同じ席に座り、討論会という場所に入り込んでいます。観客はおらず、現場にはスタッフとカメラマンやジャーナリストのみ。国民は討論会をテレビで見るのみです。相手への嫌みもジョークではなく、かなり直球の皮肉です。

4.制限時間の違い
 両国の討論で、制限時間がしっかり設けられています。お互い言いたい放題だと、収集がつかなくなるからでしょうか。しかし、この制限時間の設け方、微妙に異なります。アメリカでは2分、1分30秒と短時間ごとにしか発言時間が与えられません。一人が2分意見を述べたら、相手は同じように短い時間で質問(または自分の意見)というやり方です。そのため、一応キャッチボールのようなやりとりが続きます。

 が、フランスは各自1時間30分与えられているのみ。後は自分の好きなように配分できます。考えて喋らないと、討論後半は反対意見を述べられず、「やられっぱなし」の印象を残してしまうことがあります。

 この違いは一体どこから来ているのか、と考えてみました。はっきりとした答えは見つからなかったのですが、ハリウッド映画とフランス映画でも同じような傾向がある気がします。ハリウッド映画を見ていると、爆発シーンやアクションシーン、カーチェースシーンなど瞬間的な(短時間)シーンが多い気がします。討論も同じような感じで、各自短時間でどれだけ強い印象を与えることが出来るか、ということが求められているのだと思います。

 逆に、フランス映画はハリウッドに比べるとかなりのんびりしています。長いセリフが結構続き、特に印象的なシーンはないまま映画が終わってしまう、ということがよくあります。

 蛇足ですが、ハリウッド版ミイラ映画として代表的な「ハムナプトラ」、そしてフランス版ミイラ映画として「アデル ファラオと復活の秘薬」があります。この2作品を比べてみると、私の言っていることが分かると思います。ぜひどうぞ。

選挙と「ザ・ホワイトハウス」 その2 [政治]

 新聞などで批評を読んでから、討論を見るという形になってしまったため、見る前から先入観が少しあった気がします。詳しいことは専門家に任せることにし、ここではフランスとアメリカの大統領候補討論の比較をしてみたいと思います。

  5月に見たフランスの討論と、10月のアメリカのもの、多少時差がありますが、自分が感じたことを少し書いていきたいと思います。

  本物の討論は1時間半ほどとなっているので、興味のある人はどうぞ。そういった時間がない人は、少しでもその雰囲気を感じるため、「ザ・ホワイトハウス」の討論会の様子をどうぞ。「ザ・ホワイトハウス」がアメリカの政治全てを表しているわけではないですが、かなり上手く表現されている、とアメリカでは評価されているようです。

 字幕がないので、英語のリスニング力が頼りですが、雰囲気だけでもつかめたと思います。まず、2ヶ国の大統領選討論会をテレビで見て、自分が感じた違いから。

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1.アメリカ人は大統領にアメリカのビジョンを求め、フランス人はフランスのシンボルを求める
 さきほどの映像(ドラマ、本物)を見て、私が毎回不思議だと思うのは討論直後のシーン。必ず壇上に家族が上がってきます。また今回の討論の最初に、オバマ候補は奥さんに対するメッセージを述べています(討論当日は彼らの結婚記念日でもあったため)。候補者の家族は、討論だけでなく、キャンペーン中も存在し続け、奥さんが応援演説をするということもあります。また、就任演説でも必ず家族に対するメッセージがあります。

 逆に、フランスの選挙で家族の存在というのは薄いです。逆に出てくると、メディアから叩かれます。オランド大統領の就任式にも、彼の子供達は参加しませんでした。アメリカで夫人または子供が就任式を欠席したら大騒ぎになると思います。この違いは一体何なのか、とずっと謎だったのですが、自分なりに今回答えを出してみました。

 アメリカの歴史が専門の教授(フランス人)によると、アメリカ人は大統領にVisionを求めるとのこと。このvision、英英辞典(Oxford)で調べてみると「an idea or a picture in your imagination」と出てきます。「自分の想像の中にある考えやイメージ」と言った意味でしょうか。つまり、大統領に対して(アメリカ人各自が持つ、考える、想像する)アメリカ人のイメージを投影していると考える事ができます。そう考えると、選挙中に限らず任期中の家族の存在理由が分かります。つまり、「大統領の家族」イコール「アメリカの家族(のvision)」のイメージを見ているのです。だからこそ、選挙に家族が登場しなくてはならないし、政治家ではない家族にも色々な期待をアメリカ人はするのだと思います。また、ホワイトハウスに住む人達(つまり大統領の家族)は、そういった国民の期待に応えようと、「一般的なアメリカ人の家庭」を演出します。例えば、他のアメリカ人のように、感謝祭には七面鳥を食べるし(少なくとも七面鳥と写真を撮る)、イースターには庭にウサギの卵を隠したり、様々なことをします。アメリカの大統領は国民の「モデル」になることが求められているのかな、と感じます 。

 では、フランスはどうなのか?フランス人にとって、大統領はフランスのシンボル。フランスという国を体現してくれればよいので、家族の登場は必要ありません。フランスという国を代表するのだから、とても賢くてはならないし、教養のある人物でなくてはなりません。そのため、自分達一般市民と格が異なるのは当たり前、と考えています(「普通の大統領」を演出しすぎたオランド現大統領の批判が多いのが良い例です)。逆に、大統領自身がフランスのシンボルという仕事をしてくれれば、家族のことは関係ない、という感じです。逆に、家族が政治の世界に出てくるのをかなり嫌う、という印象を持ちます(選挙で選ばれたわけではない家族が、なぜ政治舞台に出てくるのか、と思う人が多いのだと思う)。

2.シンプルVS難解
 先ほど紹介した映像の核になるのが、最後にCJ(大統領報道官)の言う、「Complexity isn’t a vice」(複雑さは悪ではない)だと思います。このエピソードで、大統領スタッフが朝からスローガンを考えます。しかし、結局考えつきません。そして、共和党候補が反論したときに、バートレット大統領が「では○○の問題に関する10ワード(スローガン)は何ですか?」と問いかけます。2008年の大統領選時に、オバマ候補は「Yes, we can」と掲げて当選しました。この例からも分かるように、アメリカで、誰にでも分かりやすいスローガンは欠かせません。そして、ドラマでは「(選挙で扱うような政治を)果たしてシンプルに扱うことが出来るのか?シンプルさだけが善か?」と説いています。

 今回の討論は、国内政治がテーマでした。経済、社会保障など色々トピックが分かれていましたが、結局、話題の中心はオバマ候補が始めた社会保障、「Obama Care」でした。どのトピックになっても、この言葉が再度聞かれました。雇用問題と同じくらい、この社会保障が国民の関心が高いということだと思います。同時に、「Obama Care」と誰もが聞く、分かりやすい言葉で討論をしていっている(共和党は攻撃するという意味で、民主党は自分のやってきたことを見せるという意味で)という印象を持ちました。もちろん、ドラマで皮肉られていたほど「簡単な」討論ではありませんでした。が、この(シンプルな、簡単な)テーマから話題が発展していないという印象もありました(この社会保障が大切なことはもちろん分かっていますが)。

 逆に、フランスの討論は難解な印象です。両候補様々な数字を頭にたたき込んでいて、様々な統計指数が討論中に出てきます。アメリカの討論のように、経済に何分、雇用に何分と時間が割り振られているわけではないですが、上手く具合に討論のテーマが変わっていきます。そのため、付いていくのが大変です。気付いたら教育に関するテーマは終わっていて、EU圏に関する話になっていたりしていました。

 これは考え方の違いにも現れている気がします。 例えばアメリカなどの大学では自分の立場をはっきり取ることが求められます。YesかNoかはっきりしろ、という感じです。開拓時代、細かいことにいちいちこだわっていては、国土は広がっていきません。進むか進まないか、それだけを決めたらとりあえず進むという感じです。

 が、フランス人は哲学の国。とにかく行動の前に考えます。大学でも、自分の立場をはっきり取るというより、妥協点をどう見つけ出すかということが求められます。Yesが60%だったとしても、Noの部分40%も加味して考える必要が出てきます。そのため、フランス人の話を聞いているとYesなのかNoなのか分からない時があります。また、昔からconcertation(協議)という言葉が好きで、進む前に話し合い、という感じです。そのため、込み入った話というのを好む印象です。討論は難しいことを政治家が話す場所。話が難解で何が悪い!という感じです。

 色々違いを書いていくと、思った以上に長くなったので、次回に続きます。

選挙と「ザ・ホワイトハウス」 その1 [政治]

 シーズン6を日本で見て、それ以降このドラマからは離れてしまっているのですが、アメリカで大統領選挙が近づいてきた(近づいてきている)ので、思わぬ形でこのドラマと再会することになりました。そして、先週はアメリカでも共和党・民主党の両候補の間で討論が行われていました。今回、初めて私のその討論を見てみました(時差があるので、ライブではありませんでしたが)。1時間30分と長いので、何かやりながら、という形でしたが、楽しむことが出来ました。

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 都合上、新聞の批評を読んでから討論を見る、という形になってしまったのですが、その批評の中で「ザ・ホワイトハウス」と思わぬ再会。このドラマの脚本を担当した、アーロン・ソーキンがNew York Timesに「ザ・ホワイトハウス」特別編、のような短い脚本を書いたのでした(2012年10月7日、第一回目の討論後)。脚本と言うほどのストーリーがあるわけではありません。討論を終えたオバマ候補が、政界を引退したバートレット元大統領(「ザ・ホワイトハウス」に登場する大統領)に、次回の討論会へ向けてアドバイスを求めに行く、というシナリオです。このシナリオを通して、アーロン・ソーキンなりにオバマを批判しているというわけです。彼は民主党支持なので、「もっとしっかりやらなくてはだめだろう」という激励の意味での批判ですが、なかなか面白かったです。 フィクションではあっても、実際に映像で見たことがあるので、バートレット元大統領が叱咤激励しているシーンが目に浮かびます。このフィクションの大統領は、かなり(頑固な)理想主義なのですが、それが全面に出ている気がしました。意訳ですが、「『あなたは嘘つきだ』という3単語を言えるようにすればよい!」(......your prep for the next debate need not consist of anything more than learning to pronounce three words: “Governor, you’re lying.”)などの発言は、バートレット大統領の性格をまさに表している気がします。正しいことを正しいとなかなか言えない世界に登場する、理想主義な元大統領という感じでしょうか。