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le 14 juillet (パリ祭) その2 [フランスでの生活]

 シャンゼリゼ通りでのパレードの後は、パリの中心地でいわゆる「防衛の展覧会」が行われていました。私の住むアパートから徒歩5分のパンテオン広場でも、大きな戦車が展示されていました。
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 その近くには軍隊で働く人が居て、戦車について色々説明してくれます。
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le 14 juillet (パリ祭) [フランスでの生活]

 今日(7月14日)は、フランス人にとって大切な日です。一年で唯一の「国民の休日」です。フランス革命の発端となった日を記念している日。クリスマスなどは単に祝日(fériée)と呼ばれるだけですが、この日はfête nationale(直訳すると「国民の祭り」)と呼ばれ、特別なようです。そして、日本語ではこれを「パリ祭」と言うようですが、フランス語に直訳しても通じません。最初、私も日本語で「パリ祭」と言われたときは、何のお祭りだろう?と思ってしまいました。フランス語ではそのまま「7月14日」と言います。

 10時からシャンゼリゼ通りで行われるパレードに間に合うよう、8時頃家を出て行きました。周りのフランス人からは「早く行かないと人の頭しか見えないよ」と言われていたので、開始2時間前に家を出発。しかし、既にたくさんの人。凱旋門からコンコルド広場までの直線約2.5キロをパレード。この直線のちょうど真ん中当たりはあまり混んでいなかったので、2列目に陣取ることが出来ました。

 先日の天気予報では雷、となっていたけれど、見事に外れてくれて、曇り。しかし、夏本番ではないので少し寒かったです。この2時間はかなり長かったけれど、待った甲斐がありました。最初は、軍の指揮官でもある大統領が軍のトラックに乗って 登場。人の優しそうなイメージがどうしても離れないオランド大統領、軍のトラックに乗っているのを見るのは不思議な感じでした。

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 パレード開始と同時に、空からはこの飛行機。これを見るためだけでも、2時間待った甲斐があると思います。

 パレードの最前列は、(昨年活躍した)リビアの国連軍。練習があまり出来なかったのか、少し列が乱れている様子でした。フランスの軍隊はどんな感じなのか、と少し心配になってしまいました。しかし、形式好きのフランス。フランス軍はどれも乱れず行進していました。個人の主張が強く、まとまるのが苦手というのがフランス人に対する私の印象。しかし今日はそういったイメージがほとんどありませんでした。列を一つ乱すことなく、行進が行われていました。とてもかっこ良かったです。

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 「警察軍、フランス国家憲兵隊」(gendarmerie)と呼ばれる人達も行進します。日本で言う警察のようなもの、フランスには警察(police)とこの警察軍(gendarmerie)が存在します。この2つの違いはよく分からなかったのですが、フランス人の友人に説明してもらいました。2つとも警察関係の仕事をするのですが、大きな違いは軍であるかないか。後者は「警察」という言葉がついていても、フランス軍(空軍、陸軍、海軍)に次ぐ4つ目の軍隊だそうです。

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 一通り行進が終わった後に、やってきたのは戦闘機!ニュースで流れる戦地の映像内でしか見たことのないような、輸送トラック、ミサイルが次々とやってきます。フランスが核兵器を持つ、軍事国だということを頭では分かっていました。しかし、このように戦闘機などが出てくると、改めてフランスは軍事大国だということを実感させられます。

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 後半のクライマックスは警察軍のオートバイと消防車の行進。大統領などの警護でよく見かけるようなオートバイがずらーっと並び、進んでいきます。最後に、消防士・救援隊の車。彼らが登場すると、沿道からは拍手。国民に一番身近なため、感謝されているということでしょうか。

 陸でのパレードが終わると、今度は空。ヘリコプターや軍事飛行機などが飛んでいきます。まるで軍の保持している武器の展示会のようでした。

 それもそのはず、今日はどういった人達が国民の安全を守っているのか、国民に見せる日でもあるからです。単なる軍事パレード(ほとんどが軍関係ですが)だと思ったら、もう少し深い意味がありました。パレード開始前に司会者が言っていたのですが、これは国民の安全を守っている人達のパレード。だからこそ自国を守るという意味での軍隊はもちろんのこと、国内の治安や国民の生活を守っている消防士や警察もパレードに参加します。そして、国民は年に一度、どういう人達(または物)が自分の国を守っているのかということを目にする出来る日だというわけです。

フランスでの生活に欠かせなかったもの その1 [フランスでの生活]

 先月上旬で、学校全ての課題が終わり、あっという間の交換留学1年が終わりました。フランス独特のやり方に慣れるのに苦労し、少し慣れてきた、と思ったらもう1年経った、という感じです。学校生活と並行して、フランスで生活するという経験も出来ました。高校時の交換留学では機関を通して行った、まだ高校生だったということもあり、事務的な手続きはほとんどありませんでした。しかし今回は学生という身分であるため、自分でやることも多く、色々フランスの事務作業に悩まされたこともありました。もちろん、こういった手続きが上手くいった時は、とても嬉しかったです。そこで、今回から、自分が経験して感じたフランスで生活するうえで欠かせない(欠かせなかった)ものを書いていきたいと思います。

 今回は、CAF(Caisse d’allocations familiales)というフランス政府の親切な社会保障について書いていきたいと思います。「自由、平等、友愛」が国の標語であるフランス、フランスの学生という身分である以上、国籍に関係なく扱ってくれます。だから、私のような交換留学生であっても、正規のフランス人学生とほとんど同じ待遇を受けることが出来ました。

 この社会保障、住居手当のようなものです。1家庭の収入、子供の数、家のサイズ、住んでいる場所によって値段が変わってきます。私はホームステイという形を取っていますが、家賃を毎月払っている(また大家さんと「家族」ではないため)ので、「1家庭」と扱ってくれています。(物価によって変化しますが)月1万8000円ほどもらっています。今では、自動的に自分の口座に振り込んでくれますが、この手続きにかなり時間がかかります。何もしなくても手当がもらえるのだから、これぐらいの手続きは我慢しないと、と思いながら、面倒な過程を通過しました。

 まず、留学生がこの社会保障を申請するにあたって、必要なのは滞在許可証。この申請にも1ヶ月ほどかかるので、新学期が始まってすぐに社会保障がもらえる、というわけではありません。その点、EU圏内の学生はこの滞在許可証が必要なく、面倒な手続きも結構省かれるので「CAFの申請は楽だよ」と言っています。が、私のような日本人学生は、この言葉を信じてはいけないと後から気付かされることになります。

 やっとのことで、滞在許可証をもらうと、手続き開始。インターネットなどでも出来るようですが、一番正確なのはCAFの受付。受付でやるにせよ、様々な書類がここで必要になりました。大家さんの記入する書類(部屋のサイズ、アパートのサイズ、契約内容など)、戸籍抄本+仏訳(大使館から「正式な訳だ」という証明をもらわなくてはならない)などなど。更に、インターネットで質問に答えて、その申込書を印刷しなくてはなりません。その質問の回答(例えば子供が居るかなど)と家のサイズによって、支給される金額が最終的に決まるというわけです。

 早速、その受付と言われるところへ行ってみました。そこはCité Universitaireと呼ばれる学生(アパート)集合住宅区域のようなところでした。写真で見ると少し小洒落た感じですが、これは教会や食堂があったりする中心の建物です。
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 結果的に、必要書類を全て提出することが出来たので、翌月から無事に社会保障が振り込まれることになりました。その住居に入った日を記入するので、さかのぼって支給してくれます。交換留学中はこの社会保障のおかげで、家賃を払っていくことができたので、とても感謝しています。

イースター [フランスでの生活]

 先週の週末はイースターでした。イースターは毎年日にちが変わる休日です。春分の日後最初の満月の次の日曜日、というかなり込み入った日付設定のため、毎年はっきりと把握している人は少ないのではないのでしょうか。カレンダーを見て、初めて毎年のイースター週末を知る、という人が多いと思います。

 土、日、月(私は土曜、陸上の授業がありましたが)の3連休なので、実家に帰る人がほとんどです。高校生以下の生徒にとっては、2週間のイースター休暇が始まる時期。今回は、その休暇について少し触れてみたいと思います。先週末、つまりイースター休暇はどこでも3連休でした。しかしこの2週間の休暇は地域ごと。フランス全国の小中高が休暇を取ると、渋滞だらけになり、どこへ行っても人だらけ。それを少しでも回避しようと、フランスを3つに分け、1週間ごとイースター休暇をずらす、というわけです。例えば、ZoneA(Lyon, Toulouse, Nantesなど)は4月7日から2週間。その1週間後の4月14日からはZoneC(Paris, Bordeaux)の休みが始まり、その更に1週間後、ZoneB(Marseille, Eijon, Strasbourgなど)の休みが始まる、というわけです。イースター休暇と冬休み(2月にある2週間の休み。12月にある休みはクリスマス休暇)は、この3区分に分かれた休みとなっています。面白いことに、この順番、年ごとに変わります。今年、ZoneAは2つの休みで、一番最初に休暇に入ります。しかし翌年は一番最後に休暇が始まり、ZoneCが最初になります。これはどこへ行っても共通なので、フランスで買うどのカレンダー(スケジュール手帳)にもしっかりと記入されています。

 蛇足ですが、日本だと、休みの開始日は夏休みを除き、結構バラバラな気がします。しかし、北海道は例外で、8月中旬から既に新学期が始まります。全国放送を見ていて、8月31日のニュース番組などで「お子さんの夏休み最終日をどうやって過ごすか」などの話題が出ると、かなり違和感を感じていました。ずっと北海道の学校へ通っていたので、新学期=9月というイメージが湧きづらいです。

 イースターにもらったチョコレートです。
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ナンバープレート2 [フランスでの生活]

 前回に引き続き、ナンバープレートの話が続きます。

 今まで楽しんでいた自分の「遊び」、最近の車ではそれが残念ながら出来なくなってしまいました。なぜなら、県を表す数字が小さくなってしまったからです。
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 ナンバープレートの右上にある数字が、今まで通りパリを表しています。それと一緒についているマークは、パリが属する地方île-de-France(前回紹介した、92、93、94とパリの県)のマークです。各地方にマークがあって、色々な場所で見かけます。

 例えば、私がクリスマスを過ごしたAuvergne地方は山がよくあるので、マークにも山が使われています。
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 地方のマークが入ったので、どこから来たのか分かりやすくなったのですが、車内に居るとナンバープレートの数字が小さすぎて、見づらいです。ちなみに私が知っているフランス人も、やはりナンバープレートで県名を当てる「遊び」をよくやったようで、プレートの表示変更を残念に思っているようです。

ナンバープレート [フランスでの生活]

 小さい頃、家族でよくキャンプに出かけたり、フェリーに乗って祖父母宅を訪れたりしていたため、長時間車の中で過ごすことが多かったです。小さい頃はよくしりとりなどをして時間をつぶしていました。少し大きくなると、しりとりに飽きて、外を走っている車のメーカーを数えていました。「日産が○台、トヨタ○etc」という風に、妹と一緒に自分の担当メーカーを決めて、ひたすら数えていました。今考えるとよく分からない遊びでした。

 パリに居ると、公共交通機関が発達しているため、車に乗る機会はほとんどありません。しかし一歩パリの外に出ると、やはり車が生活に欠かせません。高校生の時に留学していた場所は、TGV(フランスの新幹線)も通っていないほど田舎だったため、移動は車でした。また水泳のクラブチームに所属していたのですが、その時の遠征もワゴンで移動だったため、車に乗る機会は多かったです。本を読んだり、色々やることはあったのですが、たまに私がやっていた「遊び」がありました。それは、通っている車がどこの県のものか当てる(調べる)遊びでした。

 フランスは各県に番号が充てられています。アルファベット順に番号が振られています。01はAinという県(スイスの近く)で、パリはPから始まるので75です。この番号、郵便番号にも使われています。そのため、パリに郵便物を送る場合、郵便番号は75で始まり、「区」に住んでいる場合は区の番号がその後に続きます。例えば、フランス大統領が住むエリゼ宮はパリ(75)の8区(8)にあるので、郵便番号は75008となります。

 この県番号、車のナンバープレートにも使われています。
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 ナンバープレートの最後2桁が、県を表しています(最近の車はその県を表す数字が小さくなってしまい、見づらくなってしまいました。これについては次回以降書きます)。この写真はパリ、75です。もちろん、居る場所によって頻繁に見るプレートの番号が異なります。パリは、75、パリを囲む「郊外県」の93(Seine-Saint-Denis), 92 (Hauts-de-Seine:Hから始まる県名だけれど、フランスの県にはよく「高地の」という意味でHaut(e)という言葉がついています。こういった場合、この言葉は無視する), 94(Val de Marne) のプレートをよく見かけます。そして、(特に夏の)バカンスの季節になると、パリに住む人は一斉に郊外へ出かけます。しかし、パリジャンは、他の地方の人から嫌われています(うらやんでいるというのも少しあると思いますが)。そのため、(田舎に住む)フランス人は自分の前の車が少しでも横柄な運転をすると、ナンバープレートを確認し、下2桁が75だったりすると、「全くパリジャンは!」と文句を言うわけです。そういった意味でも、75は誰でも知っている県の番号、というわけです。

 高速道路などを走っていると色々な県からのプレートを見ることが出来るので、よく「この番号はどこの県?」などと知り合いに聞いたり、自分で当てたりしています。自分が住む地方(région、県の次の大きい行政区分)の番号はよく知っているのですが、少し小さかったり、遠い県だったりすると、誰に聞いても分からない、ということもあります。
 
 蛇足ですが、日本でも有名なフランス映画、「Taxi」はマルセイユが舞台です。マルセイユがあるのはBouches-du-Rhôneという13番目の県なので、ナンバープレートの最後の2桁は13となっています。機会があれば、チェックしてみて下さい。

大晦日 [フランスでの生活]

 新年が明けてから、かなりの日数が経っていますが、自分がどのように大晦日を過ごしたのか書いていきたいと思います。

 フランスで、クリスマスは家族、大晦日は友人と、というのが一般的なようです。私は田舎の友人宅で過ごしました。2006−2007年、高校生の時に交換留学を経験し、その年、同じ村に台湾からの留学生も来ていました。一緒にバスに乗り、通学していました。その彼女のホストファミリーとは映画を見に行ったり、旅行に出かけたりたくさんの時間を過ごしました。そのため私にとって、「第二のホストファミリー」という感じで、帰国後も交流を続けていました。そして、大晦日は彼らと過ごすことになりました。

 フランス人の大晦日の過ごし方は日本と少し似ているかもしれません。ダラダラご飯を食べながら、深夜を待つという感じです(もちろんテレビの各チャンネルで、カウントダウンの特番もやっています)。

 私以外にもたくさんの「外国人」が参加した大晦日でした。参加メンバーを確認すると・・・。
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 一番奥(テーブルの端)から時計回りに、ホストファザー、ホストマザー、ホストファザーの親戚、カンボジアからの留学生(ただいま交換留学中でフランスの高校に通っている)、タイからの留学生(2007−2008年、この家にホームステイ。洪水で学校が休みになったのでフランスに「避難」)、台湾系アメリカ人の留学生(ただいま交換留学中でフランスの高校に通っている)、義理の姪っ子姉妹2人、ホストファザーの義理の弟、(写真では隠れてしまっているけれど)ホストファザーの姉妹、ホストファザーの兄弟と大人数でした。

 クリスマス同様、この日もたくさん食べて、色々なワインを飲みました。クリスマスのように仕込んで、というのではなく、ほとんど出来合いのものを買って済ませたのですが、それでも色々準備がありました。私も少し早めに行って、準備を手伝うことにしました。

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 特別な祝い事なので、テーブルの飾り付けもいつもとは違ったものになります。普段は使わない「良い」グラスを出したり、食器を出したり。フランスではたいてい、2つ食器棚があって、1つには日常使う食器が入れてあり、もう1つには祝い事の時のみに使う皿やグラスが入っています。

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 こういった祝い事に欠かせないのが、おつまみ。本格的な食事を始める前に、シャンパンで乾杯をして、軽く食べます(そのため、全体的な食事の時間が長くなるのです)。この日のおつまみは(写真手前から)、かっぱえびせん(のようなせんべい)、フォアグラをトーストに塗ったもの、乾燥ハム、オリーブをつぶしたペーストをトーストに塗ったものでした。8時ごろからおつまみを食べ始め、みんなかなりお腹がすいていました。そのため、あっという間におつまみはなくなりました。

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 1品目からメイン。魚、ごはん、野菜(名前を忘れた)。ソースもよく分からないものだったのですが、おいしかったです。

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 2品目はサラダ。家で取れた野菜を使って作ったものです。その後、いつも通りチーズが続き、その後にデザート。

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 デザートはアイス、チョコレートケーキ、ミルフィーユなどでした。自分の大好きなミルフィーユを食べることが出来て、私は満足です。

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 その後、大人達は飲み続け、私たち子供は0時まで話したりゲームをしたりして待機。「遠い」国から来た私を珍しく思ったのか、義理の姪っ子達が色々話しかけて来ました。10歳とまだ小さいので「あなたのフランス語のアクセント聞いたことないけど、どこの?」と言われ、びっくりもしました。
 
 子供は「ハウルの動く城」を見て、0時を待機しました。この映画、ヨーロッパが舞台なので、フランス語の吹き替えでも全く違和感なく見ることができました。映画の途中で0時になり、2012年到来! 0時になると、bise(頬にする軽いキス)をお互いにして、「あけましておめでとう」とするのがフランス流。13人も部屋に居たので、「あけましておめでとう」はかなり長く続きましたが。

クリスマスプレゼント [フランスでの生活]

 クリスマスのメインイベントと言っても良いぐらいなのが、プレゼント交換。毎年12月25日にプレゼントを交換する、と分かっていても結局最後まで悩みます。新聞では数週間前から、プレゼントのアイディアに関する記事が出ていたりします。個人個人にプレゼントあげるので、あまり知らない人になるとかなり悩みます。12月22日に田舎に到着したのですが、21日までクリスマスの買い物をしていました。パリだとどこへ行っても人だらけで、プレゼントを選ぶ時間よりレジに並ぶ時間の方が長かったような気がします。特に、今回は初めて会う人が2人、「お兄ちゃん」の彼女と「弟」の彼女。見たこともない人にプレゼントを選ぶというのはかなり苦労します。

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 1人1人からプレゼントをもらうので、自ずともうらプレゼントの数は多くなります。私もたくさんプレゼントをもらいました。本、香水(eau de parfum)、ピアスなど。私がピアス好き(多分唯一気に入っているアクセサリーだと思う)なのを知っている人は、色々な機会にピアスを贈ってくれます。毎年誕生日やクリスマスに、誰かが必ずピアスをくれるので、コレクションも増えました。

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 これは「お兄ちゃん」と「弟」&彼女からのプレゼント。Lenny Kravitzという知らない歌手のCDだったけれど、調べてみるとNHKテレビ「BEN部」のテーマソング(Are You Gonna Go My Way)を歌っている歌手でした。

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 この田舎に住むもう一つの「ホストファミリー」からは石けんなど化粧品をもらいました。私は実際彼らの家に滞在したわけではないのですが、とても仲良くしています。ジョークで「私が汚いから、きれいにするため石けんをくれるの?」と聞いたら、「フランスでは石けんなどをあげるのが当たり前なのだよ」と言っていました。実際、新聞記事にも「よくもらうプレゼント5つ」として、第3位に「化粧品」がランクインいていました(他の4つはチョコレート、香水、アクセサリー、お金でした)。

 クリスマスプレゼント、誰に何を贈るか、考えるのは大変だけれど、自分がプレゼントを開ける番になるとワクワクします。毎年クリスマスが終わると、「今から来年のプレゼントを何にしようか考えよう」と決心するのですが、なかなかうまくいきません。

2011年、再会の年 [フランスでの生活]

 (日本では)後5時間で2011年が終わるので、とりあえず今年最後の記事投稿をします。

 例年通り、あっという間の1年でした。この「あっという間」の感覚は年々加速している気がします。濃い1年を過ごせていると実感するのと同時に、やりたいことが多くて、優先順位をつけるのに苦労する状況が増えたような気がします。

 今年1番の収穫、変化はフランスに戻ってきて勉強することが出来ている点だと思います。高校生の時の交換留学を経て、帰国した時から「絶対フランスに戻る」と決めて、ようやくその目標を達成することが出来たと思います。5年もかかってしまいましたが。その目標は8月下旬に到着してから達成してしまったので、また新たな目標に向かって始動です。

 それ以上に、今年は色々な意味で再会の年でした。今年は色々な偶然が重なり、再会の機会が多いだけ、だと最初は思っていました。しばらくすると、自分はもう22歳で、10年前のことを語る、つまり10年前の記憶があるので、「再会」を味わうことが出来るのだ、と実感しました。
1月:アメリカ人の友人
2月:10年ぶり、カナダ人の友人
3月:10年(もしかしたらそれ以上)ぶり、オーストラリア人の友人
4月:家族と(地震の影響で新学期開始が遅れたため、その間札幌に戻っていました)
5月:大阪で妹と祖父母(地震の影響で、開催地が急遽大阪に変更)
10月:5年ぶり、フランスのホストファミリー
11月:5年ぶり、フランスのもう1つのホストファミリー
12月:5年ぶり、フランスの水泳仲間
などなど。たくさんの人に会うことが出来、とても嬉しく思います。2012年、まだまだ再会の計画があるので、再会を喜ぶのと同時に新しい人にもたくさん会っていきたいと思います。

それでは、良いお年を。

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 フランスにいる私の「お姉ちゃん」です。2006-2007年シーズン、一緒に泳いでいました。色々世話をしてくれて(フランス語を教えてくれたり)、帰国後も連絡を取り合い、今回無事に再会することが出来ました。

ボランティア活動 [フランスでの生活]

 私が滞在している家のおばあちゃんは今では退職しているのですが、精力的に色々な活動をやっています。毎週木曜は病院へ行き、病気の子供たちの遊び相手をしています。それが前回の記事で説明した、Les Blouses Rosesの活動です。病気の子供と遊ぶというのは、少し精神的につらくないか、と思う人も多いようですが、みんな明るく逆に元気をもらう、と言っていました。もちろんこれはボランティア。どこの団体でも変わらないよう、運営費を寄付という形で調達してこなくてはなりません。その活動の1つがPaquet-Cadeauという活動。クリスマスシーズン中の活動で、クリスマスプレゼントを包装するというものです。

 日本と異なり、フランスではプレゼント包装というものを店ではしてくれません。包装紙を自分で買って包装するというのが一般的です。しかし、子供用のプレゼントなどはおもちゃなど大きなものが大きく、なかなか一人では出来ないというのが現状。そこでおもちゃ屋さんの一角にスタンドのようなものを用意し、包装をしてあげるということです。先日、興味本位で一緒にその活動をやるおもちゃ屋さんへ行ってきました。もちろん、私も手伝いました。 スタンドに寄付箱を用意し、包装を待っている間に寄付をしたい人は寄付してもらうという形です。店内なので、現金でプレゼントを払った人はそのおつりを寄付したりしていました。

 自分では出来ない包装をやってもらう場所だ、というのは店に着いてから知りました。ついて行ったは良いけれど、実は私も包装が出来ない人の一人。日本ではいつも顧客カウンターへ行って、包装をやってもらっています。そんな自分が他人の包装をやるとは思っていませんでした。来たからには「出来ません」と言えないので、なるべく簡単そうなプレゼントを包装し、難しそうな(例えば正方形ではないプレゼント)ものに関しては他の人に任せることにしました。なるべくお客さんを待たせないようにかつきれいに包装する、というのはかなり大変でした。最初は上手く包装できず、隙間が出来てしまうこともあり、私以外に来ていた2人のベテランに助けられました。自分がこれから包装するクリスマスプレゼントの良い練習になったと思います。写真が2人のベテランです。

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 お札を入れてくれる人はあまり居ませんでしたが、包装を頼みに来たほとんどの人がお金を入れて行ってくれたので、3時間作業した後には結構お金が集まっていました。少しは人の役に立つことが出来たかな、と嬉しくなる午後でした。

 (日本にもあると思いますが)フランスでは社会的に認知された団体に寄付をすると、所得税の税金控除を受けることが出来ます。もちろんこのLes Blouses Rosesも社会的に認知された団体なので、この特典を受けることが出来るというわけです。寄付をする額は関係なく、税金が控除されます。「寄付をする」という行為が大切なようです。所得税の分が引かれるので、就労者のみ適応されます。66%控除されるので、多くの人が寄付を行っているようです。

 蛇足ですが、アメリカだと寄付は「富裕層の義務」というような感じで、社会もそれを求めているような気がします。フランスでも結構寄付が盛んですが、それをあえて「見せる」ことはしない印象を受けます。お金はプライベートなものだとされ、社会で見せることを好みません。有名人がどれだけ寄付をしたか、ということはニュースにもなりません。また、アメリカでは大統領が休暇をどこで過ごすか、ということが(選挙に影響することもあり)大きな話題になるようですが、フランスでは聞いたことがありません。たいていフランスの大統領はお金持ちで、南の方で優雅に過ごすので、その様子がニュースになるとひんしゅくを買い、逆に選挙に悪影響を与えるというのが私の考える理由です。
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