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「峠」(by 司馬遼太郎:1968)、「最後の将軍-徳川慶喜-」(by 司馬遼太郎:1966) [読書’15]

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 両作品に登場する人物がもし、違う藩に生まれていたら、もっと実力を発揮できたのではないか、と思わずにはいられない作品でした。「峠」は長岡藩の河井継之助、「最後の将軍」は徳川慶喜を扱っており、両作品幕末に登場した人物を扱っています。長岡藩は小さく、地の利にも恵まれていないということを自覚し、対策を練った河井継之助がもし、江戸に生まれて当時の日本を考える立場に居たらどうなっていたのか。また、読みが鋭い徳川慶喜がもし幕府の生まれではなく、反幕府側だったら、ということを何度もこれらの本を読みながら考えてしまいました。

 河井継之助については、ほとんど知りませんでした。以前、妹のインターハイ応援で行った新潟県で、河井継之助の記念館へ行きました。彼についてはほとんど知らなかったので、記念館では「新潟県は結構歴史があったのだ。この人は新潟県で重要な人なのかな」と思ったぐらいでした。父から薦められてこの「峠」を読んでみたのですが、新潟県(当時は長岡藩)という言葉でくくることが出来ないほど規模の大きな人でした。彼がやったことは結果的に藩を考えてのことですが、当時としてはかなり最先端の技術、考え方を用いた藩政治を行っていたようです。特に出会ったスイスの商人からは大きな影響を受けているようでした。その商人の話からしか当時のスイスというものが、私達には分かりません。しかし、その様子を文中で読んでいく限り、今のスイス人とあまり変わっていない考え方もあるようでした。例えば、小さい国で自然資源もない「貧しい」国であるという自覚。私のスイス人の友人も「スイスは海に面していないし、かといって自然資源があるわけでもないし、小さい国だし」とよく言っていました。だから中立の立場で、自国を守ることが大切だ、ということなのだと思います。この考え方が2世紀近く前から共有されている物だということを、「峠」を読みながら感じました。

 この「峠」を読んだ後に、幕府側の話、「最後の将軍」を読みました。今まで反幕府側の話を読んできたので、幕府に共感出来るかどうか心配なところはありました。しかしそこは、司馬遼太郎の文章力。幕府には共感出来なくても、最後の将軍、徳川慶喜はちょっとかわいそうだと思ってしまいました。物事を読み取る力というのはかなり優れていたようで、もし彼が参謀のような立場だったら、違う形で大きく歴史に名を残していたのではないか、とこの作品を読みながら思ってしまいました。

 全く別の立場の人間を扱った2作品を読みましたが、読み終えた後には似たようなことを考えてしまいました。
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